9月5日(月)は、5時半起床の朝であった。
窓をあけると、空気がおいしい。
7時半には朝食をとり、
ちょいと休憩をはさんで、
8時45分には、外に出る。
9時には、平取町立二風谷アイヌ博物館へ。
萱野さんのコレクションの900点ほどが
収められている場所である。
(もちろんその他のものも)。
博物館は、昨日の二風谷コタンの西端にある。
ご挨拶のあと、すぐにシネチセ(1号チセ)に移動して、
満93才の木幡サチ子さんの
カムイユカラを聞いていく。
「きのうビールのみすぎた、
うそだ、のまないよ」と、
楽しいおしゃべりもはさみながら、
2つのユカラを。
アイヌ語を覚えようとしたのは59才の時で、
萱野茂さんに教えてもらったと。
年配の方には、差別を避けるため
アイヌ語やアイヌ文化から
距離をおいて育った(育てられた)方が多い。
10時すぎには、博物館にもどっていく。
まずは、映像をながめていき、
『先住民族アイヌを学ぶ』でお世話になった
学芸員のHさんの解説で見学を。
「アイヌの長い歴史の中で、
ここにある民具は江戸の終わりから
明治にかけてのもの」と。
こちらは男の子たちの遊び道具。
このあたりは、生まれてから大人になるまで
というストーリーにそった展示となっていた。
学生たちは、写真をカシャカシャ、
メモをカリカリ。
様々な用途にあせわたマキリ(小刀)や、
マキリをつくるための道具。
女性用のメノコマキリもあった。
右が男性用、左が女性用の墓標。
それぞれヤリと、縫い針を模している。
アイヌに墓参りの風習はなく、
(近づけば悪い霊にとりつかれる)
先祖へのお祈りは家の外の祭壇で。
カムイにアイヌ(人)の願いを届ける
神聖な用具のトゥキパスイ。
萱野茂さんは、カムイへの電話と
わかりやすく表現したこともあるという。
11時には、シネチセにもどり、
貝澤耕一さんのお話をうかがう。
地元のアイヌ文化保存会の前会長。
二風谷ダム裁判を起こしたのは、
萱野茂さんと貝澤正さんだったが、
正さんが亡くなったこと、
これを継いだのが息子さんの耕一さんだった。
お話は、ウポポイの展示、
(地方ごとの相違が示されない、
侵略・同化の歴史が明示されない)
そもそものウポポイ建設の経過、
オリンピック開催の体面を守るために、
シャケの捕獲を行政が禁じること、
いまだ先住権を認めない政府の姿勢など、
多くの厳しい問題提起を含むもの。
学生からも、ウポポイ、就職差別、
子どもの差別、海外の少数民族との交流、
ダム建設問題など、多くの質問が出されていた。
12時からは、アイヌ料理のお弁当を。
さっと食べて、こちらは、博物館にもどっていく。
紋様は囲炉裏の灰などに書いて覚えた
という話は、よく聞くが、
なるほど、こんな具合だったのか。
気がつけば、こちらのタヌキは、
貝澤徹さんの作品だった。
1時からは、二風谷観光振興協会のみなさんによる
舞踊、ムックリ(口琴)の演奏など。
舞踊のあとは、いっしょにウポポ(すわり歌での輪唱)の体験も。
2時からは、遺骨返還の問題に取り組んでいる
木村二三夫さんのお話。
自己紹介のあとは、
明治政府による開拓(侵略)の歴史から、
強制移住、遺骨の盗掘、
学問の場(特に東大・北大)での非人道的行為について。
原稿を広げて、お話を。
学生との質疑の中では、
平取にとりもどした34体の遺骨が、
いまだ「仮安置所」にある複雑な事情についても。
昨年夏に、JR奈良でお会いして依頼の再開で、
最後はグータッチでお別れする。
10分ほどの休憩の後、
3時40分からは、関根健司さんのお話。
尼崎出身、宝塚で育ち、
西北ではたらいたこともある関根さんは、
27才のバイクの旅で、ここに落ち着いた。
そこから学んだアイヌ語を、
いまは子どもたちに教えており、
ドラマや映画の
「ネイティヴ」チェックも行っている。
ニュージーランドのマウリが
言葉を復興していく過程に学んだお話も。
学生からの質問も多く、
アイヌ語を北海道の公用語にしたいとも。
(なるほど)。
5時ちょうどの終了となり、
脳味噌の疲れる1日となる。
お話いただいたみなさん全員から、
「本にまとめる」ことへの同意をいただく。
今日も貝澤徹さんのお店に立ち寄り、
6時には、宿にもどっていく。
6時半からの夕食の後、
大学での報告会の準備、
また、本づくりの準備についても相談する。
8時半には部屋にもどって、ゴロゴロゴロ。
10時すぎのNHK「100分de名著」は、
「知里幸恵『アイヌ神謡集』」。
11時半には、グーと寝る。
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