以下,しばらくアップを忘れていたので,やや古いものも登場します。
2006年2月20日(月)……青年のみなさんへ
以下は「民主青年新聞」のインタビューにこたえるためにつくったメモ書きです。2006年2月6日付の同紙に一部分が「青年に責任をおしつける『勝ち組・負け組』論」のタイトルで掲載されました。
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競争はフェアに,人間らしいくらしの保障の上で
2006年1月26日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
1)「ホリエモン逮捕」について,ある院生は「かわいそう」「オジサンたちによるイジメ」といっていました。「あれくらいどこでもやっている」という彼女の評価があたっているかどうかは別ですが,それでも,若い世代に「逮捕は残念です」「期待してたのに」といった声が多いのは事実のようです。
2)その背後には「何かに押さえつけられている」という,日頃からの強いストレスがあるように思います。そのストレスが大きいだけに,その重さと闘って,打ち破っているかに見えたホリエモンに,強さや野心やたくましさが見えた のでしょう。「私もああなれるかも知れないという夢をもらった」。それは,ホリエモンへの若者の期待の源が,未来への希望がもちづらい社会の暗さにあったということなのかも知れません。
3)気になるのはホリエモンに「夢をもらった」という人が,「私もなれるかも」と夢を私だけの成功として語っている点です。ストレスを若者に与える社会の仕組みや,それをつくった人間の責任といった問題には目が向いていません。そこには成功も失敗も個人責任という「勝ち組・負け組」論や「自己責任」論の強い影響があると思います。そもそもホリエモン自身がそうした議論を広めています。「人の心はお金で買える」と書いた彼の本のタイトルは『稼ぐが勝ち』です。しかし,それでは「稼げない人」「勝てない人」は一体どうなるというのでしょう。そこから「弱肉強食ではだめ」「格差がひろがりすぎるのは良くない」という声も出てくるわけです。
4)私は「勝ち負け」の競争は,みんなの生活がある程度保障された,その土台の上でやればいいことだと思っています。各人の野心,意欲,挑戦心は,そこで競わせれば良いのです。不正な競争はもちろんダメです。かつての日本はゆっくりでも,最低賃金や社会保障を充実させようとする,そういう社会に向かっていました。ところがそれが80年ころに逆転させられます。そして90年代には本格的な破壊がすすみます。91年には仕事を求める人10人に対して,求人は14人分もありました。だから競争に負けても,仕事が全くないということではありませんでした。それが完全に壊された結果が現在です。安倍晋三氏はTBSのテレビで「小泉内閣が構造改革を進めなければ堀江氏は出てこなかった」(05年8月17日)といいましたが,「稼ぐが勝ち」の仕組みは「構造改革」によってつくられたのです。そこにこの改革のまちがいがあります。
5)ホリエモン逮捕には,確かに「オジサンたちによるイジメ」という要素があるかも知れません。しかし,本当の対立はオジサンたちと若者のあいだにではなく,権力を握るホンの少しのオジサンと,若者やたくさんのおとうさん,おかあさんたちの間にあると思います。その普通の人たちが連帯の気持ちをもって,少数のオジサンたちに立ち向かい,社会のあり方を変えていくことが必要だろうと思います。若いみなさんには,もっと社会の仕組みに目を向けて,人間1人1人が大切にされる社会づくりを目指してほしいと思います。
2006年2月20日(月)……京都のみなさんへ
以下は「新日本婦人の会」京都本部の機関紙「新婦人京都」のために書いた原稿です。掲載号数は忘れました。
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ジェンダー論あれこれ
2005年12月21日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
第1回・「ジェンダー」というのは何のこと?
