4月28日(木)は、
ビックリ11時起床の昼であった。
調子こいた夜型人生の末路である。
青汁コーヒーで反省し、
12時前には、外に出る。
「今日は、ヨン・ニッ・パ~なのだな」。
30年ほど前なら、徹夜で、
デカイ立て看をかいていたものだ。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ、
車中「小ゲラなおしの人」となって移動する。
12時半から、学科教授会の打ち合わせ会議。
弁当を食べて、あれこれ相談。
1時半には、研究室に到着。
ほう、『保育情報』がやっと届いてきたか。
そして「小ゲラなおしの人」となっていく。
2時半には、本学の治安維持法被害者
を調べておられる、T中さんがやってくる。
開口一番「昨日のブログにまちがいが」
「えっ、なんでした?」。
そして、阪神淡路震災復興委員会の
初代委員長・下河辺淳氏について教えていただく。
思い込みというのは、恐ろしい。
わがアタマの中には、五百旗頭氏が
委員長だったとの刷り込みが。
さっそく、目の前の「小ゲラ」の中身も修正していく。
T中さん、本当に、ありがとうございました。
これも「集団の知恵」の現れだろう。
3時には、M平先生の
大学院ゼミにT中さんをお連れする。
この顔合わせが、本日のメインイベントなのであった。
3時40分には、座を抜けて、
ドタバタ大学を後にする。
阪急「西宮北口」から「梅田」へ、「桂」へ、「西院」へ、
車中「小ゲラなおしの人」から
「小ゲラガッシンの人」となって移動する。
「西院」のいつもの本屋に顔を出し、
5時半には、京都の子どもたちのところに到着。
F生が、エントリーシートを書いている。
K一は昼寝から、起きたばかり。
しばらくの間、F生のとなりで
「震災マルクス原稿の人」となっていく。
7時前には、いつもの焼き肉屋へ向かう。
途中、大学からもどった、H子も合流する。
しかし、ここが満席。
路頭に迷うが、K一のリクエストで、
ちょっと歩いた先の別の焼き肉屋へ。
ここは10数年ぶりである。
K一の胃袋は、完全に
焼き肉仕様になっていたらしい。
食べて、しゃべって、食べて、しゃべって。
今夜は、旅行、B級グルメ、釣り、
歴史マメ知識、首相を何人さかのぼれるか
などのテーマであった。
9時には、家にもどって、
「ケンミンSHOW」をながめていく。
そして、10時には京都を出る。
阪急「西院」から「十三」へ、「加島」へ、
車中「震災マルクス原稿の人」となって移動する。
11時すぎには、すばやい帰宅となっていく。
ただちに台所を片づける。
明日の世間はGWの初日となるようだが、
わが大学は教授会の研修会。
夜には、新参と遊んでいけるのだろう。
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