2006年3月22日(水)……和歌山のみなさんへ
以下は,和歌山春闘講座でいただいた質問に,お答えした文章です。
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〔和歌山06春闘講座〕
和歌山春闘講座ご参加のみなさんへ
2006年2月19日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
春闘講座へのご参加,おつかれさまでした。私は和歌山へでかけたときには,いつもJRの駅地下で和歌山ラーメンとサンマ寿司のセットを食べているのですが,先日は月に1度の地下街全体の定休日で,まことにもってショックでした。結局,駅のまわりをしばらく歩いて,「尾道ラーメン」におちつきました。
さて,和歌山学習協の松野さんより,先日の春闘講座での私の話しに対する感想・ご意見のコピーをいただきました。いずれもおもしろく読ませていただきましたが――こういうものは本当に参考になるのです――ここでは,コメントが必要と思われる点だけに,以下,順不同でふれておきます。
(1)昔の国鉄の運転手にはマンガをひろげているような者もいたが,民営化はなんでも悪なのだろうか?
――個々の職員の怠慢という問題と,職員がつとめる職場が民間か公共かの問題は別だと思います。怠慢の問題は,職場・職員の教育で改善しうる問題です。他方で民営化したJR西日本は,営利第一主義による列車転覆といった問題を引き起こしてもいるわけです。民営化したからといって自動的に「公共交通機関」としての役割がよりよく果たせているわけではありません。「もうからない」ことを理由にした地方路線の切り捨ても大量に行われました。民営化を「なんでも悪」と決めつける必要はありませんが,現在の「構造改革」がいう民営化は,大企業の金儲けの自由拡大を目指したものになっていると思います。
(2)選挙では自民党の宣伝につかわれていたライブドア・ホリエモンだが,今回,検察庁は強制捜査に踏み切った。何か政治的な背景があるのだろうか?
――公になっていない情報が多いので,なんともいえないところがあります。いわれていることの1つは,耐震偽装問題が社会的な大きな話題になったことをカモフラージュするために,「もっと目立つ事件をつくる」必要があったということです。耐震偽装問題は自民党中枢議員たちに深くかかわっているのでという話しです。もう1つは,ライブドアの資金源ですが,暴力団などいわゆる「闇の世界」とのつながりが深かったという情報もあるようです。とはいえ,「粉飾決算」はそれだけで十分な犯罪であり,また株式資本主義にとっても,投機家たちにとっても困ったことですので,何かの政治的思惑があろうとなかろうと,ホリエモン等が犯罪をおかしていたことはまちがいありません。
(3)社会の格差は,新憲法制定のときにどうしてリセットできなかったのだろう?
――社会の格差は資本主義の経済においては,いつでも当然にうまれてくるものです。その中で,新憲法は資本主義の廃止をめざすものではありませんでした。それは資本主義の枠内で「戦争をしない国づくり」や一定の民主化をすすめるものでした。25条の生存権に代表される「社会権」の規定は,格差による生活困難の緩和をめざすものではありましたが,資本主義を否定するものではありません。また当時の歴史で「社会主義憲法づくり」が焦点になるということもありませんでした。人々は,まず平和に暮らし,食べていくということを最重要課題と理解していたわけです。
(4)岸信介が戦後復活した理由は?
――前年の講座でお話した問題でしたので,時間の制約もあり今回は簡単にすませた問題です。アメリカ政府の文書がすでに公開されていますが,「戦後日本を反共国家として育てていく上で役に立つ」というのが,巣鴨刑務所(当時は戦争犯罪人容疑者専用)から岸等を出した占領軍の理由です。とはいえ,たとえ牢屋から出されたとしても,それで自動的に首相になれたわけではありませんから,そこには,岸等が首相になることをくい止めることができなかった国民の側の「侵略と課題の責任」への自覚の弱さという問題もあったわけです。(3)の問題ともあわせて,これらは現代日本の姿を理解するうえで重要な出発点となったところですので,ぜひキチンと戦後の歴史を勉強してくだるよう希望します。日本近現代史についてのやさしい本が学習の友社からも出ています。
(5)若い人たちは他人に対する関心がうすれている。目立たないようにしているようにも思う。
――そういう人も多いですね。しかし,生まれつきそうだったわけではありませんから,そういう育ちを強制してしまった社会があり,その社会を築いた大人たちの責任があるわけです。その責任は無関係に「いまどきの若者は」と論評するわけにはいきません。問題は,そういう困難をかかえて生きている若者に,大人たちがどう接していくかです。激励や連帯や共に学ぶ活動など,状況を打開するための実践を積み上げてください。
(6)組合活動については幹部のエネルギーが足りないのでは?
――「学ばない幹部に指導される集団は不幸である」といったことに関連しますね。これは,幹部のエネルギー源と能力源が,ともに「学び」にあることをいったものです。労働組合は「幹部の学習・教育」について明快な方針をもつべきだと思います。すぐれた幹部を育てることは,組合にとって死活問題であるはず。みなさんの組合の方針には「組織」の項に「幹部の育成」や「幹部の学習」はあるでしょうか。もし,ないなら,そこにはやはり自然成長性(本人まかせ)の思想があるといえるでしょう。重大な問題です。大阪では府の労連と関西勤労協(学習協の大阪版)とで定期的に組合幹部の集中学習のセミナーを開催し,特に若い組合幹部への基礎からの学びを保障しはじめています。そのような工夫をぜひ和歌山でも行ってみてください。
以上です。
2006年3月2日(木)……兵庫のみなさんへ
以下は,兵庫学習協の「『ジェンダーと史的唯物論』を読む」の第1講で配布したものです。
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〔兵庫学習協〕
講座『ジェンダーと史的唯物論』第1講
2006年2月2日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
1)全4回の問題意識――〔本講座のよびかけ文から〕
ジェンダーとは何か
神戸女学院大学の石川です。今回は,鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(2005年,学習の友社)をテキストに一緒に学びたいと思います。ぜひご参加ください。
ジェンダーといわれると「何のことか?」と思われる方も少なくないかも知れません。ジェンダーとは,歴史的に変化していく男女の社会関係のことです。「男は仕事,女は家庭」。こうした男女の役割分業はヨーロッパでも19世紀からのことであり,日本で広がるのは,戦後の高度成長期のことです。では,それ以前の家庭や経済における男女の配置はいったいどうなっていたでしょう。
生産関係に歴史の変化があるように,男女の関係もやはり歴史的に変化します。ジェンダー論とは,その関係や変化の内容を探究しようという学問です。それは科学的社会主義の社会理論にとっても重要な内容をなすものです。
エンゲルスの先駆的な研究
科学的社会主義の立場からのジェンダー研究については,エンゲルスの『家族,私有財産および国家の起源』が有名です。まだジェンダーという用語はつかわれていませんが,エンゲルスは男女が平等であった時代が私有財産制度の成立とともに男性支配にかわっていくといった歴史の変化,また男には妾(めかけ)がゆるされ,女には貞節が求められるなど,婚姻における男女の不平等な関係がどうつくられたかについても分析しています。科学的社会主義は,最初からそうしたジェンダー視点をもっています。
