3月27日(日)は、5時半起床の朝であった。
ミネラルウォーターをクピリとやって、
本日の人生を立ち上げていく。
部屋の窓から見えるマージー河には、
大きな月が浮かんでいた。
ネット情報を、カシャカシャカシャ。
7時半には、朝のゴハンをパクパクと。
9時ちょうどにはホテルを出る。
まずは、キレイなセントジョンズ・ガーデンズ。
表にまわって、セントジョンズ・ホールの入口。
NYでジョンレノンが亡くなった時、
1万の人が追悼のために集まった。
つづいて、マージー河沿いの世界遺産
アルバートドックに移動して、その周辺も歩いていく。
10時半には、ドックの一角にある、国際奴隷制博物館へ。
15世紀には、ヨーロッパ各国で、
奴隷売買の三角貿易が開始された。
イギリスでは、ロンドン、
ブリストルなどにつづいてリバプールでも。
安物を西アフリカにもちこみ、
物々交換で奴隷を手に入れ、
これをアメリカに売って、
アメリカから綿花、たばこ、砂糖などを持ち帰る。
いわゆる三角貿易である。
もちろん「交換」ではないやり方も、あったのだろう。
いずれにせよ、これでリバプールは莫大な利益を。
黒人奴隷による綿つみの様子。
アメリカから、これが大量にリバプールに送られた。
奴隷貿易に反対する声が次第に強くなり、
奴隷価格高騰により、経済的うまみが減ったこともあり、
イギリス本国では、1807年に奴隷貿易が禁止される。
アメリカでは、1861年から65年の南北戦争の後、
リンカーンの北軍が勝利して、65年の憲法修正で禁止となった。
しかし、その翌年には、反黒人組織の
KKK(Ku Klux Klan)が創設され、
たくさんのリンチが行われるように。
1920年当時のKKKの白装束。
1932年に、その数は100万人に達していた。
戦後もこれは生き残り、
公民権運動にも敵対した。
全体としてまじめな博物館だとは思うが、
肝心のイギリスの行為への自己分析は、
ことがらの表面をなでただけのような。
12時すぎには、博物館を出て、
昼食は、イタリアンのレストラン。
昼からビール、ワインが、当たり前になっている。
一時のはげしい雨をやりすごし、
食後は、町の中を歩いていく。
星条旗に、二階建てバスに、このタクシーの形。
気がつけば、あたまの上に、ジョージ・ハリスンが。
立っていたのは、ハードデイズナイト・ホテルの壁。
すぐ近くのマシュー通りに入っていくと、
ビートルズ「関連」の店がならんでいる。
ビートルズが初めて演奏し、
その後も、繰り返し演奏したキャバンクラブ。
もちろん姿は変わっている。
こちらは、便乗商法のLENNON’S BAR。
さらに、観光客相手のわかりやすいおみやげ屋さん。
やはり、ビートルズは、曲を聞くのが一番です。
地図を見ながら、ホテルに歩く。
途中、こんな古びたビルの一角も。
3時前には、ホテルにもどる。
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