2005年9月24日(土)……京都のみなさんへ
以下は,9月25日の京都学習協「ジェンダーを読む」講座第5回で配布するレジュメです。
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〔2005年第4回京都現代経済学ゼミナール〕
ジェンダーを読む(第5回)
――「ジェンダー」研究が見つめるもの――
2005年9月17日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
9月12日から15日まで,学生たちと一緒に韓国を訪れてきました。12日の夜にソウルに入り,13日は朝から「ナヌムの家」に移動,そのまま現地で宿泊し,14日はソウルにもどって水曜集会に参加,午後2時からようやく自由時間,15日朝には仁川空港へ向かうというハードスケジュールです。
学生たちは,短い自由時間に(夜中も),韓国の若い友人たちと楽しくおしゃべりをしてもいたようです。旅行の記録はHPにアップしてあります。ぜひご覧ください。「歴史問題」に正面から立ち向かう学生たちのバイタリティと,真剣に学びながらも,屈託のないところが印象的です。
今回の旅行には,卒業生や神戸市外大の学生,さらに西宮や横浜で市民運動に参加されている主婦の方も参加されました。日本軍「慰安婦」問題の内容については,次回の講座でとりあげます。
旅行初日の12日は,衆議院選挙の翌日でしたので,関空へ向かうバスの中でいくつかの新聞に目をとおしていきました。「自民vs民主」「その他は蚊帳の外」「せいぜい蚊帳の中にはいるのは,郵政反対派の自民分派と新党くらい」。そういう焦点が意図的に大規模につくられた上での選挙でした。
「蚊帳の外」「市民の視野の外」に押し隠してしまえという大変強い力がはたらいたなかで,共産が現状維持(得票増),社民が議席増を実現したのは,一定の良識の力といえるでしょう。
さて今後の政局は,郵政問題をこえて,憲法,増税,外交,社会保障など,選挙では隠されていた重大争点を政治の表舞台にひきださずにおれません。自民に投票した市民の中にも,あらたな混乱と模索が生まれるでしょう。問題は,そのときに暮らしと平和を守る「民主的改革の道」を,どれだけ説得力をもって,具体的に語ることができるかです。
今回の取り組みの深い総括とともに,個々人の力量アップに取り組むことは誰にも避けることのできない重大課題です。
では,以下,前回の内容についてのみなさんからの感想を紹介しておきます。ぜひ,これらの刺激を,独習の原動力にいかしてください。
●性暴力の温床が、性道徳的な考え方が基になっているということがよくわかった。古い性道徳的な考え方を一掃する事は、現在の問題として非常に重要だと思った。
●「出席簿」で思い出しました。中学、高校とも(公立でしたが)男女混合で氏名の50音順でしたが、何も困ることや違和感はありませんでした。(ちなみに現在48才)今、問題にされることが意図的であることは明白です。
●アメリカに「弁当の文化がない」のは、食文化の浅さ、「ファースト・フード文化」の裏返しという側面も多分にあると思います。
――そうですね。他方,南欧などには,昼食のために大人が職場から家にいったん帰るというところもあります。要するに「愛情弁当は主婦のあかし/妻の愛情のあかし」といった考え方は,ある時代のある社会(日本)にうまれた地域的・歴史的なものの考え方だということですね。それが,いつでも,どこでも通用するような「あたりまえ」のことではないということが,この問題で理解しておくべきポイントですね。
●ありがとうございます。
●ゼミナールの方々とご本を出版されたのですね。今日の新聞で書評を見ました。読ませていただきます。
――じつは今年の3月に出版しています。半年おくれの書評となりました。いまはこの9月の体験を次の本にまとめることができないかと模索しています。
●ジェンダーというものが、かなり広範囲に渡る分野に渡る分野に及んでいると分かった。テレビの番組でもアナウンサーや司会が男が主で女が従ということがいやというほど固定されていることには、反発があります。なぜそこまでテレビ局がこだわっているのかは、かなり根深い何かがあるのでしょう(私は男です)。
●僕自身は、質問の時間はなくてもいいです。たっぷり話をしてもらったら嬉しいです。
――う~ん,むずかしいところですね。受講者のみなさんに,ぜひ考えていただく時間をとりたいという希望は,こちらの側にもあるのですが。限られた時間のなかでのやりくりがむずかしい。
●ジェンダー・センシティブという言葉に出会ってとてもしっくりときました。いつも違和感(・世帯主とかいう言葉や夫が代表するのはイヤ。・「おまえ」って言われるとイヤだけど、イヤでない人もいる。私はなぜイヤなの?・夫婦茶碗はなぜ大きさに違いがあるの?・なぜ夫婦になると「お父さん」「お母さん」とよびあうの?)を感じてしまうことが多いのです。そういう感覚をもっている人と、あたりまえのように受け入れてしまって、(ジェンダーを)再生産する人の違いはどこにあるのだろう。自分が違和感をもったことを回りにいる人にさり気なく伝えたいと思うのに、過剰反応されていやがられることが多いような気もします。
――ジェンダーということばの使い方ですが,私は男女の差別や格差をいうだけのものではないと思っています。ジェンダーの簡単な定義として,よく歴史的・社会的につくられた性差という言い方がされますが,それは自然な生物学的な性差との対比をうきぼりにすることに力点がおかれています。じつは,それだと歴史的・社会的につくられた性差がない社会では,ジェンダーもないといことになってしまいます。私としては,生産関係,労資関係のような,社会を構成する重要な人間関係の1つとして,性の異なるもの同士の関係をとらえるのがジェンダーの概念であろうと考え,たとえば完全な男女平等が実現すれば,そこには平等な関係としてのジェンダーが実現していると,そういった用語法でつかいたいと思っています。
