岐阜大学地域科学部教授会声明
学校教育法の改正案及び国立大学法人法の改正案の廃案を要求します
政府・文部科学省は、学問の自由を侵害し教授会(学部教授会)を基盤とした大学自治を破壊する学校教育法改正と国立大学法人法改正を、今国会で強行しようとしています。我々、岐阜大学地域科学部教授会は、こうした法改正に断固反対し、法改正案の廃案を強く要求します。
(1) 現在の学校教育法第93条は、「大学には」、人事権や予算権を含む「重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」と明確に定めています。しかし、今回の学校教育法改正案は、この条文を廃止し、教授会の権限を「1、学生の入学、卒業及び課程の修了 2、学位の授与 3、前二号に掲げるもののほか、教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの」に縮小・制限し、大学自治の重要な一環である教授会自治―――大学の全構成員自治という観点からすれば不十分ですが―――を根幹から否定しています。しかも、教授会が審議する教育研究に関する事項ですら、学長の意見聴取の対象でしかないとしています。こうした法改正は、学科・コースの改廃や教育課程(カリキュラム)の編成の権限、学部予算に関する権限、学部長選考や教員採用・昇任などの人事の権限を教授会から完全に剥奪し、東大ポポロ事件最高裁判決ですらその伝統的な自治を認めた教授会を、学長のたんなる諮問機関とするものです。
なお、今回の法改正の基本を決めた中教審大学分科会の「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」(平成25年2月12日)は、教育公務員特例法全体が国立大学法人法の下では適用除外になると明言しており、とくに教特法第3条第3項や第5項で「当該学部の教授会の議に基づき、学長が行う」とした学部の総意を踏まえた学部長選考や教員採用・昇任を廃止する点が、今回の学校教育法改正の主眼となっていることは明白です。
(2) そもそも、自由で民主的な市民(学生)を育成することを使命とする大学に不可欠の学問の自由は、たんなる理念に留まることを許すものではなく、制度的組織的保障があってこそ維持され発展し得るものです。つまり、大学を構成する各学部がどのような教育・研究を組織し、どのような教育者・研究者がどのような運営の下で教育・研究に従事し得るか、といった大学の日常実態の中で、この日常が自由に営まれてこそ実現しうるはずです。そのためには、大学自治の重要な一環をなす教授会自治として、学部組織や学部の予算・人事などの重要事項を審議する権限が教授会になくてはなりません。ですから、学部教授会を学長のたんなる諮問機関にしようとする今回の学校教育法改正は、大学における学問の自由を、ひいてはより善き教育を根幹から破壊するものと言わざるをえません。
(3) また、今回の国立大学法人法改正案では、学長選考に関する第12条第7号に、「学長選考会議が定める基準により」という文言を付加して、学長選考の際に大学構成員の意向を確かめる意向投票制度―――現在、国立大学法人が行っている意向投票制度も、学長選考のための正式の選挙制度の廃止に伴う激変緩和的措置でしかありませんが―――すら廃止し、ごく少数の大学の役職者や学外者からなる学長選考会議に学長決定権の全てを与えて、大学構成員の総意を生かしてこそ可能になる大学の自治を、やはり根底から破壊しようとしています。
さらには、国立大学法人法の第20条第3号を改正して、「経営協議会の委員の過半数は、前項第3号の委員でなければならない」とし―――これまでの規定は「二分の一以上でなくてはならない」―――、「国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関」たる経営協議会を、学外者(前項第3号の委員)主導の下におこうとしています。この法改正は、財界や権力に近い学外者に「経営に関する重要事項」の帰趨を委ねて、事実上、大学運営の基盤たる経営権を大学から奪い、これまた大学自治の根幹を侵害しようとしており、他方で学校教育法改正や中教審の「審議まとめ」が意図している、学長のリーダーシップ強化にすら相反します。
(4) もとより、今回の学校教育法改正による教授会権限の縮小・制限論が狙っている学長のリーダーシップの強化の目論見も、学長のリーダーシップ強化を上意下達や単純な指揮・命令系統の拡大と見誤っています。学長に限らず、職階上位の者のリーダーシップを真に発揮する上では、大学現場の個々の大学人の声を踏まえ現場の総意を汲むことが必須で、そのためには大学構成員の自治を重視せねばならないはずです。しかし、この点を忘れた今回の教授会権限の縮小・制限論は、また、ガバナンスには<強制>のみならず<同意>という契機が伴わねばならないことを看過しており、管理やさらには<支配>に関する一般論としても誤っているため、真の学長のリーダーシップの確立に至るものではありません。
(5) 戦前の京大滝川事件や東大平賀粛学(*)などに見られた、大学自治・大学人事への国家権力の介入による学問研究の自由の弾圧や治安維持法による思想の自由全般への抑圧と、その間の日中戦争開始から国家総動員法施行などを併せて想起すれば、学問研究の自由の剥奪が如何に恐ろしく悲惨な事態と繋がっているかは明白です。大学における学問の自由と教授会自治を破壊する今回の法改正は、学問の自由全般の否定に直結しており、ひいては思想・信条の自由の剥奪や国民全体の日常への抑圧にすら至りかねません。付言すれば、このように危険な今回の学校教育法及び国立大学法人法の改正案は、教育長の任命権を時々の首長に与えて教育の政治的中立性の否定を目論む法改正の動きなどと同根でして、これらは、大学教育のみならず日本の教育全体を危うくする反動的な政治動向の現われであり、憲法23条に違反し戦後民主主義の善き伝統を破壊するものです。
* 京大滝川事件は、1932~3年にかけて、京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授について、その講演や著書が無政府主義的等々として、時の文部大臣鳩山一郎が小西京大総長に滝川教授の罷免要求をしたことに端を発し、この事態に抗議して辞表を提出した京大法学部全教員の内、滝川教授を含む6名が免官とされ、小西総長も辞職に追い込まれた事件。
* 東大平賀粛学は、東京帝国大学経済学部で、国家主義派の土方成美教授と自由主義派でその著書が発禁処分となり文部省から処分を迫られていた河合栄次郎教授との対立に関わって、1939年に、平賀東大総長が経済学部教授会に諮ることなく独断で、文部大臣荒木貞夫に両教授の休職を喧嘩両成敗の名目で具申し、両派の教授らも辞表を提出した事件。
我々、岐阜大学地域科学部教授会は、このような危険性のある今回の学校教育法及び国立大学法人法の改正案の廃案を強く要求すると共に、全ての大学人のみならず、多くの人々がこの廃案要求に賛同されんことを、強く訴えます。
2014年5月21日
第251回 岐阜大学地域科学部教授会
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