以下は,7月25日に神戸文化会館で行われた,全国商工団体連合会の第23回事務局員交流会(西日本大会)の講演録です。
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全商連第23回事務局員交流会(西日本会場)
第1日目
記念講演「歴史認識と日本国憲法」
石川康宏・神戸女学院大学教授
1・はじめに
歴史学者・憲法学者ではないけれど
こんにちは。ご苦労様です。お手もとに相変わらず字ばっかりの非常に長いレジメが入っておりまして、表題を見ると「歴史認識と日本国憲法」というふうになっているのですが、念のために申し上げておきますが私は経済学者であります。歴史学者でもなければ法学者でもないのです。このレジメは、どこで何をしゃべれと言われても、とりあえずこのレジメをわたしておけば何とかなるという、そういう総合何でもレジメになっていまして、ですから行った先々でタイトルだけがどんどん変わっていくというぐあいになっているわけです。
今日お配りしているレジメも約半分は構造改革の問題になっています。ですからその半分の問題はなかったことにしていただいて、すっ飛ばしてお話しをさせていただきたいと思います。
まず私がなぜ経済学者がこの歴史認識だとか、日本国憲法などという問題について人前に出て話をしようというふうに考えているか、その問題について最初にふれておきたいのですが。私は日本社会がこれから世界のなかでどういう位置をしめていくか、アジアとどういうつき合いをしていくか、あるいはこの日本社会が人をたいせつにし、平和を守る社会として発展していくのか、それとも格差を広げながら他国を蹂躙するような戦争する国家に変わっていくのか。これは専門家だけがしゃべるべきような問題ではまったくないだろうというふうに思っています。あらゆる市民がきちんとこの問題は語る必要があるし、ましてや大学で何事かを研究しているぞというのであれば、知識人という資格として自分の専門分野を超えて今の社会の重大問題についてはきちんと発言をしていく責任があるのではないかと思っています。
学生たちとの取り組み
レジメのいちばん最初から入っていきます。実は私は学生たちと一緒に今年の2月に『「慰安婦」と出会った女子大生たち』という本を出版しました。なぜ経済学者が「慰安婦」問題なんだということは、それは本を買って読んでいただくとしまして、要するに現代の社会のなかでかつての60年前の長期間の侵略と加害の歴史ですね。
侵略と加害の歴史が今日に至るまで日本社会ではきちんと清算がされていない。清算がされていないだけではなくて、その清算をする必要がないという憲法をつくろうという動きが今つくられてきているわけです。このことに対して、私の大学、神戸女学院大学というのは関西ではお嬢さま大学として知られている大学ですが、そのお嬢さまたちも、このままで日本社会がよいはずがないといって、私たちのゼミのなかでは一緒に韓国へ行き、かつて「慰安婦」であることを日本人によって強制された被害者たち、韓国でハルモニというふうに、「お婆さま」というふうに敬意を込めて呼びますが、その被害者に直接会って証言をうかがって、そして日本大使館の前で行なわれる、日本政府はきちんと「慰安婦」問題にケリをつけて謝罪をして、誠意ある反省をするべきですという行動を水曜集会という行動に参加したりもしています。
それもまた、私にとっては市民としての立場から、あるいは大人として若い世代にきちんとものを伝えていく必要があるという立場からしていることです。先日、7月1日と2日には東京の、早稲田にあります女たちの戦争と平和資料館というところを訪れて、加えて翌日は朝9時から3時半頃まで靖国神社の見学をしてきました。
裕仁の言葉についての富田メモ
靖国というと最近は裕仁の言葉についてのメモが出てきたというので、新聞・テレビで大騒ぎになっていますが、そのメモが出てきたという話を聞きながら、あらためて靖国神社でガイドをしていただいた方に解説をうけたことを思い出しました。みなさん、ご承知のように、メモは,ああいう形でA級戦犯が入っているからワシ(裕仁)は靖国には行かないよというふうに言っていたと。そういうことですから,これは靖国に天皇自身が行くべきであるというふうにうったえている靖国神社からすれば、一つの打撃ではあるわけですね。
靖国神社は遊就館のなかでビデオを見せるコーナーが3つか4つありまして、そのなかの「私たちは忘れない」というビデオは,靖国神社には心ある日本国民全員が参拝するのがあたり前であって、私たちは天皇陛下が参拝するのが当然だと思っていますというふうにうったえています。そのことに対して裕仁自身が、私は行くべきではないというふうに考えている、その言葉が出てきたというのは、靖国派にとってはたいへんな打撃だろうと思います。ところがもう一方、そうすると若い世代のなかには、では裕仁、昭和天皇という人は戦後はなかなか平和主義者だったのですねという誤解も出てくるわけです。戦争中、彼が最高の戦争指揮官であったのは間違いのない事実ですから、特上のA級戦犯であっておかしくないわけです。