●私たちの若い頃「女性学」を考える分野がなく、何かおかしいと不満を感じることが多かった(今もありますが)。(冊子)「はじめてのJ・スタディーズ」や「データブック」などが出され、共通認識を広めることができてきたのは、研究の発展というか、すばらしいことと思います。
●資料やテキストが生活に関わっている内容だけにわかりやすくおもしろかったです。私たちの意識が社会的な規範や価値観というものに大きく影響を受けているというのは、本当にそうだと思います。知らず知らずのうちにとらわれているところは自分の中にもたくさんあるなと思いました(抽象的ですが)。
●自称フェミニストの間に、「何が真の男女平等への道か」「あなたのような道では平等は実現できない」とはっきり言いあう必要がある・・とのお話に共感しました。「男女平等をめざす人はフェミニスト」といった受講者の意見が紹介されていましたが、もちろん私も男女平等をめざしていますが、どう考えても自分が「フェミニスト」とは思えません。ですから、男女平等をめざす人を「フェミニスト」としてくくられてしまうことに、違和感を感じるのですが・・?(こだわるようですみません)
――誰もが納得する定義をいまの時点で打ち出すことは,むずかしいということですね。
●来月のテーマは最も聴きたいテーマだったので、受講できないのが残念です。(新婦人は大きな企画と重なっているので)
●問題点や分野が多過ぎるに圧倒されました。
●前回の質問・感想の中で社会保障に関することが多いように感じました。労働学校で取組まれるテーマに経済、哲学、権利、情勢が定番のようですが、もう少し幅が持った企画を望みます。
――社会保障をジェンダー視角でどう掘り下げるかということですね。ジェンダー論は従来の学問の外側だけにあるものではありません。従来の学問が「男性研究者の視野」あるいは「男性読者の視野」に制限されてはいないのか,もし制限があるとすれば,それを突破して,従来の学問自体をより発展させていこうという,そういう問題提起でもあるのです。ですから,ジェンダー視角で経済学をとらえなおす,哲学をとらえなおす等々の課題は,ジェンダー論にとっての重要課題であるわけです。労働者・市民の生活を維持する「労働力再生産費」を,ジェンダー視角をもっととらえるとどうなるのか,それはそうした課題の重要な1つになると思います。
――他方で,各地の学習協が科学的社会主義の基礎理論の学習を重視しているのは事実です。同時に,従来の基礎理論にふくまれないところへも視野をひろげようという趣旨で,たとえばこの現代経済学講座は4年目を迎えました。「もう少し幅を持った企画」の具体的な内容について,ぜひ提案をよろしくお願いします。
●グラフや統計も含めて、ここまで掘りさげていろんな角度で見てみると、自分たちが気付かないうちに気付かないまま男がえらくて女はそのあと・・がうえつけられてるなあと、あらためておどろきました。
●色々な分野からのジェンダー論は最近になって言われだしたことだけど、田舎の保守的なおっちゃんおばちゃんの価値観だと思っていたが、あたりまえに今の社会に中において、良妻賢母を求められるなんて・・つくられた社会のイデオロギーにある意味、女性ものっかてますね。娘より息子に親は家を継がせ、その為期待も大きく、それ故、男の子の方が反抗期がひどいのではないかとか、大学に入って友達と語る。私は女らしさを求められるのがイヤな子であったけど、同時に男性に同情します。
●本日は広範囲であったのですが、身近な問題であったため理解しやすかったです。私が知らず知らずに子どもに与えてる影響はどうなのか、私が意識していなかったことで出しているジェンダーメッセージ(先生も言われてたようにもう遅いわナ)、こうやって社会や国家の基が作られているのだなと、もちろん学校、職場、地域などプラスアルファーあるとおもわれますが。まとまらずごめんなさいい。
●小さいころ明治生まれのおばあちゃんからよくしつけられたことを思い出しました。「女なのだから、足をひらいて座ってはだめ」「女の子らしく笑いなさい」等。日本という国をどのように進めていくかということで、男、女の性も変わっていくということに驚いた。根本的な原因を見つけることの大事さを実感できた。
――そこに着目して,そこをきちんとつかみとろうと提起されているのが「ジェンダー」という概念(用語)なんですね。「男らしく」「女らしく」も,時代や地域によってまったく変わります。人間社会をつくる重要な要素として,そこを正確につかみましょう。またすべての人間の人権を尊重するという立場から,「男らしく/女らしく」が誰か(女性など)の人権を抑圧することになっているのなら,その原因を明らかにして,改善していきましょう。そういう願いがこもったことばです。
●私(41歳女性)が高校1年生の時、クラスで合唱コンクールの指揮者に推薦された時、男子生徒から「指揮者は男子でないとアカン」という意見が出ました。結局私がやることになりましたけど。又、同じく高校1年生の時、生徒会長に立候補しましたが、信任投票で6割が信任、4割が不信任票でした。もちろん私自身のいたらなさが大きいとは思いますが、生徒会長に男女どちらが向くかという1997年の数字と同じくらいだなと思うと、あまり意識の変化がないのだろうかと思いました。
●諸外国の婚外子出生率の高さに驚きました。外国では、正式に結婚をするということにメリットがあまりないということなのでしょうか。日本人の感覚だと理解するのが難しいです。もう少し具体的に知りたいです。
――ここで「婚外」となっているのは,お役所に届け出をださないということです。本人たちの了解や,あるいは親族等の了解,友人たちの了解などで,カップルの関係がなりっているということです。カップルはつくるのだけれど,それを国家に書類を提出して認めてもらうという関係は必要がないという考え方ですね。
●先生でさえも「女らしさや男らしさ」と書いてある文章を無意識に自分の言葉で「男らしさや女らしさ」とおっしゃったように、まだまだ習慣、習慣によって、知らず知らずのうちに、身についてしまっていることは多いのですが、本当に意識して変えないといけないのだろうか?