とりわけ,エンゲルスの卓見は,男女の関係がそれだけで独自に変化するのでなく,生産関係の変化といった社会全体の大きな変化に連動していることを明らかにした点にありました。これは当時の学問としては画期的な成果でした。これは現代のジェンダー研究もしっかりと継承するべき問題です。
歴史と学問の発展を受けて
その一方で,エンゲルスの著書からすでに110年がすぎています。そのあいだに資本主義社会には大きな変化がありました。女性たちの自由と自立,男女平等を求める運動は大きく発展し,日本国憲法24条をどう具体化するかが重大課題となっています。また「男女差別撤廃」は途上国をふくめた世界的全体の取り組みとなっています。こうした状況の発展に対応して,さまざまなフェミニズム(女性解放の理論と運動)が生まれており,活発な議論が繰り広げられています。
科学的社会主義にも,この状況に応じた新しい理論的な展開が求められます。特に,エンゲルスは女性の完全な解放には未来社会への移行が必要だとしましたが,北欧などでは資本主義の枠内においても男女の平等が大きく進んでいます。科学的社会主義にも,新しい理論的挑戦が必要になっているわけです。
フェミニズムの理論や運動の誤りについても
同時に,フェミニズムの活発な研究の中には,科学的社会主義への誤解にもとづく批判や,社会理論の不十分さによる少なくない問題点も含まれます。女性の自由と自立をすすめるためには,これらの誤りを克服していく取り組みが必要です。「マルクス主義は男女平等に鈍感だ」という批判もあり,これには現実の運動の真摯な自己点検とともに,史的唯物論や『資本論』が男女関係の分析にどのような力を発揮しているかを示すことが必要になっています。
現代日本の問題としては,ジェンダーフリーバッシングとの闘いや,そうした動きが生まれる日本社会の特徴の分析が必要です。また労働分野での女性差別との闘いの前進などを正当に評価する視角ももちろん大切です。さらにこれらは自民党等による憲法24条改悪の強い執念への分析ともむすびつくものです。理論問題としては,環境問題と女性,生殖医療と女性,フェミニズムの運動論や社会認識の方法といった領域にも,重要な論点がふくまれています。
科学的社会主義からの初めての本格的著作
鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(2005年,学習の友社)は,以上のような問題意識を含みこんで書かれた著作です。この本は,最近のフェミニズムやジェンダー論の展開を視野にいれた,科学的社会主義の立場からの初の本格的な著作といっていいでしょう。
この本を材料に,学び,考えることは,科学的社会主義の社会理論の幅とふところの広さをあらためて実感させるものとなるでしょう。また男女平等をすすめる取り組みの大切さを再確認し,それをどう進めていくかをあらためて考える新鮮な機会ともなるでしょう。さらには私たちのものの見方,運動のすすめ方,組織のあり方などにしみついた「男性中心主義」を自己点検する機会としていただくことも可能でしょう。憲法改悪との闘いは,24条の改悪に対する女性たちの強く広い抵抗の力を生み出しています。そうした取り組みの重要性や男女の平等を求める女性たちの社会改革にむけた潜在的なエネルギーの強さに目を向ける上でも,大いに役に立つ講座になるものと思います。
2)全4回の基本の構成
2月 5日(日)――第1講・科学的社会主義とフェミニズム
①本の構成とジェンダーという用語について。〔はじめに〕
②エンゲルス『起源』の解明と今日的な課題との関係について考えます。〔第1章〕
③フェミニズムやジェンダー論に浸透した認識論の問題点を考えます。〔第8章〕
④唯物論の立場からのジェンダー論が必要。
2月12日(日)――第2講・史的唯物論・『資本論』のジェンダー分析
①唯物論の見地からマルクスの史的唯物論における家族の位置づけを考えます。〔第3章〕
②マルクス『資本論』にふくまれるジェンダー分析の成果を考えます。〔第2章〕
③マルクス等の本来の豊かさを確認し,現代を見る目としていかす。
2月19日(日)――第3講・生殖医療,エコ・フェミニズム,改革論
①男女平等の推進に向けたフェミニズムの運動論とその理論にふくまれた諸問題を考えます。〔第6章〕〔第7章〕〔第9章〕
②ジェンダー視角の有無とともに,社会理論におけるその位置づけの適不適が大切。
2月26日(日)――第4講・日本史の中のジェンダー問題
①現代日本における男女平等への闘いの課題を考えます。〔第4章〕〔第5章〕
②現代社会の状況を長い日本の歴史の中に位置づけてみます。〔資料配布〕
※全体は『ジェンダーと史的唯物論』をテキストにして進めます。各自でお持ちください。また第3講には若干の資料も配布しますが,歴史教育者協議会編『学びあう女と男の日本史』(2001年,青木書店)を活用したいと思います。大いに学習して出席していただきたいと思います。
2006年3月2日(木)……大阪のみなさんへ
以下は,関西勤労協の新春学習会での講演要旨です。勤労協事務局がまとめたもの若干の加筆を行いました。『勤労協ニュース』に掲載されています。
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財界の本質と日本の未来
―やりたい放題させてたまるか! 暮らしといのちを守るために―
2006年1月5日
神戸女学院大学教授 石川康宏
総選挙の結果をどうとらえるか
まず総選挙の結果ですが、自民党が議席をたくさんとったことを「民意の右傾化」ととらえるのはまちがいです。これは小選挙区制マジックによるもので、現政権への批判票(民主・共産・社民)の合計得票率は四五・二%にのぼります。自民党に投票した若い世代が多かったようですが,インタビューには「九条は守ってほしい」「増税には反対」「年金の充実を」と語っています。実感している現状への不満や将来への閉塞感と,問題を解決してくれる政治勢力への理解のズレがあるわけです。事実をきちんと伝えれば,若者は世の中を変える大きな原動力になります。個人の日常を社会全体のあり方に結びつける視野や知性を育てることが必要です。
総選挙の結果として、自民党の「純化」(純一郎化)がいわれます。「もう小泉首相に逆らえない」という状況がつくられました。これは,ますます明確な少数者支配への方向で,多数者の利益が切り捨てられるということです。多くの市民との対立はいっそう深まります。それだけに,この道を脱出する道を,強く語ることが必要です。
国家は経済的支配者の国家
財界の役割を古典に見てみると,エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』で「国家は、通例もっとも勢力のある、経済的に支配する階級の国家であって、この階級がこの国家を媒介として政治的にも支配する階級となり、こうして被抑圧階級を制圧し搾取するための新しい手段を手に入れる」と述べています。この今日版が財界による政治支配ということです。
普通選挙が行われる民主共和制のもとで「富はその権力を間接的に、だがそれだけいっそう確実に行使する」とエンゲルスはいいます。政治献金などでの買収、政財官の一体化、またマスコミ・教育を含む「文化」による市民の統治といったことでしょう。
「財界いいなり政治」の転換は、市民への文化的な統治の支配を打ち破ることからすすめる必要があるわけです。簡単にはだまされない,政治をキチンととらえる目を鍛えるということです。
戦後日本の財界
一九四五年八月から五二年四月まで,日本は連合軍(アメリカ軍)による軍事支配のもとに置かれました。四七~四八年までは,アメリカは「ポツダム宣言」にそって,日本を平和な小国にしようとしました。しかし,中国で革命の勝利が見通されるようになると、アメリカはアジア支配の軍事拠点づくりの場を,中国から日本へ転換します。
