2005年8月22日(月)……みなさんへ。
以下は,大阪教職員組合の求めで,ニュース「大阪教育」に書いたものです。
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憲法,増税,外交を選挙の中心的な争点に
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
神戸女学院大学・石川康宏
2005年8月22日
「9条の会」の学生から連絡がありました。最初は「なぜ憲法が選挙の争点にならないのかと不安に思った」。いまは「どうすれば争点に押し上げることができるかを考えている」と。昨年秋から今年にかけて,平和を守る草の根の取り組みは,全国に3000をこえる「9条の会」をつくってきました。この国の形を考える若々しい力が育つ中での選挙です。政財界のゆきづまりともあわせて,ここに変化の可能性があると思います。
自民党は「郵政民営化選挙」などと,争点そらしに懸命です。それは憲法・増税・外交など,この国の進路をめぐる根本問題で何一つまともな道を示すことができないからです。だいたい国民生活を苦しめる最大の根っこが郵便局であるなどと,誰が本気で思うでしょうか。郵政公社は黒字です。そこには1円の税金もつかわれていません。また公共事業に金がまわるかどうかは,政府の意志で変えられることです。では何が「民営化」推進の本当の力なのか。それは,郵便貯金や簡易保険の掛け金を自分のものにしたい,アメリカや日本の金融関連資本の動きです。否決された民営化案の作成に,アメリカ政府が深くかかわったことは新聞でも報じられたとおりです。
また,自民党は「サラリーマン大増税」を隠すことにも必死です。6月の政府税調の大増税案は,なにより与党の昨年末の方針にもとづくものです。「自民党は知らない」という言い訳はできません。税調案によれば,年収500万円のモデル世帯で,年間の純増税額はなんと44万円に達します。手取り収入の2ケ月分近くを吹きとばす,とんでもない大増税のたくみです。しかも,増税率はもうかっている大企業や金持ちほど小さくなるというのですから,これは露骨な庶民いじめでしかありません。これに消費税率10%がかさなれば,増税額は56万円にもなるのです。
いま大切なことは,この国の進路にかかわる本当の争点を,すべての市民に急いで伝え,語り,納得してもらうことです。攻めてこない人を殺せる自衛軍づくりは本当に必要ですか? 年40~50万円もの増税が本当に納得できますか? アジア太平洋戦争が正しい戦争だったなどと本気で思っているのですか? これらを誰もが考える選挙にしていくことが必要です。こうした論点を基準に政党選択を考えたとき,自民・公明は悪政の当事者ですから論外です。民主も自民とかわりません。そして社民は民主になびきます。大きな政党で頼れるのは共産しかありません。これが私の判断です。みなさんは,どう考えられるでしょう。
2005年8月15日(月)……みなさんへ。
以下は,京都学習協 内部のミニコミ紙「ひとつぶの麦…」2005年4月11日第23号に掲載されたインタビューに,加筆したものです。
結果的に,大分長くなりました。
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そこで暮らす人々・・ 多数者の目線で紹介してる
--本日の人…石川康宏(いしかわやすひろ)先生。神戸女学院大学教授。経済学を教えつつジェンダーや慰安婦問題,働く女性の労働実態の研究などもされています。京都学習協では「現代経済学ゼミナール」で講師をされています。
●今の青年と,先生が二○代の頃とを比べて変化はありますか?
