2005年7月17日(日)……神戸・兵庫方面のみなさんへ。
以下は,この夏の学習協での「夏期集中講座」のご案内です。
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〔2005年兵庫中央労働学校「夏期集中特別講座」〕
東アジア共同体構想と日本の政治・経済
2005年7月6日
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
兵庫のみなさん,こんにちは。神戸女学院大学の石川です。
この8月に神戸で,全4回の短期集中講座を行わせていただくことになりました。テーマは「東アジア共同体構想と日本の政治・経済」で,カリキュラムは以下のようです。いままでに書いてきた(いま書いている)論文をもとに,現時点での問題意識に立って,これを解説し,また補足していくという講座にしたいと思います。
例によって自転車操業の毎回でしょうが,そこは短期集中の「勢い」でのりこえていきたいと思います。たくさんのみなさんのご参加を期待しています。
第1講義【8月2日(火)】
テキスト・「自由と平等めざす『東アジア共同体』と日本の役割」〔仮題〕(『前衛』2005年9月号掲載予定)
概要・2005年12月には,マレーシアで第1回の東アジア・サミットが開かれます。それは大国からの自立という点で,東アジアの歴史を大きく前にすすめるものとなるでしょう。アメリカは自らの利益がそこなわれるからと,サミット「反対」の意志を示しました。これに呼応するかのように,靖国史観を賛美する勢力も,特に中国との友好を強く拒否する動きを示しています。しかし,財界は経済的利益を考えるとき,アジアとの「友好」を軽視することはできません。その結果,財界はアメリカとのあいだに,またかつての侵略を反省しない勢力とのあいだに,一定の矛盾をかかえはじめているようです。ただし,いまだ対米従属と憲法「改正」路線の枠内でのことですが。東アジアに対する日本の金融・通貨協力が,すでにアメリカの「ドル特権」を侵害する方向に向かっていることも重要です。財界の戦略と通貨問題に力をいれたいと思います。
第2講義【8月5日(金)】
テキスト・「世界情勢の発展と『帝国主義』」(『経済』2004年6月号掲載)
概要・東アジアの発展を考えるとき,重大な論点のひとつは,それが世界史のどういう段階にあるのかという問題です。かつてレーニンは一握りの大国による植民地支配と,その再分割の時代を「帝国主義の時代」と述べました。そしてレーニンはそれが「資本主義の最後の段階」になるだろうと予測をしました。しかし,第二次大戦後の実際の歴史は,レーニンの予測に反して植民地体制を崩壊させ,それによって発達した資本主義大国を〈植民地をともなう独占資本主義〉から〈植民地をもたない独占資本主義〉へと発展させました。歴史研究者たちは,これを「脱植民地化」と呼んでいます。アジアでも同じことが起こりました。ベトナム戦争に象徴される,独立をもとめる東アジア人民の闘いが,西欧各国に〈植民地をもたない独占資本主義〉を余儀なくします。典型はフランスでした。この視角からすれば,今日のアメリカはいまだにその発展をとげることができない「古い独占資本主義」ということになります。「帝国主義」の理論問題を考えてみます。
第3講義【8月9日(火)】
テキスト・「憲法9条こそ日本経済再生への道」(『経済』2005年1月号掲載)
概要・東アジアの国々は,日本の経済力に大きな期待をもっています。技術,雇用,市場,金融など,期待の幅は広く,日本の大企業の進出にも率先して道を開いています。しかし,東アジアは,日本の政治には強い懸念をもっています。内容は,侵略と植民地支配の歴史を反省しないこと,「古い独占資本主義」(時代おくれの植民地主義)のアメリカに従属していること,そして,平和憲法をなげすてる憲法「改正」をかかげていることなどです。日本は敗戦によって一挙に植民地を失いました。その結果,日本の政治には,なぜ植民地をもってはいけないのかを深く考える「脱植民地化」の過程がありませんでした。そこにはA級戦犯容疑者を釈放していくアメリカの占領政策や,「植民地支配」の罪を正面から裁くことをさけた連合国側の問題もかかわります。靖国史観の払拭と憲法どおりの日本づくりは,東アジアの安定にとっても重要です。あらためて日本の近現代史を考えます。
第4講義【8月12日(金)】
テキスト・「財界のアメリカへの従属と過度の依存」(『前衛』2004年3月号掲載)
概要・東アジアの発展は,じつは日本経済の発展にも新しい大きな可能性をひらきます。その一端は,2003年からの「中国特需」による急速な大企業の利益拡大にもあらわれました。中国やインドには巨大な「中産階級」が育ち,それによって消費市場が急拡大しています。東アジアは生産拠点とともに,消費の場です。戦後,日本経済は,深いアメリカ依存のもとで成長しました。安定的な貿易黒字が生まれた1965年から,約40年間,日本の最大の黒字相手国はアメリカでした。しかし,それは「アメリカに買ってもらわねば成り立たない」という日本経済の脆弱性をつくり,70年代以降はいつも円高におびえる日本経済,80年代後半には円高回避のためにドルを買い集めねばならない「マネー敗戦」の日本経済をつくることにもなりました。いま輸出市場をアメリカ一辺倒から,アメリカと東アジアへ多角化することは,日本経済の自主的な発展の道をひろげ,ドル支配の枠から抜け出る可能性をひろげるもの絶好のチャンスともなっています。日本経済の未来を軸に考えます。
2005年7月6日(水)……京都のみなさんへ。
以下は,京都学習協の現代経済学ゼミナール第2回(6月19日)で配布した文章です。
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〔2005年第4回京都現代経済学ゼミナール〕
ジェンダーを読む(第2回)
――資本主義の形成と専業主婦――
2005年6月10日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
気の早い台風の影響で,せっかくの週末(6月10日)が雨降りです。さて,昨日,大学で映画「ベアテの贈りもの」の学内上映にかんする最初の相談会を開きました。「良妻賢母」が当然視された時代に,迷いながらも「女性の自由と自立」をかかげた大学です。憲法24条を全力で支えてこその「建学の精神」ですが,どういう結末にいたるでしょうか。年末に向けて面白い取り組みです。ぜひ,幅広い共同のもとに成功させていきたいと思っています。