それによって,敗戦直後にはアメリカに「戦争潜在力」と指摘され,財閥解体などの措置をとられた財界が,四八年にはアメリカから経済復興への貢献を期待される立場となります。そして、アメリカいいなりの軍事・経済大国化づくりがすすめられます。日本の財界は,アメリカいいなりを条件に支配者としての復活をゆるされたのです。さらに,一九五五年からの日本の高度経済成長の中で,財界は経済的にもアメリカ市場への依存を深めることになりました。
しかし,七三~七四年の「石油ショック」での便乗値上げが暴露されたり、七六年にはロッキード事件で丸紅・全日空が被告席につくなど、世論によって財界が追い込まれるという状況も生まれました。七〇年代には、社会党と共産党の共同を柱とする革新自治体がひろまり,マスコミが「賃金爆発」といった,30%をこえる賃上げをかちとる労働運動の高揚もありました。
これに支配層が強い巻き返しをはじめます。春闘つぶしや労働戦線の右寄り再編が企まれ,八〇年には社会党が右転落します。また、財界の「名誉回復キャンペーン」もはじまります。八一年から経団連名誉会長の土光敏夫氏を責任者に,社会福祉や教育を削る臨調行革が開始されますが,「メザシの土光」と質素なくらしで苦労しているという宣伝も行われ,ここから「官は民にならえ」という民営化絶対論がはじまります。
今日,「国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めて」います(日本共産党綱領)。また,戦後一貫して,財界による経済運営にはアメリカからの介入が行われています。逆立ち財政、超低金利、「構造改革」の押しつけなどです。
ふりかえってみると,国民生活関連予算の削減,大型公共事業の本格化、法人税減税・庶民増税、規制緩和や財界人を入れた諮問委員会政治の推進には,中曽根内閣が大きな転換点になっています。小泉「構造改革」は,これをさらにすすめ,日米大企業の利益最優先の政治をすすめています。国民には「小さな政府」といいながら,軍事費・大型公共事業は少しも「小さく」していません。
憲法の精神をいかした社会をめざす建設と改革のたたかい
自民党の新憲法草案は,①かつての侵略戦争への反省を前文から消し去る、②自衛隊を海外でアメリカとともに軍事活動のできる軍隊にする、③市民には国への「愛情と責任感」(前文)を一方的に求め、基本的人権については「公の秩序に反しないよう」にしばりをかける、④憲法改正をやりやすくすること等がポイントです。
天皇の「元首」化など、彼らの露骨な本音は〇四年一一月の「憲法改正案大綱(たたき台)」に示されました。しかし,日本経団連が〇五年一月に文書「わが国の基本問題について」を出し、すべてを一度にやるのではなく,自衛隊を海外で武力行使できる軍隊にすることと改憲手続の緩和に絞り込むよう主張します。今回の新憲法草案は、それをふまえて出されたものです。自民党等が最終的に目指したい国の形については,「憲法改正案大綱」を見ておく必要があります。
すでに改憲案が出ていますから,「憲法を守りましょう」の一般論でなく、「自民党の改憲案はこうなっている」と,問題を具体的に語ることが必要です。今後も、最新の改憲案をつねに良く学び、「こんなふうに変えていいのか」と具体的な話しができるようにしていかねばなりません。
取り組みで注意がいるのは,「憲法を守ろう」という主張が「いまの社会を守ろう」に聞こえてしまうことがある点です。今の社会には多くの問題があります。改憲論者は「だからよい社会をつくるために憲法を変えよう」と主張します。それが「改革者」としての期待をあびます。そこで,私たちも「憲法どおりの日本をつくろう」と民主的な改革者として現れることが必要です。そして,外では軍が人を殺し,国内では生存権を守らない改憲派の改革なのか,九条の理念を追求し生存権が守られる私たちの改革なのか,この二つに一つの選択という構図をつくることが大切です。そのためには,私たちの語る力が必要です。
「東アジアの共同」をめぐり注目される平和への動き
いま東アジアに平和の流れがひろがり,その中で日本は孤立を深めています。〇五年一二月の東アジアサミットには,ASEAN一〇カ国、日・中・韓、オーストラリア、ニュージーランド、インドが参加しました。参加条件は、東南アジア友好協力条約(TAC)への加盟です。この条約は「締約国の強化、連帯及び関係の緊密化に寄与する締約国の国民の間の永久の平和、永遠の友好及び協力を促進することを目的」(第1条)としています。平和の上での共同による貧困の克服というのが基本路線です。ASEANは二〇二〇年の「共同体」をめざすこと、EU憲章のようなASEAN憲章をつくることで合意しています。
北東アジアにも大きな変化が起こっています。六カ国協議の情報を、マスコミは意図的に流していないように思われます。〇五年九月一九日の六者協議声明は、会議の目的が「平和的な方法による朝鮮半島の検証可能な非核化」にあること、北朝鮮は「すべての核兵器及び既存の核計画」の放棄と「核兵器不拡散条約及びIAEA(国際原子力機関)保障措置に早期に復帰する」こと、アメリカは「朝鮮半島において核兵器を有しない」ことと北朝鮮に「攻撃又は侵略を行う意図」を持たないこと、韓国は「核兵器を受領せず、かつ、配備しない」ことを確認しています。すでにこうした合意があるのです。その中で,日本が改憲や軍事力増強をすすめることは,この平和の流れに逆らうものです。アメリカの対アジア政策も重層的で,中国とも軍事的緊張をつくるだけでなく,対話によって経済交流を深める努力もしています。軍事的対応一本槍という日本の姿勢は,このアメリカの政策にさえ深刻な遅れをとるものです。
学びながらたたかおう
国内だけを見ると財界の支配は強く見えますが、世界の流れにはまるで反しています。その道に未来はありません。靖国問題ではアメリカからの批判も強まっています。ただし,実際の政治の流れを転換するには,私たちの国内でのたたかいが必要です。
「正しい」だけでなく、魅力ある運動づくりを工夫する必要があります。また,なにより1人1人が学ぶことを土台に,改革の力を鍛えることが必要です。語る力を鍛えることです。若い人たちの立ち上がりがはじまっていることは頼もしいです。特に,若いみなさんには、自分の人生を社会全体の幸福と重ね合わせ、自分の成長に限りない野心をもってすすまれることを,心からよびかけたいと思います。今年も1年,しっかり学び,大いにお互いの取り組みをすすめましょう。(文責・事務局)
2006年3月2日(木)……京都のみなさんへ
以下は,京都平和委員会のニュースのコラム「平和の」に書いたものです。
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〔京都平和委員会〕
平和の風
2006年2月11日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
●2月25日にゼミ生6人とつくった『「慰安婦」と出会った女子大生』(新日本出版社)が出版されます。侵略と「慰安婦」加害の歴史を学び,韓国「ナヌムの家」に被害者をたずね,被害者とともに日本大使館に抗議する「水曜集会」に参加する。その過程での自分の気持ちや考え方の変化を語る学生たちの関西弁での座談会が面白いです。前著『ハルモニからの宿題』(冬弓舎)は,一般市民・大学生向けでしたが,今回は高校生にも読めるものをと工夫してみました。●年末12月20日には大学で,韓国から被害者をお招きしての「講演会」を行いました。学生の授業のない日のことでしたが,予想しない市民の方の参加があり,140名での盛況でした。アジアに平和を築くための,市民レベルでの連帯を広げることの大切さを,あらためて痛感しています。
2006年3月2日(木)……兵庫のみなさんへ
以下は,兵庫革新懇世話人総会(2月4日)での講演を事務局が要約し,これに若干の手をいれたものです。
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[兵庫革新懇№129原稿]
憲法どおりの国づくりめざし 攻撃的改憲反対運動を!
