以下は,2006年12月2日(土)PM1:30~4:00に大阪のドーンセンターで行われたシンポジウム「女性の自立と少子化を考える」での講演記録です。
「新日本婦人の会大阪府本部」の冊子『男女共同参画社会実現へ 女性の自立と少子化を考える』(2007年1月)2~15ページに掲載されました。
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講演「少子化の背景を探る--自分らしく働きたい女性たちへ」
講師 石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
政府も認める子育て政策の行き詰まり
家を出るときに、少し新聞を眺めてきたのですが、非常にタイムリーな記事がありました。政府が『少子化社会白書』を決定した、という記事です。
この『白書』のなかで政府自身、日本が世界で最も少子・高齢化が進行している国と言わずにおれなくなっている。原因について、1つは、年金や健康保険など国の社会保障給付費に占める児童家族関係給付費の割合が少ないということ。社会保障費自体が少ないわけですが、そのなかでも子どもには目が向いてないということですね。それから乳幼児への児童手当制度の拡充・子育て支援税制の検討が必要などと言っています。
この『白書』の決定を紹介した新聞記事は,男性の育児参加が日本は非常に少ない、これを促進していくためには長時間労働を改善する必要がありと言っています。要するに、今の「構造改革」路線を進めていっては、だめだということです。労働条件をますます破壊して,労働者をますます貧乏で忙しくしていく。それで子どもをつくれるわけがない。それから社会保障構造改革だ、自助自立だと言いますが、これは、子どもはお前の責任で育てろってことになるわけです。これではダメだと、今の政治路線の子育て政策の行き詰まりを、政府自身が認めざるを得なくなっているわけです。
『経済財政白書』だとか、『労働白書』なんかにも同じことがいわれている。今若い人たちの給料が少な過ぎる、と政府自身が指摘してるんです。このままいくと、非正規雇用が多すぎて、若い人たちに日本経済の強さの非常に重要なポイントであった技術というものが伝わらない。それと、若い人たちの所得が今非常に少ないですから、その人たちが30代40代になっていった場合、日本国内の消費力は恐ろしい勢いで衰えていく。それでは、日本の大企業の強さも維持できないというわけです。
2006年9月の政権交代後、文字通り小泉内閣の負の遺産が様々な形で、爆発しはじめている。そのことを誰もが直視せざるを得なくなってきているのが今の局面です。安部政権を強いと誤解されている方もいますが、この間,いくつもの知事選・市長選で敗北しています。かろうじて勝ったのは沖縄の県知事選だけ。現政権に対する不満の声は、非常に強く渦巻いています。それで民主党が勝ったので実際には政治はかわりませんが,それでもなんとか政治や社会のあり方を変えていこうという力が強くなっている。皆さん方の今日のテーマに即していえば,ゆとりをもって、子育てができる社会を作ろうという取り組みを是非大きくして頂きたい。それが政治を動かす力になります。
少子化に歯止めがかからないオカシナ日本
実は日本は,少子化に歯止めがかからない先進国では例外的な社会となっています。お手もとのレジュメに,合計特殊出生率の国際比較があります。これはお母さんが生涯の間に産んで育てる子どもの数です。まず傾向としてはっきりわかるのは、50年,80年,現在と比べた時に、基本的に先進国のどの国も少子化が進んでいるということ。それは、日本だけの現象ではありません。ところが,90年代,2000年代に他の国は出生率が戻っているのに、日本だけは記録を更新中です。まったく歯止めがかからない。こういう現象は日本と韓国だけです。この二つの国は,ものすごい長時間労働、非正規雇用がすごく多いという共通の特徴もつ国です。
どうしてこの急速で歯止めのない少子化が起こっているのか。また,それはどういう影響を国民の生活にもたらすのか。まず個人にとっては、持ちたい子どもが持てないということです。本当は二人,三人と欲しいけれど、いろんな事情で一人で手いっぱいということになるわけです。また少子化の背景に未婚とか晩婚が広がってる。価値観の変化があるとよくいわれますが、同時に,そういう価値観を作り出さざるを得ない現実の厳しさがあると思うんです。未婚や晩婚でないと仕事は出来ない。つまり、仕事と家庭を両立させる条件がないから、未婚や晩婚になっていかざるを得ない。
男の側もそうです。給料ないですから、「僕なんか結婚できません」という人が20代にいっぱいいるわけです。本人は,それでも自分の人生を肯定しないと元気に生きられませんから、「僕は結婚しない生き方を選ぶんです」という。しかし,実はそこに追い込まれている。つまり一人一人が自分の生活の幸福を追求するという当たり前のことが,とても難しい社会になっている。だから少子化は,やはり個人問題ではなく社会の構造の問題だと思います。
もう一つ、社会にとってはどういう問題が起こるのか。子ども生まれないわけですから、社会全体の中で年配の人の比率がどんどん増えていく。そうすると社会の活力がなくなっていきます。新しいことを考えよう、新しい仕組みを作ろう、新しく日本社会をこういうふうに発展させよう、という生き生きとした力がなくなっていく。高齢者の老後のお世話で精一杯だ、というような社会になってしまうわけです。それは非常に不健全な社会です。そういう社会にならないために、ヨーロッパ各国は一生懸命、少子化を逆転させている。日本の政府はその不健全さを自覚してはいるが,これを解決する力をもっていない。
直接的な要因には,皆さん方の今日まとめられてるアンケートの報告書にもあるように,色んな問題があるわけです。しかし,大きな問題としては,ひとつは労働条件。子育てしてるゆとりがない。時間がない。子育てしたくても給料が足りない、という問題です。