いしかわ先生‥育った状況が違いすぎるよね。一八歳で大学に入ったときはベトナム戦争が終わった瞬間で,八鹿高校事件があった年で,府知事選挙で蜷川さんが最後の年だった。立命館大学は学生運動が活発だったから,とても思想とか政治とかにノータッチではいられなかった。
いろんなものに出会う毎日で,学生同士の意見の対立やその延長線上での「ケンカ」も含めて,すごく刺激的な毎日だった。
今思うと,大変だったけど,恵まれてたね。考えさせられたから。今の大学にはそういう運動らしい運動が少ない。主義主張をぶつけあうことが少ない。それは,学生たちにとっては,自立するきっかけが少ないことを意味するのかな。
「私はこう思う」という主張ができる人が少なく見える。みんななんとな~く多数意見に乗っているような。
もっとも,これは,青年が変わったというより,社会が変わって青年が変えさせられたんだろうけど。
●そうですね。青年が変わったわけではないんですね。
いしかわ先生‥最近おもしろかったのは、2004年11月11日の自民党の「改憲たたき台」の内容を授業で話して,それに対して「九条の会」っていうのがあるんだよと,大きな講義で話したんだけど、そこに参加していた二人の仲良し学生がホイッと「九条の会」を立ち上げちゃったこと。
いきなりホームページを立ち上げて,友だちみんなに連絡して,僕の所にも「協力してください」って,メールがあって。しばらくしてホームページ見たら,賛同した人達がどんどん増えている。最初は名前も公開されていて,いかにも「私たちがやってます!」という楽しそうな感じになっている。
ネットの上で,いろんなつながりができて,立命の学生と掲示板で話し合ってたり,ホームページをみた兵庫県のピースフェスタの実行委員会の人が書き込みをしたり。それで,二月の末には,もう兵庫のピースフェスタの県レベルの実行委員会に参加していた。
3月20日の催しの当日にいってみたら,テントで一ブースを任されてた。そこで知らない人に署名してもらったり,世界地図を子どもに見せて,イラクの場所や,そこに派兵している国の色分けを見せたりしていて。
「会」を立ち上げて,たった一ヶ月半で,そういうことができるようになっていく。今は学内で手書きのポスターを作って,大学の掲示板には貼らせてもらえなかったから,協力してくれそうな先生の所に行って,研究室にポスター貼ってもらっている。
生まれて初めてのビラまきもやっていた。そういうの見ていると「エネルギーあるなあ」って関心するね。
それとホームページ立ち上げることから始めるっていう運動のスタイルが,僕らの時とは全然違う。
「会」をつくるとなると,まずは会議室を手配して,事務局長を決めて,集会を開いて,その案内のビラをつくって,それからようやく組織を立ち上げて……といった段取りになりがちなんだけど,そこが全然違っている。
違うけれど,でも,ちゃんと成功してる。確かに社会環境が変わって,青年の育ちにはいろんな困難がふえているように思うけど,でも,きっかけさえあれば,自発的に動くエネルギーはすごいし,自分たちなりの動き方というのをちゃんと考え出していけている。
この学生たちの取り組みについては,直接のきっかけは「学び」だった。最初の2人も,日米経済関係を学ぶ授業の積み重ねのうえで--その授業では,戦後のアメリカによる占領とか,サンフランシスコ講和条約とか,日米経済協力や安保条約の問題にもふれていたから--,そのうえでの憲法の話だったから,だから最初から理解が深かった。
「学び」を重ねることは,地道だけれど,大切だ。
その一方で,こういう若い人の動きをながめながら,平和運動なんかを長くやっているベテランの側が学ぶべきだなと思ったのは,いろんな取り組みのスタイルの問題。それを,今の社会や若い人達に対して,本当に適切なものになっているかをチェックする必要がある。
たとえば,旗を持って,デモ行進して,大声でシュプレヒコールするというのは,本人はもちろん一生懸命やっている。でも,それを見てるいる側はどうなんだろう。案外「引いて」しまっている場合も多いかなと。そう思わされることもある。
ベテランには「いままでそうだったから」「去年そうだったから」という過去の経験にのっかるだけで,取り組みの具体的な方法を点検しない場合がある。
点検したうえでやっているなら,いいんだろうけど,そこを点検する必要に気づいてないなら,それはちょっと深刻だよね。「今どきの若いヤツは…」なんて自分中心の運動の立て方じゃあなく,「今の時代に適切な運動の仕方はなんだろう」と,いつでも創造的に取り組みをつくっていく知恵と姿勢が必要じゃないかと。
●先生にとって「本」とは何ですか?
いしかわ先生‥さて,突然そういわれても。本は,ものを考える材料かな。ものを考えるきっかけ。
本は,こちらが知らないことを,専門的に研究している人が書いてくれているから,知識としては学べることがたくさんある。
ただし,気をつけているのは,その本に書かれていることを,いつでも鵜呑みにしてはいけないということ。本当に正しいかどうかを疑う。かっこよくいうと批判的に見ることが大事だね。
