以下は,8月19日に和歌山で行う講座「ジェンダーと史的唯物論」第3回で配布する「講師のづぶやき」です。
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〔2006年夏「ジェンダーと史的唯物論」講座〕
講師のつぶやき(3)
2006年8月16日
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
今(8月16日・水曜日)ちょっとあせっています。
次回(8月19日)テキストの『学びあう女と男の日本史』が見当たらないのです。先日,家の本の一斉移動をしたので,その時,どこかへまぎれてしまったのか。あるいは,大学においてきたままなのか。
お盆の「全学休業」があける,明日(17日),久しぶりに研究室に行ってくる予定です。テキストがないと本当に困るんですがね。
小泉首相が,わざわざ8月15日を選んで靖国神社に参拝しました。この国の政府の外交オンチ,民主主義オンチ,人権オンチは深刻ですね。あわせて,それを許してしまう世論の力の弱さも重大です。いくつかの情報をブログにアップしておきましたので,関心のある方は,ながめてみてください。
別の話ですが,8月13日に次男と釣りに出かけてきました。その前日,同じく次男とひさしぶりに大阪の天王寺動物園に入りましたが,一角で,戦争で殺された動物たち,戦争に利用された動物の記録展が行われていました。軍服を着せられたチンパンジーの目がとても悲しく見えました。
さて,前回の講義に対するご意見・感想をたくさんいただきました。今回も,それぞれに簡単なコメントをつけていきたいと思います。
◇現代フェミニズムの諸潮流の概要や資本主義がその初期に、まず女・子どもを徹底的に利用したこと、アンペイドワークなどよくわかった。
階級支配と性支配との関係については長年の疑問なのですが、「階級の課題ではなく、民主主義的改革の課題」(P39)という指摘はなるほどーと思いました。でも、まだ、スッキリとはいかない気もします。よく考えてみます。
──一度ですぐに「スッキリ」とはいきませんよね。こちらも,今後の学びのきっかけになればと思っています。ぜひ考え続けられてください。
◇私の属する市議会には、ジェンダーバッシングの急先鋒が2人いる。昨年の12月に改正された第二次基本計画は、自分達が運動してきた成果として、第一次を軌道修正したと、勝手な解釈を一般質問の場で展開していた。そこで、「男女共同参画基本法」は、マルクスのフェミニズム理論というイデオロギーに基づくものであるから、上野千鶴子や大沢真理にだまされたと言う。しかし、今日、ヘーゲルの家族論を学んで、彼らが言っている復古調の家族論と同じではないかと思ったが、一部を学んだだけでそうとらえてもよいのでしょうか。
──「男女共同参画=フェミニズム=隠れマルクス主義(コミュニズム)」というのは西尾幹二・八木秀次『新・国民の油断』(PHP研究所,2005年)などの論調ですね。副題は「『ジェンダー・フリー』『過激な性教育』が日本を滅ぼす」というものですが,理論的にはまったく無内容です。その意味では,つまらない本なのですが,「この人たちの議論にはこの程度の根拠しかないのか」ということを確認するためには,一読の価値があるかもしれません。
──彼らの主張は,ヘーゲルの家族論と重なるところがたくさんあると思いますが,それよりも戦前戦中型の明治民法の家族論に強い親近感をもっていると思います。「古き良き時代の日本は(男性上位で)良かった」という程度の認識ですね。
◇古い時代から男性中心社会であったわけでないことと、それが階級社会から資本主義への発達の中で男性中心、女性差別、隷属という形で現れて利用されてきたということがよくわかった。
私は女子校の教員ですが、資本主義や現代社会においては、社会的弱者、つまり若い女性が被害をうけるということを実感します。うちの生徒は彼女達の責任ではないのに学力が低いということでバカあつかいされ、「お水学校」と笑われて、校舎は木造平屋で50年以上建て直しもされず、まともな活動もできない。先生も教育委員会も親でさえも、たいしたこともできず彼女達のまともな助けを与えられないどころか、それを是として彼女らをしいたげてきた…。と考えると悲しくなる。次の世代の労働者を再生産するために家事労働はあるが、そういったものが資本主義社会の枠内にあるということがよくわかった。だからすべてが資本主義なんだとショックを伴った納得をしてしまいます。
──資本の論理は,それだけでみずから万人の平等や同等な権利をつくろうとする原動力をもつものではありません。しかし,資本主義は金儲け第一主義の害悪をまき散らすことによって,これに抵抗し,これを是正しようとする社会の力を生み出します。「社会的弱者」の人権についても,この社会の力の拡大によって,次第に充実させていくことができるものです。そのメカニズムを,「男の古い意識」とか「男による女支配の意識」に解消せずに,もっと深く,資本主義社会のそもそもの仕組みから理解していくことが必要だろうと思います。その点で,主婦もまた広い意味の労資関係(資本主義のもっとも基本的な関係)に組み込まれた存在であることの理解は,とても大切なことだと思います。
◇原始の社会、賃金は労働力の対価であることがよくわかった。とても脳の老化が進んでいるのだと実感、講義の早さについて行けないのです(反芻している時間がないということです)。研修機会、昇級昇格の不平等が実際にある職場ですが、「数」の問題がかなり大きいのだと感じました。雇用の不平等。
独身の時、母の代わりに家事をした時、家事労働は際限がないことと社会性がないと感じたのですが、後者についてはどうなのでしょうか?
