9月5日(月)は、5時起床の朝であった。
お茶とコーヒーで、
本日の人生を立ち上げていく。
アタフタ動くうちに、兄新参も起き上がる。
6時ちょうどには、外に出る。
相方のクルマで、西北に向かう予定が、
伊丹空港まで送ってもらうことに。
毎度、おありがとう、ございます。
6時半から、ゆとりをもって、旅行日程を再確認。
予定の7時15分には、
おおよそのメンバーが集合し、
搭乗手続きをすませていく。
しかし、約1名が大遅刻で、
離陸20分前に、やっとの登場。
あとは、すべてをハイスピードで。
8時15分には、離陸になんとかすべりこむ。
こちらは、すでに憔悴状態。
それでも、機内「海洋汚染の人」となって移動する。
9時半には、福島空港に到着となる。
ここで、さらに学生1名が合流し、
バスで、いわき市に向かっていく。
今年は、学生9名に、景山先生と、
こちらをふくめて11名。
11時には、いわき市内で、
伊東さん、菅家さんと合流し、
以後、菅家さんに、ご案内をお願いする。
四倉の浜に高台や、防潮堤をつくる工事が進む。
こちらは、津波被災者のための公営住宅。
バスの前には、広野町の火力発電所の煙突が。
ほどなく、福島第一廃炉作業の拠点となっている、
Jヴィレッジに到着する。
東京オリンピックの練習にここをつかうとかで、
作業拠点は、北に移されつつある。
とはいえ、フィールドには、作業員のみなさんの宿舎がビッシリ。
12時半には、楢葉町の宝鏡寺に到着する。
お弁当をパクパク食べて、
1時前から、早川篤雄住職のお話を。
原発反対運動の40数年と、
現在の課題をうかがっていく。
熱のこもったお話である。
2時すぎには、お寺を後にする。
ふたたび、菅家さんのご案内でバス移動。
こちらは、福島第二につながる橋。
中央右が、JR富岡の駅ホーム。
その左手が、途切れたJRの線路である。
正面中央が、福島第二の原子炉建屋。
左が、タービン建屋となる。
富岡のかつてのエネルギー館。
菅家さんも、昔、お子さんと遊んだことがあると。
途中、帰還困難区域との境に下りて、
サーベイ・メーターで線量をはかる。
瞬間的には、1μくらいまで、上がっていく。
4日間、バスの運転は、こちらの小野さん。
4時すぎには、けやき共同作業所への到着となる。
昨日まで、目の調子が悪かったという
伊東達也さんが、「今日はよくなった」と
原発被災の今日的な、様々なあらわれ方を。
こちらも、熱のこもったお話だった。
いずれも重い話ではあるが、
市民の連帯回復への問題提起は明快だった。
われわれの今日の被曝は、およそ1・1μSV。
6時半、空には、キレイな三日月が。
いわき市は、市議会選挙の真っ最中で、
活気ある事務所の様子も、目の前に。
菅家さんとも、ここでお別れ。
菅家さん、早川さん、伊東さん、
本当に、ありがとうございました。
7時ちょうどになって、いわき湯本温泉の宿に到着。
7時半から、みんなで、夕食を。
8時半には、すばやく解散し、
あとは、大部屋に学生たちを野放しに。
コンビニでいくつか買い物をして、
夜は、焼酎でしめていく。
本日の万歩計は、4301歩。
バスと飛行機ばかりの移動である。
明日は、海の汚染と漁業の復興に学んでいく。
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