藤原彰・栗屋憲太郎・吉田裕・山田朗『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(大月書店,1991年)を読み終える。
以下,遅ればせながら学んだことのいくつか。
・「まったく馬鹿馬鹿しい戦争であった」という,多くの犠牲にまったく無関心な沖縄戦への評価(28ページ)。総じて内外の犠牲者に心をよせる視角がない。
・対英米戦争に慎重だった天皇自身が,次第に開戦論に傾斜し,最終的には自分の納得で決断していく変化がある(69,93,168ページ)。天皇は開戦に反対した論は成り立たない。だから,宮中にも天皇の戦争責任をはっきり認める者がいた(150ページ)。
・戦前は立憲君主制で天皇に開戦をとめる権限がなかったという議論があるが,政府自身が天皇機関説を否定し天皇親政・天皇大権の絶対性を主張していた(78~9ページ)。
・戦中も天皇は陸軍・海軍から詳細な報告を受け,双方の情報を知りうる唯一の人物だった(102ページ)。その上で,積極的な軍事作戦の督促を行っていることも明らか(69~74ページ)。
・立憲君主制について昭和天皇は戦後も正しく理解できず,米軍の長期駐留を求めた「沖縄メッセージ」など,内閣の頭越しにアメリカと接触するなどを行っている(82ページ)。それは戦前の意識の継続である。
・「ノモンハン事件」については天皇自身が自らの命令によると認めており,関東軍の独走ではない(87ページ)。
・戦争継続の軍部を天皇が押しとどめて終戦を実現したという「聖断」論は神話にすぎない(98ページ)。それは45年の早い段階から準備されていく。
・「独白録」(「5人の会」による天皇からの聞き取りは46年3月18日・20日・22日,4月8日)は46年5月3日の東京裁判開廷をひかえての戦争責任に関する天皇自身の弁明書(116ページ)。天皇を訴追しないというアイゼンハワーに対するマッカーサーの電報を天皇周辺の寺崎が聞いたのは3月20日,さらに国際検察局筋の情報として天皇を被告・証人としないとの情報が側近・木戸に入るのは4月18日(127~9ページ)。
・寺崎は天皇の通訳をつとめる一方,国際検察局への情報提供者でもあり(134・6ページ),「独白録」にはアメリカへの情報提供という目的もあったと推定される(137ページ)。
・東京裁判への積極的協力のもとで,46年前半期には戦争責任を陸軍(東条等)にかぶせていくとの策が天皇側近グループによってとられ,天皇もそれに傾いていく(153ページ)。マッカーサーとの第1回会談で戦争責任を認めたというのは「政治神話」(154~5ページ)。
・東京裁判は連合国による一方的な裁きではなく,日本側協力者との「共謀」の結果として成り立った印象が強い。その点にニュールンベルク裁判との相違もある(157ページ)。
・東京裁判の最大のデメリットは国民の主体的参加が閉ざされ,多数が,われわれおよび天皇は軍部にだまされたという被害者意識しかもたなかったこと(160ページ)。
なお,和歌山方面にむけて講座「史的唯物論とジェンダー」の第3回レジュメをガッシン。
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