さらにこのあいだ靖国で教えていただいて、なるほどなと思ったことですが、靖国に合祀される人間の名簿というのは事前に天皇の前を通るのだそうですね。靖国神社のなかにこういう場所があるのです。死んだ人をどうやって神様に祀りあげるかというと,死んだ人の名簿を一覧としておいて、名簿に魂を取り込むという儀式があるのだそうです。魂はどうもどこにでも浮遊しているものらしいです。そしてその魂は同時に数ヵ所におることができるらしいのですね。靖国神社の人たちの考え方ではそうなっているわけです。その魂を名簿に落とし込む儀式の場所というのが靖国の境内のなかにはありまして、そこは今、半分、駐車場になっているのですが,ともかくそこに受け入れて、それから神社の長い境内を練り歩いていって、いちばん最後に本殿にある鏡のなかに、名簿のなかに込められた魂を移しかえるということをするのだそうです。それで合祀は終了というふうになるそうです。
問題はいちばん最初の、魂を空中から取り入れるための名簿です。この名前はじつは事前に必ず天皇のところを通って、天皇が、はい、これでいいよと,じっくり眺めるかどうかは知りませんけれども、裁可するという形で靖国にわたされているのだそうです。つまり、A級戦犯14人いれるなというふうに、何でいれたんだ、親の心子知らずとかとメモにはありましたが,ですがA級戦犯14人をふくんだ名簿を裕仁本人が裁可していたわけです。ですからそれを一宮司の責任にするというのは、彼の大変な無責任さのあらわれでもあると思います。
2・改憲勢力がめざす日本の形
自民党の新憲法草案を読む──侵略を反省しない国づくり
さて、本題に入らないといけないですね。大きな一番目からお話しをさせていただきます。改憲の問題です。ここで改憲と言ったときに、大事な問題は彼らが望んでいる日本社会の全体像はどういうものだろうかということです。断片的にどこかだけつかまえるのではなくて、全体像、日本社会をどうつくりかえたいと思っているのか、これをとらえることが非常に重要だと思っています。
後ほど少しお話ししますが、この動きのなかには戦後一貫した保守政党の改憲への動きがありました。それから最近非常に強くなっているのは日本の財界の動きですね。それから9.11以降、あるいはもう少しさかのぼるとソ連崩壊以降のアメリカからの要求、こういったものが重なり合っています。
さて、1ページ目の下から6行目からです。自民党の新憲法草案について解説をしてみたいと思います。すでに改憲案は出されているわけですから、世の中で憲法の話をするときに,9条が危ないです、平和が危ないです、この一般論だけではすでに間尺に合わなくなってきているわけです。今の政府は9条をこう変えようとしています、それをあなたはどう思いますか、こういう問いかけができないと、今、憲法問題で議論ができないわけです。したがって、日本国憲法はよく読んでいるが、改憲案はよく読んでいないということになると、運動のなかで間尺に合わないという事態が起こってくるわけです。
さて、その新憲法草案の特徴を4つここであげておきました。まず①ですが、かつての侵略戦争への反省を前文から消し去る。これが政府の改憲案の第1の特徴だろうと思います。今ほど日本社会がかつての侵略戦争に対する反省の態度をはっきりさせなければならないときはないと思うわけですが、ところがその瞬間に、かつての侵略に対する反省の言葉をすべて消し去ってしまう、こういう提案が出てきているわけです。
この提案はもちろん、もう60年経っているから昔のことだからいいじゃないかと、そういうことで出されているのではありません。それは端的に言うと、かつての反省、戦争を反省しない国づくりを積極的につくっていこうということですね。それが改憲案の裏に隠されていることです。ご承知のようにこの国の首相は靖国神社へ行きますよね。靖国神社はかつての侵略戦争のなかで、天皇の命令に従って侵略のなかで死んだ人間だけが祀られている神社です。したがって東京大空襲で死んだ一般市民や、それから広島・長崎で殺された、あれも無差別殺戮ですから戦争犯罪だと思いますが、殺された子ども、お年寄り、女性、つまり軍人・軍属以外の人間は入っていないわけです。ですから戦争で亡くなった人たち全員に対して哀悼の意を表するのだというのは、祀られている人間の構成を考えただけでもウソだというのは丸わかりなわけですね。かつて侵略戦争をして、戦地で人を殺そうとして死んでいった人間たちだけが祀られているわけです。