大学で,特にゼミでは,学生たちにも,そこを伝えることに時間をさいてる。「つくる会」の中心メンバーが書いた本を,「こんなもの」と放り出すんじゃなく,逆にジックリ読んで,何週も,時間をかけて検討していく。「あの本にはこう書いてあり,この本にはああ書いてある」。「それで,本当のことはなんだろうか」と。
そうして問題を自分たちで調べて,自分たちで考えて判断していく。その姿勢をもつのに,ちょっと時間が必要になる。
きっと,それまでの学校教育での「テキストは正しい」「さあ覚えましょう」というスタイルの勉強法が強いからだろうね。
あとは,前に竹中平蔵大臣の経済政策を批判する論文を書いたことがあるんだけれど,その時は,竹中氏の本に「福祉はたかりだ」とか「失業は本人が役に立たないからだ」といったことがたくさん書いてあって,読んでるうちに腹が立ってきた。
その腹立ち具合が,論文を書く力になったという経験もある。なんでこんな人間が大臣なんだと。そういう意味では,本は,研究や批判の原動力ということにもあるかなあ。
もっとも,仕事と無関係に本を読むのも好きだね。
たとえば,昨日読んでたのは,井上ひさしの『ドン松五郎の冒険』。この人の本は,面白おかしく書かれた本でも,最後が単純なハッピー・エンドになっていない。最後に,必ずもうひと山,ちょっとショックなぐらいの壁が立ちはだかる。
「世の中,いつでもうまくいくばっかりじゃないぞ」っていうメッセージのようなものがあらわれている。「ふ~ん,この人の人生観なんだろうなあ」なんて,思いながら読んだ。
椎名誠とか東海林さだおも大好きだし,小池真理子の小説なんかはほとんど全部読んでいる。
●まわりにいる人で本が苦手な人がいるのですが。
いしかわ先生‥そこは,慣れだよね。毎日ながめていれば読めるようになる。多少の訓練はいるんだろうけど,訓練は,筋肉を鍛えるのと同じようなもの。
腕立て伏せとか,腹筋運動も,毎日やってると,少しずつできる数がふえていく。本を読む力もそんなようなもの。毎日やってると,だんだん読めるようになるし,しばらく遠ざかると,読む力が落ちていく。
だから,毎日,あきらめないで読むことだね。
あと,本になじむことも大切。気軽に読むってこと。
これも学校教育の影響なんだろうけど,本に対してもたされている「緊張感」をとく必要がある。「わからない」ってことが,学校では「ダメ」って評価されることが多いけど,いま自分で読む本は「わからなく」ても,誰に評価されるなんてこともないんだから。
「この本は」自分の趣味や気分や意欲で,自分勝手に読んでいる。本は,そんなふうに気楽に読んでいいと割り切ることだね。
そんなふうに本になれるためには,いつでも,まわりに本をおいておくのも大切。その点では,「買っても読めないから」じゃなく,「いつかこれが読めるようになりたいから」と,そういう前向きな姿勢をもつのも大事。
30年前の学生時代には,マルクスやら,ヘーゲルやら,ケインズやら,ウェーバーやら,まわりの学生たちも,むずかしい本をたくさん買っていた。でも,みんな,実際には「読めない」。読んでも「わからない」。そんなに賢くなかったから。
だけど,「いまは読めない」けれど,みんな「読めるようになりたい」わけ。それを原動力に本を買ってたね。そういう背伸びには,本代がかかるけど,でも,個人の育ちにとっては,とても良かったように思う。
それから,本と気楽につきあうためには,最初から最後までわかろうなんてしないこと。これも大事なことだと思う。
「わからなくちゃ」なんて考えるから,「わからない→自分はダメだ→本がキライ」になってしまう。本は,あくまで自分の道具。だから,それをぺらぺらめくったときにに,自分の目の止まるところがあって,それで一つでも得られるものがあったら,それでいい。それで十分なんだよね。
「全部わからないといけない」という気分も,学校教育でつくられたものなのかなあ。
それともう一つ,期限を決めて読むというのも大事かな。「今週中に」「今日中に」「あの取り組みまでに」「この1時間で」といった具合に。
期限を決めないと,ダラダラと,集中力の低い読み方をすることにつながるから。だから,必要に応じて,あるいは自分で決めて,その期限から逆算したスピードでページをめくる。
指がページをめくるはやさに負けないように,目を動かして,頭を動かす。
たとえば,急いで本を読むときには,各段落の一つめの文章だけを読むなんていうのもいい方法。それでも,大雑把な流れはわかるし,いまの自分に必要な情報がどのあたりにあるかは見当がつく。それで,「ここは面白そうだ」とか「ここはつかえる」と,目がとまったところだけを,1~2段落読んでいく。
そういう読み方だと,新書なら一時間くらいで読んでいけるよ。
ただ,読んでも必ず忘れるから,そのために,本文に線を引くとか,欄外に書き込みをするとかっていうのは,ぜひやっておきたい。それをしておけば,あとあと自分のためにつかえるから。
●女性の差別の問題を研究しようと思われたのは,なぜですか?
