2005年11月23日(水)……京都のみなさんへ
以下は,11月20日に京都学習協の現代経済学ゼミナールで配布したレジュメです。
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〔2005年第4回京都現代経済学ゼミナール〕
ジェンダーを読む(第7回)
――史的唯物論と「ジェンダー」――
2005年11月12日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
11月10日,大学で『ベアテの贈りもの』の上映と,元文部大臣・赤松良子氏の講演が行なわれました。講演のなかで赤松氏は24条だけでなく,憲法の全体が「おしつけでなく贈りもの」であると述べ,また映画のおしまいでベアテは「9条を世界に広げましょう」としめくくりました。
期せずして,本来24条に焦点をあてたこの取り組みが,「憲法全体を守ろう」という取り組みに幅をひろげたわけです。
市民の参加が200名,学生の参加が400名。本学においては画期的・歴史的な取り組みになったと思います。取り組みの中心に立った学生たちは,取り組みの中でつくったメーリングリストを,「今後の運動のために」と活用しつづけていくことをさっそく相談していました。
「いまどきの若いもん」は,なかなかやるのです。
また11月5日には,龍谷大学の教職員組合創立40周年記念のシンポジウムで報告させてもらいました。「東アジアの平和と人権」が大きなテーマで,3人の報告者の中には,京都で在日韓国人として生まれ,育ち,韓国へ渡って軍事政権によって投獄され,獄中19年をすごしたという方もおられました。
その方の本をいま読み始めていますが,あらためてアジアと日本の関係に,自分がいかに無知であるかを痛感させられています。
執念深く,自分の知識と視野を広げていきたいと思います。
さて,今日も,みなさんからの感想の紹介からいきましょう。この「つぶやき」もこれが最後です。
●昨年、新婦人京都府本部でも、ナヌムの家を訪問しましたが、「慰安」婦問題というのは、日本の戦争犯罪の問題をジェンダーの視点でとらえなおす典型的な課題だとあらためて思いました。東京裁判の不十分さの1つには、ジェンダー視点の欠如もあると思います。
――そうですね。あえていえば,植民地支配を批判の対象にあげなかったことと,ジェンダー視角の欠落が大きな問題でしょうか。オランダはBC級戦犯裁判でオランダ人被害者だけに関する裁判を行なっています。そこにはインドネシアの被害者を無視する人種主義の問題もありました。となると単純にジェンダー視角だけでは,「慰安婦」問題はとけないわけです。複雑さの全体をとらえることが必要です。
●今日の講義は、戦前、戦争中、戦後の日本のあり方を問う深く重い時間となりました。「無知は罪だ」と思いつづけ、勉強しているつもりですが、ますますそうした思いが強まりました。かつ、こうした問題をジェンダーの視点で追及する必要があるという石川先生の提起を深くうけとめたいと思います。息子が今年から大学生で、日本史を学んでいます。彼にきちんとこうした事実(真実)を伝え、そして一緒に学ぼうと話をしなければと強く思いました。
●私たちの責任、重い課題です。これから学んでいきたいです。
●今年入ってきた職場の新人20歳の子に「慰安婦」の話をすると「何ですかそれ?」とまったく知らないということを言っていたのにびっくりしました。私も名前は知っていても、今日の講義ほどくわしく学んだことはなかったと思います。知れば知るほど日本軍の犯した罪の重さを感じます。こんなにひどいことをしているのに政府が反省しないのはおかしすぎる。学校の歴史の授業で日本の歴史を学んでるのに、実際あった「慰安婦」のことを学ばないなんておかしすぎると思いました。
●私が女性問題に関心を持つようになったのは高校生の時に軍隊慰安婦の本を読んだのがきっかけとなりました。本日の講義は大変勉強になりました。
●自分は日本軍「慰安婦」問題を重くみているとおもっていたが、今日の講義でその理解がうすっぺらなものであること、そして「ジェンダー」の視点より、戦争・平和の面をつよくみていたことに気付きました。講師の指摘どおりです。現在の日本社会の実態ともかかわって、もっと自分なりに深めて運動への参加もしていきたい。