第1回の前回講義については,たくさんの質問・意見が出されました。この勢いが,最終回の11月までつづくよう,お互いはげましあって,がんばりましょう。
まずは,みなさんからの感想からです。以下,順不同で紹介していきます。同じ講義をうけた人がどういう感想や意見をもったのか,そのことに学びあうことは集団学習の大切な内容です。
●ジェンダーとよく使われている言葉もよくわからず参加しはずかしいのですが、家庭のこと、男女のこと等、いろいろ細かくつっこんだ話ははじめてで楽しかったです。これからの講義も楽しみです。
●前に聴いたことがある話もあり、でしたが、石川先生の話はおもしろい。専業主婦がいつごろから増えはじめたのか、愛のある家庭とは?とか、家庭を科学的社会主義でみる、主婦も経済の中にあって、財界なんかのこしらえたイデオロギーに家庭はおどらされているんだなあと知った。資本の再生産…アメリカと経済界によっておうちは崩壊、日本の今後に不安。
●資本主義が専業主婦をつくったことにびっくりしました。専業主婦の人と、働いている人の要求って、一致しないところがあると思っていたけど、今日のはなしを聞いて、ぜんせんそんなことないんやなって思いました。男女平等のために必要なことがはっきりわかったので良かったです。
●戦後の働く女性の歴史がいかに財界指導で作られて行ったか非常によく理解出来ました。女性の職場進出はスウェーデンと同年代にスタートしているのに正反対の社会が出来ている事は、戦後の日本の政治・経済がアメリカ主導になり、さらに91年ソ連崩壊でさらに厳しく搾取社会(日本)が進む方向をたどっている現在に不安を感じました。
●学んでも身につかないのは、たまにしか学ばないからだと言われたことがずしんとひびきました。本日の講義とてもおもしろくわかりやすかったです。学んだことを忘れないうちに友人に話し本も読んでいきたいです。
●大変興味あるテーマだったので、とてもうなづくことが多くありました。これからが楽しみです。"家事労働"の捉え方について、家庭で夫や子どもたちと話し合ってみようと思います。
●高校卒業後、32年間働いて(郵政)子供二人孫一人いるわけですが、労働学校へ来てから、仕事のところに"専業主婦という字"を見た時、これってある意味、きっちり自信をもって家事をして来た人なんだと、50才をすぎてから思えたのが、この講義を受けようと思ったきっかけです。自分自身女性でありながら、ある意味、性を否定している所があったように思います。後6回どんな話しが聞けるか楽しみです。
●男女平等の真の実現の為には①労働時間の短縮②社会保障の充実が絶対条件とのことです。時短については国際比較でもわかりやすいと思います。一方社会保障については制度自体複雑で単純な比較はむつかしいと考えています。社会保障の拡充について(政府方針は逆に改悪つづきであり)しかも先生は総合社会福祉研究所の役員もされていますので改悪反対の立場での提言を希望します。
●「ジェンダー」については労働組合運動の中でもほとんどとりあげられてなかった。今回学べることはとても嬉しいのです。なかなか予習復習が必要だなと思いました。少しでも職場で活用できるように(右から左へぬけてしまわぬよう)したいと思います。学習協の講座に初めて参加、経済学の知識も学べるので嬉しいです。
●生き物の世話は古来女性がするものだった(女工のところではなされたこと)男も生き物であった。
●専業主婦を45年間つづける中で、働く女性から「貴女の国民年金は私たちの納めたお金から支拂われているのよ」等々、差別的なことばを受けて来たが、今日の先生の話しで、自分の生き方に自信を持ちました。
●日々、疑問に思っていたことが、うまく整理できた。以前からこの国は異常だと思っていていたが、今日の講義を聞いて、ますます異常さがよく理解できた。変えていきたい力も湧いてきました。
●この様な学習ははじめてなので、とてもたくさんの学びがあり、"そうなのか"という思いなど持ちました。
●私は73年に就職し、77年にいわゆる結婚退職しました。自分では経済的にも精神的にも自立して生きたいと思いながら、男女平等賃金の職場を去りました。私としてはまさに社会が求める生き方を知らず知らずにしてきたと言うより、させられてきたのだと今日の講義の中で気付きました。
●おなかもふくれた午後からの講義でねむくならないか心配をしてたがテンポよく楽しい講義でした。
●社会全体のなかから、ジェンダーを捉えるというか、どのように考えたら良いかとても参考になりました。フェミニズム的な見方に誇張されると、男らしさ、女らしさといった価値?(押付)の対立になりがちなのですが、社会的な必然性、制度の理解など、その影響についてなど、あらためてわかった様な気がします。
●3月に定年を迎えて時間的に余裕もあり今まで出来なかったことの一つで、少し系統的に学習したいと思い参加しました。少しでも学んだことを自分の物にしていけたらと思っています。わかりやすい話しで良かったです。
●研究者を運動団体が「組織する、育てる」という夢のある問題提起がありました。運動団体が「テーマとお金を出して」というお話ですが、実際には運動に対する社会の意識が低く、好きな人が勝手にやっている。運動団体が活発になることは、社会の利益になると思うのですが、カベにぶつかっています。
●テンポよく具体例もおもしろいです。
●期待どおりの講義です。参加を申し込んだ女性たちの講義への期待をひしひし感じます。壮大なテーマですが、ともに「自転車操業」するつもりで受講したいと思います。
●ジェンダー論に対する経済学的な視点が興味深かったです。従軍慰安婦問題にどのようにアプローチされるのか失礼な言い方かも知れませんがとても楽しみです。
●ジェンダーを考える時に、労働時間問題と社会保障制度の拡充が必要だと強調されたこと、また、住民運動と労働運動をむすびつける必要があるという問題提起をおききして、逆に社会保障運動分野で「ジェンダー」に対する問題意識が全くないというギャップを強く感じました。全7回すべて受講しつつ、自らの運動に反映できるよう自分の力にしていきたいと思います。
●ジェンダー自体には実はあまり強い関心を持っているわけではありません。職場はかなり男女平等で――女性の方が多数ですし、女性管理職も多い――未婚のため家庭での男女問題もありません。日常は労組の役員をしているため、労働問題への関心が強く、特に正職と非正規との差の問題――組合としてどう対応するかが一番の関心です。でもやはり石川先生のお話は面白いですね。あとはなかなか進まない「自学自習」が課題です。
