以下は、1月12日(水)のチャペルアワーで、
行なった「奨励」の内容です。
時間は8分だけでしたので、少し言葉を足してみました。
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おはようございます。
私がこの講堂に初めて足を踏み入れたのは、
1995年のことでした。
阪神淡路大震災の直後で、38才の時です。
それまでは非常勤講師だけのワーキングプアで、
その生活は40才が限度だと考えていましたから、
ギリギリのところでの着任でした。
大学院では鉄鋼産業の日米関係を研究していました。
アメリカ市場への資本輸出や
輸出量の調整などについてです。
しかし、学生に入門的な経済学を講義するうちに、
「自分の経済学には性がない」ということに気づきます。
そこで2000年に「ジェンダー研究会」
を呼びかけたのでした。
現代日本のフェミニズムに詳しい飯田先生、
歴史の中での家族や
婚姻の歴史に詳しい高橋友子先生には
多くのことを教えていただきました。
研究会の成果は、2003年に
『はじめてのジェンダー・スタディーズ』
として出版されています。
これをきっかけに、
ジェンダー視角からマルクス『資本論』を読み返し、
従来のマルクス研究の目が
届いていないところに気がつきました。
これは私にとっては、大きな出来事でした。
その一部は、2004年の単著『現代を探求する経済学』
に収めてあります。
2004年からゼミで
「慰安婦」問題を取り上げるようになりました。
本学に来て10年目、47才の時です。
2005年の『ハルモニからの宿題』から、
2012年の『「ナヌムの家」にくらし、学んで』まで
5冊の本を学生といっしょに出版しました。
『「慰安婦」と出会った女子大生』は
韓国語訳も出版され、
梨花女子大学の学生サークルの
テキストにも使われました。
毎年、学生たちと韓国を訪れましたが、
海外でのゼミ活動に道を開いてくれたのは
当時の総合文化学科長の古庄先生と
学長の原田先生でした。
「慰安婦」をめぐる歴史的事実については、
上野先生、真栄平先生に
いろいろと教えていただきました。
「慰安婦」を強制された
ハルモニとの偶然の出会いから、
なかば衝動的にはじめた学習・研究でしたが、
後に、東アジアにおける経済共同とのかかわりで
これは経済学と結びついていきました。
この点は、2007年の単著『覇権なき世界を求めて』
に収めてあります。
マルクスについての正面からの研究のきっかけは、
2009年に出版された『劇画マルクス』の
特に伝記部分の内容チェックを、
友人でもある編集者に依頼されたことでした。
52才のなってのことです。
そして翌2010年には、当時、
教務部長をされていた内田先生と
同じ編集者のもとで
『若者よ、マルクスを読もう』を出すことになります。
以後、この本は第3巻まで出版され、
途中、番外編の『マルクスの心を聴く旅』や
単著『マルクスのかじり方』も生れました。
『若者よ、マルクスを読もう』は、
現在『資本論』をとりあげる第4巻の原稿が、
ちょうど半分までできたところです。
これらは韓国語訳、中国語訳も出されています。
20代から60代まで、マルクスの主要著作の
ほぼすべてを解説していくこの仕事は、
とても大変でしたが、いい勉強になりました。
ゼミの話にもどりますが、
2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに
ゼミのテーマを、原発・エネルギー問題に転換しました。
きっかけは、2011年の後期、
多くの学生にとって、
これが、早くも過去の問題に
なりかかっていると思えたことでした。
誰かが学生に伝えつづける必要がある。
そう考えて、かなり悩みましたが、
テーマを大きく変えたのでした。
2013年から、学生たちと原発被災地を訪れ、
2014年の『女子大生のゲンパツ勉強会』から
2017年の『被災地ふくしまを訪れて』まで、
4冊の本をいっしょに出しました。
4冊目の本は、私が60才の時のものです。
「売れない」という理由で、
いまこのテーマでの本が出せないこと、
またコロナのために
福島を訪れることができないのは
大変に残念なことです。
さて、このテーマは自分の経済学と
どうつながってくれるのだろう。
なかば楽しみにそう思ってきましたが、
最近、マルクスの「人間と自然の物質代謝」論
とかかわって、生産力の質的発展を考える。
そういう形でのまとまりが見えてきました。
こうした思考の熟し方の体験は、
なかなかに楽しいものです。
ふりかえってみると、
ゼミでの学習テーマもふくめて、
私の研究テーマは、偶然に大きく左右されてきました。
ジェンダー論、「慰安婦」問題、エネルギー問題、
マルクスへの正面からの取り組みも、
いずれも、若い頃の人生計画にあったものではありません。
せまい意味での「経済学」の枠を超え、
自由に学び、発言することを認めてくれた
神戸女学院大学の気風、総合文化学科の自由な空気は
大変にありがたいものでした。
のびのびと自由に研究し、
それを楽しく交流することで、
互いを刺激しあうことができる、
そういう大学らしい大学のあり方を、
何より教員のみなさんが先頭に立ち、
発展させてほしいと思っています。
「疲れた」「もういいだろう」と思うこともありました。
それを乗り越えさせてくれたのは、
いつも学生たちの活力でした。
フィールドワークの内容でも、本の執筆でも、
学生に励まされて前に進んだことが、いくつもありました。
教育というのは、教員が教え込むことではなく、
学生が自ら学ばずにおれない場をつくり、
そこに導いていくということだと、
あらためて強く感じさせられています。
長く教職員組合でも活動をしてきました。
いろいろなことがありましたが、
いまの時点で、本学の労資関係にとって
もっとも大切なことは「対話」だろうと思っています。
両者は対立するものだと、
勝手に決めつけるのでなく、
互いを理解し、知恵を合わせる冷静さが必要です。
意見の違いは誰にもありますが、
だからこそ、理解しあうことへの努力を
忘れてはならないと思います。
多くの人が、同じ方向に向けて力を発揮するには
何より、その方向性への合意が必要ですから。
神戸女学院大学が直面する今日の試練を、
みなさんが気持ちと力をあわせることで
見事に乗り越えていかれることを
心より期待し、お祈りしています。
長いあいだ、ありがとうございました。
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