そこへこの国の首相が、日本国民を代表するという形で、お疲れ様でした、ありがとうございました、あなたたちのおかげで今日の日本はありますというふうに言いに行くわけです。そういうことを言いに行く人間が中心になってつくっている改憲案です。現在の日本政府は、つくる会の教科書を2回、検定にパスさせました。あれが侵略戦争であるということを明記することを極力避けるテキストです。「慰安婦」問題についてはなかったという見解もある。南京事件についても、南京事件という表現ですけれども、それについても、あったのかなかったのかよくわからないというところがある、そういうことが平気で書かれている教科書です。そういう教科書に、合格ですといってハンコを押すのがこの国の政治の姿勢であるわけです。教育基本法の改正案が、戦争に参加する子どもづくりを1つの目的としているということは、みなさんも学ばれたことがあると思います。
そのように、ただたんにかつての侵略戦争のことは昔のことだからもういいや、ではなくて、明らかにかつての侵略戦争を反省する必要のない国づくりをしようというのが、この改憲案の第1の特徴だろうと思います。
海外で戦争をする国づくり
先へ行きまして、右側2ページ目ですね。下の方に②があります。この自民党改憲案の2つ目の特徴です。ここが9条に直接かかわるところですね。自衛隊を海外で、アメリカとともに軍事活動のできる軍隊にするという問題です。もう1枚めくっていただいて、3ページ目の上から2行目にアンダーラインで自衛軍という言葉が出てきますが、さらに3番目のところです。太いゴチックで3と書いてあるところです。そこを最初から読んでおきます。「自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」というふうになっています。
さて、ここが問題です。第1の規定による任務のほかと書いていますね。第1の規定というのは自衛です。つまりここに書いてあるのは、自衛のほか、軍事活動ができますという話です。さて、法律の定めるところによりと書いてあります。たとえばどういうことでしょうか。「イラク特措法により」ということですよ。アメリカがどこかで戦争を始めた瞬間に、そこに軍隊を出しましょうという法律さえつくればということです。日本はすでにその実績をもっていますね。イラク特措法で軍を出しているわけです。
そして国際社会の平和と安全を確保するためにと書いてありますが、これは誰が判断するのか。この国の政府ですね。小泉首相はアメリカがイラク侵略を始めた瞬間に、世界の平和のためにこれは当然だと言いました。つまり日本の政府が、これは世界のために、平和のために当然だと言えば軍が出せるということです。
さらに国際的に協調して行われる活動と書いてありますが、国連の指示のもとになんていうことは書いていないですね。国際的に協調する、誰とだ、アメリカですよね。日本の現実の政治を見ればわかることです。有志軍の一員として、アメリカとともに活動する。つまり、国内で戦争が世界のどこかで起こるたびに法律さえ決めれば、日本の自衛軍は世界中のどこへでも行って、アメリカとともに軍事活動ができるということですね。さらに、「及び」の後には、緊急事態における公の秩序の維持ということが書かれていますから、国内でも軍が出せるということです。治安維持のためだということになるわけですね。私たちの運動、みなさん方の運動がその治安維持の対象となる可能性もあるわけです。
ここは非常に重要なところです。9条が危ないです、9条が変えられようとしています、そう言うのは当然ですが、それに続けて、今の自民党の改憲案だと日本の自衛隊が、たとえばイラクへ行ったときには後方ではなく、最前線に出て米軍と一緒にイラク人を撃ち殺すことができるようになる。そういう改憲案でいいと思いますかということを、リアリティをもってうったえる必要があるだろうと思います。
基本的人権をないがしろにする国づくり
次、③です。改憲案の3つ目の特徴です。市民には国への愛情や責任感を一方的に求め、基本的人権については公の秩序に反しないように、というふうにしばりをかけるというぐあいになっています。改憲案の前文は先ほどひいておきました。だいたい国家権力が国民に対して、無条件に私を愛してねと言い出したらもうおしまいなんですよ。だいたい国家権力というのは、ろくでもないことを歴史的に延々とやってきたわけですから、そんなことが繰り返されないように,民主主義のルールでしばりをかけて守りましょうというのが憲法です。
私も別にこの国が嫌いではありません。納豆も好きですし、寿司も好きですし、日本酒も好きです。日本語しかしゃべれませんから、今さら外国へ行けと言われても困るわけです。しかし私がこの国の何を愛するかというのは、私の自由な判断に属することです。この国がもし平和を侵害し、生存権を守らない国になろうとするならば、私はそういう国に愛情を感ずることはできません。私はこの国が平和を守る国であって、アジアの人々から歓迎される国であって、困っている人たちにきちんと手をさしのべる国であるならば、心から愛します。そのように、本来であれば国というのは、国民に対して私を愛しなさいなんて命令するものではなくて、一生懸命、国民に愛される国づくりに努めるはずのものですよね。そこが本末転倒、ひっくり返っている。