いしかわ先生‥決定的だったのは,女子大に就職したってことだったね。
大学では,経済や経済学の入門的な話をするんだけれど,そのときに例えば労使関係の話をしても,「経営者」と「労働者」だけではすまなくなる。
「男労働者」と「女労働者」の権利の格差や,あるいは「管理職にどうして男が多い」といった,男と女の関係を話題にしないわけにはいかない。
そこを話さないと,実際に,女子学生たちとってリアルな話や役に立つ話にはならないんだね。
就職活動の中でも,学生たちは,実際いっぱい差別を体験する。表向きは男女平等ですという募集案内を出している会社が,面接では「女に営業なんかできるか」って平気でいう。そういう経験を,学生たちもしていくわけ。
そういう学生たちの実際の体験や,今後の生活にかみ合った経済の話をしようと思ったら,今の経済社会の中で女性の地位がどうなっているかということをいれないわけにはいかないから。
あとは,職場でいわゆるフェミニストの先生たちに出会ったことかな。いまは一緒に研究会もやっている。意見があうところもあるし,あわないところもあるけど,でも,刺激をうけることはたくさんある。それを,できるだけ自分なりに,自分なりの経済学や社会理解のなかに折り込んでいきたいという希望はある。
そこに十分,目が届いていなかったという自覚があるから。
大学院の時には,鉄鋼産業の日米関係なんて論文ばかりを書いていたから,その当時から見れば大きな変化なんだろうけど,社会状況や自分の判断力の変化に応じて,研究テーマがかわっていくのは当然だと思っている。
最近,日本軍「慰安婦」問題について勉強しているのも,「女性差別」とのかかわりがあるとはいえ,やっぱり新しいテーマだね。
●先生にとっての「しんぶん赤旗」の魅力は?
いしかわ先生‥「赤旗」かあ。今の社会をそのまま解釈するんじゃなく,もっとたくさんの人が幸せに暮らしていけるように変えていきたいという角度から記事が書かれているのが魅力かなあ。題材の選び方,情報の選び方がね。
たとえば「日経新聞」は,経済情報はくわしいけど,大企業情報と政府情報の垂れ流しが多いと思う。「社説」も「構造改革なんでもOK」だし,アメリカからの対日要求に対しても,迎合的な姿勢が多い。
本当は,ジャーナリズムっていうのは,権力に対するチェックの役割を果たすもののはずなんだけど,それが,市民生活を左右する大きな権力に「なんでもOK」「迎合します」じゃあ,ほとんど役に立たないね。
だから「日経新聞」は,読む新聞じゃなく,各種情報を調べるための材料だと思っている。
題材の選び方でも,大企業の横暴や政府の経済政策などが中小企業や労働者・失業者の生活にどういう影響を与えるかといった,そういう角度からの記事はほとんど出ないね。そこが「赤旗」との際立った違いかな。
「赤旗」の場合には,ある政策がトヨタのような大企業の経営にどういう影響を与えるかっていう角度からだけでなく,それが一億二千万の市民にとってどういう影響を与えるか。そういう視角からものごとを考えようとしてると思う。
もう一つ,面白いと思っているのは,たくさんの海外特派員がいるということ。その海外特派員が,海外でも同じ目線で現地の情報を教えてくれるのがいいね。
特派員が「上から」ものを見るんじゃなくて,現地で生活している人の中に入って,その人たちの生活とか,政治に対する不満や要求とか,そういう声が政治のどういう変化を起こしているかとか,ともかく生活のレベルからその国や社会をわからせてくれるところがあるね。
政府の公式発表ばかりじゃなく。そこも1つの魅力かな。
●ありがとうございました。今日は,とても中身の濃い時間になりました。本を読むことも赤旗を読むこともただ知識を得るという目的だけでなく「自分の成長への信頼」をもって読むことが大事なんだなと思いました。
いしかわ先生‥言い足りないところはたくさんあるけど,今日は,これくらいで。いまから大阪に帰らなくちゃいけないから。
みなさん方,若い人たちが,学習運動にたくさん参加していることは,よりマシな社会づくりにむけた,大きな力になると思っています。
これからも,楽しみながら,知恵をつくして,がんばってください。
そして,何より「学んで」ください。
2005年8月6日(土)……京都のみなさんへ。
以下は,京都学習協の「ジェンダー論」講座の第3回に配布したものです。
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〔2005年第4回京都現代経済学ゼミナール〕
ジェンダーを読む(第3回)
――『資本論』と家族賃金思想――