●労働時間の短縮と社会保障の充実――まさに直面する課題。やるしかたたかうしかないですね。
●講義を聞いて家庭で色々実践できていないことばかりなので反省しました。口と行動が一致しない無責任な態度は改めたいと思います。
●私の職場でも男女雇用均等法を掲げて生理休暇を失くそうとする動きがあったのですが、女性が労働力の再生産の機能を軽視しているのだと実感しました。
●4月から専業主婦になって(28年働いてました)あらためてすごい役割を果たしていると実感する日々です。今までは共働きで月給ももらっていたので、自覚していなかったのですが、家事労働はお金に換算したらいくらになるかな?なんてつい思っています。「労働力の再生産」はぴったりの言葉です。お話が始まる前は午後の時間で眠くならないか不安でしたが、やはり眠気が入るすきもないくらいひきこまれました。あと6回の講義楽しみにしています。
たくさんの感想をありがとうございました。みなさん,それぞれに心のうちにたくさんの何かがたまっていたことが,よくわかります。それが学問的に,少しずつでも整理できるようになるといいですね。あたりまえの毎日の生活や,知っているはずのことに,新たな「発見」がある。そこが学習の――特に社会を学習することの面白さですね。
ぜひ,この講座をきっかけに,みなさん自身での計画的な独習の習慣を育ててください。
さて,次は質問とそれへの回答です。今後の講座にかかわることも多く,また現在の私の力ではまるでこたえられないようなこともたくさんあります。とはいえ,今回は今回の範囲で,簡単にではありますが,思いつくところを書いていきます。みなさんとのあいだで,何度もキャッチボールができるといいかも知れません。
①自治体のとりくみで、男女共同参画社会というのがよく出てきますが、中身を読むと言葉での呼びかけだけで、どこのもほぼ同じようなものでうんざりしています。どういうねらいで出されているのか、変えていくとすると、どういう方法があるのか、次回からの講義の中、関わりのある中で話してください。
●社会の「改革」には,前進と限界がいつでも同時にあるものです。なかには,前進と後退が絡み合う場さえあるほどです。「男女共同参画」を行政にいわずにおれなくさせた力の育ちと,とはいえその内容が「まだまだである」ということの両面をとらえる必要があるのでしょう。しかし,とりあえず新しい「足場」ができたのはまちがいない事実ですから,次は,ここを足場にどういう前進をつくっていのかです。たくさんの人たちと「男女共同参画基本法」の問題点や不十分さを考えたり,あるいはもっと前向きに「男女共同参画をもっとすすめるとどうなるだろう」「そのためにはなにが必要だろう」を考えたりと,課題はいくらでも見つけられるように思います。
②「男は仕事、女は家庭」という財界戦略の土壌について、私は日本の歴史(封建時代から)上の古い「家」制度の中で続いてきた男尊女卑の考え方が根っこにあるのではと思うのですが、いかがでしょうか。また専業主婦の多いアメリカ社会の場合、日本型とは違う社会的な男女差があるのでしょうか。(質問があいまいですみません)
●「日本の歴史」については,第5回の講座でやりましょう。「古い『家』制度」という場合にも,案外「明治時代」のイメージで長い過去を類推している場合が少なくありません。しかし,歴史のなかでは,家族制度もさまざまな変化をとげてきたはずです。また,多くの庶民家庭では,長い歴史の中で,男も女も仕事をするのが当然でした。第5回の講座は,現代の歴史学に私が学んだ限りでということになりますが,ぜひ,関心のある方は,先に予習をしておいてください。
●現代では,アメリカの専業主婦比率は日本よりずっと低くなっています。多くの女性がはたらいているわけです。詳しいことは知りませんが,日本との相違を考える場合,アメリカにはつねに人種差別がからみあうというところが大切なポイントの1つかも知れません。
③スウェーデンの年金制度について参考文献を掲げて下さい。
●読みやすいものとしては,竹崎孜『スウェーデンはなぜ生活大国になれたのか』(あけび書房,1999年)があります。ほかにも良い本があれば,ご存じの方,教えてください。
●なお,どんな社会にも「よりマシな社会」にむけた改革の課題はありますから,もちろん北欧各国にも悩みはあるわけです。しかし,それにしてもアメリカや日本の「自由競争にまかせよ」型の資本主義と,これらの国は相当にちがった歩みをもっていますね。なぜ,それが可能であったかの研究については,まだ読みやすいものはないように思いますが,いかがでしょうか。どなたか教えてください。
④日経新聞(05.5.13.5面)で「少子対策」について、経済同友会・北城代表幹事が「少子化対策を優先する一方で、高齢者福祉の優先順位を下げる」ことを述べつつ、「出産を思いとどまっている制約条件は経済的理由が一番大きい。働く意欲のある女性が会社を辞めないで済む施策が必要」との旨を述べている。ちょっとみると前向きなことを言っているようだが、具体的な提案として「月額二万円の児童手当支給」「保育所も規制緩和し、民間でよいサービスを」として、税金と民営化で対応させようとしている。『世界』(05年4月号だったか?)で東大・汐見先生が保育所の時間延長は女性の社会進出に寄与するように見えるが、逆に労働条件の強化になるのではないか等の問題提起をされている。本日の石川先生の講義にあったように、「労働条件の改善と社会保障の充実とあわせた男女平等の運動」及び消費税問題の視点で北城発言を読むほかに、留意することはどんなことがあるでしょうか。
●財界の少子化対策を知るには,日本経団連や経済同友会のHPにある文書を順を追って読んでいくのがいちばんいいと思います。私の知る限り,財界は,少子化問題を「将来における労働力不足」という角度から重視しています。ところが,それにもかかわらず社会保障予算を十分にとるという発想がありません。そのために,少ない予算の枠内で「少子化対策か,高齢者対策か」といった順番の変更をするぐらいの手しか打てないという袋小路に入っているわけです。「利益第一」病の深刻な症状ですね。
●他方で,経済同友会は,労働力不足を補う方法として,高齢者・主婦・外国人の「積極的な活用」をかかげています。福祉分野でも外国人労働者を活用しようと,その「資格」をどうするかについての具体的な話も進んでいるようです。これについても,ご存じの方,情報提供をお願いします。
⑤資本主義社会の中の「専業主婦」の役割は理解できましたが、自身が「楽な生活からぬけたくない」という意識あるのはどうして?