さらに次のアンダーラインのところに、「常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」、というふうになっています。公の秩序に反しないように自由を享受するというふうに言われると、それはたしかに野放図な若い連中も一部におるなと,そういう連中に公的なルールを教えるのは大切なことかもしれないなと、そういうふうに善意の人々は思い込むわけです。
ところが、ここで言われている公益とか公の秩序というのは、この国の政治のあり方ということなのです。つまりそこを政治と読みかえるとどうなるか。それは,たとえば自立支援法という政治に反しないように障害者は自由を享受せよということです。どんどん値上がりしていく高齢者医療費の枠のなかで、文句をいわずに高齢者は自由を享受しろということです。
つまり政府の政策に絶対に反対するなということです。たとえば「構造改革」の中心に立っている竹中平蔵という人物は、社会保障は「たかり」だと何回も本に書いています。あれは貧乏人が金持ちにたかっているんだというわけです。よくそんなこというアホウを大臣につけたなと思いますけれども、しかし,そういうことを平然と言う人間が中心に立つ政党が憲法づくりをすればこうなるわけです。社会保障になんか頼るなと。国の制限する限りでだけ、細々と自由を享受しろ。どれぐらい自由が享受できるかは、お前しだいだと、自己責任だというわけです。
下に大日本帝国憲法を3つ、ひいておきました。28条を見てください。信教の自由の問題です。「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」。つまり制限を加えているわけですね。信教の自由と書いてあるのですが、戦争中の日本は天皇教ですから、天皇教に反する宗教というのは全部否定されたわけです。たとえばキリスト教の牧師さんや神父さんはずっと特高警察の監視がついているわけです。その限りでキリスト教者は信教の自由を有する。つまり自由はないのです。ここのところを一部の不心得者にちゃんと道徳を教えようということだなどというふうに誤解してはならないということです。
憲法をどんどん悪く変えられる国づくり
次に④です。さらなる憲法改正をやりやすくする、という内容が含まれています。ご承知のように今、国会で憲法を変えようと思えば両院の3分の2の議員の賛成が必要です。それを自民党の改憲案は議員の過半数でよいというふうにしています。過半数ですから自民と公明が一致さえすれば何でも憲法を変えていけるということです。わざわざこういう項目を入れているということは、もっともっと憲法を変えますからねという意思表示です。この改憲案だけでは終わりません、先がありますということです。
改憲案の本音のホンネ──元首は天皇
では,その先とは何なのか。3ページ目の一番下からです。
自民党の本音をしめす全面改憲案。もう2年前になりますが,2004年11月17日に憲法改正草案大綱というものを自民党は出しています。実はこれが全面改憲案です。これを2004年11月に出しました。そうしたら2005年1月に日本経団連がアホかと叱ったのです。こうまで全面改憲案だったらいくら何でも国民が納得しない。もっとスマートに、9条第2項と憲法改正手続きの96条だけに限定しろと言ったのです。そうやって財界に限定しろと言われて自民党は、何だ全面改憲いっぺんに行けないのかというので、昨年の秋に今紹介した4つの大問題をはらんでいる改憲案をつくったわけです。こういう経過があります。
ですから今から紹介するこれが自民党の本音中の本音です。すべては紹介できません。いくつかだけ見ていきます。4ページ目の2行目、①です。天皇の地位を強化。そういうふうに書いたのは私の文章です。ですがカギカッコの後ろはすべて自民党が書いた文章です。
「天皇は、日本国の元首」。もう頭のなかは戦前だということです。よくこんなアホウなことが言えたなと思います。ところが主権在民まではさすがに否定できないとなっています。じゃあ主権在民で天皇が国の代表っていうのはどういうことだと。もし両立させようとすれば、われわれ国民に天皇を選ばせてくれるというふうにならないとダメなわけです。ですから私たちが数年に1回、小学校へ行って、何人かの天皇候補者に「○」とか「×」とかと書かせてくれないといけないわけです。
