2005年12月24日(土)……兵庫のみなさんへ
以下は,2月に兵庫学習協で行なう講座のために書いた「よびかけ文」です。
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『ジェンダーと史的唯物論』を学びましょう!
2005年11月27日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
ジェンダーとは何か
神戸女学院大学の石川です。今回は,鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(2005年,学習の友社)をテキストに一緒に学びたいと思います。ぜひご参加ください。
ジェンダーといわれると「何のことか?」と思われる方も少なくないかも知れません。ジェンダーとは,歴史的に変化していく男女の社会関係のことです。「男は仕事,女は家庭」。こうした男女の役割分業はヨーロッパでも19世紀からのことであり,日本で広がるのは,戦後の高度成長期のことです。では,それ以前の家庭や経済における男女の配置はいったいどうなっていたでしょう。
生産関係に歴史の変化があるように,男女の関係もやはり歴史的に変化します。ジェンダー論とは,その関係や変化の内容を探究しようという学問です。それは科学的社会主義の社会理論にとっても重要な内容をなすものです。
エンゲルスの先駆的な研究
科学的社会主義の立場からのジェンダー研究については,エンゲルスの『家族,私有財産および国家の起源』が有名です。まだジェンダーという用語はつかわれていませんが,エンゲルスは男女が平等であった時代が私有財産制度の成立とともに男性支配にかわっていくといった歴史の変化,また男には妾(めかけ)がゆるされ,女には貞節が求められるなど,婚姻における男女の不平等な関係がどうつくられたかについても分析しています。科学的社会主義は,最初からそうしたジェンダー視点をもっています。
とりわけ,エンゲルスの卓見は,男女の関係がそれだけで独自に変化するのでなく,生産関係の変化といった社会全体の大きな変化に連動していることを明らかにした点にありました。これは当日の学問としては画期的な成果でした。これは現代のジェンダー研究もしっかりと継承するべき問題です。
歴史と学問の発展を受けて
その一方で,エンゲルスの著書からすでに110年がすぎています。そのあいだに資本主義社会には大きな変化がありました。女性たちの自由と自立,男女平等を求める運動は大きく発展し,日本国憲法24条をどう具体化するかが重大課題となっています。また「男女差別撤廃」は途上国をふくめた世界的全体の取り組みとなっています。こうした状況の発展に対応して,さまざまなフェミニズム(女性解放の理論と運動)が生まれており,活発な議論が繰り広げられています。
科学的社会主義にも,この状況に応じた新しい理論的な展開が求められます。特に,エンゲルスは女性の完全な解放には未来社会への以降が必要だとしましたが,北欧などでは資本主義の枠内においても男女の平等が大きく進んでいます。科学的社会主義にも,新しい理論的挑戦が必要になっているわけです。
フェミニズムの理論や運動の誤りについても
同時に,フェミニズムの活発な研究の中には,科学的社会主義への誤解にもとづく批判や,社会理論の不十分さによる少なくない問題点も含まれます。女性の自由と自立をすすめるためには,これらの誤りを克服していく取り組みが必要です。「マルクス主義は男女平等に鈍感だ」という批判もあり,これには現実の運動の真摯な自己点検とともに,史的唯物論や『資本論』が男女関係の分析にどのような力を発揮しているかを示すことが必要になっています。
現代日本の問題としては,ジェンダーフリーバッシングとの闘いや,そうした動きが生まれる日本社会の特徴の分析が必要です。また労働分野での女性差別との闘いの前進などを正当に評価する視角ももちろん大切です。さらにこれらは自民党等による憲法24条改悪の強い執念への分析ともむすびつくものです。理論問題としては,環境問題と女性,生殖医療と女性,フェミニズムの運動論や社会認識の方法といった領域にも,重要な論点がふくまれています。
科学的社会主義からの初めての本格的著作
鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(2005年,学習の友社)は,以上のような問題意識を含みこんで書かれた著作です。この本は,最近のフェミニズムやジェンダー論の展開を視野にいれた,科学的社会主義の立場からの初の本格的な著作といっていいでしょう。