2005年7月13日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回ここでご紹介した,大学の中での映画「ベアテの贈りもの」上映の件ですが,少数の教員による自主的な取り組みから,学院全体の記念行事に「格上げ」となりました。「女性の自由と自立」をかかげるにふさわしい役割を,今日の社会のなかで果たしていきたいと思います。明日は,11月の上映にむけた最初の「ミニ学習会」です。さまざまな取り組みが学内で同時多発する,そのきっかけとなる「学習会」にしたいと思っています。
さて,この数カ月間,東アジア共同体にまつわる問題を考えてきました。学びはじめたばかりのテーマですから,まだまだ理解のおよばないところはたくさんあるのですが,日本の政治や経済のこれからを考えると,これは避けることのできない問題です。そう思って,クビをつっこんでみました。とりあえずの到達点は『前衛』の次号に掲載されます。集団的な討議の1つの材料になってくれればと思います。
論文づくりの中で私が注目したことのひとつは,こういうことです。アジアにたくさんの企業進出を果たしている日本の財界にとっては,アジア経済の安定や市場の拡大は自分自身の利益に直結しており,そのためにアメリカの対東アジア政策にふりまわされることの少ない相対的な自立性を必要とするようになっている。そこで,実際にも日本の政財界は,2000年のチェンマイ・イニシアチブなど,97年の通貨危機を繰り返さないための東アジア独自の金融協力に参加しています。
しかし,それにもかかわらず政治の外交路線を見れば,あいかわらずのアメリカいいなり,日米の軍事的一体化の推進,憲法9条改悪といった具合になっています。これではもちろん東アジアとの友好は望めません。この経済的利益と政治路線のギャップの深刻化という問題が新たに生まれているように思います。今後も注目したいところです。
そして,政財界の一部に,たとえ儲けのためではあっても東アジアとの「友好」を必要だと考える潮流が生まれつつあるのであれば,私たちの取り組みは,そうした力との提携をも視野にいれたものにならねばならないように思うのです。ぜひ論文を検討してみてください。
さて,みなさんからの感想を紹介しておきます。
●もりだくさんで、頭がいっぱいになりました。でも歴史的背景の中で「専業主婦」が作られたというのはおもしろい。
●私は兼業主婦です。看護師を(3交代勤務)をしながら、家事・育児をしています。夫も帰りは遅く、生活実態は厳しいものです。夫とケンカもたえません。もっとお金持ちの人と結婚したらよかったのか、実家に帰ろうか・・など思うのもしょっちゅうです。これから頑張って講義をうけて、私が望む生き方はどのようなもので、その生き方を支える社会はどのようなものか、考えていきたいと思います。
●歴史的な存在によって変化するものだとよく理解できた。夫の稼ぎによって専業主婦になれるかどうかというよりも、人としてこの社会にどう貢献していけるかという考えを持っている女性が多くなってきているのではないかと最近感じる。
●1960年頃の高度経済成長期に同世代の中卒者が農村から都市へ出て来ました。こうして農村の労働人口が急激に減って来たことが、日本の食料自給率がおちたことへつながって来たことを改めて思い知りました。働き続けること、経済自立をめざして、兼業主婦で生きて来ました。“主婦”の誕生、変化など、私も歩いて来た跡を客観的に検証されたものを学ぶこと、興味深いものがあります。
●“講師のつぶやき”は、他の人の意見や思いが聞けておもしろい(同じ講義を受けていろいろな感じ方や思いがあるものと感心しました)。今迄“女らしく”などと自身をしばっていた概念は実はつい最近のことであるなど、実に明快に理解でき、自身ホッとしている部分があります。
●資料ののりづけは大変ありがたいです。国公労連「男女平等は労働運動の戦力課題」をコピーして配布して下さい。
◇第1回の講義で紹介しましたが,私自身の書き物については,基本的にすべて私のホームページに公開しています。誰でも,その全文を自由に手にいれることができるようになっています。ぜひ活用してください。
●(はじめのQAのところだけでいっぱいになってしまいました。全文のらなくていいです。)日本の律令制資料『部落ー資料』(第1巻)(部落問題研究所)「良民にしてあげるヨー」と、呼びかけられた。が良民は、たくさんの税がありくらしが大変だった。結果「良い民でなくてイーデスゥー。」とどんどん逃げた。成り立たなくなって困った困ったというのが出ています。公娼といえば『くるわ』(西口克巳?作)を思い出します。農村の娘たちを連れて汽車で行く。この娘たちにとって逃げられないたった1つの人生がこれ。戦中はトラック島で殺された。この逃げられなさ。『おりん口伝』の「ねこのように嫁に出された」おりん。また『ひめゆりの塔』(映画)の救がどこにもない逃避行。その人生がたったひとつの自分の人生だ。湖東三山の寺の○重の塔の内部にびっしり描かれた極楽絵もまたいくさ世の逃げられなさ。クルクルとそんなことを思います。