ところがもちろん天皇については万世一系とかとホラをふいていますから、それは許さんということです。ものすごいこれは論理矛盾です。しかし,重大なことは,日本国の元首は天皇だというふうに平然と書く人間たちが自民党の中枢だということです。これは侮ってはいけないのです。まさかそんな超右翼はたくさんはおらんだろうと。そんなことはないのです。これくらいのことを平気で書く人間たちが主流なのです。なぜそうなってしまったかという歴史については後で紹介します。
国民の生存権は守らない
②ですが、基本的人権の軽視という問題です。アンダーラインのところに、「自立と共生の理念にのっとり」と書いてあります。基本的人権は自立と共生だと。つまり自分でやれと。それが無理なら貧乏人たち同士で肩を抱き合って慰め合えということです。何が抜けているか。公的責任です。国があなたたち全国民の生活の下支えをしましょうという,日本国憲法の生存権(25条)の精神がまるっきり抜けているのです。
次、③番目を見ておきます。③の2つ目のアンダーラインです。「(例えば、25条の生存権規定など)についてもこの節の中に位置づける」と書いています。この節ってどの節だというと、1つ上のアンダーラインです。「『基本的な権利・自由』とは異なり、『権利』性が弱く」と書いています。つまり25条は基本的な権利ではなくするというのが、今の自民党の考え方だということです。
そうですよね。実際にやっていることはそうですもの。自民党と公明党の政治は,金のない障害者は死ねという法律をつくるわけです。金のない年寄りは病院に来るなという法律をつくっているわけです。こういう連中がそれらの政治を一般化すれば、生存権は国が守る必要がないというふうになっていくわけです。
教育基本法「改正」の先取り
④はアンダーラインのところが、「我が国の歴史・伝統・文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を涵養する」と。つまりこれは教育基本法「改正」案と一緒です。この国が戦争を始めた瞬間に、私はこの国を愛しています,だから戦争も応援しますと,そう叫ぶ子どもたちをいっぱいつくろうということです。涵養するというのは、非常に長い時間をかけて少しずつそういう考え方を浸透させていくということです。「心のノート」が配られてもう数年になるわけですが、小学生1年生から中学3年生までのあのノートは,最初はお隣にいる人を大切にしようというあたり前のことから始まるのですが、最後はだから世界の平和をたいせつにしよう,そのために行動しようとなっています。しかし,その世界の平和をたいせつにするときに武力なしでみんなで話し合いで大切にしましょうとはなっていないのです。国際の平和のためにがんばって活動しましょうというふうになっているのです。すでにそういう精神を涵養するという活動は行われているわけです。したがってこの改憲案は決して軽視してはいけないわけです。
大企業はさらに野放しに
⑤では、「企業その他の私的な経済活動は、自由である」というふうにあえて言っています。今の日本社会、そうとうすでに自由だと思うのですけれども。金もうけのために電車をひっくり返して100人の人を殺すわけです。そして金もうけのために、走っていたらタイヤがはずれるトラックを売り続けるわけです。金もうけのために賞味期限切れの牛乳を使って、もう1回牛乳をつくって売るわけです。これが日本の大企業がしていることです。
そうであれば今の日本社会に必要なのは、大企業というのは金もうけ第一主義で困ったものだ,だから大企業が自発的に守ることができないのであれば、公的なルールを国が与えましょう、こういうルールある資本主義づくりであるはずです。ところがそういう世論に真っ向逆らって、企業の経済活動は自由であるというふうに平然と言うわけです。財界いいなりを憲法に書くとこうなるということです。
参議院議員は直接国民には選ばせない
⑥、⑦、⑧あたりが先の軍隊の話で、⑨がこれまたビックリします。国会から国民を遠ざけるという国会改革です。まず衆議院は小選挙区制を合法化するというのが入っています。今実際やっていることもそうですよね。これが決められると「一票の格差」は問題ではないということになっていきます。
さらに驚くべきは参議院です。参議院はどうやって選ぶか。われわれ、投票できないのです。じゃあ誰が投票できるんだ。1つは日本を道州制に変えて、道州議会による間接選挙だと。つまり地方議員が選挙するということです。さらにその部分と、有識者による任命にする。有識者って誰だというと首相とかと書いてあるのです。そんなものは全部自民党だっていうことではないですか。自民党が自分たちにつごうのいい人間だけを参議院にかき集めるということです。これは戦前の貴族院と一緒です。天皇のなかまだけをかき集めた貴族院ですね。衆議院は金持ちの男だけ投票できた。女は政治がわからんから投票するな。貧乏人は政治に口を出す権利がない。そういう時代の貴族院と同じです。
国会欠席の自由拡大