今の日本では非正規雇用の労働者が全労働者の三人に一人です。この人たちの給料がどれぐらいかというと、正規雇用の6割しかない。しかも、社会保険がない。年金、健康保険がない。さらに非正規雇用には1日雇用といって、「明日、俺どこの職場行ったらいいのかわからない」という人たちもいるんです。だからそういう人たちは,ケータイを手放すことが出来ない。手放してしまったら、明日の職場がどこかわからなくなるからです。今、15歳から24歳までの若者だと二人に一人が非正規なんですね。
二つ目は、子育てと仕事の両立を支援する社会的条件がない。保育所が近くにない、どんどん統廃合されていく。それから、身近に子どもの健康を守ってくれる病院がなくなっていっている、安心して遊ばせておける遊び場もない,訳のわからないような犯罪があって子どもから目が離せない。子育てを安心して出来るような社会環境がなくなっていっているわけです。
もう一つ、子どもがやっぱり欲しいけど持てない理由になっているのは教育費です。日本の学費って世界で一番高いですよね。しかも、突出して高い。大学で見ると,第2位がアメリカです。アメリカは学校によって学費の格差はものすごく大きいんですが、でも多くの学生がいくのは,平均すると50万円くらいのところです。今日本では,独立行政法人になった「元国立大学」でさえ50万円を超えてます。私学ばかり集めたら100万円を超える。こんなに学費が高い国は世界に存在しない。ヨーロッパはだいたい1年に1回、学生証を更新するための手続費がいるだけなんです。安いところは1万円、高くても10万になるところはほとんどない。今、世界で学力が一番高いといわれるフィンランドは、幼稚園から大学院まで無料です。日本は特別に子育てにお金がかかり、格別に教育費がかかるので子どもを産みづらい,育てづらいわけです。
これらそれぞれの問題は,どれも皆さん方が強い実感をお持ちのことだと思います。このあとのシンポジウムで、こういう問題をどう解決していったらいいかについて、皆さんで知恵を集めて頂きたいと思います。
人類の歴史の中の人口増加の4つの山
それで今日の私の話は、これらの具体的な問題を考えるためのもう少し大きい背景の問題ですね。少子化とか、人口とかということを、どう考えたらいいかという基礎理論、基礎知識のお話をさせて頂きたいと思います。
人口の増減と社会のあり方のかかわりをみていきます。レジュメに,100万年前からの地球人口の変遷という、ものすごい表があるのですが、だいたい人口は一貫してずっと増えています。最近になればなるほど、人口は急速に増えている。しかし,良く見ると,のべつまくなしに,同じようなテンポで増えているわけではないんですね。
100万年前からの地球人口の変遷ですが,勿論当時数えていた人がいるわけではありませんから,相当誤差はあると思いますが。その増え方には段階があります。はっきりと、グッと増える瞬間と,なだらかに横ばいになってる瞬間がある。グッと増える山は4つあります。グイグイと4回伸び、4回伸び悩むんです。だいたい一つ目のグイッのところは、人類の祖先が、まあエライ昔の話ですが、アフリカからユーラシア大陸へ出ていったぐらいの時期です。二つ目の山は,農耕の開始です。つまり少しは安定して飯食えるようになって来たなっていう時期です。三つ目の山は、先進国で人口転換が起こったということ,四つ目の山が途上国で人口転換が起こったということです。
人口転換というのは何かと言うと、たとえば現代の日本社会は少産少死ですね。あんまりたくさん産まれないし、あんまりたくさんは死なない。保健とか衛生とか医療が行き届いてるから死なない。ところが100年200年前だといっぱい死んでいる。だから,たとえば5才までよく生きたねっていうふうにお祝いをしていたわけです。つまり多産多死だった。たくさん死ぬから,たくさん産んでいた。じつは、どこの社会もそうだったんです。
それが、多産多死から少産少死に変わる瞬間が来る。これは農業が発展して栄養が良くなり,また医療や保健が発達する資本主義の形成期のことなんですね。これでまず死亡率だけが低下する。そうすると社会は多産少死になるわけです。そうしたら人口がバーンと増えますよね。いっぱい産まれてるけど死ぬ人は減っているわけですからね。この多産多死から少産少死への過渡期に生じる多産少死の瞬間のことを人口転換の時期と呼ぶんです。この時期をへて,何十年かすると「あ、死なないね」「そんなに産まなくていいんだ」ということを社会全体が理解していく。そして少産少死に落ち着いていくんです。
実はそこには産業の転換も大きな役割を果たしています。農業というのは、人間の労働力がたくさん必要とする産業です。だから子どもがいっぱいいるというのは重要なことだったわけです。ところが、農業中心の社会から工業中心の社会に変わっていくと、子どもがいっぱいいても、それぞれみんな違う職場に働きに行くようになりますから、いっぱい子どもがいるってことが、生活のためにぜひとも必要な条件だということにはならなくなってくるわけです。
ともかく,こうやって人類史な長い目で見ると,4回こういう山がありました。さて、先進国は今少子化に悩んでいるわけですが,地球全体は人口爆発のさなかにあります。このままだと人口は100億になるぞという予測もあるんです。ですから、少子化、少子化って、騒いでるのは、先に資本主義になって、既に少産少死になっている社会だけ。アフリカとか南米とか南アジアとかは、今が人口転換の時期にあって,人口爆発の時期なんです。ようやく資本主義の段階に入って,栄養が安定してきて,医療や保健も充実してきて,それがまだ数十年しか経っていないので,多産多死から少産少死に移りきっていない。多産少死です。
だから出生率が高いところは6ぐらいありますよ。それが、だんだんしぼんで来ているという状況です。しぼんでるんですが,出生率は2.1くらいあったら、人口は増えますから、6もあったらエライ勢いで増えていくわけです。ですから、地球全体はすごい勢いで、人口急膨脹中。だから,これで資源が持つのか、水は持つのかっていう話題が出てくるわけです。だから,先進国と途上国では,人口のあり方については,別々の違った悩みをもっているわけです。日本が少子化だから,世界中どこでも少子化なんだろうと思うと大きな間違いになるわけです。
