以下は、格差社会を是正する共同闘争実行委員会『貧困・格差の実態報告集2008〈上巻〉 誰がつくった?「貧困」 かえよう!「格差社会」』(2008年4月、64~73ページ)に掲載されたものです。
発行連絡先は兵庫県労働組合総連合内。
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格差社会よ、さようなら。憲法社会よ、こんにちは。
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
仲間で「貧乏競争」している場合じゃない
私は4人の子どもを育てていますが、上の子が22、20、18歳で次々就職をしていく年代です。ところが今20代の半分、2人に1人が非正規雇用なんですね。そうするとうちは、50%が非正規ですから、1.5人が非正規になるわけです。1.5というのはあり得ないですから、1人か2人ということですね。
私が働ける間は多少の援助はできるかもしれませんが、10年ちょっと経てば私も定年退職です。その段階で子どもが30才を過ぎても非正規のままでしたとなれば、本当に生活していくことができない。親子共倒れということになっていくわけです。そうならないためにも早いうちにこの政治を何とかしないといけない。私自身の生活を考えても、切実にそう思っています。
さて、みなさんのお話を最初から聞かせてもらいましたが、一番最後に自治労連の方が仲間内の喧嘩をしている場合ではないという話をされました。その通りだと思うんです。半年前、1年前、あちこちでワーキングプアの話をして、そこに労働者の事例を示すと、「いやいや聞いてくれ、ワシら業者はもっと大変なんや」「いやいや業者の方はまだマシや、ワシら年寄りの方がもっと大変や」、そんな話を聞かされました。ワシらの方が大変だから、だから他の連中でなくワシらに光をあててくれというわけです。仲間内の貧乏競争です。
しかし、今日たくさんの資料を見せていただいて、たくさんのお話を聞かせていただいて、要するにみんなやられとるということが良くわかったと思います。この認識は大切です。ワシのまわりだけじゃなかった。みんなやられとる。だからやられているみんなで手をつないで闘うしかないわけです。今日の集まりの名前には「共闘」という言葉がついてますけど、これは精神的には「連帯する」ということです。そのことの必要がお互いによく理解できる機会ではなかったかと思います。
国民は97年をピークに貧乏にされている
実は日本中の全世帯の平均所得は97年をピークにして下がっている。最近多少のジグザグはありますが、それでもまるで元にはもどっていない。「格差社会」といいますが、その内実は明らかに貧困化の進行です。私ら日本人はこの10年間、ずっと貧乏な方向に突き動かされてきているわけです。貧乏です。貧困です。ここを直視しないといけません。そこを正面から見つめるから、世界で2番目の経済大国なのに、しかも大企業は儲かって仕方がないという状況なのに、ワシらは苦労して税金を納めているにもかかわらずなんで貧乏にならなあかんのやと、はっきりこういう風に問題が立つわけです。
なんで97年をピークに下がったのか。97年までは金持ちではないにしても、少しずつ生活が改善されていたのに、どうしてそれが逆転してしまったのか。理由は大きく4つあると思います。
1つは収入が減ったということです。これは労働者もそうですし、自営業者も、農民も、今日ここに集まられたすべての皆さんがそうだろうと思うんです。規制緩和でルールが壊され、労働者も、業者も、農業もみんな状態が悪くなる。そこにくらしている家族もみんな生活水準が下がっていった。主婦も、学生も、子どもたちも。
2つめは社会保障が壊されていったことです。今朝もテレビを見ていたら、小泉内閣で「構造改革」を推進した竹中平蔵氏が、ニコニコしゃべりながら映っているわけです。ムッとしましたが、うちは今テレビが壊れかけなものですからテレビをシバクわけにもいきません。竹中氏は、社会保障を「たかり」「ずるい」「泥棒のそそのかし」と何回も本に書いた人間です。
