1月1日(水)は、9時半起床の朝であった。
これだけまとめて眠ったのは、
ずいぶん久しぶりである。
まだジグザグはあるだろうが、
少しずつカラダが整っているか。
お茶とコーヒーで、
本日の人生を立ち上げていく。
新参ズも立ち上がり、
10時すぎには、朝昼兼用ゴハンを食べていく。
お節の残り、そして年越しそばの残りである。
(そば買いすぎ)。
新参ズにお年玉を渡していくが、
妹新参が「こんなにいらない」と
2000円を返してくる。
受け取ったのは1000円だけ。
本意はよくわからないが、
本人がいいというのだから、それよしと。
しばし、新参ズの宿題時間となり、
こちらも「ウィルタの人」となっていく。
内田先生からいただいた年賀状に、
「若マル中国で200万部ですってね」と。
契約上、印税はあってないようなものだろうが、
中国民主化のお役に立てると嬉しい。
12時すぎには、一族で外に出て、
近くの神社へブラブラと。
琉球のお獅子が出かけてきていた。
兄新参がアタマをかじられていく。
つづいて、こちらもかじられていく。
少しは、アタマがしゃっきりするか。
例年どおり、新参ズは、にぎやかに走り回る。
そして、最後は、露天のカラアゲ、バナナチョコ。
近くの池をぐるりとまわり、
しばらく、公園でも遊んでいく。
3時前には、家にもどり、
それぞれシャワーをあびていく。
カード・ゲームに向かった兄も、
ほどなくご帰還、シャワーに直行。
読み終わったのは、こちらの一冊。
アイヌ関連授業とのかかわりで、
樺太の少数民族ウィルタにまで手をのばす。
ゲンターヌは、大日本帝国軍人として「招集」され、
戦後はロシアに抑留される。
しかし、日本にもどれば旧軍人として認められず、
軍人恩給も給付されない。
その不当性を訴える多くの人の支援の中に、
「8月5日、約束の場所、
私たちは上野裕一良氏と車で、
70年代半ばのことである。
兵庫歴教協の上野さんである。
そんな取り組みもされていたのか。
さっそく、何年ぶりかでメールを送信。
夕食は、お節と丸餅白味噌のお雑煮を。
食後は、いつものグダグダグダ。
9時半には、妹新参と布団に入り、
読本は「おおかみのともだち」1冊。
そして、いっしょにグーと寝る。
気がつけば、残念ながら、世間は1時半。
やはり、一直線に変化はしないらしい。
明日も、終日、家人生。
少し、原稿仕事をしていくか。
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