日本の歴史にも人口増加の節目がある
次に日本の歴史を見てみます。レジュメの「日本の人口の長期的変動」をみてみると、弥生時代とか縄文時代とかの人口の推計などもあるわけです。日本もずっと現代に近づくほど人口の増加は急速で,しかし,やはりそれはなだからな増え方ではなく,いくつかの山をこえながらの増加になっています。最近だと1900年ぐらいからドエライ勢いで増えてます。1900年ごろって何かというと、日本で産業革命があったころです。ちょうど、資本主義が確立するころ。その瞬間から、ものすごい勢いで増えてます。で、ドカーンと増えて、1億2千万から3千万近くまでなって、いま減りだしている。今後の見通しでは、急激に減って行く。『少子化社会白書』の推計でも2050年で人口は1億人まで減るだろう、と。2千万減るんです。これは隣近所6軒あったのが、いつの間にか5軒になったね、ということです。そういう状況が日本中で起こっていく。
少し時代を遡ると,縄文の後半期は人口が減っていますね。そして社会の構造転換があって,その減少や停滞が突破されていく。縄文時代の後半に人口が減っていくというのは、寒冷化なんですね。気候がずいぶん変わっていくわけです。今までは北海道まで行っても、あったかくて、海に出れば、貝とか魚がいっぱいあった。ところが気温がどんどん下がって、寒くなる。そうすると、北の方では生きづらくなるわけです。関東北部でも、かなり人口が減ったというような研究があります。しかし,その後、人口は盛り返しますよね。もう一度あったかくなったのかというと。そうじゃあない。人間が農業をやるようになったんです。自然の力,気候の変化に左右されないで生きていけるような力を身につけていったわけです。つまり,人口が増えたり減ったりというのは、社会の仕組みにかなり深くかかわっているわけです。
その社会のあり方について人口を研究している人たちがまとめてくれたのが,レジュメの「日本の文明の4段階」です。日本社会の4段階です。
一つ目が縄文システム。これは、自然にあったものを取って食べていた段階です。北の方へ行くと、今でいうアイヌ人の祖先がいっぱいいたわけですが,彼ら海の肉をずいぶん食べていた。それが何で解るかっていうと、骨の中のコラーゲンの量かなんかを見ると、解るらしい。化石を調べるんですね。人の骨です。それから人間の排泄物の化石もいっぱいあるらしく、それをつうじても人が何を食べていたかが,かなりわかるそうです。北の方へ行くと、トドとかアザラシとか、そういうものをいっぱい食ってる。で、関東まで下りて来てですね、山の中へ行くと,今度はシカとか、イノシシとかを食べている。同じ日本列島でも,地域によって、相当食いものは違っていたんですね。
そういう状態から徐々に、二つ目の段階にうつる。次は,水稲農耕化システムです。弥生時代になって、定住を始めて、米などを食うようになった。いろんな作物をつくるようになります。
しかしそれによって保障できる人口にも限界があった。その限界を突破したのは、三番目の経済化社会システムです。だいたい室町時代ぐらいからだと思うんですが、これは市場が発展するんですね。この段階は貨幣が本当に必要になるほどに商品交換が発達した段階です。こうなると,家のまわりで作れるものばかり食ってたという段階が越えられる。それまでなら遠くでしか取れない食べものが食べられるようになるわけですね。江戸時代でも、和歌山から紀伊国屋文左衛門がみかん持って、江戸まで行く。で、売ってものすごい大もうけするわけですね。で、江戸の人たちは、「ほう、そうか、これが和歌山のみかんか」って、食えるようになる。そういう交流がおこなわれることによって、自分の身の回りの生産物しか食べれなかったという歴史の瞬間が本格的に乗り越えられていく。
そのあとが,20世紀の資本主義の工業化システムです。農業も機械化が進み、それから生活の苦労も、機械によって軽減され、医療・保健が非常に発達する。赤ん坊も何ヶ月になったら注射打ちに、何ヶ月になったら薬飲みに来い、と保健所から声がかかるわけで、おかげで小さいときにあまり悪い病気にはならないというシステムが出来上がっている。こういう具合に,人口が増えたり減ったりというのと、社会のあり方というのは、密接な関係があるわけです。子どもが産まれないというのを、持ちたくない人が増えたからだ、なんて観念的に解釈するんじゃなく,「持ちたいけど、もてないな」「もう、あきらめる」という人がなぜ増えてきたのか。そこを社会の仕組みの問題として,ちゃんと見る必要があるわけです。今日のゆきづまりを突破する社会のあり方は何なんだろうかと。
資本主義社会と「家庭」「主婦」
では、私たちが生きている資本主義社会のしくみが,どういう子育ての条件をもっているか,あるいはいないのかという問題を見ていきます。結論からいうと、資本主義における子育ての特徴は子育てをもっぱら家族でやるようになったということなんですね。そういうと驚かれる方もおられるかも知れませんが,これは昔からのことではないんです。地域の共同体ぐるみで、子どもを育てる、近所ぐるみで育てる、村ぐるみで子どもを育てるといった家族をこえる集団の共同がいっぱいあったわけです。ところが今は,それがないですね。うちの子どもが腹をへらして泣いていても,隣近所の誰かが慌ててやって来て親のかわりに飯を食わしてくれる、なんてことはないわけです。だいたいマンションになると、3軒隣に誰住んでるかもよくわからない。子育てはもっぱら、家庭の仕事になっています。
そもそも「家庭」が誕生するのが、資本主義にともなってのことだという問題があるんです。これも驚きかも知れませんが,実は資本主義社会になってくるということは、農業や林業や漁業を中心にした社会から、工業を中心にした社会に変わるということですね。ところが,農林水産業は,どれも家族ぐるみの共同労働です。農業は家族ぐるみ、今も農業のさかんな地域に行ったら、みんなで働いている。田植えの時期は今でも小学校休み、子どもも共同労働です。漁業も分業はあっても共同労働なんですね。魚をとりに行って,陸に上げてさばくまでは、お父ちゃん。その後さばかれた魚を売りに行くのは、お母ちゃんの仕事,といった分業があったんです。