――何をどこまで変えるかは,結局,社会の合意によるわけですね。あるいは,どういう意見が社会の多数になるかによるわけですね。そこは世代によっても,すでに相当大きな変化がうまれていると思います。より具体的には「こういう男らしさ/女さしさを強制されるのはいやだ」という人が実際いる場合に,少なくともその人の自由な生き方を封じる役割を果たす側にまわってはいけないということでしょう。
●明治生まれの人には、子育て終了後の自分自身の生き方がなかったと言われたが、現代社会においても寿命が延びた為に、介護の問題が出てきて、子育ては終了したが、苦しい介護で自分自身の生き方ができない現実がある。
――寿命が長くなったことが介護される時間をのばし,若い世代に介護する時間をつくり出しているということですね。ただ,北欧などでは高齢者の「寝たきり」比率は日本よりはるかに小さくなっています。のびた寿命の分が,本当にしあわせといえるために必要な医療や介護,社会のあり方はどういうものでなければならないか。そこを考えていく必要があるのでしょう。本当にヨーロッパ,北欧にまなぶべきことは多いです。
●『ジェンダー・スタディーズ』で女子学生が学ぶことは大変大事だし、小さいころからのすりこみ、学校教育も含めて、自分たちの育ってきた中でのジェンダーに気がついていくことは大変たのもしい限りです。しかしジェンダーを再生産していかないためにも、男子学生(男性)も含めて、一緒に学んでいくことが大切だな!と思いました。
――「女性学」や「ジェンダー論」の授業は,共学をふくめてすでにほとんどの大学で行なわれています。ただし,よりかんじんなことは,教室で学んだことと,実際に社会にはたらきかけることをつなげる道筋があるかという問題なのかも知れません。
●学校教育の中に「女と男は区別」するものというメッセージがあるかくれたカリキュラムがあったなんて、おどろきでした。ジェンダーフリーの本当の意味がわかって良かったです。ジェンダーフリー教育って大切なことですよね。
●高村光太郎の妻智恵子は、自身も絵画を志す人であった。家事はじめ、夫を支えることに時間をあて、そのために絵を断念。これが「正気を失った」原因と『智恵子抄』解説にある。家事分担の大事さの方向でどう?(かたや「断念」をなくすことの大事さ。)
●フェミニズム~ジェンダー~セックス~セクシュアリティ・・定義も何も今まで知らず、今日はじめて学びました。神戸女学院大がジェンダーでは先進的な教育をされているのでしょうか。私は、小・中・高・大と男女共学の学校だったのですが、こうした教育をうけた記憶も全くなく、今日はじめて真正面から学んだ・・という思いです。ただ両親が私に対し幼いころから「女だから、男だから、女らしく、男らしく・・」と言ったこともないし、そのような教育をされたこともないなあーと、先生のお話をききながらずっと考えていました。
――熱心にとりくむメンバーが多少集まっているということはあるのでしょうが,「先進的」とまでいえるかどうかはわかりません。大学教育に「女性学」が広がるのは,主として90年代以降だろうと思います。なお,私は1人っ子でしたので,姉妹と区別されるなどのわかりやすい形で「男なんだから」というしばりを親にかけられた記憶はありません。ただ,ぬいぐるみのクマで遊んでいたときに,近所のおじさんに「男のくせに」といったこと,からかい半分でいわれて大変にいやな思いをした記憶はありますね。個人化,地域差,年代差もあるのだろうと思います。
さて,次は質問とそれへの回答です。何度もキャッチボールを重ねて,お互いの認識を深めていきましょう。
●「性同一性障害」の問題は男性に多いと書かれていましたが、私の今までの認識では胎児の時に環境ホルモンのシャワーをあびて・・と思っていたのですが、女性も男性も脳と体の違いに違和感をもつのも同じと思うのですが・・男性の方が強く感じるという事なのでしょうか。
――私には詳しいことがわからないので,同僚教員に聞いてみました。「性同一性障害の原因はわかっていないと思います。「ホルモンが原因」とする考えが多いようではありますが。そもそも、「障害」のない、身体と性同一性が一致するメカニズムさえわかっていないのではと思います。もし、「男性のほうが性同一性障害が多い」というのが本当ならば、男性の方が、何かの影響を受けやすいということなのでしょう。あるいは、男女ともに性同一性障害をもっている人は同じくらいいるけど、男性のほうが表明しやすいということも考えられます。(手術するお金がある、仕事があるなどの理由が考えられます)」
●性産業セックスワーカーの問題ですが、女性の性を売りものにし、それでもうけている性産業は許せないのですが、セックスワーカーを女性の権利とみるかはどうなのでしょうか。今は高額だからで、例えば時給650円位ならセックスワーカーもなりたたないと思うのですが、他の仕事と同じような条件なら仕事として成り立つのでしょうか。
――いくつかの意見があるところですね。女性が,のぞまないセックスでしか生計がたてられないという問題については,それを社会の力で解決しようという点については概ね合意があるものと思います。だから売春防止法といった法律もあるわけですね。ただし,具体的に,むずかしいのは,「望んで」それをやっているという人の場合ですね。売買春は違法ですから,そこではたらく人に労働基準法の適応などを求めるのは無理なのでしょうが,しかし,働いている人たちの中には「労働者」としての権利を求める運動もあるようです。「よりマシ」な条件づくりということですね。あるいは「奴隷的状態」の改善・緩和ということでしょうか。日本にいる外国人「労働者」の場合にも,売春を強要されている場合と,「生活のために」「仕送りのために」と,本人がそれなりに納得している場合があるようで,「(売春を)やめさせられたら,私の国の家族が生活できない」といった問題もあるようです。
●セックスは、生殖と快楽を同等(平行な位置で)にとらえるのは少し違うような気がするのですが、セックスは快楽としてあり、その結果として生殖があるように思うのですが。子孫を残していくためには快楽が先にないと成り立っていかないのでは。(チョット思ってる事がうまく伝えられないのですが・・)
――人間の行動の原動力を基準にすると,快楽を求めることが先で,その結果として生殖ということですね。だからこそ種としてのヒトも途切れることなく繁殖してきたわけです。ただし,生殖のメカニズムを知らなかった昔とちがって,今日の私たちは,生殖抜きの快楽を「楽しむ」ということができるようになっています。「子どもがほしいときには避妊をしない」が「子どもを願わないときには避妊する」という具合になっています。テキストは,その両者の区別を簡単に書いていたのでしょうね。
●本テーマの視点からの「女子大」(または女子校)の役割について。創立時は、「良妻賢母」の教育が大きな目的であったであろうことは容易に想像できますが、現状はどうであり、また、今後はどうあるべきでしょうか。(~なるほどキリスト教系には「女性の権利」の普及の視点があったのか。「日本発祥」の女子校についても知りたいところです。)
――「現状」は大学によって様々です。ただし,いまの日本社会で「良妻賢母」の旗を高くかかげたところで,多くの受験生は集まりません。したがって,そこに固執する女子大の生き残りはむずかしいでしょう。「今後」についても,様々な道が模索されています。「女子大から共学へ」もそのひとつですし,「ジェンダー研究のセンターとしての女子大へ」というのもそのひとつです。千差万別といったところでしょうか。
●今回の講義は選挙前なのですが、選挙で刺客とはやされている候補者に女性が多いです。それは、リーダーとして、選ばれるのは男性が多いという統計の中で、不利になるのではないでしょうか。
――もう結果が出てしまいましたね。結局は全体としての「小泉ブーム」をつくるための「手段」としては,良く機能したといえるでしょうか。マスコミにもウケましたしね。それにしてもある女性当選者が「がんばりました。小泉総理,ほめてください」といっていたのには驚かされました。「強い男についていく女」を自認してやっているということなのでしょうか?