──短い時間にギュウギュウと,いろいろな問題提起をつめこんでいますから,すべてがわからなくても不安に思われる必要はありません。むしろ「どんどんわかる」方が不思議です。毎回参加されるたびに「何か」を1つでも2つでもつかむことができれば十分です。足りない分は,あとでテキストをながめて補ってください。
──家事に「社会性がない」ように思えるという問題です。専業主婦による夫の労働力の再生と,将来の労働力である子どもの成長・教育は,資本主義社会の存続に不可欠な社会的な役割をもった労働です。しかし,それは誰の目にも明らかなことではありません。本当は地球がまわっているのに(本質),見かけの上では太陽が動いているように見える(現象)。見かけの世界は,いつでもことの本質をそのままあらわすものではないのです。そこに「科学」の出番があります。主婦が家事労働をどう評価していたとしても,それとは無関係に実際には社会的役割を果たしているということですね。
──他方で家事は,主婦の人間的な能力としての「社会性」を十分成長させない労働であるということはいえるかもしれません。家事は,主婦の人間関係や行動範囲が比較的小さな範囲であっても可能です。それがたくさんの他人や身近でない社会と接する機会を失わせるという意味で,個々人の「社会性」の成長機会をせばめるということはいえるかもしれません。
◇男女のあり方が経済関係の中に組み込まれていることを再確認できました。家族を歴史的に、また深く理解することが大事だと思いました。
──今日のテーマがその歴史の問題ですので,男女関係の歴史的変化についての具体的なイメージを深めていきましょう。
◇やはり、性差別をなくすには権力を持つ者達が「それでよい」としなければならないことがよくわかった。「男女」と「両性」、この二つの言葉では根本的に意味が違ってくるのでしょうか? もし、同じならば「両性」を使用していければと思っています。
男も個々別に、コーヒーを入れたり、その片付けもできる。気配りもできる男性もいるのに、それをさまたげようとする社会があるし、それをすることを「違うだろう」と思う人によって取り上げられてしまうこともある。意識的性差別もなくすこともしていかなければならないのでしょうね。
3000時間の労働時間についてですが、何がわからないかと……時間が途方過ぎてわからないということです。1日8時間×30日=240時間×12ヵ月=2880時間 3000時間×2880時間=5880時間。ものすごく過多な労働時間ということをしたことがないので感覚的にわからないと思ったのです。
──「男女平等」にかわって「両性の平等」というのはひとつのアイディアですね。憲法24条も「両性の本質的平等」という文言をふくんでいるわけですし。
──各種の差別の「意識」については,おそらく,①古い社会(家族)からの継承という側面と,②いまの社会が制度化している差別(雇用差別など)の両方からうまれてくるものでしょうね。「そういう考え方は古い」とアタマの切り換えから解決していける部分と,現にある制度的な差別を実際にくつがえしていく(法律を変えるなど)作業との両方がいるのだと思います。
──年3000労働時間というのは,1年365日で割っても,8.2時間ですね。土曜・日曜・休日一切なしに,1年365日ただ1日の休みもとることなく,毎日8時間以上の労働をするということです。もちろんこの他に通勤時間があるわけですから,とても人間的とはいえないでしょうね。こういう労働がこの社会にはたくさんあるのです。
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