元来、社会保障というのは全ての人間の人権をみんなの力で支えあいましょうという思想のもとにつくられたものです。それを「たかり」だというのです。人類社会は200年くらい前から一生懸命、人は生まれながらにして平等で幸せに生きる権利を持っている、それをお互いに支えあおうと、社会の仕組みをかえてきました。私たちが持っている憲法25条が「すべて国民は…」と書いているのは、その成果です。しかし、その人類の進歩が理解できない人間たちが、「たかり」だといって社会保障を壊していった。これでますます我々は貧乏になったわけです。特にお年寄りや、生活保護世帯は本当に深刻です。
これに加えて、3つめは税金です。庶民増税です。そして4つめが、保険料の引き上げです。結局、家計を支える収入と社会保障が削られて、ふところから出て行く税と保険料が高くなっていく。これじゃあ、貧乏になるのはあたりまえです。
貧乏づくりの犯人は財界と自民・公明の政府である
こうしてみると、私たちの貧困化にかかわる話は全部政治絡みのものです。自然現象ではない。人災なんです。この貧乏は人災である。だから、どうにもならないのだとガマンせねばならないようなものではありません。私たちが97年以降ずっと貧乏になってきているのは、いったい誰のせいなのか、そういう問題がはっきりと立つわけです。
犯人は、かなり分かりやすくなってきていると思いますが、アメリカ財界の圧力も利用しながら、金儲けの条件づくりをさらに大きくすすめようとしている、日本の財界とその財界いいなりの自民・公明政府です。これが私たちの暮らしを支えるいろんな制度を破壊してきている。金儲けのために労働者はしぼれ、金儲けのために中小業者はしぼれ、金儲けに邪魔になる規制は全部取っ払え、その結果、商店街や農業が潰れていってもそんなことは関係ない、自殺者が増えてもかまわない、ホームレスが増えてもかまわない。こういう政治の推進です。
その一方で、税金はアホな大型公共事業や、大企業減税に消えていく。そして、大企業をうるおす財源が足りなくなったと言って医療や社会保障が狙い撃ちにされています。やっているのは財界と今の政府です。ここに反撃の焦点を合わせないといけない。お互いに手を結んでこの大きな敵に向かっていく必要がある。「貧乏競争」などしている場合じゃない。
「いいかげんにしろ」、国民の怒りが政治を動かしはじめている
幸い、こうした政治に、おとなしいと言われてた日本国民もいよいよ腹を立てつつある。小泉首相は「改革なくして成長なし」と、最後まで言っていた。でもその後の安倍首相は最初から「再チャレンジ内閣」です。貧困にあえぐ国民をなだめるために「いやいやあなたたちにも再チャレンジのチャンスはありますよ」と、新しいニンジンをぶら下げなければならなかった。さらにその後の福田首相は、もう何をいっているのかわからない。「構造改革」は正しいといいながら、国民の前ではいつでも「手直し」「手直し」といっている。そういう言い訳をしなければ、もう「構造改革」と大きな声でいうこともできなくなってきている。
特に、大きな変化をつくったのは2007年の参議院選挙でした。つまり政治の変化を作ったのは国民のたたかいの力でした。闘わないといけないのです。ぶつぶつぐちを言うだけ、なげくだけでは駄目で、政治に圧力をかけねばならない。今日、最初に、労連の津川議長が、いろんな分野での政治の変化を紹介しました。選挙というのは勝ってみるもんです。アホな政治家の議席は奪い取ってみるもんです。世の中それで変わっていくんですから。
ただし、この流れをもう一歩つよめる必要がある。もう一回り財界を追い詰めていく力が必要です。その点で、国民の意識の変化はまだ中途半端です。それは選挙結果の中途半端さに表れています。参議院選挙で自民党は大敗しました。ところがその自民党の政治を国民生活第一の方向に、根本から切り替えようと一番頑張っていた共産党が負けている。
地方の政治を見ても、京都市長選では自民・民主が組んだ候補を951票差まで攻め込む、見事な闘いが行われた。しかし、その大阪府知事選では、ようあんな人間選んだなという人に183万票が集まりました。