●家庭科の男女共修は、男性の「家庭での悲惨」(粗大ゴミと言われる?、妻が入院すると、自分の下着のあり場所もわからない。ネコの食事といっしょにされ、「父さんにエサをあげる」と言われる。)にとどめのクサビを打つ。このあたり、ご調査いかがですか。
――どういう「家庭科」を何時間くらいやるのかということにもよりますね。「調査」はしたことがありませんし,直接これにかかわる統計なども見たことがありません。ただし,実感としていえば,炊事・洗濯・掃除・片づけ・子育て・介護などの技量については,親から教えられる,必要に応じて覚えていくということが多いように思います。女性のみなさんも,学校の「家庭科」よりも,現実の家庭生活で母親に教えられて,手伝わさせられて,あるいは結婚生活のなかで次第に身につけたというのが多いのではないでしょうか。私としては家庭生活にかかわる教育の男女共通の充実にくわえて,男が家にいて,家事に日常的にくわわることのできる生活の「ゆとり」が不可欠だろうと思います。どんなに男の子にすぐれた教育をしても,20才くらいから「過労死」ラインでの長時間労働では,その教育の成果を家庭でいかすことはできませんから。
●歴史上の「名のある人」(男性が多い、女性は?と)をさがし求めることの、現代(住民が主人公。みんな「名」がある!)的意義はどこにありますか。
――同じようなご質問にすでにお答えしている気がします。少しつけくわえていえば,「名のある人」については,それをさがすことに意味あるというより,結果的に,歴史に「名を残す」ような大きな役割を果たした人を認めるということなのでしょうね。エジソンやマルクスやアインシュタインといった人々の名前を,誰も知らないとなると,日常会話にも差し支えます。もう1つ,しかし,歴史研究についても「男性の視点」でこれが行なわれてきたのではないかという問題があるわけです。その結果,歴史における女性の役割に正当な評価が下されてこなかったのではないかというような。その意味では,本当の歴史はどういうものだったのかという学問探究の過程で,歴史に「名を残す」女性があらためて「発見」されるということは大いにありうることだと思います。なお,歴史に結果として「名を残す」ことと,それらの人間に特権を認めることとはもちろん別のことです。
●つぶやき、パッチギという映画で執拗に暴力が出てきます。青春時代、暴力がのりこえないといけない、さけて通れないもののように男の子たちには、たちはだかっているのは、大変は悲劇で、本当は男性がイヤだったのではないでしょうか?暴力に関しなつかしい1ページなどと私にはとうてい思えません。石川さんはどう男性としてくぐってこられましたか?
――私の人生にはそういう「たちはだかり」はありませんでした。高校までの生活には,暴力ととなりあわせという時間はまったくありませんでした。いわゆる「いきがった少年」や「オレにあいさつしろ」といったことを口走る生徒はいたのかも知れませんが,それは圧倒的少数派でした。私にとっては,暴力がある意味で「日常化」したのは大学に入ったからの学生運動の中です。もっとも,これはまた別の意味ということになるのでしょうが。映画『パッチギ』については,見ていませんので,申し訳ありませんがノーコメントです。
●女性が優遇されるのも、ある意味差別となるのでしょうか? 職場で生理休暇が取れない、取りにくくなって、久しいのですが、母性保護は差別だと女性も思っている事が多い。区別と差別は実にむづかしいです。男女機会均等法は十分に社会が男女平等でない時点で行なわれたもので、真の男女平等となっていないのでは?