神戸女学院大学石川康宏教授が講演(定期世話人総会)
二月四日、「兵庫革新懇世話人総会」で、神戸女学院大学石川康宏教授が、記念講演をおこないました。その要旨を紹介します。
はじめに石川氏は、講演会に向かうタクシー運転手との会話、「今のような苦しいときにこそ、労働組合が頑張ってもらわなアカン」といわれ、降りしなに「がんばってやァ」と逆に励まされたとのエピソードを紹介、情勢の変化に確信をもとうと呼びかけました。
▽欠落している近現代史教育
つづいて氏は、日本が侵略戦争を行い、日本とアジアの人民の生命を奪い、甚大な犠牲を与えたことに触れ、かつての「従軍慰安婦」ハルモニたちが共同生活をする韓国「ナヌムの家」を訪れた大学のゼミ生が、ショックのあまり倒れてしまった等の経験を紹介しました。また、戦後七年間にわたってアメリカに軍事占領されたことなど、学校教育には、近現代史教育が欠落していると強調しました。
「ポツダム宣言」路線から中国革命をきっかけとしたアメリカの占領政策の大転換により、日本を経済・軍事大国に仕立て上げようとしたこと、「ここに改憲策動の歴史的根源がある」と指摘しました。
侵略戦争の最高責任者、昭和天皇(ヒロヒト)の延命、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫などA級戦犯容疑者の復権など、その後の戦後政治をあと付け、結局日本は、侵略したアジア諸国にたいする謝罪も公式賠償も最小限にとどめ,あいまいにしてきたとのべました。
▽憲法を維持させてきた歴史的安保闘争
同時に、戦後史のなかで、580万人のストライキ・集会を敢行した60年安保闘争の歴史をふり返り、安保改定は許したが、日米支配勢力に痛打を与え、憲法「改正」を断念させた日本人民の闘いの歴史的意義を賞賛しました。
その結果、支配勢力は、経済成長・解釈改憲路線への転換を余儀なくされ、これらのたたかいが、今日まで平和憲法を維持させてきたものであると力説しました。
▽自民党「新憲法草案」の危険な狙い
つづいて、自民党が安保闘争後四十五年ぶりに明文改憲案を発表したこと、この「新憲法草案」のもつ狙いと問題点に話しをすすめました。
その第一は、かつての侵略戦争への反省を「憲法前文から消し去っている」こと、靖国史観にもとづく国づくりの指針であると「草案」を批判しました。
第二は、なんといっても「自衛隊を海外でアメリカとともに軍事活動のできる軍隊にする」ところで,それは九条「改正」にあるとのべました。とくにその第二項に「自衛軍を保持する」と明記した上、わが国の「防衛」活動のほか「法律の定めるところにより」、「国際的に協調して行われる活動」、「公の秩序を維持」する活動を規定しているところにその危険性が隠されているとのべました。実際の政治をみれば,それがアメリカの戦争への無条件の追随になることは当然であると指摘しました。
▽基本的人権が危ない 「公の秩序」で制限
第三の危険性は、「市民には国への『愛情や責任感』(前文)を一方的に求め、基本的人権については『公の秩序に反しないよう』にしばりをかけている」点にあるとのべました。
ここにいう「公の秩序」とは当然の市民道徳ではなく,政府がゆるす政策の範囲ということ,戦前、天皇制下の「大日本帝国憲法」でも「日本臣民は、法律の範囲内に於いて」、「臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」としばりをかけて、「信教の自由」、「言論、著作印行、集会、結社の自由」を謳っていたが,実際には暗黒政治でしかなかったと強調しました。
これらは、「自立と共生にのっとり」と、公的責任を欠落させ、基本的人権を軽視、憲法第25条の「生存権」保障の「国の責務」についても、これを消し去っているなど、04年発表の「改正草案大綱」(たたき台)に本音がある,それは現閣僚竹中平蔵氏の「社会保障はタカリ」といった発言にもある人権無視の思想の憲法化だとのべました。
▽情勢は緊迫している 改憲「手続き法」案阻止を
第四は、憲法改正をやりやすくしようとしている狙いを指摘しました。改正発議条件を衆、参両院の総議員の「三分の二以上の賛成」から「過半数」に緩和していることは重視しなければならないとのべ、今国会にも民主党も巻き込んで「憲法改正手続法」案を提出しようとしており、事態は緊迫していると警鐘を鳴らしました。
最後に石川氏は、「現憲法は日本と世界の平和をつくる社会」をめざしていること、「ゆとりをもって生活できる社会」、「勤労の権利」の保障、「ほんとうの男女平等の社会」、「アジアをはじめ世界と連帯し、ともに成長する社会」等々と謳っているが、現実はあまりにもかけ離れていることを指摘、「憲法どおりの国づくりをめざそう」、国民の側からの「日本改革」を、「攻撃的改憲反対運動」の強化をと力説しました。
▽世界の流れは平和の方向 学習こそ運動前進の力
世界の流れは、平和の方向に流れており、とくにアジアでは欧米の植民地支配、日本の侵略から抜け出て「帝国主義時代の克服」の過程をすすんでいることを指摘、これに水をさす役割を日本が果たしていると強調しました。
「根性だけではかしこくならない」とユーモアもまじえ「運動の前進のためには、一人一人が自分に責任を持ち、学びながらたたかう」こと、とくに学習の重要性を訴え、講演を結びました。
2006年3月2日(木)……兵庫のみなさんへ
以下は ,講座「『ジェンダーと史的唯物論』を読む」の第3講で配布した文書です。なお第2講については事務局との連絡の不都合により,文書をつくることができませんでした。
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〔兵庫学習協〕
講座「『ジェンダーと史的唯物論』を読む」感想と質問(1)
2006年2月14日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
無事,みなさんからの質問と感想がこちらにとどきました。以下,いただいた感想をザッと整理し,質問にもできるかぎりでおこたえします。第2回講座に対する感想・質問です。
【感想に対して】
○男性のみの賃金にしろ、それ以外も含めた賃金にしろ、財界戦略は、生産力をうみだすという視点で考えるとやはり、「障碍者・老人」を無価値と考えるのかな。それに対する考えとしてこちらは、人権、人の発達の可能性とか、知恵の大切さを含めて伝承から考えるべきか。
――「金儲けの論理」だけでいくと,やはり「搾取できない相手に金をはらうのは無駄」ということになります。そこで「人権思想」を社会のすみずみに浸透させていくことが必要になるわけです。おっしゃるとおりだと思います。
○感動したこと――「日本のフェミニズムにとって、魅力的なマルクス主義の理論的な解明・提示をせねばならないのはマルクス主義の側である」「科学的社会主義の歴史を見ても、資本主義の社会や家族における男女の力関係についての研究に大きな立ち遅れがある」この領域での理論活動の遅れについては、科学的社会主義側にもより解明で根本的な自覚が必要。今日ほど創造的で意欲的な挑戦が求められている。
――マルクス等の功績が巨大であるだけに,それに「あぐらをかく」という傾向が生まれてくるわけですね。学問的に未開の領域に踏み込んでいくということは勇気のいることで,苦労も大きいことですが,しかし,それを避けていては科学的社会主義(マルクス主義)は社会的評価も得られませんよね。
○再生産も当然、賃金に含まれるわけであるが、その視点を一家族にもちこむのは困難で、専業主婦のこづかいとして3万で手をうった友人がいる。本日の先生の講義でその友人を支援したいと思う。
――専業主婦のいる「近代家族」の場合,家族の生活費は「夫の収入」という形で家族におりてきます。その家族の中での「収入」の分配をめぐる民主主義が必要なわけですね。他方で「夫の労働の対価」という現象形態は必然ですから,真実を見極めて,夫の意識をかえるには科学の力や,話し合いの力などが必要です。
――私の卒業生に面白い試みがあります。夫婦共働きですが,夫の方が残業時間が長い。しかし,その長い残業は妻に家事をしわ寄せすることで成り立っている。そこで夫婦の話し合いのすえ,夫の残業手当ての3割は妻に手渡されることになったそうです。ちなみに2人は,そもそもそれぞれの収入を自由につかっており,部屋代などは折半で払いあっているそうです。こういうそれぞれなりの工夫も生まれてくるのでしょうね。
○「婚姻」が封建制の家制度を守るためとの話で武家の次男、三男が他家の跡継ぎになったという話で、次のことを思いました。例えば「忠臣蔵」事件時の吉良の息子が上杉家の養子になっていたのは、めずらしいことではなかったのだと思いました。経済学の入門書で読んだ限りでは「男が外で働いて、妻と子どもの生活費を得るために労働力を売っている」と教えられてきた点が転換されました。女性は「家庭」として排除されていたのではないことが分かった。
――第4講で,日本の歴史の中のジェンダー(歴史的に変化していく男女関係)に注目してみます。これがなかなか面白いです。
○男女平等に興味があり、その為には女性も経済力を持つべきと考えてきました。家族もそのようにあるべきと考えて、そういう家族をめざしてきましたが、今の女性のあり方に何か違うものを感じています。総合職と一般職があり、小泉チルドレンは女性が多い――いろんな矛盾があります。何かゆきづまりを感じています。私の職場でも一方では課長になる人がいて、他方にパートが増えています。これで女性の運動は進んだと言えるのでしょうか。