●専業主婦の役割などの話は今日(第2講)が本番です。あらためて広い視野から考えてみてください。「楽な生活」を求めるというのは,私には,生き物としてごく自然なことの1つに思えます。もちろん,「何かをやってみよう」「自分の力をのばしたい」というのも,人間のもつ1つの大切な特長なのでしょうが。勤勉,節約,労働などが「美徳だ」とされたのは,人間社会では,案外最近のことだと思います。『資本論』にも,とくに資本主義の初期には,そういう考え方が必要だったという話がでてきます。
●なお「楽な生活」という場合に「楽」の基準が問題かと思います。いまの日本では,まともにフルタイマーで働こうとすると,そこに待っているのは世界一の長時間・過密労働です。ちょうどいい「ほどほどの働きかた」というのがないのですね。「長時間過密」か,そうでなければ「不安定雇用」か,といった両極端です。もうすこし「人間らしい」労働条件があれば,「私も自分の力をためしてみよう」という思いを行動につなげるのが,そんなに困難ではなくなるのでしょうけど。
⑥「男より女が弱い」という意識はどこから生まれてくるのか。
●おそらく,根っこは腕力・筋力の問題なのでしょうね。肉体的な構造の相違をいえば,この単純な筋力の問題のほかに,生活のリズムの乱れに対して女性の方が敏感に影響をうけるとか,一定の薬物に女性の方が症状が出やすいといったこともあるようです。あくまで平均的に見てということですが。歴史的には「私有財産」を力で守ることが必要になった瞬間に,力の強い男に財産権が集中していきます。
●他方,今日の社会では,仕事や社会生活における腕力の必要はずいぶん減っています。ところが「過労死」が年間に3万人というような日本のような劣悪な労働条件だと,やはり体力の個人差は,その仕事に耐えられるかどうかの重要な分岐点とならずにおれません。「男も女も同じだけはたらけ」で,その労働の標準が「過労死」レベルでは,やはり平均的には女性が先にまいるわけです。男女ともに労働時間の短縮が本当に緊急の課題です。
●なお,労働や稼ぎにおける男性中心主義の社会では,「女の人生は結婚相手の稼ぎ次第」「たよりになるいい人と結婚しなくちゃ」という意識がうまれてくるのは当然です。そうでなければ,生きられないのですから。それが今日では「結婚の勝ち組・負け組」といった言い方で議論されています。それは女が「社会的に弱い立場におかれている」という現実を前提したうえで,女の人生戦略を語りますから,それが意識のうえで「女は弱い」を再生産する役割をはたしているという面もあるかも知れません。
⑦戸籍のことをどう考えていけばいいのか。
●できれば,もう少し具体的に問題を示してください。「どう考えていけば」といわれる以上は,何か問題を感じておられるわけですね。私は家族に関する「法律」についてはまったくの素人ですが,みなさんといっしょに勉強していきたいと思います。まずは,「こういうところがひっかかる」ということを,思いつきままに「質問感想用紙」に書いてください。
●なお「戸籍」というのは,どこの社会にもあるというわけではありません。むしろ,そのようなものがない社会の方が多数派でしょう。つまり,別にそれがなくてもやっていけている社会は,たくさんあるわけです。日本の場合には,律令制(最初の国家)による徴税(搾取)の単位として,これが誕生したように思うのですが,それが今日までつづくあいだには,きっといろいろな変化があったのでしょう。どなたか,この問題についていい本をご存じでしたら,教えてください。
⑧戦後の戦争への反省という点で、ドイツと日本は大変大きな違いがあるはなしの中で、憲法9条と男女平等のことについてふれた点があったが、「戦争への反省」という点での男女平等との関係はあるのか。日本が男性中心社会であるとの関係。
●むずかしい問題ですね。対外的な加害という点では,やはり日本軍「性奴隷」(慰安婦)制度に対する日本政府の無反省が,今日の日本社会の多くの市民――男性も女性も――の無関心とどういう関わりをもつのかが気になっています。「風俗」(売買春)を事実上,容認している現代日本の社会だからこそ,「性奴隷」を過去のことではあれ,大問題としてとらえることができないという問題があるのではないかと思うのです。
●他方で,「性奴隷」は朝鮮人・中国人に対する加害だけの話ではありません。戦前・戦中には日本にもたくさんの日本人「性奴隷」が存在しました。いわゆる「公娼制」です。それは多くの大人に広く知られた事実でした。戦争中には,当時の国防婦人会といった女性組織が,兵士等による「慰安所」の活用を実際上,公然と認めることもありました。その意味では「慰安婦」制度をつくった国家が男主導で動いたのはまちがいない事実でしょうし,その「利用」者が男であったのもそのとおりですが,少なくない女性の中にも,一部の「特殊な女性(公娼や植民地・侵略地の人)」が相手であるのなら,「性奴隷」制を受け入れても良いという気分はあったのでしょう。このあたりも,事実にそくして考えていかねばならないところです。
⑨私は労働組合の専従をしています。経営はパート労働者の賃上げ、労働条件の改善は一律にできないと言って、一部のパートの(リーダー制の導入)がんばりに答える制度の導入によって、賃金・労働条件の改善を図りたいと言って、賃上げや労働条件の改善の要求に応えようとしていません。その背後には正規労働者の賃下げも含めての提案と考えられます。正規労働者・パート労働者との格差是正や、同一労働・同一賃金原則をすすめるためには、正規労働者との関係上どう考えればいいのか教えてください。スウェーデンやヨーロッパの歴史からも教えていただきたいと思います。
●今回の講座の趣旨からは,ちょっとはずれる問題ですが,経営側はそもそもパート・派遣・臨時・バイトなどの「不安定雇用層」の大量活用を,あくまで人件費削減策として追求していますから,私たちの「均等待遇」要求を容易に受け入れないのは,むしろ当然のことといえます。それは,労資の力関係での前進を基本に,はたらく者の権利向上に対する社会的な意識の成熟をすすめながら,解決していかねば問題です。