●「主婦」というものが、主観的、観念的にではなく、経済的、社会的にどう生まれてきたのかということについて歴史的にとてもよく理解できました。特に落合恵美子氏の著書はとても面白いと思いました。あす早速アマゾンで注目します。全部よんでみたいと思います。主婦以外に女性のイメージも、歴史的に作られているということがよく理解できました。現在私もまわりにいる20代、30代の女性達はほとんどは独身です。この先、「主婦」以前に、結婚しない女性達がふえる中で、「女性」がどのように変化していくのかと思います。参加されている他の方の問題意識がとても多様で、共感したらなるほどそう思う人もいるのかと新鮮でした。先週後藤道夫都留文科大教授のお話をきいたのですが、つぶやきにこたえての中の「不安定雇用」・・の問題に対する2つめの●の先生のご回答については、とてもリンクしていて、私の問題意識とも一致しているなと改めて感じました。携帯の音を消すように事務局で徹底して下さい。集中して勉強しようとしている中で、音や出たり入ったりする人はとても迷惑です。
◇そうですね。せめてマナーモードにしておくことが必要でしょうね。また,どうしても電話に出なければならない方については,出口に近い席に座っていただくなどの工夫もお願いします。
●靖国神社への訪問の件、同感です。私も7月に仕事のついでに行く予定です。
●「家」制度、戸籍について、大塚英志『「伝統」とは何か』(ちくま新書)で簡単ですが触れています。江戸時代の武士の家系の約40%は養子によって成立していた、など。この本は「伝統」とは意図的につくられることをいくつかの例から述べており、憲法問題等を考える際にも参考になると思います(本講座受講皆さん向け?)。
◇大塚さんは,この問題の専門家ではありませんが,専門家の知識を借りて書かれている本でしょうから,ぜひ手にとってみます。ありがとうございました。
●若い女性が高い収入の男性と結婚して専業主婦になる確率も低くなっているけれど、若い女性自身の正規雇用率も低くなっています。今後若い女性はどう生きていったらよいのでしょう。もう若くない私は心配しています。
●サラリーマンの形成が家庭をつくった項で、家でお商売していたり、小工業をしていたりで、父や母の働く姿があったのが、サラリーマンで家でやすらぐ「父」の姿というかっこうで(今回は父の日ですが)「父のせなかをみて育つ」という子供が本当にいなくなってしまったなあと思いました。
●いろんな角度から経済が学べることがわかりました。
◇経済というより,やはり社会というのが正確だろうと思います。経済は社会の一面にすぎず,経済学もまた社会の一面をとらえることしかできません。たとえば前回の「主婦」についても,経済の角度から見ることができるだけでなく,文化の角度からも,またおそらく主婦がどのようにして政治の網の目にとらえられるかといった角度からも問題を立てることはできるのだと思います。あるがままの問題を,学問の垣根にとらわれずに,あらゆる角度から検討していく,そういう姿勢が大切です。『資本論』が1つの典型ですが,科学的社会主義の学問は,本来,そういう性質を強くもっているものです。
●夫の給料だけでは生活できないので、働くということから、働く女性が増えるというのはいかがなものでしょうか。やはり学校を卒業したら働くということが、男女共に自然の流れになってきたように、結婚をきっかけに仕事をどうするかということを考えなくてもいいような社会を求めます。
●ビジュアルイメージの女が社会や歴史の反映というのは事実だと思う。女だけでなく、男、家庭、しごと、人生などすべてについても幅広くこのような研究が必要だと思った。
●その時の時代によって家族のあり方はちがうけど、日本でもヨーロッパでも、同じように変化していって、家族の発展にも歴史的法則があるっていうのがおもしろかったです。あんまり男性の考え方は変わらないけど、女性はいろいろ考え方が変わっていっているんだなって思いました。
たくさんの感想をありがとうございました。そうして得られた刺激を,みなさん自身の毎日の独習の原動力につなげてください。
さて,次は質問とそれへの回答です。何度もキャッチボールを重ねて,お互いの認識を深めていきましょう。
①父、韓国人、母、日本人で、日本在中の為、母は4人の子供を生んだが、“母子家庭”、日本国籍を選んだ。国籍の問題、戸籍、そして婚姻制度、その都度、女は「姓」の変更も含めて決断をせまられる。その中で、あきらめとしての主婦があるのでは・・?