――女性が男女平等をもとめたことに,財界は周到にも「男性基準での男女平等」を対置しました。これが女性を「一般職」に追い込む力となっています。単なる形式的な「男女平等」ではなく「女性が安心して働ける条件での男女平等」が必要なわけです。「男女共通の労働時間短縮」が必要なわけです。女性をパートに追い込むというのも,基本的には財界の労働管理戦略によるものです。「誰が男女不平等を推進しているのか」。この「敵」をキチンと見定めて,だれがこの「敵」と闘える力であるのかを考えていく必要があります。私は「男性主敵」論や「資本も男も敵だ」論は,資本(財界)と闘う男女労働者の団結を妨げる悪い役割を果たしていると思います。ただし男女差別のなかで相対的優位におかれた男性には,男女の格差や差別を当然視する思想がつくられますから,これを払拭していく努力は女性以上に必要です。この誰が本当の「敵」かを明らかにするうえで,マルクスの資本主義分析は重要な意味をもっていると思います。第2回の講義はそこに焦点をあてたものでした。
○知識不足だったとあらためて実感しました。現象にどっぷりつかってたんだなとこわくなりました。それに気づいていなかったのがこわいです。
――常識の世界,日常の世界はつねに「現象の世界」です。そして現象のうらに本質が,誰にも苦もなく見えるものであれば,本質をさぐる科学など必要のないものになってしまいます。勉強をする,科学を学ぶということで,時々「目からウロコが落ちる」というのは,その本質に気づかされたということですね。ドンドン学びを重ねられてください。
○感想に男の発想の転換、男も料理、掃除とあげましたが、生活技術の修得は、個人の自立にとって当然であり、男・女の本質的平等の問題とは余りに違い、問題の矮小化ではないか。
――むずかしいところですね。しかし,こういう議論が男性どうしで,男女のあいだで,大いにかわされる必要があるのでしょうね。ここで当然であるとされる「生活技術」が習得できない男が多いのはなぜか,それを問題だとも思わない男が多いのばなぜかと,そこから問題を深めていくこともできますね。
○ドイツイデオロギーから資本論まで史的唯物論の発展をたどり、頭の中が少しまとまりました。
――古典はなかなか深いですよ。若いころに「ドイツ・イデオロギー」を読まれていたなら,いまもう一度読んでみると「なるほど」とヒザをたたくところがたくさんあると思います。ぜひ読んでみてください。
○ジェンダーが男女関係についてのこととあらためて考えさせられた。女性の側からは被害者意識として受けとめてきた経過があり、男性が悪いというキメつけに終っていたところに気づかされたことです。それにしても、日々男性への腹の立つことが多すぎるからか?!
――ジェンダーは男女関係ですから,それは差別や格差のある関係の場合もあれば,平等な関係もありうるわけですね。ですから,じつは「ジェンダーフリー」という表現は,字句どおりにとれば「ジェンダーをなくする」という妙なことばになっています。より性格には「ジェンダーバイアスフリー」といったことになります。
――男たちのアホさ加減という問題がうまれてくる,その背後に何があるのかを見つめていくことが大切ですね。そして,男たちには「教育的」に接していくことが必要だと思います。それにしても,自分の妻や娘が「差別」や「性暴力」の被害にあっていることに鈍感な男は,やはり「エコノミック・アニマル」として,企業による教育に深く影響されているのでしょうね。
○ジェンダーの視点で世の中を考えて、何故女が損な立場になっているのか、それによってだれが、どうこが得をしているのかを考えている自分にとって、「マルクスの主張はジェンダーブラインドではない、それは、こんな所に明らかになっている」という理論をきくのは少し重点が違うという気がします。
――講座の趣旨や全4回の構成に目をくばってください。そして,第2講のマルクス論では「ジェンダーの視点で世の中を考えて、何故女が損な立場になっているのか、それによってだれが、どうこが得をしているのか」についてのマルクスの解明に学んでください。そして,その作業の上で,マルクスからは見えてこない問題,今日私たちが新たに解明をせまられている問題を明らかにしていってください。
――私は少なくないフェミニズム理論には,財界の労働者家族支配――男性労働力の100%活用のために,女性の若年定年制をつくって家事を女性にまかせ,子どもが育った段階で中高年女性を低賃金のパートで活用するという意識的な戦略がとられていることへの目配りがかけていると思っています。しかし,それは130年も前にすでにマルクスが明らかにしていたことです。今日のフェミニズの理論と運動が足を前にすすめるときに,そこに学ぶべきものは本当にないのでしょうか?
【ご質問に対して】
○「個人化」が「自己責任」とセットされた財界主導案には注意が必要ですが、性差別、子育て、介護等現社会は「家族」が単位という仕組みを通して、女性差別を生み出しているのではないでしょうか。
――いくつかの問題がからみあっているように思います。まず1つは,「個人化」か「家族単位」かという選択肢が,本当の争点なのかということです。肝心なことは,1)万人の平等,2)万人の安心できる暮らしですよね。大人の男女の平等には,当然,家事の公平な分担が必要になります。そのためには,女性が安心してはたらくことのできる環境が必要ですよね。それには,①職場における女性差別の撤廃,②男女共通の労働時間短縮,③子育て・介護についての公的保障の充実が必要ではないでしょう。この①②③の運動と切り離して「個人化」をすすめると,結局は「食えない個人化」になっていくと思います。それはちょうど雇用における「男女平等」が「過労死の男女平等」に導かれたのと,同じ過ちになってしまうと思うのです。
――もう1つは,果たして小さな子どもや高齢者の「個人化」を具体的にどうするのかという問題です。「家族」が大人の男女だけで成り立っているなら,ことは比較的簡単ですが,実際にはまだ自立できない「子ども」や,次第に自立した生活が困難になっていく「高齢者」がいます。この人たちに「自立」を強いることは無理ですし,「自己責任」を求めることも無理になります。障害者の生活についても,同じような問題が起こるわけです。スウェーデンでは「高齢者」については子どもによる扶養ではなく,社会による扶養がすすめられています。その一方子どもについては親の扶養が当然視されています。では,日本ではどういう親子関係を築いていくことが必要でしょう? そこを建設的に考える必要があると思います。
――上の親子の問題,また介護が必要な人がこの社会につねにいるということを考えるとき,私はいわゆる「シングル単位の社会」論には反対です。それは結局,自分の力で生きることのできる人にとってしか「単位」が成り立たないと思うからです。結果的には,弱肉強食につながるではないかと思うのです。そのように考えると,私は「家族が悪い」論ではなく,「どのような家族が望ましいか」を考えることが大切だと思います。その家族をささえる公的施策はどうあるべきかを考えることが大切ではないかと思っています。「私は家族をつくらない」。それは各人の自由な選択に任されることですが,「私は家族をつくりたい」という人にも,安心してくらすことのできる社会がつくられるべきだと思うのです。できれば,もう少し具体的に問題をたててみてください。
○独身、障害者、婚外子差別も社会的システムとしてあるのでは? 本章でふれることが
できなかった社会保障を理論的にどうとらえるのか―――今後の出版に、ものすごく期待しています。
――金儲け第一の資本の論理と「人権の思想」には相反するところがありますね。「金もうけの自由・権利をあたえろ」「搾取の自由・権利をあたえろ」という主張は,「働けないものが生きる権利」にはどうしてもつめたいものとなっていきます。資本主義が最初に生み出した人権思想は,白人の金持ちの男だけの権利でした。これが,黒人や黄色い人間にも,金のない人にも,女にも,障害のある人にも,あらゆる子にも,ゲイの人にも,レズの人にも,「部落」出身の人にも,アイヌの人にも,在日外国人の人にもと,「万人」に押し広げられつつあるのが,資本主義の中での民主主義の発展です。それは「そんなものはいらない」という強い力との闘いのなかで,今日も多くの課題をかかえながら歴史的に前進してきたものです。
――もう1つ,「人権思想」の発展で大切なのは自由権から(自由権+社会権)へという「人権」の内容の発展です。「オレに自由をあたえろ」と万人が叫んだときに,それぞの自由はぶつかりあいます。また「自由はあったが,結局,オレは食えなかった」という結果としての人権がむしばまれることもあります。そこで個人の自由をいうだけではダメだ,社会(国家)が各人の権利を守っていかねばとなったわけです。この後者が社会権です。これが社会保障制度を具体化させる力となります。あらゆる差別の撤廃は,この「万人の権利」という流れと,「社会権の保障」という流れの2つの流れを強めることで成り立つのではないでしょうか。これはジェンダー論の問題である以上に,人権の問題ですね。ジェンダーは「女性の権利」に焦点を定める議論ですから。
○クーンやスミス、上野千鶴子など、何故ある箇所のみ強調したり、一面的なとらえ方でもって、批判に至るのでしょうか? その目的は?