ところが工業化されていく。そうすると家族単位の共同労働はこわれていきます。工業になったら、お父ちゃんは、働きに家から出て行くんです。で、どっかの工場とか、事務所へ行く。今までは、「俺の目の前が職場」だった。海とか山とか田んぼですね。だいたいそういう職場のど真ん中に家があった。ところが今は、違いますね。朝起きたら「地下鉄乗ってどこか、行かにゃならん」。通勤ですね。つまり、家から仕事が消えていくんです。それまでの家は、職住一体で、家の中に牛がおっても、鶏がおっても不思議はなかったし、海で使う網があったり,山で使う罠を作ったりもしていた。仕事の場所と生活の場所が一体だった。それが資本主義では離れるんです。そうすると家庭は、職場ではなくなる。自営業の場合以外は、家庭は職場ではなくなっていく。こうして純粋にプライベートな空間としての「家庭」が生まれます。家庭は「家族の愛の場」といった言葉も出てくるわけです。
さて、この「家庭」お金持ちの家から順に「主婦」が誕生します。「女は昔から家にいたんだし」と言う学生がいるんですけれど、それは違います。家事に専念できる女性がたくさん生まれるためには,ものすごく社会の生産力が発展して、稼ぎの為に誰かが働かなくても何とかやっていけるという条件が必要です。貧乏でみんな大変だった時は、男も女も子どもも年寄りも、働かないとならなかったのです。日本で「主婦」が生まれてくるのは,明治になってのことですね。その頃の主婦のいる家の間取り図を見ると、必ず「女中」部屋があります。つまり上流階級の家庭ですね。当時のお金持ちの奥様は自分で冷たい水に手を入れて、米を磨いだりはしませんでした。「ネエヤ、あんたがやっておきなさい」なあ~んて言ってたわけですね。
高度成長と革新自治体
いずれにせよ,資本主義社会になると子育ては,基本的に家庭だけにまかされるようになる。その費用はどうなるか。基本的には賃金でやるということになる。そうなると,家が貧乏でも地域社会の助けでなんとかなったというのは、どんどん希薄になっていきますから、家が貧乏だったら家だけ困っていくという状況になってくるわけです。それをなんとかしようというので,プラスアルファーとして社会保障が子育ての費用になっていきます。だから,豊かな子育てに肝心なのは、賃金と社会保障になります。父ちゃん母ちゃんの給料が多いか少ないか、保育料が高いのか安いのか,児童手当が高いのか安いのか。これが、決定的な問題になってくるわけです。
工業が発展する高度成長の過程で、日本では農村から都市への大量の人口移動が起こります。何故かというと、農村は機械化で人手が余るんです。都市部は、どんどん新しい工場が作られ、人手不足になります。ですから、中学卒業、高校卒業しましたという子が夜行列車に乗って、東京へ大阪へと、集団就職したわけです。そうすると、その子たちは地域社会から切り離されます。大阪に初めて出てきた。いっぱい車が走っていて、怖いな。隣近所に誰が住んでるかもわからん,ってことになる。そういう人たちが集まって都市はつくられますから,子育てはやっぱり自分の家庭でやるしかないわけです。
しかも、都市の中での家族の単位が小さい。そうすると、子育てにまた問題が起こる。それは、お母ちゃんが苦しい時に、子育て代わってくれる人間がいなくなるということです。おばあちゃんが同居してたら、「わたし、ちょっと、今日からだの調子悪いから」と、おばあちゃんにまかせられたし、兄弟姉妹が近くに住んでいたなら、ちょっと子育てバトンタッチっていうのが出来た。ところが今は身近にバトンタッチできる相手がおらず,子育ての大変さが一身に母親の肩にかかってくる。これが,耐えきれなったときに,虐待だとかノイローゼだとかの理由の一つにもなるわけです。
そこで,他方には,それでは困りますという取り組みも進みます。確かに地域の共同体は、壊れたけれども、新しい子育ての共同・ネットワークですね。公的支援というものを作って下さい、という運動が進むわけです。それが、皆さん方の先輩たちが60年代に行った、例えば「ポストの数ほど保育所を」という運動ですね。
それから、60年代70年代は、革新自治体づくりが進んだ時期ですね。いま学生に革新自治体と言ったら、完全に死語ですよ。「かくしんって、どんな字ですか?」ってなる。大人が教えていないからです。ですから、説明するのが大変ですが、ようするにアホなことに税金をつかわないで,人間のために使おうよという自治体が、日本中にいっぱいあった。その代表格の京都の蜷川府政というのは、高齢者医療を完全無料にしましたよね。だってお年寄りは、戦争の苦労を経て、日本を復興させて,何十年間も働いて、税金を納めて働きた。その人たちが定年になって働けなくなったからといって、金がないから医者に行けない、なんていう老後を、過ごさせてはいけない。そういうヒューマニズムにあふれて、これを実行したわけです。これが革新自治体の精神でした。
その中で、保育所をいっぱい作りましょうと,そういう知事が大阪にも出てきて,さらに京都より若い年齢から高齢者医療を無料にしますよといいだした。教育の充実も進みました。その後、当時の社会党が自民党側にまわったために,革新自治体はつぶれてしまいましたが,それでもたくさんの人たちの取り組みによって,産前産後休暇の充実だとか、育児休暇だとかが,少しずつでも作られるようになった。
つまりこういう歴史からわかることは,資本主義の原理にまかせるだけでは子育ての条件なかなか守れない。資本主義の原理は、人間を安く使いましょうとか、出来るだけ長時間で働きましょう、あっちからこっちへ単身赴任でとばしましょう、お母さんは低賃金のパートでこき使いましょう、ということを求めますから,それを野放しにしたのでは,子育ての条件も守れないわけです。だから,資本主義の金儲け第一主義の原理を抑える力が伸びないと,ゆとりある子育てはできないわけです。