●他方で考えねばならない問題は,歴史的に日本の労働組合が正規雇用者中心型であって,「パートもたいへんだけど,そこまで手がのばせない」という視野の狭さをもっていることだろうと思います。「そこまで手がのばせない」ということが,自分たちの足場を崩すことになっているという,労働者たちの状態の全体的なかかわりが見えていないという弱点です。その視野の狭さを転換するには,やはり「現実はどうなっているか」「フルタイマーの苦境とパートの苦境の関係はどうなっているのか」とういことについての学習がいるのだと思います。新しい問題は「経験主義」では決して解決できません。労働基準法による労働者の定義づけは,パートや臨時などを排除するものではありません。まずは労働者の側に「正規も臨時も同じ仲間」という意識を強く育てる必要があるのでしょう。『学習の友』などには,そのような取り組みの成功例もよく紹介されています。
●これに関するヨーロッパの歴史については,いまは何もお答えすることができません。「こういう本があるのだが」ということがあれば,ぜひお教えください。
⑩最後に話された元女子学生の夫の残業代の3割は夫、1割は自分というように、何故五分五分にはならないのか(今の私であれば、私は夫と同じ同額にすると思いますが)。3と1にする意識はどこで生まれてきたのか? 歴史背景なども知りたい。
●それは本人に聞いてみなければわかりません。何かの学説があって,それにそって3対1にわけたのではなく,2人が話し合ってそう決めたというだけのことなのです。「オレが残業したのだから全部オレのものだ」という主張から,「それはワタシが家事労働で支えたからできことです,2人の稼ぎは完全に平等にわけるべきです」までの範囲で,話し合えば,家庭の数だけ,事情に応じて,いろいろなアイデアが出るでしょう。
●しかし,それにしても,夫婦それぞれがフルタイマーとしてはたらきながら――ということは「私(妻)の残業代は私のもの」になっているわけですが――,夫の長時間残業を支えるのが「私の家事労働である」ことを理由に,その残業代を「家計に」ではなく「私に」と要求するあたりは,そして,それが実際に夫婦の合意になっているあたりに,私はやはり時代の変化を感じます。そういう世代が育ちつつあるのだなあと感心させられます。
⑪フェミニストの規定についてわかりにくい。私は女性解放をめざしている人、男女平等をめざしている人をすべてフェミニストという規定をすればいいと思ってたし、先生も私もフェミニストと思っていました。狭い規定でなくてもいいと思う。いろんな人がいると思うんだけど。
●「フェミニストとは何者か」というのは,おそらく自称フェミニストに聞いても,いろんなこたえがあるのでしょう。それはきっと,この講座に集まっている方にとってもそうでしょう。そんな実情ですから,まず大切なことは,誰かと話をするときに,「あなたがつかっているフェミニストという意味は何?」と,相手が必ずしも自分と同じ意味ではつかっていないことに注意をはらうことです。そして,その言葉の定義に違いがあるからといって,自分の用語法をむやみに強制しないという姿勢でしょうね。もちろん,定義そのものが議論のテーマになっている場合は,別ですが。
●私自身は,自分をどう規定して良いのかについては,まったくこたえが出ていません。まわりの自称フェミニストたちも,私に対しては「マルクス主義者でしょ」「マルクス主義だけどフェミニストでしょ」などと評価の仕方がいろいろです。もう少し,この分野での学問が発達すれば,そのうち,どこかに落ちつくでしょう。
⑫財界戦略は、社会の流れや国民の意識が男女平等になっている中で、財界戦略も変わってきているように思ってたのですが。例えば家庭内暴力など父親不在が言われる中、民間企業では子どものいる社員には、家庭責任をという研修をやったりしていたのですが(ボーナスだけかなと思いつつも)。今のままでは問題がいっぱい出てくるので、方向を少しかえたのかなと思ったけど、そうではないのかな。
●何をどうお答えしていいのか,焦点のあわせどころがうまく見つかりません。ただ,別のご質問のところでふれたように,財界は,少子化については危機意識をもっています。ですから,政治の世界でも「エンゼルプラン」がつくられ,そこでは「経営者もちょっと労働者の家庭責任を考えてくれ」といったこともいわれています。しかし,他方で,政府は世界最長の労働時間を野放していますから,それで男性労働者に「家庭責任をとらせろ」というのは,まるで矛盾しているのですが。一方で,職場の中でも「男女共同」とか「雇用機会均等」とか「男の家庭責任」といったことが,言葉としてはいわずにおれない状況がうまれてきてはいる。しかし,他方で,それらについての本腰を入れた取り組みはなかなか進んでいない。そういう局面なのでしょうね。
●さらには,「ジェンダー・フリー反対」とか,憲法24条の復古主義的改悪にむけた動きもあるわけですから,「財界戦略」というのもいろいろな内部対立をはらんで存在するものだと,とらえる必要があるのでしょう。
⑬「ジェンダー」の用語と社会構築主義について。社会構築主義が、不可知論・相対主義・主観主義をふくむという説明があったが、その系譜について少し教えてほしい。(どこの国の誰が主張し、どんな人が影響をうけているのか?)自分自身の中にも、「ジェンダー」の用語を唯物論的に理解する傾向があるので(善意で)。ちなみに自分としては「ジェンダー」の用語は使う。「ジェンダー・フリー」の言葉を攻撃する勢力とはたたかうが、自分からは「ジェンダー・フリー」の言葉は使わずに「ジェンダー・バイアス・フリー」というように工夫している。