――わかりません。ただ,みなさんがマルクスを読んでも思われることだと思いますが,やはり簡単には全体像が見えないのです。マルクスだけではなく,巨大な思想家の書き物は,やはり誰が読んでもおいそれとはわかりません。それだけに,誰もが「とらえちがいをする」ということは良くあることなのです。そして,そうだからこそ「マルクスがジェンダーについてどう考えているか」は,日常マルクスを良く研究している人たちによってこそ示されるべきだと思うのです。
○夫・妻・子どもの維持の視点から考えるのはわかりました。家族内での障害者・老人はいかに考えるのか。そこは、社会保障がカバーすると考えればいいのか? そうだと、社会保障のない時代、むしろそこまで視野を広げて考える余裕は『資本論』でもなかったのかな?
――「夫・妻・子どもの維持の視点」というのは,資本主義の再生産や資本蓄積のメカニズムが客観的に設定している「視点」ですね。マルクスはそれを発見し,明らかにしただけでマルクスが「視点」をあたえたわけではありません。「障害者・老人」の問題については,ジェンダー視角だけでは論じきることのできない,より広い人権全体の問題になっていくと思います。内容は,すでに前の質問・感想に対して述べさせてもらったとおりです。
――『資本論』に社会保障の視点がないというのは,マルクスが目の前にある資本主義の分析に課題を限っていたということがあるからでしょうね。その意味ではマルクスも「時代の子」なのです。マルクスの資本主義分析には,今日も生きているとこがたくさんありますが,同時にマルクスが見たことも聞いたこともない現実がたくさん新たに発生しています。ですから,私たちの学問には「マルクスの成果」を学びながらも,「マルクスどまり」にならない努力がいるわけです。そこが,マルクスのような巨大なアタマをもたない私たちにはとても苦しいところですが。
○親子の間で、家庭でも「マルクスは‥‥」と話し合うことが、次の世代の革命家を再生産させるためには必要なのではないでしょうか。
――それはもちろんそうですね。ただし,そのときに家庭では「家族にわかる言葉」で話しますよね。講義が問題にした「いつでも科学が明らかにした本質の言葉でばかり語ってはいられない」というのは,この例に即していえば「家族がわかってもわからなくてもかまわないような言葉」では語らないということです。
――賃金の本質が「労働力の価値・価格」であるということは,じつは賃上げ闘争の本質は「労働力の価値・価格を引き上げる」ということになるわけですね。しかし,職場での賃上げ闘争には,そんなところまでのややこしい合意を不可欠とするわけではありません。たとえは科学の見地からすれば十分ではなくても,「労働に応じた賃金」や「生活できる賃金」という日常意識の言葉には,ちゃんと役割があるわけです。
【勝手なつぶやき】
さて,大学の同僚たちと「ジェンダー研究会」というのをやっているのですが,最近,ゲイ・スタディーズ,レズビアン・スタディーズという研究領域に初めて接する機会をもちました。同性愛についての研究ですね。多くは興味本位などではなく,その人たち自身の社会的権利の問題にかかわる切実な研究です。「私はゲイです」「私はレズです」と勇気をもってカミングアウトして,それで研究をすすめられている人たちです。
先日,3年ほど前に私たちで出版した『はじめてのジェンダー・スタディーズ』という本についての感想をいただいたのですが,ひとつとても心に残った言葉がありました。それは「この本は結果的にヘテロセクシズム(異性愛主義=異性愛を性愛の基本と決めつけて,それ以外のものを否定する)の立場に立っていませんか?」というものです。
つまりジェンダー,ジェンダーといっているけれど,そこに登場してくる「男」は「自分を女が好きな男だと自覚した男」だけであり,「女」は「自分は男が好きな女だと自覚した男」だけであり,論じられているのはそのような限定された「男女」の関係だけではないのか,というわけです。なるほど私たちの本は,そうしたセクシャリティの多様性をもちろん認める立場に立っていますが,しかし,本の全体がその多様性にふさわしい書き方になっているかといえば,そこには自信のもてないところもあります。これは人の人権を論ずるうえで大切なとこでしょうね。オランダやスウェーデンでは同性婚が正式に法的に認められてもいるようですし,私なども,この指摘をうかがって自分の「人権」意識のなかかの「人権」の狭さにあらためて気づかされた気がしました。
また考えてみれば,歴史の中で国家が「異性愛」を事実上国民に強制するようになるのは,おそらく明治の富国強兵政策からなのですね。それは知識としては知っていたことでした。「子どもは軍事力」となりますから,「子どものできないゲイやレズはダメ」となっていくわけです。そういう角度から日本の歴史をながめていくということも必要な作業なのでしょうね。
2006年3月2日(木)……兵庫のみなさんへ
以下は ,講座「『ジェンダーと史的唯物論』を読む」の第4講で配布した文書です。なお第2講については事務局との連絡の不都合により,文書をつくることができませんでした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
〔兵庫学習協〕
講座「『ジェンダーと史的唯物論』を読む」感想と質問(2)
2006年2月21日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
以下,みなさんからの感想・ご意見へのコメントです。一部,ご意見を分割するなどしているところがあります。ご了承ください。
○私は10年前北京での第4回国際女性会議に参加し、日本の職場での男女賃金差別についてwork shopをみんなで持ち訴えてきましたが、本日の講義を聴きながら、北京宣言の中の「17 すべての女性の健康のあらゆる側面、殊に自らの出産数を管理する権利を明確に認め再確認することは、女性のエンパワーメントの基本である。」を思い出しました。このことに関しても宗教的な議論があり、後退を余儀なくされているような感じを持っていましたが、一方では「産む自由」が議論されていることが新鮮でした。個人的には、先生からお聞きしたスェーデンのように、「産めない」ことも受け入れる社会である方が重要だと考えます。蛇足ですが、世界会議に行くと、各国の女性パワーに圧倒させられます。
――うちの大学からも何人かの参加者があり,教授会で簡潔ながら報告が行われていたことを思い出します。その後の日本の変化の鈍さをなんとかしていきたいところですね。
○家の本棚にある本の著者は全部男性だと気がついた。女性が研究分野に進出し、幅広い知能が育っていけば、科学的社会主義も発展していくはず。
――そうですね。そのように男ばかりが研究しているから,学問もまた「男の目にうつる現実」という偏りをもつのだという意見も出ています。たしかにそういう問題はあるのかも知れません。意識的な点検のいるところです。研究者の再生産,また女性研究者の意識的な育成は,本当に真剣に考えられるべき問題です。
○接合理論の「諸運動がお互いに理解を深め、手をつなぎ、姿を変えていく」というのでなければ失敗する、という見方に感銘を受けました。生協、労音等各分野の運動と資本主義に根ざす根本的な問題とのかかわりを考える力になりそうと思いました。
――ぜひ工夫してみてください。あわせてマルクスが「労働組合――過去・現在・未来」という非常に短い文章のなかで,「自分」の利害からはじまる組合運動が,「全労働者」の利害を理解するようになると本当に強くなるという趣旨の文章も思い起こされるところです。女も,男も,正規も,パートも,民間も公務員も……。分断の攻撃に負けない強い連帯の精神が必要ですね。
