9月4日(日)は、7時前起床の朝であった。
青汁クピリで、本日の人生をたちあげて、
8時ちょうどには、外に出る。
道は平日以上に空いており、
8時半には、伊丹空港に到着。
8時50分の集合時間に、
10分遅れ程度で全員無事集まる。
学生12名の教員3名での
科目「プロジェクト(先住民族アイヌを学ぶ)」。
わが身は、科目担当の非常勤講師としての参加である。
搭乗の待合ロビーで、
2冊目の本の相談を。
「もし、北海道で話してくださる
みなさんのOKがとれるなら、
出版社に相談してみましょう」。
9時50分には、空に飛ぶ。
機内「木村さんインタビュー読みの人」となって移動する。
話のメインは、遺骨の返還問題だった。
11時40分には、新千歳空港に着陸。
空港内で各自昼食。
教員3人はラーメン屋さんをめざすが
長蛇の列で、比較的空いていた
海鮮方面に方向転換。
お土産もザクザク買っていき、
宅急便で西宮へ。
これで、あとは学びに集中するだけ。
バスは、貝澤守さん(平取町)デザインの
「セタプクサ(すずらん)号」。
1時40分には、空港を出る。
車内には、O先生が用意してきた
アイヌをテーマにした「ラジオ深夜便」の音声が。
こちらは「『新アイヌ』の人」ともなっていく。
3時前には、萱野茂二風谷アイヌ資料館に到着。
萱野さんが集めた1100点ほどの民具のうち、
ここには200点ほどが。
残り900点ほどは、明日うかがう博物館に。
メノコイタ(まな板)は、思っていたよりずっと大きかった。
目検討でおおよそ25㎝×65㎝。
1100点ほどのすべてが
国の重要有形民俗文化財となっている。
こちらは、萱野さんの仕事場の再現。
外には、古くからのチセがあり、
まわりのミドリと見事一体に。
子どもたちのための図書館も。
平取町の中でも、二風谷は、
アイヌの比率が圧倒的に高い。
地域のため、アイヌのために、
私財を投げ出して奮闘された様子がよくわかる。
現館長は、息子さんの萱野志朗さん。
同僚とつくった『先住民族アイヌを学ぶ』を差し上げ、
少し、お話もさせてもらう。
2日間の滞在を通しての感想だが、
二風谷はとても花が多い。
道路からの入口には、
こんなキレイな看板が。
4時半には、バスにもどり、
目と鼻の先の「二風谷コタン」へ。
以前は、広い敷地の真ん中に
大きな駐車場があったそうだが、
いまは、芝生が整備され、
きれいにチセがならんでいる。
なんども映像で見たこの光景。
明日の昼の弁当は、
こちらのお店につくっていただく。
広い芝生の公園には、人が住むチセだけでなく、
倉庫、小熊のオリ、トイレなどもならんでいた。
左奥に見えるのが沙流川のダム。
目の前は、じつは湖である。
この土地の歴史、文化、
アイヌの生活様式への無理解が、
工業用水の必要を理由に、
多くの土地を水没させた。
その上、見られるように、ダムは、
いまや上流からの土砂でうまっている。
そういう地形・地質の特質も、
建設当初から指摘されていたことだったという。
広い敷地の一角には、
カムイへのお祈りをする幣場(ぬさば)もあった。
入口近くの民芸品店に入ってみると、
ゴールデンカムイにまつわる品々が。
ここは、ゴールデンカムイ作者の野田サトル氏が、
絵に描くためのマキリづくりを依頼した店。
楽しそうによく笑う、
店主の貝澤徹さんの作品は、
遠く大英博物館にも展示されている。
製作に使われている道具自体が芸術品。
二風谷地に貝澤姓が多いのは、
明治初頭の「創始改名」によっている。
この地は、アイヌによって
ピパウシと呼ばれていた。
「ピパウシとはどういう意味だ?」
「貝の多い沢ということです」
「じゃあ、オマエたちは貝澤だ」。
そんな具合に、役人が
アイヌの和名を決めていった。
外に出たところで、ケータイが鳴る。
登録のない番号だったが、出てみると、
静内にくらすアイヌの葛野次雄さん。
「本をありがとう、クルマで1時間半かかるから
今日は行けないけど」
「いえいえ、とんでもない、
ごていねいにありがとうございます」。
6時前には、バスに乗り込み、
5分もかからず、今夜の宿に。
「ぴらとり温泉 ゆから」は、
とてもキレイで、ゴハンのおいしい宿だった。
ミニすき焼きの玉子には、
1つ1つに賞味期限の印刷が。
8時半には、部屋にもどり、
9時半には、グーと寝た。
明日は、終日ミッチリ「講義」となっていく。
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