この本を材料に,学び,考えることは,科学的社会主義の社会理論の幅とふところの広さをあらためて実感させるものとなるでしょう。また男女平等をすすめる取り組みの大切さを再確認し,それをどう進めていくかをあらためて考える新鮮な機会ともなるでしょう。さらには私たちのものの見方,運動のすすめ方,組織のあり方などにしみついた「男性中心主義」を自己点検する機会としていただくことも可能でしょう。憲法改悪との闘いは,24条の改悪に対する女性たちの強く広い抵抗の力を生み出しています。そうした取り組みの重要性や男女の平等を求める女性たちの社会改革にむけた潜在的なエネルギーの強さに目を向ける上でも,大いに役に立つ講座になるものと思います。
2月 5日(日)――第1講・科学的社会主義とフェミニズム
エンゲルス『起源』の解明と今日的な課題との関係について考えます。
2月12日(日)――第2講・史的唯物論・『資本論』のジェンダー分析
唯物論の見地からマルクスの理論にふくまれるジェンダー分析の成果を示します。
2月19日(日)――第3講・日本史の中のジェンダー問題
現代社会の状況を長い日本の歴史の中に位置づけてみます。
2月26日(日)――第4講・生殖医療,エコ・フェミニズム,改革論
男女平等の推進に向けたフェミニズムの運動論が含む問題を考えます。
※全体は『ジェンダーと史的唯物論』をテキストにして進めます。各自でお持ちください。また第3講には若干の資料も配布しますが,歴史教育者協議会編『学びあう女と男の日本史』(2001年,青木書店)を活用したいと思います。大いに学習して出席していただきたいと思います。
2005年12月24日(土)……みなさんへ
以下は,神戸女学院学報委員会『學報』第145号(2005年12月19日)に掲載したものです。
11月10日の「ベアテの贈りもの」上映企画に向けた学生たちの活躍を紹介したものです。
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学生たちのすばらしい取り組みに感謝して
2005年11月30日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
『神戸女学院百年史・各論』には,次のような文章があります。「明治初年における外国人宣教師,特に婦人宣教師や宣教師夫人にとっての大きな驚きは,男尊女卑の国日本の姿であり」,それは「男女は神の前において『人格』として対等であり,平等であるというキリスト教の女性観とは根本的に異なる」ものであった。映画「ベアテの贈りもの」は,22才の女性ベアテ・シロタ・ゴードンが残した憲法24条の今日的な意義を考えさせるものですが,「両性の本質的平等」を記したこの条文は先の「キリスト教の女性観」にも深く合致するものといえるでしょう。今回の行事には400名に近い学生の参加がありました。それを支えた大きな力のひとつは学生実行委員による,たいへんな努力の積み重ねにありました。以下,その様子をお伝えしたいと思います。
関連する最初の集まりは7月14日の学習会です。ビデオ『私は男女平等を憲法に書いた』の一部が上映され,憲法制定の経過や男女平等をめぐる今日の社会状況,ベアテの父レオ・シロタの音楽などが,それぞれ専門の教員によって語られました。これはまだ教員主導の取り組みでしたが,学生たちは自発的にメーリングリストを立ちあげ,ここから自前の歩みを始めていきます。7月26日の学生実行委員による最初の会合では,学生の参加目標を500名とすること,参加希望者の名前と学生番号を書きこむチケットをつくり,この回収の数を追求すること,また節目となる「プレ企画」を行なうこと等が早くも確認されていきました。
夏休みをへた後期の集まりは9月22日からのこととなりました。授業が始まる前の週ですが,最初の授業から呼びかけができるようにと,ただちにチケットをつくり,各種の学習会や「プレ企画」の準備を進めていきます。10月3日,17日,20日,31日と,本学の教員を講師としたミニ学習会が繰り返され,あわせて学生たちは手分けをして教室に入り「一緒に男女平等や女性の人権を考えましょう」と訴えます。こうして集められたチケットの数は,担当の学生が毎日メーリングリストをつうじて報告してくれました。「100枚を超えました」「もう一息がんばりましょう」といった具合です。
