5月17日は,夜までずっと「人口論の人」。
地球と日本列島における人口変化の数字をまとめ,その変化に対する「歴史人口学」や「生態人口学」の分析成果について,学んだことをまとめていく。
あらためて「ほう,なるほどなあ」と思わされる。
他方で,人口変化と社会システムの関係分析はまだこれからのよう。
資本主義の成立や発展と「人口爆発」「少子化」の関連については,面白い記述が重なっている。
しかし,それを資本主義の仕組みとの関係で分析する仕事はまだ残されている。
そこが今回の論文の突っ込みどころとなるのだろう。
気がつけば,20日には京都自由大学でしゃべらねばならず,原稿の〆切も今月末にせまっている。
例によって,直前ドタバタの準備である。
6時をまわったところで,相方とともに,近くのパン屋にでかけてみる。
家にもどって,軽くパンをかじり,シャワーをあびて,7時半には外に出る。
小雨の降るなか,車中「階級構成変化の人」となり,JR「加島」から「京橋」へ。
今夜は卒業生との宴会である。
予定の8時には,ワラワラと卒業生たちが集まってくる。
97年度入学,2000年度卒の世代であり,すでに何人かが結婚している。
アメリカの大学院で学んでいた,珍獣こと標葉さんの帰国歓迎の集まりなのである。
さっそく地図を片手に,クビをひねりながら,予定の居酒屋「山葵(わさび)」をさがしていく。
こちらは,93年度入学のゼミ第1期生,塩浜さんのお店である。
今年になってからの開店で,「飲みにきてください」といわれていたが,実際にたずねるのは初めてである。
JR「京橋」の北口改札を出て,そのまま東(右)へ。
そして商店街をズンズン東へ抜けて,大きな通りをこえたあたりに,明るい店が見えてくる。
看板がないのでちょっと迷ったが,店内のカウンターには,たしかに塩浜さんの姿がある。
ドヤドヤと入って,ちょいとあいさつをして,そしてあとは宴会である。
お花の先生のかよが,標葉さんに帰国歓迎の花をプレゼント。
立ち飲みのテーブル2つを寄せて,あとは出してもらえるままに料理を食べて,よもやま話しの交錯となる。
「私たちは結婚できるのかしら」「いいわよ,アナタはカレシがいるから」
「結婚したら今の仕事辞めないとならないし」「やっぱり経済的に自立してないと不安だし」
「オトウサンがインドネシアではたらいている」「(なぜか)うちもそう」
「ワタシの夫はミャンマー出張中」「ミャンマーってどこ?」「ビルマじゃない?」
「『「慰安婦」と出会った女子大生たち』を読んだ」「ワタシもナヌムの家に行ってみたい」
「今年はいつ?」「9月11日~14日」「あれはどういう問題?」
「アメリカのBSEは」「日本の常任理事国入りは」……。
話しの端々に社会派ネタが入ってくる。
帰国の主がジャーナリスト志望ということもあるのだろうが,なぜか,かよが今になって社会について学んでいる。
そして,毎日の実生活が,彼女たちを確実にかしこくしているようである。
初めて顔をあわせて,すでに8年。中には1年生のときから10年目の人もいる。
人の成長,変化というのは,おもしろいものである。
居酒屋「山葵」は,もと化粧品屋さんだったのを改装してつくったそうだ。
「このたなは自分たちでつくった」「ペンキも寒い冬に泣きながら自分で塗った」
「あそこにあったトイレは2Fにあげた」。
京橋周辺は居酒屋激戦区である。
このあたりで,しっかと根をはるのは大変だろうと思うが,しかし,落ち着いて飲めるいい店である。
壁一面に,天井まで,日本酒,焼酎,泡盛の一升瓶がならんでおり,こんなにたくさんの泡盛を一度に見たのははじめてだった。
そしてカメラをむけられたかよの「顔芸」は健在だった。
9時半までで一次会が終了。
同じ「山葵」で10時半までねばって,明日の仕事を考え「おひらき」とする。
標葉さんの就職活動の成功,かよのナヌムの家同行,塩浜さんの「山葵」の繁盛を,それぞれに深く祈りたい。
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