○男女差別が根強く続いて来たのは、支配者に「照応した意識」が男・女に生まれるという説明はよくわかりました。差別をなくしていくのは男も女もやるべきことですが、問題意識をより感じるのは女性だと思うのですが。女性の中でも受け取り方は違いもあり、ねばり強く運動することが大切ですね。
――たとえば現実の関係に「差別」があると,一方ではそれが「普通」のことなので,それを良しとして受け入れる(すでにある関係に照応した)意識がうまれてきます。しかし,他方には,それが「普通」ではマズいんじゃないかという意識もうまれ,そこから意識をかえようとする動きも出てくるわけです。このような実際の人間関係と意識のかかわりというのは,土台と上部構造(その最上階にある社会的意識)との関係に深くかかわる問題ですね。ねばり強い取り組みに期待しています。
○前段のお話のなかで、“シングル単位”の大きなおとし穴に気がつきました。ジェンダー論の主流を占めている研究のようですが、何かすっきりしないままでした。“家族”をどう位置づけるか、大きな課題ですね。
夫婦共働きの場合、男との家事分担はスムーズ(必要に迫られて、ですが‥‥)出来ても、専業主婦にとってはなかなかむつかしいようです。30代の若い専業主婦層に強く男女、役割分担意識が根づいている現在ではないでしょうか。
生殖医療については正直よくわかりませんが、以前拓殖あづみさんの論文の中で、“女が子どもを産みたいわけ”を不妊治療を受けている女性にアンケート調査をした結果が書かれていました。それによるとその理由として“夫が欲しているから”というのがトップだったと思います。ここでも夫と妻との関係があらわれているんですね。
――「シングル単位」社会論は,一つの流行りではありますが「主流」ということではないだろうと思います。財界のいう「個人化」にうまくからめられる議論だったので,それで一時的に注目されたというところでしょうか。「食えるか/食えないか」という労資関係を見落とすと,それは簡単に総額人件費削減のための「個人化」にもつながりやすい議論になっていると思います。他方で,「家族」のあり方を論ずる視角がそもそもないというのは大きな問題なのでしょうね。
○以前勤めていた会社で、「総合職」として差別された覚えがあります。女性社員の先輩から「○○君は総合職なのだから、それくらいの仕事は出来ないとダメね」と言われ、プレッシャーを感じた記憶を鮮明に覚えています。これは「逆差別」でしょうか?
――それは,契約上「総合職」が行うべきとされている仕事の内容によるでしょうね。それに合致したことが「出来ないとダメ」といわれているのか,そうではないことについて「出来ないとダメ」といわれているのか,そこが問題であるように思います。「総合職」となっている以上,「一般職」など他のコースの人と仕事の内容や求められる力に違いが出てくるのは当然です。ただし,それに相応しい研修など,仕事の力量を高めるのに必要な教育が行われているかどうかといった問題,また「総合職」であることを理由にやみくもに過重な仕事の負担をかけられるとなると,話しはまた別になります。もう少し具体的に問題を考えてみてください。
○言われていることはわかります。理解できると思いますが、自分の中になかなかかみくだけません。
――私の話しの不十分さや,私たちがつくったテキストの不十分さという問題もあると思います。まだ,誰にも明快に解明しつくしたとはいえない領域の問題ですから,とりあえずは気楽にそのように受け取ってください。
――他方で,学びの経路の問題ですが,どのような問題についても学びには時間がかかり,繰り返し学ぶ,繰り返し考えるということが不可欠です。「理論」につよい人は,「現実」をたくさん知ることが必要ですし,「現実」につよい人は「理論」に力点をおいて学ぶのがいいだろうと思います。何が本当のことかは「現実」と「理論」がうまくつながったときに「わかる」のですから。
――なお「現実」というと,女性の方には「女のおかれた現実は毎日の生活で良く知っている」という方もおられますが,「専業主婦」「独身」「母子家庭」「はたらく女性」「都市か地方か」など,現代日本の「女のおかれた現実」はやはり多様です。さらにヨーロッパは,アフリカはと見ていくとますます「女のおかれた現実」は多様です。くわえてその多様さが歴史の中では移り変わってきています。「現実」についても,やはり学んで情報を仕入れることが必要なわけです。自分なりに学びの計画を考えてみてください。
○昔からジェンダーというのは興味のあるテーマだったのですが、今回初めて講座に参加しました。私が社会に出て思ったのが、働く女性がとても増えたのにも関わらず、つくづく男社会なんだなという事です。単純に「男が悪い」とは思いませんでしたが、なんでこんな社会なのか?というのは社会人になってから、ずっと考えてきた事です。なんとなくですが、その理由が少し見えてきたような気がしました。
――「なんとなく」を大切な出発点に,ぜひ,学びをつづけていってください。まわりの友人や同僚とこんなテーマで話しをするのも面白いかも知れません。「組合の女性部のあり方は?」「春闘で性差別の問題は?」といった議論も可能でしょうし,「どうして女性のハダカやセックスを売り物にしたビデオがこんなにたくさん売られているのか?」「セクハラに鈍感な男はどうやってつくられるか?」など,話題はつきないと思います。
○ジェンダー問題がいろいろな角度からとらえられていて、だんだんわからなくなってきました。つまり男女平等はどうすれば実現するのか‥‥
まだ在職中で学習する時間がなかなかないので、本を読む時間がありません。本当は退職してからの方がよかったのですが、こういう講座はなかなかないと思い参加しました。本を読み返したら整理されるのでしょうか。
――「わからなくなる」というのは,実は大切なことなのです。それは,それまでの自分の考え方では整理のつかない,より大きな問題に出くわしているという自覚があるということですから。時間をかけて整理していってください。人の認識は「わからない・わからない・わからない」という期間にも学びつづけることで,ある時「わかった」とポンと抜けるような瞬間をむかえるものです。学ぶほどになだらかに右肩あがりに「わかっていく」のではなく,階段状にあがっていくというイメージです。ですから「わからない」ことを理由にやめるのでなく,「わかる瞬間」がくるまで粘り強く学びつづけることが大切です。
――学習の時間をつくるのは本当に大切ですよね。とはいえ,たとえば労働組合運動などは現役労働者たちの運動ですから,彼らは在職中であることと学びとをつねに両立させねばなりません。そうでなければ運動の力を育てることもできないわけです。そこで細切れ時間にも学ぶなど,時間をつくることに真剣に苦労をしている人も多いわけです。「在職中」を理由にされずに,ぜひ毎日の生活を点検して,時間をつくってください。
――男女平等の実現ですが,①男女に人権の格差がつけられている現状への気づきを広め,それをおかしいとする理解を広めること,②その上で,職場における性差別をやめさせるとりくみを男女共通の闘いとして広げること,③また男女共通の労働時間短縮をすすめること,④女性を家庭にひきもどす強力な力となっている介護・子育ての部分で社会保障の充実をすすめること,⑤家庭の中においても家事分担のあり方などについて適切な分担についての話しあいをしていくこと,などが必要ではないでしょうか。あらかたいままでの講義ですでに登場しているお話ですが。