聞き慣れないことばですが,「ジェンダー」とは,ようするに社会のなかでの男女の役割分担や平等・不平等をめぐる関係ということです。原始社会では女性は「太陽」でした。そこでのジェンダーは男女平等です。男女での仕事の分担はありましたが,男性上位の社会ではありません。それが奴隷制(日本では律令社会)に入ると,世界的に男女不平等となっていきます。日本でも税金をおさめる「一家の主」は男となり,そのため政府の文書からは女の名前が消えていきます。しかし,おさめられる税(穀物,布,海産物など)をつくっていたのは,女をふくむ家族みんなの労働です。女はその時代にも貴重な労働力として,社会を支える役割を果たしました。
武士の社会への移行のなかで,いよいよ女性の財産相続権が失われます。男が女の家に嫁ぎ,女の財産で生活するというそれまでの婚姻関係(婿取婚)も,平安時代から鎌倉時代までの間に逆転します(嫁取婚)。江戸時代には『女大学』などの男性上位の教育書も書かれますが,さらに女性の自由や権利がもっともひどく切り縮められたのは明治です。民法により女性の無権利は,社会のすみずみにまで徹底されました。侵略戦争に邁進する大日本帝国づくりの中でのことです。1947年の日本国憲法は「両性の本質的平等」を宣言します。理念のうえでは原始以来の男女平等の復活です。その後の歴史はこの理念をいかに実態のあるものにしていくかというものでした。
さて,以上ザッと見ただけで,男女の社会関係が大きく変わっていることは明らかです。「ジェンダー」というのはこうして歴史の中で変化する男女の関係をあらわす言葉です。それは今ある「ジェンダー」もまた不変ではないことを意味しますから,より徹底した男女平等社会に向けた変化の可能性を示すものともなっています。
第2回・私と「ジェンダー」問題の出会いはなにか?
経済学者である私が「ジェンダー」問題に関心をもったきっかけは,ゼミを卒業する女子大生たちが,たくさんの差別に直面したことでした。就職セミナーに男しか参加させない,面接の場で男しか話させない,入社すれば女にだけ「お茶くみ教育」がある,仕事のキャリアをつむ研修には男しか参加させない,さらにはひどいセクハラをうけて転職をよぎなくされた卒業生もいます。そのような女子大生たちに教える経済学は,「労働者」や「資本家」を主語とするものだけでは不十分でした。「労働者」の中にも「男労働者と女労働者の共通性と区別」があり,「資本家」の中にも「男資本家と女資本家の共通性と区別」があります。そこまで突っ込んだ経済学を語る必要にせまられたのです。
もう1つの大きな問題は「主婦」でした。一度は就職した女子学生も少なくない部分が,結婚や就職を転機に「主婦」となります――あるいはパートナーの転勤によって「主婦」となることを余儀なくされていきます。その「主婦」を経済学でどう教えるかという問題があったのです。職場の中の労資関係しか見ることのできない視野のせまい経済学には,「主婦」はどこにも登場しません。せいぜい消費の主人公として出てくるくらいのものです。そこで明治にはじまる「お金持ち主婦」の最初の誕生,戦後の「サラリーマン主婦」の大衆化,1975年を転換期とする専業主婦比率の低下といった「主婦の歴史」を学びはじめました。また「資本主義経済と主婦」といったテーマもかかげ,日々の夫の労働力と未来の労働者である子どもの養育という二重の意味での労働力再生産が,資本主義での主婦の経済的役割であることなどにも注目するようになりました。なお,こうした問題を考え続けるうえで,自称フェミニストの大学の同僚たちとの交流も大きな役割を果たしました。いまも彼女たちは,学内における私の大切な共同の仲間であり「飲み仲間」です。
第3回・「ジェンダー」平等をすすめるために
男女平等の推進を「ジェンダー・フリー」と呼ぶのは実は正確ないい方ではありません。「バリア・フリー」がバリアのない状態を意味するように,「ジェンダー・フリー」はジェンダーのない状態を意味します。しかし本来の「ジェンダー」は差別だけを意味するせまい用語ではありません。女性差別の「ジェンダー」を平等な「ジェンダー」につくりかえていくことが課題です。おそらく「ジェンダー・フリー」という言葉は,より正確に「ジェンダー・バイアス・フリー」とか「ジェンダー・イクォーリティ(平等)の推進」といったように,次第にかわっていくのでしょう。