専業主婦の「得体の知れない悩み」
つぎの「働く女性の増加と少子化の進行の問題」ですが、少子化というのは、先進国共通の現象です。日本だけのことではない。では,どうしてそうなってるか、ということです。まず「近代家族の終焉」とレジュメに書きましたが、近代家族というのは「男は仕事,女は家庭」という性別役割分業のある家族のことですね。もっぱら男は外で働いて女は家事をする、家事育児をするということです。ヨーロッパはそれが非常に増えたのが、第一次大戦と第二次大戦の間なんですね。戦間期って、よく言いますけれども。19世紀にまずお金持ちの専業主婦が生まれ、20世紀の前半にサラリーマン家庭の主婦がガーッと増えた。日本だとサラリーマン家庭に主婦のいる「近代家族」が広がるのは高度経済成長期のことです。ヨーロッパより遅れるわけです。
戦後にサラリー主婦が増えて,日本で専業主婦の比率が一番高くなるのは1975年ころのことです。そこまでサラリーマン主婦は増えるんです。戦前はお金持ち主婦、冷たい水で米といだりしません。戦後のサラリーマン主婦は、冷たい水浴びまくりになっていくわけです。それが増える過程で,いろんな見栄もはたらきます。男は「いよいよ俺も妻を家においておく甲斐性が出来たな」とかいうわけです。女は「お母さんは一年中、田んぼで泥まみれになって、年に一回も口紅を引くことがなかったけれど、私は、あり難い旦那のおかげで、家で子どもといっしょに夫を待つ生活が出来るようになりました」というわけです。上昇志向ですね。こうやって「近代家族」が増えていきます。
ところが近代家族は短命なんです。ヨーロッパだと戦後になると早々と崩れてきます。女性たちが働きに出るんです。私たちも経済的に自立したい。社会の中で自分の能力を伸ばしたい。社会の中で生きがいを持ちたい。同時に家庭を豊かにしたい。日本はそれが75年ぐらいから始まります。日本で75年ぐらいというのは理由があるんです。一つは高度経済成長が終わった。父ちゃんの給料上がらなくなった。ところがそれまで、19年間高度成長続いてて、父ちゃんの給料はずっと上がってたんですね。だから家のローンとか組んでるわけです。そこで,父ちゃんの給料が上がらなくなった。えらいことや。母ちゃんも働かねば,となるんですね。
合わせて70年代前半というのは、ウーマン・リブが日本に入って来る時期なんです。ウーマン・リブというのは、専業主婦からの運動なんですが,アメリカのウーマン・リブの旗手で、ベティ・フリーダンという人がその運動の原動力を専業主婦の「得体の知れない悩み」と表現しました。アメリカは今は女性の働いている率は高いんです。ですが戦争直後は、専業主婦の比率が80%ほどもありました。だから例えばみなさん方が、子どもの頃に見たアメリカのホームドラマでと、必ず、お母ちゃんは、金髪でパーマかけて、専業主婦だったんです。で、夕方になると、「子どもが帰ってくるから」と言ってケーキ焼いたりしてる。
ところが、そのお母ちゃんたちから、不安が出て来るんですね。私は願いどおりいい夫と結婚した。夫はよく働いてくれます。郊外に小さな家も買い、子どもも二人出来て、いい子たちばっかりだ。庭には芝生、家には犬がと,昔の小坂明子の歌みたいになっていくわけです。とこが,ふっと思うわけです。「私の人生は夫のため、子どものため、年寄りのため。それでいいの? 私のための私の人生はどこにあるの?」ということですね。これが得体の知れない悩み,不安。ここから女たちにも社会中での生きがいをというウーマンリブがはじまるわけです。で、アメリカは急速に専業主婦主流派社会から、キャリアウーマン主流派社会に転換します。その思想が日本にも入って来たのが、70年代前半。
だから,女たちも働こう。社会の中で生きがいを、という考え方が出てきたのと、父ちゃんの稼ぎがもう伸びない、というのがうまい具合に重なった。で、そこから専業主婦比率の上昇が少しずつですがはじまるわけです。
はたらくけれども低賃金
先進各国の出生率をみると、だいたい戦後一貫して80年代ぐらいまで、どこの国も下がりっ放しですね。すごい勢いでどこの国も下がっています。お父さん,お母さんから2.1人くらいの子どもが生まれないと人口は維持出来ません。それより少ないと人口は増えないわけです。そうすると先進国はどこも,2よりも下がっていきますから、いままでどおりの社会の維持ができなくなってくる。先進国共通の現象です。
で、どうして一斉に各国でこういうことが起こったのか。それは女性が働きに出だしたということです。しかし資本主義の家庭は、もっぱら母親だけに家事を押し付けてきた。だから,はたらきながらでも出産,子育てができる社会に社会の仕組みがかわらなければ,子どもの数は維持できなくなります。保育所が豊かにつくられました。お父さんの労働時間が短くなって、お父さんが家事・育児にくわわるようになりました。お母さんが夕方には家に帰ってきます。それでそれなりにちゃんと給料がもらえます。そうならないと仕事と出産や子育てが両立できなくなったわけですね。
最初に確認したように、ヨーロッパは少子化がすすんだあとで,これがグッともどってくる。少子化が,一度は底をうってるわけです。下がりっ放しの国は、非常に少ないんです。戻してる国はどういう国か、「お母ちゃんよ、うちへ帰れ」そういう古いタイプの国じゃないですよ。ヨーロッパで今だに「おかあちゃんよ、うちへ帰れ」と言ってるのはイタリアとスペインくらいです。イタリアとスペインは,女性の労働力率が低くて,出生率も低い。反対に北欧なんか、女性が80%も90%も働いてるわけですね。それでいて出生率はすでに低下の底を打っている。日本はよくM字型雇用っていわれるじゃないですか。若いときに正社員で就職します。結婚したら辞めます,子ども産まれたら辞めます。そして子育てが手から離れたところで,もう1回仕事にもどる。でも,もう正社員になれません。パートですよね。ですから、日本ではパートと言ったら、「おばちゃん」という言葉がついてくる。OLと言ったら、若い人というイメージがあるわけです。