さらに⑩番目。よくこんなことを文章で書いたなと思うのですが、国会欠席の際限のない自由拡大です。何のための国会議員だろうなと思うのですが、※印のところです。アンダーラインのところです。「あくまでも定足数は『議決』時点だけ必要とするものとし、『議事』を進める際にはこれを要しない(つまり議長と発言者さえいればよい)」。( )の中は私が書いたのではないですよ。自民党が自分たちで堂々と書いたのです。よくこんなものを発表しますよね。
つまりですね、国会のなかの例えば何とか委員会で、何とか君、じゃあ法案の説明をというわけです。言われた何とか君が前に出てくるわけです。日本は今わけのわからんな大型公共事業に,ジャブジャブ税金使っていますのでお金が足りません。消費税をこの際15%にしたいと思いますという法案をガーッと説明するわけです。でもフロアーには誰もいなくていいのです。誰もいないんですよ。「議長と発言者さえいればよい」のですから。じゃあ,この何とか君,あんたは誰に向かって説明してるんやという話です。
説明が一通り終わりました。そうしたら委員会の議長が鈴を鳴らすのか、ブザーを押すのか知りませんが、ともかく合図をするわけです。そうしたらどこにいたのか知らない議員たちがワラワラワラと集まってきて、「俺、話、何にも聞いていないけれども賛成~」と立ち上がれば,この法律は成立するわけです。これを憲法のなかに書き込みたいと言っているのです。
一言で言ってアホかという話です。だいたい私たち、小さな子どもたちが友だち同士でアホとかバカとか言っていたら、そんな言葉を使っちゃいけないよと言いますけれども、これをつくっているのは、ええ歳こいた大人なんですよ。つくらなんでも,いい加減、分別があってあたり前の歳なんですね。それが,人に迷惑がかかるのがわかっていながらこんなことをやっている。こういう人間には正面から、お前はアホかと言ってやらんとあかんのです。
3・なぜこのような改憲案が出てくるのか
侵略の歴史が学べない世代
では大きい2番目へ移ります。なぜ、今の日本でこんな本当にたわけた改憲案が出てくるのか。この国はいったいどうなっておるのかという問題です。その歴史のお話しを少ししたいと思います。実は戦後60年以上が経っても、この日本社会は侵略と加害の歴史をきちんと反省し,清算していません。清算していない現状を許してきたというのは私たちの運動の力の弱さもあるわけです。ですから私たちの運動の力もこの点は,あらためてよく勉強しておく必要があります。
さて、戦争と戦争直後のお話しになるわけですが、私、大学で学生たちと話をしていますと、60年前日本は戦争をしていたよね,どことしていたか知っているというふうに聞きます。うちの大学はいわゆる受験生の偏差値で言えば真ん中よりは上なんです。受験勉強をしている学生のなか、生徒のなかでは真ん中よりちょっと上というところです。ところが、どこの国と戦争をしたといったとき、アメリカという言葉が出てこない学生が少なからずいるのです。これは深刻なことですよね。かつての戦争について具体的なイメージは何もないということです。
少し戦争について勉強しましたという学生が知っているのは何だろうかというと、原爆を落とされた、それから疎開してお腹がすいた、沖縄戦がありました、空襲というのもあったようです。ああ、よく知ってるなという話ですが、でもこれはものすごく一面的ですね。つまり被害の歴史しか知らないのです。
かつての戦争で死んだ日本人の数は厚生省の発表で310万人です。殺したアジア人の数は2000万から3000万と言われているわけですね。日本人が1人死ぬ間にアジア人を7人から10人、殺していったというのがあの戦争です。誰が殺したんですかと。私の親父世代です。学生たちからすればおじいちゃん、おばあちゃん世代です。つまり裏を返すとアジアには、私の兄弟は日本に殺されましたというおじいちゃん、おばあちゃんは無数に生きているということです。これが今のアジアと日本の関係です。そこがリアリティをもってはまったくとらえられないわけです。
子どもに歴史を伝える大人の責任
では,それは若い世代、学生たちの責任なのか。違いますね。今、大学を世界史で受験すると、高校時代は日本史をほとんど勉強しなくていいというルールになっているわけです。そうすると一生懸命世界史の勉強をして大学に来ましたという子たちがもっている日本史の知識は中学生レベルなのです。しかも,近現代史はほとんど教えていないわけです。そのような子どもたちに、今回の靖国問題をどう思うかねと聞いても,それは判断不能ですよ。去年の4月の中国での反日運動をどう思うかね。判断不能です。不能なのは子どもの責任ではないです。きちんとした教育を残すことができなかった私たちの責任なんですね。そこをとりちがえて,「今どきの若いものは」などというのは,無責任な大人の責任転嫁です。