●直接的な「系譜」はわかりません。しかし,不可知論などは,大昔からずっとある議論ですから,一般的には,どこまでもさかのぼることができるということになるのでしょう。社会学の世界には,マックス・ウェーバーのような「新カント主義」的認識論の影響が強いですから,そして,それは「新カント」と「カント」の名前がついているように,「本当のことは認識できない」という不可知論を特長としていますから,その影響は今日もかなり広範にあるわけです。
●とりあえず,問題の焦点となっている議論の1つの典型としては,ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(青土社,1999年)をあげることができると思います。このバトラーの議論はかなり極端なもので,それだけ,かなり問題点がわかりやすいものともなっています。他方で,日本の論者たちが,この社会構築主義をさまざまな角度から検討したものに,上野千鶴子編『構築主義とは何か』(勁草書房,2001年)があります。この本は,構築主義への肯定的な評価とともに,部分的ですが批判的な検討もふくんでおり,なかなか面白く読むことができます。ぜひ,読んでみてください。
⑭他の先進国に比べて日本の労働条件が劣悪なのは、民度の低さも原因として存在していると思いますが、日本社会の特質的な事(男性が支配する家制度等)も関わっていると思うのですが、それに対して労働闘争はどれ程有効なのかという疑問があります。
●おもしろく,なおかつ重要な論点ですね。おそらく,まずは「男性支配」がはたして本当に「日本社会」の特長なのかを確かめる必要があると思います。それは,かつてのヨーロッパは,かつてのアメリカは,男性支配ではなかったのかという問題です。もし,そこに男性支配がはっきりあれば,それをどのように改善してきたのかという前例もそこにあるということになりますからね。はたしてそこで,「労働闘争はどれ程有効」であり,また有効でなかったのか。
●他方で,男女双方の労働時間短縮と,社会保障制度の拡充がなければ,職場のなかの男女平等はありえません。また,職場における男女平等の推進は「家庭責任の男女平等」を可能にする重要な条件をつくることにもなっていきます。さらに,いまは「組合運動の男女共同」というスローガンがかかげられるようにもなっています。私も,そのようなテーマでいくつかの組合の全国的な取り組みで話をさせてもらったことがあります。「労働闘争」に,男女平等の追求という視角をどれだけもちこむことかできるのか,ここも今日的に重要な課題になっていると思います。そこでは,女性組合員や,女性たちの組織が大いに役割を果たさねばならないのでしょうね。
⑮アメリカでは女性の中間管理職が多いとお話し頂きましたが、アメリカ人の年間労働時間は日本人とさして変わらないという調査結果があると思います。何故その条件下で女性が社会進出できているのでしょうか。
●労働時間の数値ですが,これは厚生労働省の調査でいくと,日本とアメリカはほぼ同じ時間――ときにはアメリカの方が長時間労働という結果になっています。年間でほぼ2000時間です。ただし,そのほかに日本には大がかりなサービス残業があり,これが年間200~300時間の規模であります。それが,まるまる日米の平均的な労働時間の格差になっています。実態としては,「日本の方が毎日1時間は長い」ということになっているわけです。
●アメリカの女性たちが,実際どういう職場ではたらき,どれだけはたらき,どういう家庭をもち(あるいは未婚者が多いのか),どういう家事を行っているのか(外食やファーストフードの活用,クリーニングなども)。そのあたりの具体的なことは良く知りません。アタマのすみに置いておくようにします。どなたか,いい本をご存じであれば,ご紹介ください。
⑯最後に先生が提案された学者、研究者の育成ですが、(私は社会保障の運動団体ですので)社会保障分野の研究者の少なさを痛感しておりましたので、運動団体側が資金も用意して長期的に育成する必要があるとおっしゃったことに「そういうやり方もあるのか」と目が見開く思いです。具体的にどれくらいの資金やスケジュールが必要なのか…とお聞きしたいです。
●それは,どれくらいの人数を,どこに集めて,どういう課題をこなさせようとするのかによりますね。私としては,30代までの若い世代を支えることが,特別に大切だろうと思っています。「社会的な課題と自分の研究をつなげる」姿勢をつくること,そのような努力をすでに重ねている「先輩研究者」との「共同」の場をつくること,そして,できれば彼らの研究の費用を少しでも援助できること。これらが重要ではないかと思います。その人がすでに就職していれば別ですが,大学院生であれば,圧倒的多数が「生活困窮者」といっていい状態ですから。
●研究者にとっても魅力のあるテーマであれば,1~2ケ月に1度くらいの研究会を重ねることは可能ではないかと思います。ただし,その場合には,「精力的に動く事務局員」が必要でしょうね。また研究者だけの議論にせず,いつも運動団体の職員ができるだけたくさん参加して,気軽に問題意識を交流するというのも大切なことだと思います。学者は現場から,現場は学者から,互いに学びあうということですね。まずは,どこかで先陣を切って,やってみてください。
⑰成果主義賃金がなぜ悪いのか、どこかでふれていただきたいです。ウチの職場(医療関係)も正規雇用が減って、補充されるのはパート労働者。女性の多い職場ですが、全体としての賃金が低くおさえられているとは思っています。(ちなみに男女の基本給格差はありません。残業の量は違いますが…。)