――みなさんに共通するのは「加害の歴史」に対する理解の弱さへの気づきとでもいったものですね。学校教育の改善は重要な課題です。同時に,家庭で,職場で,組合で,市民運動でなど,学校教育の不足を補ってあまりある取り組みが必要です。戦前の軍国主義教育のなかでも,反戦思想は立ち上がりました。それは「自分で学んだ」ことからの立ち上がりであったわけです。いい大人が学校のせいばかりにしているわけにはいきません。
●広島について書かれていましたが、原爆が広島におとされたのは、日本で一番の軍事都市であった――ためですか? 今まで全く知りませんでした。また軍と公娼制度のつながりもはじめて知りました。
――原爆投下についてはアメリカによる戦争犯罪――非戦闘員の無差別殺戮――というべきでしょうが,これもまた日本社会では追求がなされませんね。対米従属ゆえでしょうが,本当に「あいまいなこの国」だと思います。
――ある学生が広島の原爆資料館を卒論のテーマにあげています。資料館の感想ノートにあるアメリカ人は「でも戦争をはじめたのは日本じゃないか」と書き,あるアジアの人は「原爆を侵略の免罪符にするな」と書いたそうです。いずれも資料館が核被害の詳細は語っていても,戦争全体への評価を語っていないからです。そこには日本社会全体としての「戦争」への理解の限界があらわれているように思います。
●ジェンダーがテーマですから、天皇のことは主なテーマとしては解説されませんでしたが、日本人の政治意識、歴史認識のレベルの低さを規定している重大な要因だと思う。天皇一族に過剰な敬語を使ったり、元号を使ったり、「高い身分としての皇族」に親しみや敬愛を感じる意識は、すべてに対して有害だと感じている。
――テーマにそっていえば,最大の加害責任者であるヒロヒトの罪を問うことかできなかった日本の市民という問題が重要だと思います。それは市民1人1人の「私の加害責任」を曖昧化することと深く結びついていると思います。天皇制についても,それだけをとりだして議論するのでなく,歴史のなかでどういう役割をはたしてきたかというその脈絡のなかで議論する必要があると思います。
さて,次は質問とそれへの回答です。
●全7回の講義全体にかかわる質問なのですが、今回の講座をこういう構成(テーマの順序も含む)ですすめられたことについての、石川先生ご自身の評価(?)はどのようなものでしょうか?
――既存の学問のあらゆる領域で,ジェンダー視角からの読み返しということは可能でしょうから,それを1人で網羅的に紹介・検討するというのは私にはできません。そこで,できる範囲で,できるだけ日本社会の実情に焦点をあてて,それをジェンダー視角からとらえるということがどういう視野を開くかということを,実例を示しながらやってみたつもりです。評価については,むしろ,聞いていただいたみなさん方からいただく他ありません。
――なお,講座の第1回目に紹介した本は,鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(学習の友)として,この年末あるいは正月明けに出版されます。私個人の狭さを補うものとして,それもまた参考にされてください。
●日本女性の慰安婦でカムアウトして運動している人はいるのでしょうか? 講義では韓国の方が儒教思想や反日感情でよりカムアウトは困難と言われましたが、韓国の女性たちは根っこのところで自分を持っており“強い”という印象をうけます。日本で“声”が出ていないことを小林よしのりなどが、美しいこと、喜ばしいこととどこがいっていたような気がして、すごく腹立たしかったのですが、日本ではカムアウトしても受け入れられない土壌があると被害者が思っているのでしょうか。侵略の歴史にもむきあえないような国なので・・。
――韓国社会では被害者たちが,自分自身への理解を「汚れた存在」から「被害者」へと転換するうえで,フェミニズムの浸透が重要な役割を果たしたと聞いています。