ところが北欧はその典型ですけどね、逆U字型ですよ。結婚しても,出産しても仕事をやめる女性は多くない。だからM字のようなへこみができない。実は,へこんでる国なんて先進国では少ないんですね。先進国でへこむというのは、労働と子育てを両立させられない未熟な社会ということですよ。スウェーデンなんか完全に逆U字型で女性の労働力率は、一番高いときは90%もあります。
それが可能なのは,どういう条件のある社会なのか。一つは、労働時間が短いということ。日本の労働時間は年平均で、公式統計で約2000時間です。その上に日本はサービス残業ある。さすがにサービス残業は公式統計には出づらい。違法行為ですから。「やあ、わが社、違法これだけやってるんですわ」とは申告しませんから。ですから,そこは労働者に確かめる必要があるわけです。そうすると、サービス残業含めて日本の労働時間は、年間2,200~2300時間になる。つまり、全労働者が平均して、年200~300時間,毎日1時間とサービス残業しているわけです。異常ですね。さすがに厚生労働省も「それはやめようね」と,最近は言ってます。
これに対して,ヨーロッパの労働時間は、スウェーデンだとかドイツだとかフランスは1500時間で、日本より年間で700~800時間短い。これは、年250日働くとして、1日3時間の差があるということです。日本の父ちゃんがふらふらになって10時に会社出る時に、ヨーロッパの父ちゃんは7時に出ている。日本のお父ちゃん,お母ちゃんが7時に職場を出たときには,ヨーロッパのお父ちゃんお母ちゃんは4時に帰ってる。で,年に数回,日本の労働者が、定時に終わってしまって本人も驚いているとき,ヨーロッパの父ちゃん母ちゃんは2時に出ているわけです。これだと,昼寝して、買い物行って、それから保育所行けますね。1日3時間の労働時間の差があるということは、そういうことなんです。
ですから労働時間短縮というのは、ものすごく大切な課題なんです。それが、世界一長いってのは,何の自慢にもなりません。ヨーロッパの人から見れば「野蛮で、未熟な国だね、あんたたちの国には人生の楽しみってものが、ないんだろう」としかならないわけです。「働き人間ばっかり」ということです。オランダは今、労働時間が年間1300時間台ですね。つまり、日本より毎日4時間短いんです。じゃあ、みんな貧乏人かというと,そんなことはないですよ。
日本は変な国なんです。世界第二の経済大国だって言いながら、インスタントラーメンがこんなに売れる。昼御飯はコンビニおにぎり。食生活がめっちゃ貧しい。それしか給料貰ってない国だということです。時間給でいったら、日本の労働者は、ドイツの1.8分の1ですからね。だから、向こうはね、日本人の半分ちょい働けば、日本人と同じぐらいの生活がちゃんと出来る。もし日本人と同じだけ働いてしまったら、そんなに働きたくないと思いますけれど、収入は日本人の1.8倍になるんです。いま日本人労働者の平均年収は500万円切ってますよね。世帯で見ても700万円切ったぐらいですよね。ということは,ドイツ人は日本人と同じだけ働いたら、それだけで、み~んな世帯収入が1千万、軽く超えていくってことですね。
今、日本の大企業は,めっちゃ儲かってますよ。バブルの時より儲かっています。「景気の長さはいざなぎ景気を超えました」なんて何かわけわからんこと、言ってますよね。労働者の所得は下がりっぱなしですよ。97年がピークで下がってます。それで何が「景気がいいだ」と思って見ると,中身は大企業の利益です。だから格差社会なわけ。めっちゃ儲かる一握りの大企業と金持ちと、あとはどんどん貧乏になる圧倒的多数。だから「景気がいい」という言葉と「ワーキングプア」という言葉が,同時に新聞にも登場するわけですね。
社会保障と代理母
戦後ヨーロッパと日本の大きな違いは社会保障ですよ。それと教育費。ヨーロッパは、教育費は基本的には、国持ちなんです。なぜなら、子どもというのは、将来この国を支える重要な宝だから。やる気があって賢いにもかかわらず、学校行けないなんてことが、決してあってはならない。これがヨーロッパ社会の考え方ですね。
ご承知のように、フィンランドは、それを日本の教育基本法に学んだわけですよ。教育基本法全部実施しようとがんばったら、結果的に世界一の学力になっちゃった。18人学級だそうですね。それだけ国が先生方にも手厚く、教室もちゃんとしっかり作って、それで人数が18人だったら、そら、一人一人の個性もわかりますよね。そうに応じた教育もできます。でも30人,40人おったらどうしようもないですよ。どんなに先生頑張ったってね。
それから、保育所なんかも、スウェーデンはね、これは色々議論があるんでしょうが、家庭型の保育なんです。つまりマンションンの一室みたいな保育所で、普通の家と同じトイレも使い、同じテーブルや椅子でご飯も食べ、冷蔵庫も開けさせるし、といような保育なんですね。で、すごい少人数です。そのマンションの中に、子どもは5~6人。保育士が2人くらいというかんじですね。保育所はスウェーデンでは5時には閉まるそうです。5時に閉まっても、お母さんは90%が働いても、迎えにいけるんですよ。だって日本より、労働時間毎日3時間短いんだから。父ちゃんと母ちゃんどっちかが、2人とも正規職であっても迎えに行ける。だいたい4時ごろ迎えに来るそうです。で、「4時になっても来ないね、じゃあこの子お腹空くね,うちに帰るのが5時頃になるね」とうい子どもには、おやつをくれるそうです。
こんなふうにいうと夢のような社会に聞こえますが,これは今地球の裏側にある国です。それを反対の立場から見れば、地球の裏側に日本という変な社会があるらしいということになるわけですが。なんで日本人はあんなに働いてばっかりなんだ,その割にはインスタントラーメンばっかり食っておる,どうも豊かとは思えんなーと。