10月26日の「プレ企画」も充実したものとなりました。職場の女性差別と闘い,大阪地裁で勝利判決をうけた北川清子さんの講演は,企業社会の厳しい一面を学生たちに伝えるものとなりました。また学生による憲法劇も見事な出来のものでした。「24条があるとき/ないとき」を,就職と結婚という身近な話題でわかりやすく語っていきます。面接で女子学生を見下す人事担当者や,「嫁」には人権がないといわんばかりの夫や姑なども,若い学生たちが見事に演じていました。しかし授業の終わった夜の時間に,憲法や男女平等といういわば堅いテーマで多くの学生を集めることは,決して容易なことではありません。その苦労が小さくなかっただけに,11月10日当日,講堂を埋めつくすたくさんの学生の姿を見つめる彼女たちの顔には,はっきりと感激の色があらわれていました。
5時30分,元文部大臣・赤松良子さんの講演が始まります。24条はベアテからの贈りもの,男女雇用機会均等法は私からの贈りものと述べた赤松さんは,均等法の一層の充実の必要を語ります。また公表されたばかりの新憲法草案を念頭しながら「油断しないで24条を守ろう」「憲法全体が大切な贈りもの」と熱く訴えられました。簡潔ですが,強いメッセージの込められたお話です。また赤松さんが制作の中心に立たれた映画「ベアテの贈りもの」は,レオ・シロタの美しいピアノ演奏をバックに,憲法制定当時の日本社会の様子,ベアテの苦労と活躍,戦後の女性による憲法実質化の努力などを,力強くダイナミックに描き出すものでした。
いまだ熱気の残る講堂の後片づけを終え,実行委員の学生たちと一緒に岡田山を降りて,高揚した気持ちのまま「ごくろうさん会」を行ないました。喜びと自信に満ちた彼女たちは「あんなに来てくれて驚いた」といいながら,早くも「平和や女性の人権を考える次の取り組み」を語っていきます。その笑顔は実に頼もしく,「いまどきの女学院生」にはすばらしい力があることを深く納得させてくれるものでした。たくさんの学生たちに,とりわけ実行委員のみなさんに,本当に心からの感謝です。
2005年12月24日(土)……京都のみなさんへ
以下は,新婦人京都本部の機関紙「新婦人きょうと」のために書いた文章です。
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ジェンダー論あれこれ
2005年12月21日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
第1回・「ジェンダー」というのは何のこと?
聞き慣れないことばですが,「ジェンダー」とは,ようするに社会のなかでの男女の役割分担や平等・不平等をめぐる関係ということです。原始社会では女性は「太陽」でした。そこでのジェンダーは男女平等です。男女での仕事の分担はありましたが,男性上位の社会ではありません。それが奴隷制(日本では律令社会)に入ると,世界的に男女不平等となっていきます。日本でも税金をおさめる「一家の主」は男となり,そのため政府の文書からは女の名前が消えていきます。しかし,おさめられる税(穀物,布,海産物など)をつくっていたのは,女をふくむ家族みんなの労働です。女はその時代にも貴重な労働力として,社会を支える役割を果たしました。
武士の社会への移行のなかで,いよいよ女性の財産相続権が失われます。男が女の家に嫁ぎ,女の財産で生活するというそれまでの婚姻関係(婿取婚)も,平安時代から鎌倉時代までの間に逆転します(嫁取婚)。江戸時代には『女大学』などの男性上位の教育書も書かれますが,さらに女性の自由や権利がもっともひどく切り縮められたのは明治です。民法により女性の無権利は,社会のすみずみにまで徹底されました。侵略戦争に邁進する大日本帝国づくりの中でのことです。1947年の日本国憲法は「両性の本質的平等」を宣言します。理念のうえでは原始以来の男女平等の復活です。その後の歴史はこの理念をいかに実態のあるものにしていくかというものでした。
さて,以上ザッと見ただけで,男女の社会関係が大きく変わっていることは明らかです。「ジェンダー」というのはこうして歴史の中で変化する男女の関係をあらわす言葉です。それは今ある「ジェンダー」もまた不変ではないことを意味しますから,より徹底した男女平等社会に向けた変化の可能性を示すものともなっています。
第2回・私と「ジェンダー」問題の出会いはなにか?