――日本では現在,自分が元「慰安婦」であることを語っている方はおられません。かつて沖縄が日本に「返還」されたときに,ペ・ポンギさんという方が,おそらく世界で最初の「告白」をされています。これは沖縄のマスコミでは大きくあつかわれましたが,「日本本土」では話題をよびませんでした。そこには日本社会と各種運動の成熟度が反映していると思います。なお,ペ・ポンギさんの「告白」は,「日本人」として沖縄につれてこられて,戦後は「国籍」を剥奪され,さらにアメリカ統治下での苦しみをまぬがれた瞬間に「在留資格がない」とされたことへの抗議の形でおこなわれました。この「国籍」問題もまた,日本の政治の無責任さの象徴といえます。
●「慰安婦」を生みだして来た背景に「公娼制度」があったこと、うなずける訳ですが、いつ頃からあったのですか。又、ヨーロッパなど諸外国では全くなかったのですか。もし日本にだけあったとするならどういう訳ですか。(どんな風に考えればよいのですか)
――第5講で「日本史のなかの女と男」を学びましたが,明治の「公娼制」は基本的に江戸の幕府公認の買売春街(遊廓)を継承したものです。「公的」なものとしては,室町幕府による経営が最初のようです。最初は幕府による財政赤字の穴埋めが理由でした。ヨーロッパにも買売春はたくさんありましたし,今日もあります。しかし「公娼制」のように女性1人1人が政府の公認を受けて行なうという制度がどれほどあったかについては知りません。
――なおオランダなどでは「買売春」を軽度の「麻薬」などとともに,社会の「必要悪」と位置づけ,成人であること,本人の意志で行なっていること,地域を限定すること,健康診断を受けることなど,いくつかの条件をつけていまも政府公認で行なっています。
●事実、「慰安婦」問題はあるのに、「そんな事実はなかった」という人たちの意見がわかりません。なぜそんなことを言うのですか?
――無知もあれば,いろいろな思惑もあるのでしょうが,根本的には,侵略をおしすすめた当事者たちが,戦後も無反省のままに支配層に残ったことが大きな理由になっています。「慰安婦」加害は侵略の一環ですから,侵略そのものを肯定する人にとっては「慰安婦」加害もまた「当時は仕方がなかった」などといって肯定する他ないわけです。
――なお最近のややヒステリックな嫌中・嫌韓のジャーナリズム(『諸君』『正論』『VOICE』など)を見ていると,根深い「アジア人蔑視」も強く感じられます。この社会全体としてのかつての侵略への「総括」は,まるで済んでいないということでしょう。
●慰安婦の問題について、そういう制度を作った方にばかり責任を問われますが、実際にレイプを侵した人はどうなのでしょうか。ヒトの雄というものは、長期間、セックス(愛情のない)をしないことにはたえられない動物なのでしょうか。もし慰安所があったとしても、すべての男性が理性を持って、そこを利用しなければ、成り立たない訳で(これは売春問題も同様)、そういうことは、不可能なことなのでしょうか。
――「慰安婦」問題はなにより国家犯罪だということが前提です。そのうえで「慰安所」を利用した個々の兵士も,当然その責任はまぬがれません。ですから,そこをごまかそうとして「ジイチャンの悪口をいうな」といった小林よしのり氏等の発言も出てくるわけです。また現存する元兵士の「無言」といった問題も出てくるわけです。
――同時に,なぜ多くの兵士が「慰安所」を利用したかについては,兵士たちの「理性」がどのように育てられたかも見ておく必要があります。日本国内において「女を買う」ことが肯定されていたこと(公的には女によっても),「女を知らない」ことが恥とされる「文化」があったこと,日本の兵士には交替制がなかったこと,事実上「死ぬ」ことが義務づけられていたことなどの問題です。こうした「文化」のもとに育った兵士が「慰安所」利用をめぐって苦しんだ証言なども残っています。
――なお2000年に東京で行なわれた「女性国際戦犯法廷」では,「慰安所」を利用した元日本兵が証言にたっています。「法廷」における重要な証言として,会場の「慰安婦」被害者等からも大きな拍手をあびました。
●学生さんたちと一緒にナヌムの家に行かれたり、水曜集会に参加されたりというのはとてもすばらしいことだと思います。「慰安婦」問題に積極的にかかわられる男性はまだ少ないと思いますが、石川さんが取りくもうと思われたのはなぜですか。