その責任転嫁をしたくなければ,学校教育を変えていく取り組みが必要です。さらに,それを待たずに,大人が子どもを,若い世代を育てるという責任において,親がちゃんと子どもや孫に話すことが必要です。その責任を親世代が十分とっていない。何だお前、そんなことも知らないのかと子どもに言いながら、外では社会活動をするんですが、うちのなかではさっぱり活動しない。その結果,自分の家の子どもを社会的に育てられずに,結果として後継者難だとか言っているわけです。それは自業自得だろうという話です。
ですからぜひみなさん方も今日のお話しの後に子どもさんたちに、あるいはお孫さんたちに、戦争の事実について、この日本の歴史について語って聞かせてあげてほしいと思うのです。みなさん方が活動されている地域のなかにも知らない人はすごくたくさんいます。その人たちに対して語って聞かせる能力が必要だということです。
占領下での戦争をしない日本づくり
学生たちが知らないもう1つ重大な問題。それは、日本がアメリカに軍事占領されたということです。本当に知らないのです。進駐軍という言葉はもちろん知らないですし、ギブミーチョコレートに至ってはもちろん聞いたこともないということになるわけです。つまりなぜ,今日の日本はこんなにアメリカ言いなりなんだろうかということを考えるために必要な教養が与えられていないわけです。
ではその内容に入っていきますが、①番目からです。
まず日本は、みなさんご存知のように敗戦の後、終戦とごまかしますけれども敗戦ですね、侵略者の敗北は世界史的にはよかったわけです。敗戦の後、45年8月から52年4月まで足かけ8年間、アメリカによって日本は軍事占領されます。その間に日本はアメリカ言いなりに変えられていったわけです。さて,ではそのなかでなぜ平和憲法はできあがったのだろうか。アメリカの軍事占領下で、アメリカ言いなりの政治で、なぜ平和憲法ができあがったのか。それは占領政策が前期と後期で大きくちがっていたからです。前半と後半でまるで違ったわけです。
アメリカは戦争が終わった瞬間、自分たちだけの判断で勝手にやってきたのではありません。連合国を代表してやってきました。連合国には戦後日本はこう変えるんだよという方針がありました。それがポツダム宣言です。そのポツダム宣言を実施するためにアメリカはやってきました。さてポツダム宣言には,日本はどうするべきだと書かれていたか。戦争をしない平和な小国にすると書かれていたわけです。戦争をしない国につくりかえる。この言葉は重たいのですよ。それまで過去50年間、日本は侵略をしっぱなしなのです。日清戦争、日露戦争があってシベリア出兵して、満州侵略して、南京大虐殺をともなう中国との全面戦争をして、それでも足りないからといって太平洋戦争を開始し,ニューギニアまで行ってオーストラリアまで爆撃しているわけです。50年間、日本は侵略しっぱなしなわけです。ヒトラーと裕仁は同じくらい悪い奴だとよく言われますが、年限だけを考えたならばヒトラーのポーランド侵略は6年間だけです。日本は50年間やりっ放しです。ですから世界で最もタチの悪い凶暴な戦争国家であったのは間違いないのです。
それを連合国がこんな野蛮な国は何とかして平和な国につくりかえなくちゃと思ってポツダム宣言をつくったわけです。さてアメリカはそれを最初の段階では、自分たちの野心もからめながらですが実行していきました。日本よ、民主主義の憲法をつくれと言ったわけです。
当時の日本政府が一生懸命憲法草案を始めました。ところが46年の1月、「毎日新聞」がスクープをします。政府のつくっている憲法草案っていろいろ言っても天皇主権やでということがバレバレになってしまったのです。それで、アメリカ占領軍はビックリしたわけです。日本政府にまかせておいたら民主主義の憲法はできないと。それで例の46年2月の最初の9日間で占領軍が日本国憲法の全文を下書きしたわけです。そのときに有名な話ですよね、ベアテ・シロタ・ゴードンという22歳の女性が男女平等の条項、人権条項を書いていった。彼女は一通訳として日本に来た人です。ご両親は戦争中、日本に暮らしていまた。お父さんが有名な音楽家で東京の大学で音楽を教えていたのです。小さいときのベアテは日本で暮らしていましたから、いかに日本の女性が虐げられた存在であるかとよく知っていました。9日間で憲法を書き上げる最中に、彼女は自分が書く一言一言によって、今後、日本の女性たちの権利が大幅に変わると思うと夜も眠れませんでしたというふうに自伝に残しています。
アメリカ占領下での平和憲法の成立
そうやって日本を平和な民主主義の国づくりをしようよということでもって日本国憲法はつくられていったわけです。今の話だけだと、じゃあ,やっぱり憲法はアメリカおしつけかということになるわけですが、その憲法案を日本政府が受けとります。受けとったとき、もらったのは英語の文章でした。それを日本語に訳していくわけです。日本政府が翻訳しながらごまかしていくのです。主権在民があいまいにされていくわけです。天皇にも主権があるように、読めるように書き換えていったのです。