●これは今回の講座のテーマからは,はずれる問題ですが,まず成果主義賃金は,今日の日本では総額人件費を削減するという目標が先にあり,これを達成する手段として導入されています。ですから,労働者全体の生活を悪化させることを目的にしている点に第一の問題があります。あわせて,成果主義賃金は労働者同士の「自発的」競争をもたらしますから,労働強化にもつながります。さらに最近では,製造業現場で,自分の「成績」を気にするために,若い人にものを教えないといった,「モノづくりの能力の低下」といった問題もうまれています。現代日本型の成果主義では,こんなことばかりが起こっています。
●ただし,「忙しい人間とヒマな人間で給料が同じというのはおかしいだろう」というのはスジが通った話です。この問題をどうするか。私としては,給料は2段階と考えて,勤続年数(年令も考慮)や職階などによって一律に支給される土台の部分と,その上に,残業,出張,具体的な仕事の成果などに応じて支払われる追加的な部分があってもいいかと思っています。土台をしっかりつくったうえで,2階部分だけに「個人の業績」を反映させるということです。ただし,その場合にも,土台が十分に豊かであることと,2階の「成果」を評価する基準が「上司の判断」といった曖昧なものでなく,はっきりとした基準が示されていることが条件になります。成果主義賃金の問題点を指摘する本は,いまはかなりたくさん出されています。一度,そういう問題意識をもって,大きな本屋を歩き回ってみてください。労働現場からの「告発」なども結構あります。
⑱時代劇などで職人の妻が出てくるが、あれは一種の専業主婦か、それとも女の仕事の「手伝い」などもする補助的しごともしていたのか、②戦前の貧しい労働者の妻も貧しい専業主婦だったように思うのですが(①も②も階級階層構成上はとても少数だったことは分かるけれど)。
●時代劇ですか。私は,まったく見ないので良くわかりません。しかし,そもそもテレビの時代劇がどこまで本気で時代考証をしているかという問題があるでしょうね。とりあかず,歴史の問題は,歴史の講義の際に考えてみましょう。「職人の妻」というこまかいところにまで,目がとどくかどうかはわかりませんが。ぜひ,問題意識をもって,事前に調べておいてください。「おもいつき」を,「おもいつき」のままに終わらせず,「自分で解決していく」ことが大切です。
●「貧しい労働者家庭の貧しい専業主婦」というのも,もちろんあったのでしょうね。ただ,それは相当に生活がたいへんですから,どうして条件でそういう家庭がうまれるのかなどを,やはり具体的にとらえることが必要でしょう。予測や想像ではなく,事実でつかむということですね。
今日の講義の流れについては,あらかた以下のように考えています。大雑把なメドとしてご理解ください。
1)「講師のつぶやき」ほか(1時30分~2時20分)
◇「講師のつぶやき」「質問にこたえて」
2)「資本主義の形成と専業主婦」(2時30分~4時20分)
◇このテーマに関する関連論文・配布資料を活用して
3)質問と意見の交換,質問・感想文を書く時間(4時30分~5時00分)
〔今日の講義の材料〕
1)〔講座のスケジュール〕2004年度現代経済学講座の「講師のつぶやき(第7回)」より
〈第2回・資本主義の形成と専業主婦〉
従来,科学的社会主義の方法論に立つ資本主義研究は,専業主婦の分析にまで視野をひろげることが少なかったと思います。生産の集中と巨大化が,それまでの「家」に性格の変化をもたらし,職場としての「公的」性格を失った純粋に「私的」な領域としての「家庭」をはじめて生みます。この資本主義の形成によってはじめて,「私的な家庭」の管理者としての専業主婦は誕生します。専業主婦の誕生・拡大・減少の歴史を考えます。
2)論文「主婦とはどういう存在なのか」(『現代を探究する経済学』より)〔別紙〕
3)資本主義の形成と専業主婦(1)――学習論文「『男女平等』は労働運動の戦略課題」より
〈長い日本の歴史のなかで〉
ときどき「女は昔から主婦だった」という人がいますが、歴史の事実はまるで違います。女性がもっぱら家事のみにたずさわるというのは、相当に社会的生産力があがってはじめて可能になることです。特に庶民のくらしを見るならば、全員が働いて食うや食わずやという状況のときに、女性だけが家におかれるといったことはあり得ません。
『女工哀史』という本や映画にありますが、繊維産業は資本主義の最初の花形産業です。この産業では、どうしてあんなにたくさん女性が雇われたのか。「女工さん」です。それは蚕を育てる仕事が日本では中世の昔からずっと女性の仕事だったからです。
では、もっぱら家事にたずさわる女性=「専業主婦」はいつごろから発生したのか。それは資本主義の歴史的形成とほぼ一緒です。それ以前は、農業であれ漁業であれ商業であれ、自分の住んでいる家は同時に職場でもありました。職住一致というやつです。そのもとで,たくさんの家族が同じ仕事に従事していた。
ところが資本主義になると、職住の分離がおきます。生産や仕事の巨大化・集中により、職場が家の外になる。「通勤」が生まれ、家の中から仕事が消えていくわけです。その結果、従来の、仕事の場であり私的な場であったという家の二重の性格がひとつだけにまとまります。純粋に「私的な家庭」になるわけです。これを英語でホームといいます。これの翻訳語が「家庭」です。「家庭」ということばがつくられ、普及されるのは明治に入ってからのことです。
そのなかで、たくさんのお金を稼いでいる男の妻が、家庭を取り仕切るという仕事に専念しはじめます。これが「専業主婦」のはしりです。ただし、最初の専業主婦=「奥様」は、お金持ちの「奥様」ですから、家庭に「召使」がたくさんいます。マルクスの『資本論』にもイギリスの労働者階級一覧表で一番多いのは召使階級だという数字が出てきますが、日本の戦前の「奥様」の家にも「召使の部屋」というのがありました。
〈憲法による明治民法の否定と「主婦の大衆化」〉