京都も大阪も府民・市民は現状を何とか変えたい、変えてくれる人に入れたいという思いをもっていた。そこはそう大きく違っていないと思うのですが、しかし、どこに向かって変えればいいのか、誰がその変化の担い手なのか、そこの中身がまだはっきり見えていない。ここをもっと強く押し出さなければ。
憲法どおりの日本をつくろう
貧困と格差を推進する政治に、いったい何を対置するか。新しい政治の旗としてかかげるか。国民生活第一主義の政治です。金儲けよりも、人間が大切にされる社会です。そして、それはむずかしいものではありません。それは憲法どおりの政治です。「格差社会よ、さようなら。憲法社会よ、こんにちは」です。
たとえば憲法にはちゃんとすべての国民の生存権が記されています。安心して働く権利が記されています。子どもたちが学ぶ権利も記されています。男女の平等も記されています。そして日本と世界の平和を守るということも記されている。いまの日本社会がボロカスなのは、憲法どおりの国づくりをしていないから、政治が憲法をないがしろにしているからです。だから、日本の社会はおかしくなっている。憲法どおりの政治を行い、憲法がめざす理想の日本に向かって前進しよう。こういう呼びかけをもっと強める必要があると思います。
憲法を学ぶときに大切なことのひとつは、政治がアホな時に頑張らないといけないのは国民だということです。政治はどこかの偉い人が変えてくれるものではないのです。政治の主人公は国民ですよね。そうであれば、主人公である国民は、政治がアホなことばかりしているときに、それを野放しにしてはいけないのです。政治を変える責任が我々国民にはあるのです。その意欲と力を日本国憲法は私たちに求めています。それをきちんと学ぶことがとても大事です。
広範な連帯の可能性をくみあげる新たな工夫を
これからの取り組みですが、各分野の闘いを進めながら、今日のような連帯と共闘の取り組みをかさねる必要があると思います。さらに、今日はとりあえず建物の中で行う集会です。外を歩いている人は何が行われているのか誰もわからんという集まりですよね。今日は、今後に向けたホップステップジャンプのホップの取り組みだから、それでもいいということになるのでしょうが、これからはたくさんの市民に激励の声を届ける必要があると思います。
たくさんの市民は私たちと同じように生活に困っています。苦しんでいます。でも、どうしていいか分からないから、ガマンしたり、イライラしたりしています。そこに私たちが出て行き、問題はここにある、問題をつくったのは財界と今の自民・公明政治だ、選挙で落とせば変えられる、落とすぞという圧力をかければ変えられる、だからいっしょに憲法どおりの社会にむかって力をあわせよう、そう訴えていけば連帯してくれる人たちはいっぱいいるんです。
私が勤めている神戸女学院大学は、関西では超がつくお嬢大学です。このお嬢たちに、授業の中でNHKの「ワーキングプア」を見せるわけです。60分とか75分とか教室を暗くして見せるわけです。ビデオが終わって、電気をつけたら10人に1人くらいは泣いています。
なんで泣くのか。紙を配って感想を書いてもらうと、一つには、日本にこんな深刻な貧困があるとは知らなかった。ショックだというわけです。つまり、大人たちの知らせる力がまったく届いていない。学生たちは、大変な貧困というのはアフリカの話だったり、東南アジアの話だったり、遠くの話だと思っている。自分の住んでいる社会にこんな大変なことがあるとは思ってもみなかった。
それから学生たちが書くのは、こういう貧困があるのに政治が何もしていないことに驚いたと書きます。政治の無策は、NHKの番組でもよく分かるようになっています。そして3つ目に、彼女たちが泣くのは、20歳になるまでこういうことを、まったく知らずに生きてきた、そのことが悔しいし悲しいといって泣くんです。じつに健全な反応です。そして、その多くは事実を伝えていない大人の責任です。
