【警戒区域にある牧場の現状】
~浪江町“希望の牧場~ふくしま~”の場長 吉沢正巳さんより~
吉沢正巳さんは、現在も福島第一原発から14km地点の牧場(浪江町)で330頭の牛を飼育されています。
警戒命令が下っている多くの牧場は、やむなく家畜たちを殺処分あるいは餓死させているのが現状ですが、それでもなお吉沢さんが牛たちを生かし続けるのはなぜか。そ
れは、被ばくした牛たちを被ばく研究に活かしてもらうためです。
事故前まで牛舎で育てられていた牛たちは、今は広い牧場で放牧され、自由に歩き回って生活しているそうです。警戒区域で育った牛たちは商品になるわけもなく、来
春生まれてくる仔牛たちはどのような形で生まれてくるかわかりません。
吉沢さんご自身も身体に放射性物質が付着し、3000ベクレル以上の数値が検出されたとのことでした。さらに、牧場で生えたおいしそうなきのこからは、4万ベクレルという数値が検出されたといいます。
吉沢さんは「もう何を作ったって商売にはなりません。」「浪江町は死の町になってしまったんです。」「私は、牛たちが生きている限り餌を与え続け、殺処分としてではなく被ばくの研究材料として役立たせるために、被ばくの恐ろしさを伝えるために、自分自身も被ばくを覚悟で牛たちを生かしてるんです。」「東京のような都会のために電気をつくってきた福島は今、差別されています。」「国や東電とも闘って、補償を勝ち取っていきます。」と、涙ながらに本当に力強く訴えられました。
その訴えには、私の言葉では軽々しく語れないほどのどうしようもない悲しみ・苦しみ・怒りや悔しさ、そして福島の復興にかける願い、あらゆる感情が入り混じってい
たと思います。気がつけば、この分科会周辺には大きな人だかりができていました。あちこちからすすり泣く声が聞こえ、私もたまらず涙していました。
震災・原発事故から約7ヶ月が過ぎ、被災された方々は、それまでの生活を一瞬にして奪われ、特に原発周辺区域においては未だ先の見通しも立たず、ただ今目の前を生
きることに精一杯という状況が続いているのだと改めて感じました。
その状況下で、ご自身も被ばくされながら、被災直後から東電に抗議に行くなど必死に闘っておられる吉沢さん自作の立て看板には「決死救命、団結希望」という文字が
大きく書かれていました。
時間の関係で、交流には至りませんでしたが、吉沢さんをはじめとする被災された方々・関係者の方々にとって、今大会を通して私たち青年が熱心に聴き入り考える姿
を見て、共に考え行動していく仲間が全国にいることを少しでも実感して励みにして頂くことができればいいなと思いました。
そして、何より私たち自身の今後のあり方が問われることも再確認しました。
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