しかし、こうやって誕生してきた「主婦」は、明治民法によってしばられていました。たとえ金持ちであったとしても、女性には政治的な権利がなく、それどこか財産相続の権利もない。だから、生まれてから死ぬまでずっと男に依存し、男に従属しないと生きていけない。これが法律によって社会のすみずみにまで強制された。庶民の女はまだまだ農村で漁村で大いに働いていましたが、それでも社会的な権利がうばわれたことにはかわりがない。おそらく、この明治というのは、日本女性の社会的地位が、歴史のなかでもっとも低くなった瞬間です。
それが戦後になって、憲法ができて男女は平等だといわれるようになります。この瞬間、女性たちは一斉に社会へ、職場へ進出します。ところが、それを上回る比率で専業主婦が増えていきます。いわゆる専業主婦の大衆化です。特別なお金持ちではない、「サラリーマン奥様」の登場です。専業主婦比率がもっとも高くなったのは、1975年です。
4)資本主義の形成と専業主婦(2)――学習論文「財界による家事と女性の管理戦略」より
〈「主婦」の誕生から大衆化まで〉
いわゆる「主婦」の誕生は,明治に入ってからのことです。農林漁業や商業でも,あるいは武士の場合にも,それまでの家は「生活と仕事の場」をかねていました。しかし,大規模な生産の集中を特徴とする資本主義は,資本家や労働者や公務員などの世界に「職住分離」を生み出します。「家庭」は英語のホーム(home)の訳ですが,これには仕事の場ではない,家族の私的生活の場という意味が含まれます。まず,男性に高い収入のある支配層に「家庭」が生まれ,そこに使用人も使いながらもっぱら家事を担当する主婦が生まれます。「主婦」というのも,ハウスワイフ(housewife)の訳語で,この時期に初めてつくられた日本語だそうです。こうして「主婦」は資本主義とともに誕生します。ただし,明治には,徳川からの「三界に家なし」を徹底する民法がつくられますから,この時期の女性は,おそらく日本の歴史上もっとも無権利な状態におかれていました。
主婦が一般家庭にひろがるのは,戦後のことです。おもな推進力は,1955年からの高度成長でした。農業の機械化が農村に過剰な労働力をうみ,都市の労働力不足がこれを吸収します。中卒・高卒の子どもたちが,大挙して都市の工場・企業につとめていく「集団就職」の始まりです。何世代もが同居する農村の「大家族」はへり,都市に「核家族」が増えていきます。若い女性も,都市へと移動しました。
しかし,それにもかかわらず,はたらく女性を専業主婦が上まわります。専業主婦比率がもっとも高くなるのは75年で,そこに向かって比率は一直線に上昇します。主婦の大衆化の進行です。高度成長は,労働者の生活にも一定の改善をもたらしました。大企業の男性サラリーマンに「妻を養う」経済力がうまれてきます。一方,企業は女性を「若年定年」に追い込みました。結婚・出産だけでなく,25才や30才での制度としての定年制がありました。こうなると,すでに農家に帰ることのできない女性たちは,経済力のある男性と結婚して,専業主婦になる他ありません。
こうして増えた専業主婦は,戦前のような大きなお屋敷にくらす「奥様」ではありません。しかし,小さな団地であっても「妻の待つ家庭」「夫を家で待つくらし」は,人々の上昇志向を満たします。専業主婦比率が高かったアメリカのホームドラマの影響もあり,「妻をはたらかせない」ことが夫の力のあかしとされ,「女の人生は夫の給料(勤め先)しだい」と語られていきます。年に一度も化粧をしない農村のはたらく母に育てられた若い主婦は,それらしい化粧,ファッション,身のこなしを,主婦向け雑誌で学んでいきました。
5)マルクスが生きた時代のイギリスの女性たち―――長島伸一『大英帝国』(講談社現代新書,1989年)より〔別紙〕
・職住一致から職住分離へ,「通勤」の開始へ(21~23ページ)
・上流家庭における主婦への「家庭の導き手」という自覚(36ページ)
・上・中流家庭で家事労働を行う「使用人」の実態(38~39ページ)
・上流家庭の女性の生きかた(41ページ)
・労働者家庭の主婦不在によるクリーニングや保育の外部化(140~141ページ)
・19世紀の女性の権利(163~167ページ)
6)「近代家族」と「主婦」の歴史―――落合恵美子『近代家族の曲がり角』a(角川書店,2000年),同『21世紀家族へ〔新版〕』b(有斐閣選書,1997年)より〔別紙〕
・「家族」のイメージは「近代家族」のイメージ(a,155~158ページ)
・ヨーロッパにおける「家庭料理」の誕生(b,41~43ページ)
・大正期から戦後までの「おくさん」の変遷(b,43~48ページ)
・近代家族の2段階(b,108~113ページ)
7)つくられる「主婦」のビジュアル・イメージ――落合恵美子『近代家族の曲がり角』(角川書店,2000年)より〔別紙〕
・ボーボワールの言葉を言い換えるなら「女は女に生まれるのではない,女を演じることによって女になるのだ」(172ページ)
〔論文目次〕
・戦後派娘から奥様へ――「主婦の友」1945~65年
・「性解放」と白人志向――「女性自身」1958~75年
・多義的な少女たち――『non・no』1971~97年
〔内容から〕
・身体技法における主婦の誕生(178~180ページ)
・主婦らしくない主婦(206~208ページ)
・戦後女性のビジュアル・イメージ(209~215ページ)
8)歴史的存在としての「主婦」
・私的「家庭」の成立
・夫の稼ぎで食えること――死なない,離婚しない,失業しない
・夫が家にいない
・「女は家にいるもの」という考え方
〔変化しているもの〕
・離婚率の上昇
・「女もはたらくもの」という考え方
・「男も家事をするもの」という考え方
・家事の軽減(社会保障,サービス化,機械化)
〔残された課題〕
・標準的労働時間の短縮――「夫が家にいる」
・社会保障の充実――子育てと介護
・「私的生活のためにはたらく」という考え方――滅私奉公でなく
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