9月6日(水)は、7時起床の朝であった。
パンとヨーグルトで本日の人生をたちあげて、
荷物を部屋においたまま、
8時半には、みんなで出発。
9時には、JRいわき駅の北口で、
原発問題住民運動全国センターの
伊東さんと合流する。
いわき市から双葉町に北上するが、
途中、見えるはずのものが、
残念ながら、雨でほとんど見えないまま。
こちらは、福島第二原発の入口となる橋。
途中の町のそれぞれの被災の特徴、
復興の特徴をうかがっていく。
富岡町の県立富岡高校によっていく。
東電が福島県にプレゼントした
Jヴィレッジとのかかわりで、
ここに若いサッカー選手が集まった。
さらに他のスポーツも次々有名に。
いまも線量は高いままだが、
事故後12年間は「廃校」ではなく「休校」のまま。
「廃校」にすれば、
富岡町にもどる人はグッと少なくなってしまう。
だから廃校にできないのだろうと。
双葉町では、まずは駅前に。
その昔、原発建設反対の県議となりながら、
何度かの落選の後、
町長として政治家に復帰すると
原発建設推進に奔走した岩本忠夫氏。
原発関連企業との関係を理由に
一度は逮捕されるも無罪となり、
知事をやめてから
福島の10基の原発
すべての廃炉をもとめた佐藤栄佐藤久氏。
原発企業は、政治も社会も個人の人生も
力ずくで大きく狂わせる。
宝鏡寺の未来館にたどりつき、
共同作業所でつくっていただいた弁当でお昼。
昨年末に亡くなった早川住職の取り組み、
避難者の数え方、ALPS汚染水放出問題、
原発を未来の希望と教えた教育、
それを信じた子どもたちの苦悩など。
お話しの後は、資料館、
碑などをそれぞれが見ていく。
原発悔恨・伝言の碑、非核の火など。
核兵器についての展示もあり、
学生たちには「初めて知る話」も多かった。
2時半には、バスにもどっていき、
楢葉町のJヴィレッジに向かう。
いまはサッカーの聖地になっているが、
事故直後には、芝もはがされて、
事故対応の労働者たちの出撃拠点とされた場所。
当初の「決死隊」とも呼ばれた人たちは、
全身入れ墨の人も多かったと。
いまはキレイになおされた。
すぐ近くには、広野町の火力発電所が見える。
オーストラリア炭をもちい、
CO2を大量に排出している。
いわきにもどるバスの中では、
今日をふりかえって、学生たちが全員しゃべっていく。
4時すぎには、いわき駅北口で伊東さんとお別れし、
4時半には、古滝屋さんに帰りつく。
しばしの自由時間となり、
こちらは、ネット情報、写真の整理などを。
6時には、教員3人と運転手さんとで、
夜のゴハンに向かっていく。
8時半には、すばやく終わっていき、
(運転手さんは、残念ながらノンアルで)
コンビニ経由で宿にもどる。
ネット情報を、カシャカシャカシャ。
10時半には、グーと眠っていったらしい。
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