ところが,そのスウェーデンでも,これだけ労働時間短縮して、社会保障充実しても、まだ出生率は2.1までもどっていません。2.1をたまに超えてるのはアメリカです。だけどアメリカは、新自由主義型の働き方じゃあないか。労働時間も日本の次ぐらいに長いぞ。何でそんな子どもが産まれてるんだ。おそらくそれは移民のためなんですね。中南米からの大量の移民です。その人たちがまだ少産少死型の生活にはなっていなかった。だから、子どもを4人も5人もつくるですね。それがアメリカ全体の出生率をぐっと引き上げているようです。
アメリカというのは、民族によって、人種によって全然生活水準が違いますよね。白い人から順にだんだん色が濃くなるにつれ、貧乏になっていくわけです。一番トップの白い人の中には、ばりばり働いていて、子どもなんか作れない,だから代理母なんとかしてくれへんか,私、キャリアウーマン続けていきたいから、産みたくない,なんて人も出てくるわけです。産める条件があっても、産みたくない。だから、結局,金で子どもが買いたい。「卵子は提供するから、精子は提供するから,受精卵は提供するから」これで、アメリカには,たくさんのトラブルが起こってる。卵子を提供したお母さんだけでなく,実際におなかを大きくして産んだお母さんも子どもに対する情がわく。それで,出産の経過が子どもの耳に入ったときに,子どもに「僕のお母さんは誰なの?」という混乱が起こることになる。だから、ヨーロッパ社会はこれを認めてないんです。それは人間にとって、本来必要な制度じゃないという考え方です。
だから,ちょっと話が横道にそれてますけど,女性の自己決定権といいますが,その権利は女性だけのものじゃないですよね。子どもの権利も、夫の権利も、周辺の家族だとか、兄弟の権利なんかもちゃんと考えないと駄目なわけです。女性の自己決定権は、国などに子どもを強制的に産まさせられる、というのに対して個人の権利を主張する点では大切ですけど,それがいつでもどこでも通用するものではないということも大切です。
憲法どおりの大人の社会を
もうあまり時間がないんですが,改めてこうやって社会のあり方をヨーロッパなどと比べて日本を見ると、やはり大きな問題は,少子化を食い止める力を持たない政治指導の問題ですね。残念ながら。『少子化社会白書』でさえ、それを嘆いているわけです。しかし,実際に日本の政府がやっているのは,社会保障は切り捨てる,ますます非正規雇用をふやすといった政策ばかり。そういう政治を変えないとだめなわけです。財界とぴったりくっついた政治を変えないと。ヨーロッパだって大企業中心主義の大企業社会です。経済学のむずかしい言葉でいえば,独占資本主義とか国家独占資本主義の社会ということになるわけです。でも,その国家の性格に民主主義を少しずつ放り込むことによって,国家が大企業の利益第一主義にルールを与えるようになっている。
たとえば,賞味期限切れた牛乳でまた牛乳作っちゃ駄目でしょう。当たり前のことです。そういう当たり前のルールがちゃんとはめられてる。だから大企業第一主義ではあるんだが、大企業やりたい放題ではない社会、ルールある資本主義です。それを、ヨーロッパに学んで,日本でも作っていく必要がある。そこで、我々の力量が問われているわけです。
二つ目ですが、そのルールある社会の中身ですが,それは憲法どおりの社会といっていいわけです。日本国憲法は非常によく出来てます。第1章天皇を除けば。日本の憲法は平和を最大限追求する。戦争には加わらない。世界でもめごとがあったら、体を張って間に割って入る、というのが、日本国憲法の精神ですね。平和は子育ての大前提ですね。産んで育てた子どもが戦争に連れて行かれるなんて、なんのために育ててるのかわからないですからね。
それから、日本国憲法は「両性の本質的平等」っていってます。職場の中でも、男女差別するな。電車の中でも痴漢をするな。家庭の中でも家事をちゃんと分担しろってことですね。こういう社会を理想として追及しましょう、どうしたらそうなれるかをみんなで考えていきましょうというのがこの憲法です。この憲法の精神を雇用機会均等法の充実に、男女共同参画基本法の拡充に、どう生かすかということが大事なんです。それからこの憲法には、すべての国民の生存権というのが書かれています。生存権は国が守りますって、書いてあるんです。これが大事です。まだ首のすわらない赤ん坊にも生存権がある。これはオカミのお慈悲などではありません。すべての国民の生存権を守るために、私たちは毎日税金を払っているわけです。その税金でちゃんと国民の暮しの底支えをしようというのが憲法の精神なんです。
ま、こういうのが気に入らんから、改憲しよう、という連中がいるわけですね。こんなことやってたら、金儲からないからとかいう勢力がこういう立派な憲法をじゃまだと考えるわけですね。
それから憲法は27条で国民の勤労権ていってます。国民には勤労の義務だけではなく、権利があるっていってます。その権利を保障するのは、国の責任なんですよ。だから,こんなに失業率が高いとか、政府がリストラやり放題を見過ごしているというのは憲法の精神に反してるんですね。なおかつですね、27条が25条の後ろに来ているというのも大事なんですね。25条では,全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるとなっている。そのあとに27条があるということは,その生存権を満たすためには、勤労を保障しなければならないという脈絡でつながっているわけです。ということは,はたらく人の生存権を保障出来ないような勤労のあり方は,憲法の精神に反してるんです。つまり「ワーキングプア」をつくる非正規雇用なんてのは、憲法の精神に反してるんですよ。
日本国憲法というのは,こんなにすばらしいものです。ですから,憲法を変えようとしいる連中に対して,正面から,憲法通りの素晴らしい社会を作って行こうよという取り組みをぶつけていくことが大切です。それが結果的に、大企業第一主義の野放しを乗り越える社会をつくることにつながっていくんですね。ヨーロッパは、アメリカの新自由主義型の社会を、笑ってますよね。それは野蛮な資本主義だって。それに対してヨーロッパは自分たちを社会的資本主義ってよんでますよね。社会の力によってコントロールされた資本主義。それは,なんでも自由競争のアメリカや日本より進んだ資本主義ですよ。