これはいまの社会のとても大きな連帯の可能性を示すものだと思います。生活に困ったことなどまったくない、そういう学生たちも含めて、この社会にそんな貧困が野放しにされているのはおかしいと、そう思う人たちはたくさんいるのです。生活の苦しさにあえぐ人たちだけでなく、もっとずっと広い連帯と共闘が可能だということです。それを実現するために、いかにして目立つように社会の中に飛び出していくか、そこを皆さんたちにはよく考えていただきたいと思います。
学べ、学べ、もっと学べ
もうひとつ強調したいのは、学びです。私たちはすでに持てる力をフルに発揮している、今以上にがんばれと言われても無理だ、こういう問題もあるわけです。では、今以上の変化をつくるためにはどうしたらいいか。それは今と同じエネルギーの発揮で、より多くの人の心をつかまえる力を身につける。これしかない。つまり語る言葉の力を豊かにすることです。「ワシがいくら言ってもアイツはわからん」と言っているうちは、絶対に世の中は変わりません。「ワシがこういう言い方をしたら、アイツはこういう具合にのってきた」というふうに、自分を変えながらまわりの人を変えていくことが必要です。
その学びのなかに、ぜひ『ウィー・ラブ・兵庫』という本を入れていただきたい。何人かの方が兵庫県の「新行革プラン」について触れました。アホな公共事業で金がない、アホな大企業補助金で金がない、それで県民生活関連予算を削るという。県の最初のプランでは、1番削るのは老人医療の助成、2番目に削るのは乳幼児の医療助成、3番目に削るのは重度障害者の医療助成です。あまりの批判の強さに、県は実施を延期しましたが、計画を取り下げたわけではありません。しかし、人でなし政治の情報が、毎日の新聞やテレビを見ているだけでは分からない。
予定通りいけば来年7月には知事選が行われます。まだ1年半ありますが、しかしそう思っているとあっという間に本番になって、オレもワタシも「県政の中身がよく語れなかった」ということになりかねない。そうならないように、今から県政の学習をつんでいく。絶対に来年の夏には憲法を守り、憲法の精神で運営される政治を兵庫県につくる、そのための直接の準備をいまからすすめる。そのこために、この本を2月7日に2000部つくりました。あっという間になくなりました。さらに2000部印刷して、それがちょうど手元に届いたところです。今日も会場の出口にありますので、ぜひ皆さん、これを持っていない人が兵庫内に一人もいないという状況をこの場から作っていただきたいと思います。
6月1日の集会で貧困脱出の道をきたえよう
最後の最後ですが、昨日京都へ行っていました。京都で総合社会福祉研究所という大阪に拠点のある研究所の理事会がありました。研究団体ですから、どういう研究を国民のためにするかということを、学者や福祉施設ではたらく人たちなどが集まって相談するわけです。その中で一つの柱として、貧困の研究を深めようということがいわれました。私は半分賛成でしたが、半分は注文をつけました。
半分賛成というのは、私たちの生活がすごく大変だ、私だけでなく色んな人たちが大変だ、原因はなんだ。それらのことをよく知り、よく伝えるために、貧困の研究は正確にちゃんと深める必要がある。しかし、もう一方で、世の中に「格差」を論じた本は、すでにたくさん並んでいるわけです。そこに新たに貧困研究の成果を追加するのであれば、それはこの貧困からどうすれば抜け出せるのか、その闘いの展望、明るい光を示すものでなければならない。そこが抜けた貧困研究ではダメなのでなはいかという意見を述べてきました。
来る6月1日には、今日からのみなさん方の取り組みの上に、あらためて大きな集会が行われます。どうすれば貧困と格差がひろがるこの社会を転換していくことができるのか、この問題について私も挑戦し、お話をさせていただきたいと思いますので、皆さんそれまでにたくさんの成果をつくった上で、ぜひ多くのお仲間と一緒に集まっていただきたいと思います。がんばりましょう。
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