6月19日(木)は、8時起床の朝であった。
野菜ジュースと青汁で、
本日の人生を立ち上げていく。
兄新参の熱は下がったが、
まだ不安があるので、学校は、お休み。
その一方、妹新参は、楽しそうに、幼稚園へ。
こちらは、ネット情報をカシャカシャカシャ。
仕事のBGM(?)として、
1956年4月15日午後11時20分に、
JOQR文化放送が流した
「マイクの広場」(ラジオ番組)を聞いてみる。
一度は「終身刑」とされながら、
56年までに全員がシャバにもどってきた
A級戦犯たちへのインタビュー。
こんなものを聞いて、他の仕事が
できるわけがなかった。
6月29日の歴史認識シンポに活用できないかと、
関係方面にメールをガッシン。
それにしてもインタビューへの回答は、
「オレは悪くない」のオンパレード。
アジア2000万人の死者だけでなく、
日本の310万人の死者にさえ、
「すまなかった」の言葉もない。
月末の研究会の会場をとり、
週末の高速バスのチケットも予約。
お昼は、スパムと野菜を玉子でとじて、
ラーメンをゾゾゾと食べていく。
午後は「書き物仕事の人」である。
パチポチ、パチポチ。
3時半には、相方が夜勤に出る。
兄新参は、テレビ周辺で、あれやこれや。
こちらは、パチポチを継続し、
夕食準備をチョイチョイチョイ。
5時半には、兄と2人で、
幼稚園のお迎えに出る。
妹新参と、ノンビリ、歩いて帰ってくる。
ただちに、風呂に入って遊んでいく。
トリと豆を炒め、サンマを焼いて、
夕食を、3人でパクパクパク。
満腹になった妹新参は、
イスの上で、そのまま眠りに落ちていく。
たったいままで、ワーワー、
にぎやかにしゃべっていたのに。
洗濯、皿洗い、明日の妹新参のリュックの準備。
そして、ゆっくり兄新参との夜となる。
9時には、布団に入れていき、
パソコン前に座っていると、
兄新参が「ねてるうちにゲロしてた」と
涙目の顔でやってくる。
シーツ2枚をひっぺがし、
汚れ物を片づけて、
ザブザブ手洗いの後、洗濯機へ。
着替えた兄には、水を飲ませ、
落ち着いたところで、布団にもどす。
このドタバタの中、その横の妹新参は、
「大」の字で、グーグー眠ったまま。
明日は、授業、組合、会議、会議、会議、会議。
さらに、夜は「温情会」という学院全体の懇親会だが、
こちらは、ドタキャンのお願いを。
子どもの調子も不安だし、
いろんな仕事がたまってもいる。
ご準備のみなさん、申し訳ありません。
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