3月14日(日)は、9時起床の朝であった。
ちょっと眠いが、夕べの昼寝を合計すれば十分である。
青汁コーヒーで、パソコン前におちついていく。
明日の東京会議は「延期」となる。
連絡が直前になったところに、
東京の被害の大きさがあらわれている。
編集部には、けが人がなかったそうで、
まったくもって不幸中の幸い。
これによって、こちらは明日の
募金活動への参加が可能となった。
予約しておいた池袋の宿もキャンセルする。
別の編集部(卒業生)からは
「ゲラを届けてください」との連絡が。
12日早朝にFAXしたが、
1枚も届いていなかったらしい。
電話回線の混乱があったのだろう。
ただちに再送するが、まだ、半分までしか届かない。
残りは、気長に、送信トライをするしかない。
「レーニン原稿の人」となっていく。
12時には、夕べのキャベツ・豚ナンコツで
白いゴハンをパクパクパク。
1時すぎには、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、
改札前で旅行会社のSさんと合流。
近くの喫茶店に入り、ゴクラクで
使用できなかった特急券の払い戻しの手続きを。
ついでに、いくつかを話し合うが、
地震による「会社」の損失は、
彼らの賃金にかなり大きく反映するらしい。
なるほど、そういう問題も起こるわけだ。
「トリインフルエンザの時が一番大変でした」。
30分ほどで、お別れする。
JR「尼崎」から「加島」へ移動。
「加島」駅で、明日のためにとっていた
東京までのチケットの払い戻しをしてもらう。
「地震の影響ですか?」
「ええ、仕事がなくなってしまって」
「では、手数料はいただきません」。
なるほど、そういうことになっているのか。
先の編集部から「FAX全部とどきました」との連絡がある。
午後も「レーニン原稿の人」となっていく。
パチポチ、パチポチ・・・・・。
3時半には、レーニン原稿の編集部からも、
「けが人はなし」との連絡がある。
夜7時には、すっかりイヤになり、
メールをカシャカシャやっていく。
組合、ゴクラク、卒業生・・・。
明日、会うことを予定していた
東京の卒業生から
「地震以後、夜1人になるのがコワイ」とメールが。
気持ちを休める時間がないのだろう。
「楽しい時間をもつことを、
決して罪悪ととらえないこと」
「健康で、しっかりはたらくことが、
それだけで、立派に社会を支えることになるのだから」。
夜は、キャベツ・豚ナンコツに、
こんにゃくと玉子を放り込んでみる。
食後は、たまった新聞の整理である。
東日本大地震のために、足止めをくらった「直江津」で、
長野北部を震源とする大きな地震を体験。
前日まで滑ったスキー場が崩れ、
町にも大きな被害が生まれていった。
それぞれが記事になっており、
あらためて、わが身をとりまく
「偶然かつ薄氷の幸運」を実感する。
明日は、お昼に神戸元町大丸前で募金活動。
それ以外は、レーニン原稿に取り組んでいく。
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