――「優遇」ということが,たとえば同じ仕事をしても,男は時給800円,女は「優遇」で900円なんてことになれば,それは男性差別ということでしょうね。しかし「母性保護」については男性差別にはならないでしょう。すでに学んだことですが,男女には肉体の相違があるのですから。その差を尊重して,それぞれの健康を守りながら働くことのできる条件づくりとして,女性には男性にない「母性保護」があるわけです。これが99年の労働基準法「改正」のさいに,「平等だったら母性保護はいらないだろう」という政財界の戦略によってこわされていったことはすでにお話しました。過去に配布したレジュメ,テキストを見直してください。雇用機会均等法の不十分さについてもふれています。なお,区別というのは相違を認めること(若い/年配,障害がある/ない,皮膚が黒い/黄色い……)。それに対して差別というのは,区別を理由にしてその人の権利に差をつけることです(若いからダメ,障害があるからダメ,黄色いからダメ……)。
●近代家族政策は戦後一貫した政策とのことですが、最近にみられる「男女共働き型」は、一つの政策の転換と考えられるのでしょうか。これは長時間・過密労働によるものと思っていますが・・。一方では経済のグローバル化もその要因にあるのでしょうか。
――専業主婦から兼業主婦への転換がすすんでいるというのは,確かに一つの変化ですね。そこには女性たちの取り組みの成果も反映しています。しかし,他方で「過労死の男女平等」がつくりだされ,男性の超長時間労働が放置されています。したがって「男女共働き」が「職場と過程における男女の平等」を推進する大きな力にはなっていないようです。「主婦をパートで安く使う」という政財界の意図的な労働政策は重要な役割を果たしているかも知れません。なお,グローバル化とのかかわりでいえば,「国際競争力強化のために人件費節減を」ということよりも,アメリカ大企業の日本進出が日本の労働市場破壊の大きな要因になっており,これに日本企業が乗っかるという形で労働市場の破壊が進んできたように思います。
●賃金の中に生活費の他に、社会保障費も含まれる、この点を論文に書かれていますか。
――賃金に社会保障費が含まれるのではありません。労働者の生活費が賃金と社会保障給付の合計からなっているということです。より具体的にいえば,〔生活費(労働力再生産費)=賃金+社会保障給付-税金-社会保険料〕ということですね。『現代を探究する経済学』の論文「マルクス主義とフェミニズム」に書いていますし,『前衛』2003年1月号の座談会でも述べています。
●女らしさ、男らしさは社会によりつくられていると言われても、男女差別を不合理だと思っても、それをどうしていったらいいのか、解決の糸がつかめない。意識改革はどのようにしたらいいのでしょうか。
――「解決」のためには,まず原因をつかむことが必要ですね。「意識改革」の問題ですが,歴史をみるとそれはすでに相当大きく変わっています。つまり男女関係や差別にかかわる「意識」は歴史的に形成されるものであって,決して永遠ではないわけです。しかし,では「意識」が歴史的にかわる場合,それはどういう力によって変わっているのか。そこをつかまえることが大切ですね。その過去を知ることが,今後に向けてのヒントにもなるのでしょう。もうひとつのヒントは,北欧などの男女差別がはるかに小さい国づくりがどのように行なわれていったのか。その具体的な条件を探究することです。問題をいつでも,大局的,歴史的にとらえるようにしてください。私としては,すでに述べたことですが,労働時間の短縮,社会保障の充実,労働運動・市民運動における男女格差縮小への自覚,その出発点としての男女共通の学びが重要だと思っています。工夫してみてください。
さて,今日の講義の流れについては,あらかた以下のように考えています。大雑把なメドとしてご理解ください。
1)「講師のつぶやき」(1時30分~2時00分)
◇「講師のつぶやき」「質問にこたえて」
2)「日本史のなかの女と男」(2時00分~4時20分)
◇具体的な日本史研究に学ぶ――まず事実に通じる
◇男女関係の歴史的な変化の大きさに注目――ジェンダーは歴史的に変化するもの
◇女性の歴史的役割の大きさにも――特に経済生活の中で
3)質問と意見の交換,質問・感想文を書く時間(4時30分~5時00分)
〔今日の講義の材料〕
1)〔講座のスケジュール〕2004年度現代経済学講座の「講師のつぶやき(第7回)」より
〈第5回・日本史のなかの女と男〉
「世界史的敗北」は,女性をただちに社会的生産から切り離すものではありませんでした。一部の支配層をのぞけば,高い強制的課税(搾取)に苦しむ一般庶民は,男も女も子どもも年寄りも,力をあわせて働かざるを得ませんでした。「女工哀史」の繊維産業は,なぜ「女工」だったのか。中世の商業・金融業者にはなぜ女性の姿が多いのか。日本史研究のさまざまな成果に学んでみます。
2)不破哲三『ふたたび「科学の目」を語る』(新日本出版社,2003年)から
・「女性の歴史と将来を『科学の目』でとらえた先覚者がいた」110~112ページ
・「日本の女性は簡単に『敗北』しなかった」112~115ページ
3)歴史教育者協議会編『学びあう女と男の日本史』(青木書店,2001年)から――特に庶民女性の労働と生活,婚姻や売買春を中心に
○「原始の男女」2~8ページ
・「働き者の縄文女性」9~12ページ
○「古代社会と女性」26~29ページ
・「万葉集にみる働く女」34~36ページ
・「性愛=結婚だった時代」37~40ページ
・「婿取婚の時代」41~44ページ
・「平安時代に始まった売買春」49~52ページ
○「中世の社会・家・女性」58~61ページ
・「女性の相続と戦闘」66~69ページ
・「女のしごと,男のしごと」70~73ページ
・「女性と仏教」82~85ページ
○「近世の身分・家と女性」88~91ページ
・「町の暮らしと女性」101~104ページ
・「江戸時代の恋と結婚」109~112ページ
・「江戸時代の売買春」113~116ページ
○「近代国家とジェンダー」126~129ページ
・「民法の制定と性別ライフサイクル」134~137ページ
・「国家が公認した『性』の売買春」142~145ページ
・「『母性』の動員と戦争責任」171~174ページ
○「日本現代とジェンダー」182~185ページ
4)いくつかの文献紹介
・網野善彦『女性の社会的地位再考』(御茶の水書房,1999年)
・網野善彦『「忘れられた日本人」を読む』(岩波書店,2003年)
・ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫,1991年)
・総合女性史研究会編『性・愛・家族 日本女性の歴史』(角川選書,1992年)
・総合女性史研究会編『史料にみる日本女性のあゆみ』(吉川弘文館,2000年)
・関口・服部・長島・早川・浅野『家族と結婚の歴史〔新装版〕』(森話社,2000年)など