●社会の動きというのは,あらゆる個人や家庭に一斉に同じようにあらわれるものではありません。社会の全体がだんだん豊かになったといっても,個別には反対に貧しくなる家庭もあるといった具合です。ですから,社会全体の動きを個々の事例に機械的にあてはめることはできません。逆に,個々の事例からだけで社会全体の動きを判断することもできません。そこの個別と全体の区別と関連への自覚が大切だと思います。
●その上で,「あきらめとしての主婦」については,あきらめずにおれなくさせる社会的条件(圧力)を問題にしたつもりです。戦前からの差別意識,企業社会での若年定年制,「女をはたらかせないのが男の甲斐性」といった考え方等々。他方では,そうした社会的条件が歴史的に何を原動力にして,どう変わってきているかも問題にしたつもりです。あきらめさせる力が社会の中にあるのであれば,それを的確につかまえることは,女性の自由を拡大する条件になっていきます。できるだけ広い視野で考えてみてください。
②女は家庭責任(男は企業戦士)が労働政策として、明確に位置づけられているとのことですが、これはどこの文書に書かれているのでしょうか。
●財界の労働文書を読まれたことがありますか? ぜひ日本経団連などのHPから,それらの文書を系統的に読んでみてください。なお,「明確に位置づけられている」という場合には,財界自身が正直にそう語っている場合もあれば,まるで語っていないけれども,実際にはそういう行動をとっているという場合もあります。「私たちは自由で民主の政党です」という言葉をあやつる政党が,実際には「自由でも民主でもない」行動をとることがあるのと同じです。
●なお,この点について従来の研究は,女性労働者を「周辺労働力」として位置付けるという具合に表現してきました。そういう戦略を財界がもっているというふうにとらえてきたわけです。たとえば,川口和子さんの「新・日本的経営戦略と女性労働者」(木元進一郎監修・労働運動総合研究所編『動揺する「日本的労使関係」』新日本出版社,1995年)を見てください。女性労働者の「家庭責任」が,特に第4節で述べられています。私の書き物は,その「周辺労働力」化が実は男性労働者のメンテナンスという社会的役割を強制されることから生まれていることを指摘したものです。
③白人女性が登場、日本の合衆国化(?)の流れ(①軍事、アメリカ軍隊と軍事共同演習や日本全国の沖縄化(安保強化)など②経済、前川レポートなど)と時期的には、いかがですか。
●女性のビジュアル・イメージの問題ですね。前回配布の資料にあるように,落合さんの分析では「『性解放』と白人志向――『女性自身』1958~75年」となっています。その文化の問題と対米従属の関係はどうなるかということですね。
●45年から52年まで日本はアメリカに全面占領されます。52年4月からが「半占領」という今日の状態です。同時に旧安保が発足します。50年に警察予備隊がつくられ,これが54年に自衛隊となり,60年の安保改定によって日米共同作戦の義務が生まれます。「全国の沖縄化」は沖縄返還(72年)のこととなります。この過程で経済的にもアメリカの政策への依存・従属体制がつくられます。前川レポートは86年です。機械的に文化と軍事・経済をむすびつけることはできませんが,概して「白人文化」「アメリカ文化」への「親近感の育成」が行われる時期が,60年安保前後からの「ケネディ・ライシャワー路線」の時期に重なっているとはいえるかも知れません。直接の関連はわかりませんが。
④〝共同参画〟や〝均等法〟等、運動もまた大小規模を問わずありますが、現時点でも、女性はそのあり方について、何か役割を求めているのでしょうか?
●基本的には「平等」をもとめており,また「過労死の平等」といった形式的な平等ではなく,実質的な平等をもとめているのではないでしょうか。もっとも,私は女性たちの運動の代弁者ではありませんから,これは女性のみなさん自身に語っていただくべき問題でしょうが。
⑤女性の職業選択の歴史について、今後の講義でとりあげていただきたい。資料『大英帝国』164ページに「中流階級の女性にとって、職業選択の余地はかなり限られていた」とありますが、特に、文化芸術分野に女性の進出が制限されていた状況があったのでしょうか。(例えば文学では女性作家がいても、絵画、音楽分野では少ないなど、主観的なあるいは知識としての問題が含まれているかもしれませんが)
●前回配布の資料やこれに関連した講義の中では,イギリスの女性労働者階級の最大部分が「召使」であったことを紹介しました。もう1度,確認しておいてください。他方,文化芸術で人が「食える」というのは,今日でさえごく少数です。
●なお職業を「選択」するためには,選択の自由,選択の権利が女性に保障されていなければなりません。「武士の子は武士」「農民の子どもは農民」という身分制の社会では,身分を飛び越えることは,本当に例外的な事態です。マルクスが『資本論』のなかで「資本の本源的蓄積」(資本主義の歴史的発生)を語るなかで,「二重の意味で自由な労働者」の大量発生を論じているのをご存じですか? 二重の自由の1つが身分からの自由でした。とはいえ,日本でも労働力人口の過半数が「賃金労働者」になるのは戦後のことです。それまでは農民が多かったわけです。「選択の歴史」は,そもそも「選択する権利」が生まれ,広がっていく歴史を含むものであったのです。