●経済学の研究をされていて、なぜ「慰安婦」にかかわられたのでしょうか。経済学と「慰安婦」とのかかわりについておたずねします。
――「学生の卒業旅行のなかで」というきっかけについては,すでにお話しました。経済学とのかかわりが先にあって,取り組んだわけではありません。「慰安婦」問題の事実を知った時点で,現代日本の一市民の「責任」で,また大学で教育をする者としての「責任」で取り組んだものです。
――なお「慰安婦」問題にとりくんでいる男性研究者は少なくありません。『季刊・戦争責任研究』などの雑誌をどこかでながめてみてください。また立命館には「ナヌムの家」を支援する組織がありますし,「ナヌムの家」にも日本人男性スタッフがいます。
●後半でも言われていた「慰安婦」の考え方の他国との違いについて。本国の反発の問題を言われていますが、戦後でも買春ツアーにコンドームを入れておくことや、ポスターにもコンドームをのせるなど、また現在の問題としても、家庭内離婚や仮面夫婦など、夫婦の関係も平等でない、家父長制の問題がまだあるように思うのですが。
――前回の強調点の一つですが,「慰安婦」問題は,過去の歴史の問題だけではなく,それをいまだに解決できない現代日本社会の問題として考える必要があります。むしろ現代の未熟さが,過去の問題の清算をさまたげているわけです。なおコンドームについては「買売春」を肯定する議論は論外ですが,他方で,エイズをはじめいくつかの感染症をふせぐ上で不可欠なものですから,その活用のすすめは大いに必要なものだと思います。
●夫婦の関係をつくっていく上で、それぞれ努力されていることがあると思いますが、例えばうちでいうなら、今は食事は作れる方がつくっていますが、一定、平等の基盤ができるまでは、月・水・金、火・木・土とわけるなど、機械的平等にしていた時期もあり、そのペースから今は情況に応じてというようになりましたが、石川さん自身、努力されている点とかありますか。男性が平等を追求したり、男性解放していく中で、よかったと思われることはありますか。(あまり今日の講義と関係ないかもしれませんが、石川さん自身がジェンダー問題をとりくまれるのはなぜかなと思って、まだまだ今の男性には少ないのになと思って)
――前半の問題については前回おこたえしました。後半部分の「よかった」ことですが,ようするに自分の娘や妻や卒業生たちが差別されることは不愉快なことだというのが出発点です。そして,自分自身がそのような差別や抑圧を知ったうえで,それを「見て見ぬふりをする」人間ではありたくないということです。ですから問題を一挙に解決することはできないとしても,やれることをきちんとやっているという実感は,自分の毎日を支える大切な柱のひとつとなっています。
さて,今日の講義の流れについては,あらかた以下のように考えています。大雑把なメドとしてご理解ください。
1)「講師のつぶやき」(1時30分~2時20分)
◇「講師のつぶやき」「質問にこたえて」
2)「史的唯物論と『ジェンダー』」(2時30分~4時20分)
◇マルクスの史的唯物論における家族の位置づけ
◇『資本論』の中のジェンダー分析
3)質問と意見の交換,質問・感想文を書く時間(4時30分~5時00分)
〔今日の講義の材料〕
1)〔講座のスケジュール〕2004年度現代経済学講座の「講師のつぶやき(第7回)」より
〈第7回・史的唯物論と「ジェンダー」〉
おしまいです。とりわけ大風呂敷を大きくひろげて,「史的唯物論」と書いておきます。「史的唯物論」は人間社会の構造と発展の全体をとらえる学問です。「ジェンダー」研究の断片的な成果は,この全体的な学問にどのような問題提起をするものでしょうか。いまはどのような見通しももてずにいますが,それまでに自分なりの認識の前進があることを期待し,ここにこのテーマをあげておきます。
2)牧野論文「マルクスにおける家族と市民社会」(別紙)
3)石川論文「『資本論』の中のジェンダー分析」(別紙)
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