2005年9月3日(土)……京都のみなさんへ
以下は,京都平和委員会のミニコミ紙に書いた(7月27日)超ミニコラムです。
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■11月に大学で「ベアテの贈りもの」を上映します。「両性の本質的平等」を記した24条はじめ,たくさんの人権条項を書いたベアテ・シロタ・ゴードンは,当時22才の若さでした。■500人の学生を集めようと,学生たちの実行委員会が立ち上がりました。10月には100人規模のプレ企画を行います。学生による寸劇,卒業生や働く女性のミニ講演,サンプル映像の上映,学生たちの話し合いを予定します。■ベアテのお父さんが有名な音楽家だったので,それが聞きたくて映画を見ようという人もいます。9条の会もこの時期は24条にシフトしての参加です。さらに本番当日に講演をお願いしているのは元文部大臣の赤松良子さんです。憲法どおりの日本をつくる。その取り組みに参加できる人の輪はとても大きいのだと,それを毎日実感しています。(I)
2005年9月3日(土)……兵庫のみなさんへ
以下は,兵庫学習協の講座「東アジア」第1講への感想に質問に対するメモです。
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2005/08/05
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〇アジアの各国との共同と展望は、全くあたりまえで、古くて新しい未来ですね。新婦人も7月にアジア3ケ国歴訪しましたが、中華婦女連の力強さに圧倒されていますし、韓国女性連合(KWAU)の活動は若くてイキイキしているようです。私たちもイキイキしたです。(女性)
〇見通しがあまりもてない日々でしたが、今日の石川先生の話を聞いて、歴史的な巨大な変化が進展しているという実感をもてたこと、今日きてよかったです。(男性)
●わたしたちの中に「世界史」の進展に対するとらえ方の弱点があったと思います。「全般的危機」論にもとづく世界把握,あるいはレーニン『帝国主義論』にもとづく世界把握の枠組みが強く意識されすぎて,具体的な現実の変化・発展をとらえる姿勢あるいは力量に弱さがあったと思います。その点で,「帝国主義」をめぐる理論問題の新しい展開は,世界把握についての私たちの視界をひらく重要な役割を果たしていると思います。
〇自らの著作を読みながらの講義はテンポが早く、ついていくのにしんどかった。論文はまた復習で読むことにして講義はもう少しドラマチックにお願いしたい。(女性)
●むずかしいご注文ですね。限られた時間のなかで,たくさんの情報・視角・分析をふくもうとすると,それらが凝縮された論文を解説するのが良い方法だろうと思ってためしています。ただし,今回の講座は「入門編」ではありません。受講者のみなさんにも,短い時間に多くを考え,学ぼうとする意欲と労苦を期待したいと思います。ぜひ論文の復習もされてください。
〇これまで全く関心のなかった東アジアのもっている認識について、興味深く聞いていました。今日初めての労働学校でしたので、右から左へ聞き流すのが精一杯でしたが、来て良かったです。財界のかかえる矛盾もおもしろくお話ししていただき勉強になりました。次回が楽しみです。(女性)
〇自分の思考がアジアや世界に旅したようでおもしろかった〃。創造力を育むことは大切だと感じた。日本の世論しか考えてなかったが、世界の世論があってこそ動くと思った。(男性)
〇 東アジアの流れがこうなっているのかな-と思いました。知らないことばかりです。(女性)
〇アメリカの支配をのぞいて、自立した東アジアをつくろうといううごきは、思った以上にダイナミックで巨大な進歩なのだということがわかりました。日本の財界が生きのこりをかけて、アメリカ一辺倒から脱けだせないまでも、東アジアでの共同はさけられないと「混迷」して、さまざまな発言がとびだしていることにはびっくりです。これは財界の思惑というだけでなく、民主的改革をめざす運動がつくりだした矛盾だということが重要だと思いました。植民地主義からの脱却が「発展」だということ、あまり深くとらえていなかったので、ものすごく勉強になりました。(女性)
〇アジアとの「友好」のイメージがつかめた。多忙にもかかわらず特別講座の講師を受けていただけてよかった。ありがとうございました。(男性)
〇現在の東アジアの政治・経済情勢について初めて深く学べました。非常に壮大な展望を開きうることも知り、大変元気が出ました。バーツ安の問題など、個々の問題ではよく理解できなかったところもありますが、石川先生の書かれた本をよく読んだりして、理解の不十分さを補っていきたいと思います。(男性)
〇ダイナミックな東アジアの動きが大変わかりやすく話され、次回以降の講義が
楽しみです。(男性)
質問
〇東南アジアやインドなどの考え方、動きはわかりましたが、ロシアはどうですか。(男性)
●ロシアについては検討したことがありませんので,私にはまったくわかりません。
〇グローバル経済のなかで、野蛮な搾取がすすんでいると思う。(グローバル経済と現代奴隷制)の本にあるように)「脱植民地化」ととらえてよいのか。(女性)
●「脱植民地化」については,世界的な植民地体制崩壊の過程を一国レベルでとらえるものと考えています。今日のテーマになりますが,20世紀の後半が世界史的規模での植民地体制崩壊の局面であったことは間違いありません。
●その後,アメリカは「(旧植民地諸国を)形式的には独立させるが,政治的にアメリカいいなりにする」ことを目指した新植民地主義の政策をとりました。しかし,それも非同盟諸国の運動やイラク戦争反対の取り組みにみられたように完全に失敗しています。
●ただし,そのことは,大国による小国(他国)への支配やその画策が完全になくなったことを意味しません。それは第1回講義での90年代におけるアメリカの東アジアへの経済的支配の政策にもあきらですし,現在のイラク侵略にみられる「新しい植民地主義」にもあきらかです。今日のアメリカは帝国主義国でしょう。
●このように「支配」の具体的な形態を区別してとらえることが大切だと思います。グローバリゼーションは経済のレベルでの,大資本による世界人民の支配を深めようとする力をもっています。それに対して人民の側には資本の運動を規制しようとする力があります。両者の激突を具体的にとらえることが必要だと思います。
●ご指摘の本は研究室にありますので,今から大急ぎでながめてみます。
2005年9月3日(土)……兵庫のみなさんへ
以下は,兵庫学習協の講座「東アジア」第2講への感想に質問に対するメモです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2005/08/06
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔感想〕