○男女平等は究極的には未来社会の実現を待たなければいけないのか。資本主義社会から社会主義へと移行しないと完全には実現しないのだろうか。(1日目の質問にもありましたが)
北欧で男女平等、賃金格差でも100;90というように進んでいるが、社会保障も完全に近い。こういう社会は資本主義であるにもかかわらず実現しているが、こういう社会はこれで未来社会が実現していると見られるのか。
日本における男女平等、賃金格差、社会保障など、諸課題は多くて、これは北欧のように実現するのか。あるいは未来社会(社会主義)でないと実現しないのか、見通しはどうでしょうか。
――かつてエンゲルス等が考えた以上に,男女の平等については,資本主義の枠内で解決される問題が多くなっているのはまちがいないでしょうね。しかし「完全な実現」が資本主義の枠内で可能かどうかについては,理論的にきっぱりと割り切れるこたえは,現状では出せないように私は思っています。実践の積み重ねになって,資本主義の枠内での平等にむけた取り組みの発展に応じて,次第にその見通しが開けていくということではないでしょうか。第1日目の回答とまったく同じで,申しわけありませんが。
――現在の北欧は「未来社会(社会主義)」ではありませんね。基本的には労資関係を中心にして成り立っている資本主義の社会です。搾取もありますし,労資の紛争もあり,労働災害などもある社会です。ただし,資本主義にも様々な発展の仕方があり,発展の段階があります。「資本主義だからすべて同じ」ということではないわけです。そのいろいろな資本主義のタイプのひとつとして,北欧は,日本などよりずっと民主主義のすすんだ,また人権思想の充実した社会になっているということですね。それは人権尊重というルールある資本主義のひとつでしょう。
○1回目の講義は序論で全体の構成の話だったのでわかりやすかったのですが、2回目は資本論や経済学、賃金のことが話され少しむつかしかった。賃金を理解しないとわからないのかと思ったが。
ジェンダーと史的唯物論の立場で学習しようと思いますが、そういう会はご存知でしょうか。又先生の大学の講義はどういう内容でしょうか。聴講生として聞きに行くことは可能でしょうか。
――「賃金を理解しないと」というのはそのとおりだと思います。女性の権利向上は,どういう力が女性の権利を縮めているかの冷静な分析なしには進みません。したがって,そこには社会科学の力が不可欠です。いわゆるフェミニズムの理論には,案外その社会科学の力が弱いと思います。また,そこでこそマルクス主義は力を発揮すべきだろうとも思っています。賃金論は資本主義社会を理解するうえでの基礎理論に属することがらですので,しっかり勉強されてください。
――「そういう会」については,適当なものは思いつきません。その手のものが少ないというところに,そもそもの取り組みの立ち遅れがあるのでしょうね。思いつくもののひとつは,『ジェンダーと史的唯物論』をつくったメンバーでの毎月の研究会ですが(月1回,大阪の森ノ宮で土曜・日曜の夜などをつかって3時間ほどやっています。研究職の人たちがいつも6~8人ほどいて,そのまわりに一般の労働者で勉強をつづけているという方が数人おられるといった構成),すでに『ジェンダーと史的唯物論』を出版してしまいましたので,研究会全体のテーマは別のものにかわっていく可能性があります。そんなことを考えると,ご自分で勉強のグループをつくるのが近道かも知れません。
――大学の「聴講」は正式な手続きをとれば可能です。「科目聴講生」のような1科目いくらといった部分的な授業料で聴講できる制度があると思います。その資格があれば,大学の図書館などもつかえたように思います。正面から大学に連絡をとってみてください。なお,大学での私の講義では,ジェンダー問題は1年生等を主な受講者として,入門的な話しをする場がある程度です。みなさんには,あまり役にはたたないかも知れません。
○わからないことだらけですが、何を質問していいのかわかりません。
――「わからない」という自覚があるのは,実は大切なことなのです。次のステップとして「何がわからないのか」「何をわかりたいのか」をノートに書き出すなどしてみてください。そして「わかりたいこと」がどうすれば「わかっていけるか」について,あせらずジックリと計画を立ててみてください。何かを読む,誰かに聞くなど,自分なりの学習計画が少しずつできあがっていきます。大きな本屋にいって,「ジェンダー論」とか「女性学」のコーナーをじっくり立ち読みしてみるというのもいい方法です。もちろん手近な図書館があれば,それもいいですが。
○ヴァンダナ・シヴァは現代のマッハか? 「優秀な物理学者が哲学になると誤る」。自然学に強くても、社会学では誤ってしまった点など‥‥
――同じようなことは,われわれにも良くあることです。つまり本当に自分が通じている以外の問題を論ずる時には,その人がある分野で有名な方であっても,やはり「しろうと」でしかない場合が多いということです。ですから学者には,自分が自身をもって語れることとそうではないこととの区別を自覚することが必要ですし,学者の話しを聞く側の方には,その人が何を専門的に研究している人かを見極めることが大切になります。なおマッハは物質は感覚の集合であって,感覚から独立した物質が実在するわけではないといいましたが,シヴァは少なくとも環境問題については,現にある環境問題にどう取り組むかと,問題を唯物論的に(そういう自覚があろうとなかろうと)立てています。
○次回は若い人を誰か連れてこよう。
――ぜひ,よろしくお願いします。
【勝手なつぶやき】
さて,今日でこの講座はおしまいです。4回だけのコンパクトな講座でしたが,いかがでしたか。みなさん方にとっては,これからの学習のきっかけとなってくれると嬉しいです。なにせこの領域は,ジックリ学ぶことの必要性さえ,広くは理解されていない領域ですから,まず学ぶ人,学びたい人が世の中にふえていくこと自体が大切です。
この夏には和歌山の学習協で,同じような講座を計画しているのですが,そこでも事務局では「ジェンダーなんていうテーマに学びの要求はあるのだろうか」という議論があったそうです。しかし,聞いてみると,フタをあければ80人以上が参加した13年ぶりの『資本論』講座のときにも,同じ議論がなされたようですから,「学びの要求」というのは,「こういう学びが必要ではないか」という攻勢的な問いかけで,掘り起こしていくべきものでもあるのでしょうね。各地の学習運動には,そこの力量が問われるわけです。
私としては,この領域の研究の一層の発展には,講座の中でも繰り返し,また第4講をそれにあてもしたように,実際の歴史を学ぶことが重要だと思っています。史的唯物論はアタマの中でひねりだされた公式ではなく,現実の社会や歴史の中に発見されたものですから,その不十分さを補い,豊富化するには,やはり現実の社会や歴史に分け入るしかないわけです。それを可能とする歴史家たちの仕事は,次第につみあげられているように思っています。
みなさんには第4講のテキストにもした『女と男の日本史』が,先ずはおすすめです。あわせて先年亡くなった日本史研究者の網野善彦さんの書き物には,女や子ども,年寄りに焦点をあてたものも多く,それはなかなか面白いです。網野さんの歴史観全体についてはいろんな評価があるようですが,民俗学者(宮田登さん)といっしょに語り合ったものなど,他では目にすることのできないものです。著名な方ですから,図書館や大きな本屋なら必ず何冊かあると思います。ぜひ手にとってみてください。刺激がたくさん得られると思います。
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