理想と目の前の両方を語る
子育てへの公的支援を具体的に考えていく,どうしていったらいいかを具体的に自分たちで考えていくということも大切です。もちろん、保育所の統廃合などの悪政にストップをかける、子育て支援の公的ネットワークづくりを世論にしていくだとか。しかし,公的ネットワークがなかなか実現しないという状況もありますから,それにまけない助け合いの私的ネットワークをつくるのも大切です。子どもを持って悩んでるお母さんどうしの連絡網。インターネット上には「わたしの子育ての不安についての相談」というのがたくさんある。それに同じ不安をかかえている人が話しかけたり,ちょっと先輩のお母さんが助言する。こういうネットワークが実際にはいっぱい出来ているんです。
ミクシィという若い人たちがぶつぶつ呟いてるサイトがあるんですが,若いお母さんになっている卒業生たちのページを見ていると,近所の友達の先輩お母さんに「私の困ってること」をぽんと連絡。すると,それに対して,いろんなはげましや,アドバイスが入っている。こういうつながりは大事ですよね。これもまた社会的連帯のひとつのあり方です。いそがしいからこそ、こういうやり方が広がる。人と会う時間はないけれど,インターネットなら,そういう時間をつくらなくても済む。だから若い世帯にはとても便利です。そして,実際には,そういうネットのつながりから,実際に顔をあわせる関係にも発展しています。
今、兵庫では「子ども署名」というのをやっています。義務教育修了まで医療費を無料に、30人学級をただちにやってくれという署名運動です。これが反響が大きいのです。若い世代が,これの要求を真剣に共有してくれるのです。「ボクらの給与で子ども育てようおもったら、大変なんだ」「子どもが真っ直ぐ育ってくれるかどうか心配なんだ」。そういうことをいいながら,若い新米のお父さん,お母さんがいっぱい署名してくれる。こういう形で,ちょっとでも社会を変えていこうという取り組みが,若い世代とつながるんですね。
私は,いま,人間の社会はどうあるべきかという理想を高くかかげることが大切だと思っています。そして,それに近づくために,とりあえず何をするかということを手前で語る。そのときに,地球の裏側に日本とはまるでちがうヨーロッパがあるということ,どうしてそれが日本では出来ないのっていうのが大切だと思います。
ドイツは一週間の労働時間35時間ぐらいになってます。ドイツって世界で3番目の経済大国ですよ。そこが35時間労働でちゃんとやってるんです。あそこが時短をすすめるためにたてた労働組合のスローガンは,「夕方のパパは僕のもの」でした。「僕」はちっちゃな子どもです。パパは夕方うちに帰って来て、僕といっしょにキャッチボールしてくれるのが当たり前だと、こういうスローガンです。パパは会社のものじゃないということです。日本では家庭の都合を「私事で申しわけないのですが」なんて,引け目を感じながらしゃべることがありますが,そんなことをいってちゃだめです。家庭はとても大事、だから僕は私は家に早く帰りたい,家族が大事だから育休が取りたい,家族との豊かな生活のためにもっと給料を上げて欲しい,こういうことを胸を張って言うことです。それは我がままでも何でもない。だってそれだけ日本人はたっぷり働いてますから。 世界第二のこの国の経済は、働いてる労働者がつくってるんですから。
フィンランドは世界一の学力、教育費無償です。オランダは、夕食は家族いっしょが当たり前。世界の先進国ではアメリカと日本ぐらいです。夕方、父ちゃんがいないのが普通というのは。長時間労働なんですね。ヨーロッパでは子どもといっしょに飯が食えないとは,何て非文化的なことかと考える。そういう社会が,夢物語ではなく地球の裏側で実現されつつある。それを、大上段から、語ることが大切だと思います。「そんな理想ばかりいってもダメだよ」というのに対して,「地球の裏側でできてることの何が理想だ」と切り返すことが対峙です。要求はいつでも小出しにすればいいってもんじゃない。あそこまで、一足飛びに行こうという大きな要求を掲げながら、目の前の道一歩一歩進んでいく。そういう取り組みの構えがいると思います。
目に見える取り組みの工夫を
具体的な取り組みにあたっては,周りから見える取り組みを工夫してください。安倍政権は,危険だけれども強くない。小泉内閣の「負の遺産」から出発して,しかもそれを継承するとしかいうことのできない内閣ですから。国民の支持が長くつづくとは到底思えない。
近々NHKスペシャルが「もう、医者にかかれない」という、恐ろしいタイトルですが、特集番組を放映します。国民健康保険はここまで破壊されたというわけです。そんな状況があるから,安倍内閣は再チャレンジだと口先だけでも言わずにおれなくなっている。
その次のNHKスペシャルは「ワーキングプアーⅡ」です。副題は「努力が報われる社会ですか」です。つまり「報われないでしょ」という番組です。非正規雇用の人たちは、死に物狂いで働いている。すごい長時間労働です。しかも何カ所も働いている人がたくさんいる。でもちっとも報われない。小泉「構造改革」は、「額に汗したものが報われる社会を」といったが,まったくそれは実現していない。市民の怒りも我慢の限界です。だから,その怒りを組織する必要がある。そのためには,取り組みを身内だけでやらないことです。たくさんの人の目に見える取り組み,誰でも気楽にかかわることのできる取り組み,加わることのできる取り組みをする必要がある。たくさんの人がいまの政治をかえることを切実に願っていますから,その人たちと手のつながりやすい取り組みを工夫してほしいと思います。みなさんには,これからのシンポジウムで議論されることを,どうやってたくさんの人たちに伝えていくかについても,良く考えていただきたいと思います。では,これで終わります。ありがとうございました。(文責・事務局)
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