⑥明治以前の庶民の中でも、家事{炊事(ヨーロッパではパンとチーズ、ハムでも、日本では違っていたと思います)、洗濯、掃除など}は女性が担っていたのではないか。又、林業や漁業においては山に入るのは男性、海に出るのは男性、陸の上での作業は女性といった分業はあったのではないか。農家においても、何からの分業(例えば品種改良を行うのは男性とか、よくわからないけど)はあったのではないか。そして年貢を納める単位は男性の名前になっていました。つまり働く女性ではあったけれど主婦の土台となるものは、存在したのではないだろうか。
●歴史の問題は,やはり歴史の事実に即して見ていきましょう。第5講で見ていきます。なお,夫婦の中に生産の分業があったり,生活の上での分業があったのは間違いないことです。問題はそこに,「もっぱら家事は女がおこなう」という分業があったかどうかです。今日の男女関係から過去を類推するのではなく,過去の事実を率直に見ていくようにしましょう。ぜひ,歴史についての予習をしておいてください。
さて,今日の講義の流れについては,あらかた以下のように考えています。大雑把なメドとしてご理解ください。
1)「講師のつぶやき」(1時30分~2時00分)
◇「講師のつぶやき」「質問にこたえて」
2)「『資本論』と家族賃金思想」(2時00分~4時20分)
◇論文「マルクス主義とフェミニズム」から第5節「マルクス主義と『家族賃金思想』」
◇『資本論』より――マルクスの賃金論とジェンダー分析
3)質問と意見の交換,質問・感想文を書く時間(4時30分~5時00分)
〔今日の講義の材料〕
1)〔講座のスケジュール〕2004年度現代経済学講座の「講師のつぶやき(第7回)」より
〈第3回・『資本論』と「家族賃金思想」〉
男性労働者に「家族の食える賃金」を求めることと,「賃金の男女平等」を求めることは,はたして両立するものでしょうか。一部のフェミニストからは,『資本論』は男性労働者に「家族賃金」を求めた男性中心主義の経済学だという批判があります。しかし,マルクスはそんなことをいってはいませんぁでは,マルクスが賃金に「家族の生活費」をふくめたのはなぜだったのか。『資本論』がすでに明らかにしているジェンダー視角を探ってみます。
2)論文「マルクス主義とフェミニズム」から第5節「マルクス主義と『家族賃金思想』」(『現代を探究する経済学』より)〔別紙〕
3)マルクス『資本論』メモ〔全文は別紙〕
●第1部(以下,ページ数は新日本出版社上製版による)
〔労働力の価値について〕第1巻291ページの終わりの4行~293の本文まで(注45の前まで),295の中央の段落,544ページ最後の2行から546の本文終わりまで,677の冒頭から10行目まで,885の最初の段落,992ページの後半の段落
〔モラーリッシュの意味に関連して〕395冒頭から396の1行目まで
〔女性労働者の形成〕435本文冒頭から436の3行目まで,680の(a)から681の本文最後まで,688の最後の2行から689の1行目まで,
〔炭鉱での男女混合労働と道徳的堕落〕441の注(93)442の2行目まで,678の7行目から678の終わりまで
〔長時間労働による労働者階級の再生産への障害の形成〕454最後の1行~456の3行目,457の中央の段落,463の冒頭から464の3行目まで
〔女性労働時間の制限〕486最後の4行~487の4行目まで,493最後の6行~494の3行目まで
〔女性労働者の買春〕502の「しかし」の段落から503の本文終わりまで,
〔召使階級の数〕768ページ冒頭から769ページの終わりまで
〔女性児童労働〕797ページ後ろから7行目から798後ろから3行目まで,
〔女性労働の限界による産業革命の進展〕808ページの冒頭の6行,
〔未来の家族の準備〕838本文冒頭から839本文最後まで
〔労働力の再生産と個人消費〕976終わりの5行から977の本文最後まで,979ページの本文第1段落,
〔価値以下への労賃の低下〕1025ページの終わりの5行から1026の2行目まで,1030ページの本文冒頭から1031の本文最後まで,1099の本文,1151のうしろから7行目から1152の最初の段落の終わりまで
〔女性・児童労働が男性労働者の賃金を引き下げる〕
1182の本文の終わりの6行
●配布しない部分
第1部
〔レース仕上げの女主人の家〕803ページ3行目から807の7行目まで
〔婦人労働についてのエンゲルスの補足資料〕852(3)から855(4)の前まで
〔労働者家族の収入〕927ページ本文うしろから3行
〔国民的労賃の比較要因〕953ページ
〔産業循環の中での賃金の運動〕1065ページ
〔栄養最悪な女子裁縫工〕1122ページ
〔道徳的堕落〕1167ページ,1170の注,1186~87
〔浮浪者が奴隷にされる〕1254ページ,
〔価値以下賃金を救貧法が補填する〕1240ページ,1263,
〔綿工業の児童奴隷制〕1295
第2部
〔正常な労賃〕785
第3部
〔結婚の容易化〕370
〔家族全体にあたえられる労賃の総額〕395
〔労賃のその価値以下への引き下げ〕398
〔需給が一致すれば労賃と労働力の価値は等しい〕603
〔労賃の最低限界と労働力の現実的価値〕1507~8
〔労働力の価値以下だが肉体的最低限以上〕1512
〔労賃の一般的基礎〕1538
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