9月8日(火)は、何度か目を覚ましながら、
最終7時すぎ、川内村、起床の朝であった。
部屋からのながめは、こんな感じ。
右下のプレハブ風が、食堂の建物。
ゴハンを食べて、学生たちが泊まる、
「いわなの郷」に移動する。
こちらは、広々とした多角的な施設。
晴れていれば、庭も、もっとキレイに見えるのだろう。
9時すぎには、「いわなの郷」を後にする。
バスで太平洋側に向かっていく。
写真は、すでに、富岡町。
北へ向かう6号線に入っていく。
帰還困難区域には、こうしたバリケードが張られている。
このあたりは、6号線の通過だけが認められ、
両側には、バリケードが続いていく。
運転してくださるS藤さんが、「悲しい後景」と。
つづいて、大熊町に入っていく。
すれ違うバスには、福島第一で深夜の作業を終えた人たちが。
県内を、こうしたバスが、1日220台も走っているとか。
有名な標語がかかげられた看板は、双葉町。
10時には、バリケードのない浪江町に入っていく。
町の浜側は、避難指示解除準備区域。
浪江町役場まで、およそ1時間。
ここからは、復興推進課のY山さん、N村さんに、
ご案内をお願いする。
今年も、請戸小学校へ。
目の前の景色が変わっている。
去年は、まるで人の手が入っていなかったが。
変わらぬ様子の体育館。
震災・事故当初とは、違った趣旨の書き込みが増え、
黒板は「落書き禁止」となっていた。
去年まで、ここにあったガレキがない。
漁港の方には、たくさんのクレーンが立っていた。
できあがった共同墓地。
その下に、広場をつくる作業が進行中。
浪江東中学校は、保育所・幼稚園・小学校・中学校など
総合的な子育て・教育施設としてよみがえる計画。
帰還に向けて、活発な取り組みをすすめるNPOを訪れる。
代表のK村さんから、事故直後からの取り組みを、うかがう。
避難者をはげます仕事、自立に向けた取り組み、
浪江町で野菜をつくり、玉子を出荷し、
いまはたくさんの花の出荷もすすめている。
「浪江でできたものが売れるのがうれしい」と、役場のY山さん。
12時すぎには、事故後、開店第一号のコンビニで、
お昼のゴハンを調達する。
他に店がないので、昼時は、
たくさんの人でごったがえす。
食後は、町がつくる「なみえ復興レポート」にもとづくお話。
質疑もふくめて、1時間ほど。
2時すぎには、再び、外に出る。
「疲れた」学生1人を、こちらの診療所に休ませてもらう。
こちらは、井戸水をつかったお米の実証栽培。
昨年からはじめており、線量検査の結果は「未検出」。
一部は、霞が関のお役人の食堂で使われた。
別の場所で、川の水をつかった試験栽培も実施中。
なかなか変化がつくれないという、
町中心部も歩いてみる。
こちらは、JR「浪江」の駅前ロータリー。
新聞屋さんには、配られることのなかった
2011年3月12日の新聞がそのままに。
地震で崩れた町の様子も見せてもらう。
原発被災がなければ、
もっと早く、復旧・復興が進んだはず。
(宮城・岩手に比べて、2年遅れと言われている)
風雨が強いので、3時すぎには役場にもどる。
全員がじっくり感想を述べ、
Y山さん、N村さんからコメントをいただく。
4時15分には、浪江町を出る。
「疲れた」学生も、元気回復。
みなさん、お世話になりました。
バスで北上して、
5時には、南相馬の「一番星」に到着する。
こちらは、ネット情報を、カシャカシャカシャ。
大学仕事のメールも打っていく。
6時半から、みんなでゴハン。
野菜も、お米もホントにおいしい。
8時には、部屋にもどり、
ネット情報をカシャカシャカシャ。
長いメールも1本書いていく。
まるで時間がとれないのだが、
「70年原稿」は、いったいどうなるのだろう。
明日は、朝から相馬市に向けての移動である。
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