経済学者である私が「ジェンダー」問題に関心をもったきっかけは,ゼミを卒業する女子大生たちが,たくさんの差別に直面したことでした。就職セミナーに男しか参加させない,面接の場で男しか話させない,入社すれば女にだけ「お茶くみ教育」がある,仕事のキャリアをつむ研修には男しか参加させない,さらにはひどいセクハラをうけて転職をよぎなくされた卒業生もいます。そのような女子大生たちに教える経済学は,「労働者」や「資本家」を主語とするものだけでは不十分でした。「労働者」の中にも「男労働者と女労働者の共通性と区別」があり,「資本家」の中にも「男資本家と女資本家の共通性と区別」があります。そこまで突っ込んだ経済学を語る必要にせまられたのです。
もう1つの大きな問題は「主婦」でした。一度は就職した女子学生も少なくない部分が,結婚や就職を転機に「主婦」となります――あるいはパートナーの転勤によって「主婦」となることを余儀なくされていきます。その「主婦」を経済学でどう教えるかという問題があったのです。職場の中の労資関係しか見ることのできない視野のせまい経済学には,「主婦」はどこにも登場しません。せいぜい消費の主人公として出てくるくらいのものです。そこで明治にはじまる「お金持ち主婦」の最初の誕生,戦後の「サラリーマン主婦」の大衆化,1975年を転換期とする専業主婦比率の低下といった「主婦の歴史」を学びはじめました。また「資本主義経済と主婦」といったテーマもかかげ,日々の夫の労働力と未来の労働者である子どもの養育という二重の意味での労働力再生産が,資本主義での主婦の経済的役割であることなどにも注目するようになりました。なお,こうした問題を考え続けるうえで,自称フェミニストの大学の同僚たちとの交流も大きな役割を果たしました。いまも彼女たちは,学内における私の大切な共同の仲間であり「飲み仲間」です。
第3回・「ジェンダー」平等をすすめるために
男女平等の推進を「ジェンダー・フリー」と呼ぶのは実は正確ないい方ではありません。「バリア・フリー」がバリアのない状態を意味するように,「ジェンダー・フリー」はジェンダーのない状態を意味します。しかし本来の「ジェンダー」は差別だけを意味するせまい用語ではありません。女性差別の「ジェンダー」を平等な「ジェンダー」につくりかえていくことが課題です。おそらく「ジェンダー・フリー」という言葉は,より正確に「ジェンダー・バイアス・フリー」とか「ジェンダー・イクォーリティ(平等)の推進」といったように,次第にかわっていくのでしょう。
さて「ジェンダー」平等を考えるとき,大いに参考にすべきは,たとえばスウェーデンなどの北欧諸国のあり方です。成人女性の労働力率は90%前後,男女の賃金格差も男100に女90くらい。それほどまでに女性がバリバリ働きながら,出生率は日本よりもかなり高くなっています。その秘密の1つは,男女共通の労働時間の短さです。サービス残業込みで年間2200をこえる日本に対して,スウェーデンの労働時間は1500時間くらいです。年間700時間の差は,1日3時間近い差となります。だからフルタイマーの男性にも家事をするゆとりがあり,両親がフルタイマーでも夕方には保育所に行くことができるのです。もう1つの秘密は,介護や子育てなどの社会保障の充実です。高齢者の介護は政府をはじめ社会全体の仕事であって,「妻」1人の肩に全責任がかかるということはありません。また保育所の充実にもあれこれの工夫があります。
日本の労働運動や市民運動は,もっと「しあわせな家庭の保障」を企業や政府への要求にかかげるべきだと思います。「夕方のパパはボクのもの(会社のものではありません)」。このドイツの時短闘争のスローガンの発想に,私たちはしっかり学ぶべきだと思います。
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