〇イラク戦争に対するフランスの態度について、アメリカの孤立ぶりがうきぼりになるものだけれども、あんまりほめすぎては今後フランスがもし軍事力をたのみに何かやらかしたとき、困りはしないか?と少し、思っていました。しかし、(それがあり得ないとはいえないが)、フランスの態度は、たまたまのものではなく、「脱植民地」の歩みをへた歴史的発展のうえにたつものであることがよくわかった。とくに、フランス国民がこの過程を経験して、植民地主義を「卒業」したことは、大事な問題だと思います。
いま日本では侵略戦争とかつての植民地支配とちゃんとむきあえるかどうかが、重要な対決点となっているので。
レーニンそのものの中に一国帝国主義の判定基準の模索があったということは、レーニンの限界や誤りを読みとるとともに、学ぶべきくみとるべき内容をおさえるという「教条的によまない」大切さを思い起させました。(女性)
●最後に強調した点ですが,1)アメリカとフランスの現在の態度の相違を軽視しない,2)もう一方でフランスもふくめた独占資本主義国による帝国主義的政策採用の可能性を軽視しない。この両面をそれぞれキチンととらえることが大切です。万が一,フランスが軍事力にもとづいて何かの行動をとった場合には,「イラク戦争のときにはアメリカを批判して良い役割をはたしていたのに,なぜ今回はそのような帝国主義的な行動をとるのだ」と批判してゆけば良いわけです。独占資本主義各国の状況を「独占資本主義だから帝国主義だ」と固定的に見るのでないことを強調しているわけですが,それは「独占資本主義はもうみんな平和国家になった」という意味ではないのです。深くつかまえたいところです。
〇古く野蛮なアメリカ帝国主義に、日本が従属していることはよくないと思いました。 (男性)
〇日本共産党の綱領改定で打ち出された新しい帝国主義論は、当初なかなか理解しにくかったのですが、今日の先生のお話をお聞きして、いつまでもレーニンの時代の理論にしばられていてはいけないと確信しました。
まだ、自分としては完全に理解できていない部分もあるので、できるだけ早く理論的にも納得できるようになりたいと思います。(男性)
〇世界の変化を見なくてはと感じた。今まで支配されてきた国々のエネルギーを日本も見習いたい。でもまだまだ貧困、エイズなど問題は深刻である。(男性)
●まったくそのとおりですね。国ごとの格差は大きいですか,なんといっても貧しさは重大問題です。それが教育や教養,医療にも直結します。日本の多額のODAも有効につかってもらえる実態をつくりたいものです。
〇新綱領についてわかっていなかったことがわかった。綱領がわかりにくいと思う。(女性)
●「わかやすく」とはいえ,日本や世界についての最新の研究の集大成ですから,短い文章にまとめると,どうしても難しいところが残りますよね。不破哲三『新・日本共産党綱領を読む』『党綱領の理論上の突破点について』などを,何人かで議論しながら,繰り返し読むのがいいかも知れません。学問ですから,理解するのには努力や苦労は不可欠です。
〇国連憲章の歴史的役割の変化はとても感動でした。その折々新聞やニュースでこみみにはさんだことが政界の動きとしてとらえなおせてとてもよかったです。
〇フランスが植民地帝国と呼ばれるまで国土を広げ、その植民地を手放す過程をみていると、これらの経験によって、学んだものは大きいのではないかと思う。人が何か過ちを犯したとき、それを教訓としてその先どう生きていくのか問われるのと同じことではないのか。私達日本人も含めて、日本という国が犯したあやまちから再び同じことを繰り返さない為にどうすればよいのかもっと真剣に考えなければならないと思った。(女性)
〇世界史を知らないなーとおもった。毎朝NHKのニュースを見ているので、洗脳されているのかも。ちがった目で世界史を見ていきたい。(女性)
●歴史の勉強は大切ですね。考えてみると,私たちは,いつも「社会」を改革しようと思っているわけです。そうであれば,いままでの社会がどう変わってきたか,どういう問題でつまずいてきたか,どういう力が生まれたときに大きな変化が起こっているか。こういう事柄を,事実に即して理解する必要があるわけですね。「社会発展の法則」を教科書的な法則としてだけ理解するのでは,まったく不十分であって,具体的な歴史のなかでそれを体感することかできるくらいに,歴史を学ぶことは大切だと思います。
●「勉強だ」とかまえるのでなく,「歴史は趣味だ」という気分で,手軽なあれこれの新書本をつまみ食い的に読むのも楽しいですよ。楽しく学ぶためには,「本は最初から最後まで通して読むもの」という悪い習慣をすてることも大切です。
〔質問〕
〇日本の場合、WWⅡで敗けたため植民地を放棄させられた訳ですが、本当に植民地政策は良くないという認識が育っていないという印象です。
そういう意味では日本は古い植民地主義を克服していないのではないでしょうか?(男性)
●私もまったくそのとおりだと思います。日本の敗北によって,さらに西欧の敗北によってアジアの「脱植民地化」はすすみました。そして西欧の植民地本国の「脱植民地化」もすすみました。しかし,日本にはその国民的な検討や反省の時間がありませんでした。それが,今日の「加害への鈍感さ」につながっていると思います。実は,この問題こそが第3講義の中心問題です。
〇北欧、オランダのNGOの支援地での活動資金の使途は申告制によると思われるが、不正使用や横領はどのようにチェックしているのか。(男性)
●オランダなどでは政府関係者とNGOとの関係はかなり「一体」的なものとなっています。NGOメンバーが政府の役職者につく,また政府の関係者がNGOの一員として現地で活動するなど,人的交流も活発で,両者が別々のよそよそしい関係ではすでになくなっているのです。税金の執行ですから,もちろん政府のチェックは当然あるのでしょうが,日常的にその活用方法をNGOのもっている現地情報や現地の判断を尊重しながら,政府も一緒に行っているという関係が基本になっています。
2005年9月3日(土)……兵庫のみなさんへ
以下は,兵庫学習協の講座「東アジア」第3講への感想に質問に対するメモです。
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2005/08/11
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〇『ハルモニからの宿題』の本を作った学生さんたち、とても良い学生生活を送ったと思います。
実は私の大学にも民青同盟がありませんでしたし、その存在も知りませんでした。私は大学(商船大)に生協を作る運動と設立後は理事などをやっていましたが、まっ白な状態からのからみなので考えて運動がきたのも上意下達の組織に関わらなかったからではと思っていました。