さて「ジェンダー」平等を考えるとき,大いに参考にすべきは,たとえばスウェーデンなどの北欧諸国のあり方です。成人女性の労働力率は90%前後,男女の賃金格差も男100に女90くらい。それほどまでに女性がバリバリ働きながら,出生率は日本よりもかなり高くなっています。その秘密の1つは,男女共通の労働時間の短さです。サービス残業込みで年間2200をこえる日本に対して,スウェーデンの労働時間は1500時間くらいです。年間700時間の差は,1日3時間近い差となります。だからフルタイマーの男性にも家事をするゆとりがあり,両親がフルタイマーでも夕方には保育所に行くことができるのです。もう1つの秘密は,介護や子育てなどの社会保障の充実です。高齢者の介護は政府をはじめ社会全体の仕事であって,「妻」1人の肩に全責任がかかるということはありません。また保育所の充実にもあれこれの工夫があります。
日本の労働運動や市民運動は,もっと「しあわせな家庭の保障」を企業や政府への要求にかかげるべきだと思います。「夕方のパパはボクのもの(会社のものではありません)」。このドイツの時短闘争のスローガンの発想に,私たちはしっかり学ぶべきだと思います。
2006年2月20日(月)……大阪のみなさんへ。
以下は,関西勤労協の新春学習会へのよびかけ文です。
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〔関西勤労協06新春学習会よびかけ〕
今日の情勢のなかで「財界とは何か」を多面的に解明する
2005年12月14日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
2006年新春の学習会でお話をさせていただく石川です。今回のテーマは「財界の本質と日本の未来」です。小泉内閣の政治が「財界直結政治」になっているとか,「財界が2大政党制づくり」をねらっているとは良くいわれることですが,しかし「財界とは何か?」というのは,あまり論じられていないテーマのようです。代表は日本経済団体連合会(日本経団連)です。ぜひ一度,そのホームページをながめてみてください。どういう企業経営者が集まって,どういうテーマで議論をし,その結果をどのように活用しているのか,それらを知るために必要な材料がズラリとならんでいます。
まだ当日の話が十分できあがっているわけではありませんが,それでも,次のような論点は欠かせないものと思っています。1つは,なぜ日本の財界はいつまでも「アメリカいいなり」なのかということです。日本経団連の会長はトヨタ自動車会長の奥田碩氏ですが,トヨタはすでに世界最大級の自動車会社となっています。その奥田氏がひきいる日本の財界が,なぜ戦争から60年もたった今も「アメリカいいなり」をつづけているのか。そこにはおそらく戦後財界の復活の秘話と,今日もつづくアメリカ市場への過度の依存という問題があるのです。
2つ目の大きな問題は,日本の財界には,あの侵略戦争を反省しない人がなぜ多いのかということです。財界は金儲けという目的のためには,野蛮なまでに「合理的」です。労働者の生活など何も考えずにクビを切るし,中小企業いじめも平気です。ところが東アジアでの金儲けのジャマになり始めている小泉首相の靖国参拝や歴史教科書問題については,ひどい及び腰がつづいています。そこにも侵略戦争に協力し,あの戦争で金を儲けた経営者たちが,戦後の財界再建の中心にたったという歴史的な問題があるのです。
3つ目は,財界による政治支配の今日的な方法と,財界はいま何を目的に政治への支配を深めているのかという問題です。ここでは財界の政策文書とともに,経済財政諮問会議の実態にせまることが大切です。日米財界合作の経済政策は主にここでつくられています。驚くべきことにこれをリードするメンバー4人は全員民間人であり,国民が選んだ国会議員ではありません。そして,そのうち2人が財界人です。財界通信簿や企業・団体献金の問題とともに,いまここへの批判を強める必要があると思います。
さて,話のネタばらしは,今日はこれくらいでおしまいです。他にも「構造改革」の実態,エンゲルス等の財界研究,財界と憲法問題,東アジア情勢の大きな進展などにもふれてみたいと思っています。くわしいことは,1月5日,会場のドーンセンターで直接お聞きいただきたいと思います。たくさんのみなさんのご参加を心よりお待ちしています。
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