先生のゼミの話を聞いてやはりそうだろうと思いました。女学院の学生は幸せだと思います。(余談で申し訳ありません)(男性)
●本来は,「指示されないと動かない活動家」というのは形容矛盾ですよね。どうも運動団体の中には,「所属しているだけでの自己満足」の傾向があり,また「うまくいかないのは方針が悪いから」と他人のせいにする傾向があるようですから,そこをこそ正していく必要があるのでしょうね。 何より「自分の成長が社会改革への重大課題」と,自分自身の改革につねに取り組む姿勢が必要ですよね。
〇第二次大戦の侵略国における責任のとり方、ドイツと日本との違いについてこれまでも新聞などで知っていたと思っていたが、いろんなエピソードを聞いて、本当に責任ある対応とは何かを改めて考えさせられました。いろんな本の紹介をしていただけるので、ありがたいです。(男性)
●戦争責任に対する日本とドイツの態度の相違については,かなりたくさんの出版があります。それは何も,いわゆる民主的な出版社からのものに限りません。他方,この問題では日本よりははるかにマシなドイツですが,それでも不十分さがあるという指摘もあります。象徴は,ユダヤ人の強制収容所における性奴隷の問題です。クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』(明石書店)などの告発があります。
〇あらためて憲法九条を守ることが、アジア各国の信頼を得ることだと思います。対外的には加害責任の希薄さ、対内的には、人権抑圧の希薄さが日本のゆがみとしてあると思います。歴史認識の問題としては侵略の事実とともに治安維持法のもとでのむちゃくちゃな弾圧の事実も伝えていかないとと思いました。(男性)
●今日の日本社会にはさまざまな弱点がありますが,その弱点の多い到達点でさえ,闘いによって支えられているものという自覚が必要なのでしょうね。「社会発展の原動力は階級闘争」というのは,机の上の題目ではなく,現実を分析する指針です。治安維持法については,戦争遂行の体制づくりの一環として,明確に日本共産党つぶしを目的としてつくられたものという指摘がありますね。
〇友人(といっても飲み仲間)と話していたとき、私が中国好きであることを話すと、彼は「中国は『反日』であるらしい」と言うので、それは「日本の戦争責任に反発しているのだ」と私が言うと、「日本は経済援助をしているのだから」とまで言われました。やはり戦争責任を謝罪しないと(男性)
●講義で紹介した「女性国際戦犯法廷」ですが,判決の後である裁判官(?)が,「日本国民に期待することは?」という質問に対して,「歴史を勉強してほしい」と微笑みながら答えていました。これはよりマシな日本を願う人たちにとってこそ,真っ先に実行されねばならないことだと思います。学ぶ力,語る力を個人としても,組織としても養っていくということですね。
〇欧米諸国の戦争責任の話で、『シラクのフランス』(新書)という本を思い出しました。神戸女学院の話を聞いて、涙がでてきた。まだまだがんばれるよ、オレも。と思う。涙がでるのは、くやしいからで少しはがんばってるだろうかとも思う。(自分に甘いです。結局)(笑)もっと勉強しよう。(男性)
●学生たちの強さの1つの秘密は,集団の力ですね。ゼミ生として一緒に学ぶ仲間がいて,一緒に問題解決に取り組む仲間がいます。それが,お互いの個人としての弱さをささえあう力になるわけですね。最近は「学生さんに10分ほどしゃべってもらうことはできないだろうか」と,学生への講師依頼(?)も舞い込んできます。11月3日には学外デビューの予定です。
〇侵略戦争と植民地支配の問題をこの総選挙の大争点にしていかなくてはならないと思います。(女性)
●そのとおりだと思います。そして,その際に問われるのは,何より,そのテーマで世論をつくるだけの力があるかという問題ですね。日頃の学びの成果が問われます。
〇石川先生のゼミの学生さんのとりくみの話はとてもドラマチックで興味深く聞かせて頂きましいた。“ナヌムの家”は映画で観たことがあり、そのとき、とても衝撃を受けたことを思い出しました。(女性)
●『ハルモニからの宿題』でも語られていますが,学生たちにとっては「ナヌムの家への訪問を自己浄化に終わらせないために」という,ナヌムの家のスタッフの言葉に強い刺激をうけました。「私はいいことをしているのだから」という自己満足を乗り越えようという自覚をつねに新たにする構えがもとめられたわけですね。おそらく,それは,毎日の私たちの生活にも問われていることです。「今の自分に満足して良いのか」という形で。
〇自分の歴史認識はまだまだ甘いことを痛感した。それと同時に周りの人の知らなさにも驚いた。基地がなぜあるのか知らない人がいるとは‥‥。アメリカの壮大なプログラムはほんまにすごい! そんなことに頭使っている場合じゃないよなぁ (男性)
●学びにとって大切なことの1つは,自分が何を理解しているかについての自覚ではなく,自分が何を理解していないかについての自覚です。「世の中わからないことだらけだ」。平然とそう語ることのできる人間であることが大切だと思います。そして「わからない」「わからない」といいながら,だからこそ,つねに学び続けていくことが大切だと思います。人間「なんでもわかる」などと言い出したら,もうオシマイですよね。
●基地問題ですが,そもそも安保条約の存在を知らない人もたくさんいます。知っている人はトシをとってなくなっていき,知らない人が次々大人になっています。ですから,語りかけから手をぬけば,あっという間に,この世は「知らない」人だらけになっていくわけです。
〇(1)侵略と植民地支配の歴史への認識不足は、単に若者だけでなく、私共中高年にも十分ありうるのだということが根拠も理由もある話だとよく判りました。戦後、教科書に墨をぬった経験があるからと言って、決して油断はならないとも思いました。
(2)ハルモニについての神戸女学院学生の取り組みの報告には本当におどろきもし、たのもしくも感じました。
休憩は正味の休みがとれ、とてもリフレッシュして後半の講義に臨みましょうね。中村さん!
●「脱植民地化」過程の希薄さは,やはり全国民的な問題でしょうね。今日の靖国問題や歴史認識問題を,その弱点を乗り越える1つのきっかけしていくこと必要だろうと思います。
●他も,9条の会の活動,「ベアテの贈りもの」の上映にむけた取り組みと,学生たちの動きは多様です。この夏に,韓国の平和ツアーに参加している学生もいますし,ラオスでのボランティア活動に参加する学生もいます。先日は,JR西日本の事故を考える労連等が主催したシンポジウムに3人も学生が参加していました。そういうエネルギーを潜在させているのが,ごく普通の社会です。その行動力には,むしろ「自称活動家」が良く学ぶべきだと思っています。そして,その可能性をひきだす,一段高い力が求められているとも思います。
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