その後、日本の国会で憲法制定議会が開かれます。その議会のなかで、こんなあいまいなものではアカンというふうにたたかったのが共産党です。戦前から共産党は主権在民だ、侵略戦争反対だといって命がけでたたかっていました。治安維持法でつかまって,牢屋で大量に殺されているわけです。拷問で殺されていた。その人たちが戦争が終わって治安維持法自体が無効になって、牢屋から出てきた。そして46年の1回目の選挙で国会に入っていたわけです。そして,国会のなかで主権在民をちゃんと明記しろと言ったわけです。
それから第9条、戦争の放棄、武力の放棄については当時の新聞がいくつも世論調査をしていますが、すべて戦争放棄には賛成の声が圧倒的です。また連合国の側からもアメリカに対する注文がきました。主権在民がはっきりしていない憲法草案をつくらせて、お前どうするんだというふうに,アメリカは連合国から怒られているのです。
日本国憲法は下書きをしたのはたしかにアメリカですが、そのアメリカの下書きの背後には世界全体の戦争をしない地球づくりをすすめていこうという国連憲章にもあらわれたような、平和をもとめる国際的な熱意がありました。さらに日本国民自身の2度と戦争をしたくないという合意の声がありました。くわえて戦後の日本は、主権在民であって天皇主権ではないのだということを明確に求める政治的な動きがあって,これらの動きをすべて反映して日本国憲法はつくられていったわけです。
こうして46年の11月3日に,裕仁が衆議院の大会議場で日本国憲法を発表しました。これが成立するまでは大日本帝国憲法体制なので、裕仁が発表するしかなかったのです。そして半年後、47年5月3日から日本の社会は公式に日本国憲法を最高のルールとする社会に変わっていきます。
中国革命とアメリカの方針転換
ところがそこでアメリカが手のひらをくるっと返すわけです。これはアメリカ政府の得意技であるわけですけれども。アメリカはどうしたかというと、アメリカは別に戦争直後には平和主義者であったなどということはぜんぜんなかったわけです。自分に逆らう軍事力はつぶす必要があるが、戦後世界は俺が支配すると考えていたわけです。これを公然と語ったのが47年のトルーマン・ドクトリンというやつです。
トルーマンという当時の大統領がいたわけです。その文章は公にされているものですが、アメリカの繁栄に貢献する国際共同体をつくる。つまりアメリカのいいように世界を変えると世界にむかって宣言しました。このときからアメリカは世界中に軍隊を放り出していきます。CIAもつくります。最近、自民党と社会党右派に金をわたしていたというふうに新聞に出ていましたけれども、そういう大国主義の政策と体制をつくっていきます。
アメリカは世界全体を支配する。だからアメリカの軍隊というのはヨーロッパにもいますし、ドイツに大量にいます。アフリカにもいます。中東にもいます。中央アジアにもいます。日本にも韓国にもいます。南米にもいます。世界中、南極以外、全部いるわけです。何でそんなふうになっているのか。それは軍事力でもって世界を牛耳りたいからです。
さて、アジアをどうやって牛耳ろうとしたのか。アメリカが最初に考えたのは中国なのです。戦争中、中国とアメリカは味方同士です。アメリカは中国のなかで毛沢東という共産主義者がのしてきているというのを知っていました。それを何とか防ごうと思って蒋介石という、当時の権力者ですね、これにテコ入れしたわけです。戦争が終わった瞬間アメリカは、中国の政府に対して、中華民国ですね、金をわたします。軍事的な協力をします。軍事顧問団を派遣します。つまり中国をアメリカ言いなりの軍事大国にしようと思っていたのです。ですから日本はどうでもよかったのです。こんなちっこい国は、アメリカのじゃまさえしない国になればいいと思っていたわけです。
ところがご承知のように49年に中国で革命が起こります。毛沢東という人が出てくるわけです。今、学生に教えながら黒板に毛沢東と書きますよね。読める学生はほとんどいない。中には「ケザワ・ヒガシ」と読む学生もいる。これは日本人ではないというところから教えないといけないわけです。ここにも今の若い世代の不幸があります。そんな大事な歴史を今まで誰も教えてくれていないのです。教師だけの責任ではないですね、大人社会全体の責任です。そのケザワ・ヒガシならぬ毛沢東が出てきて、49年革命が起こりました。そうすると1、2年前にはアメリカはわかるわけです。中国は使い物にならんぞと。中国に米軍基地を大量におくというのはできないぞと。
そこでアメリカは困った。アジアをどうやって支配したらいいんだと。そのとき手のひらに日本列島がのっていたわけです。何だ,全面占領してるやないかと。じゃあこれでいくかということになるわけです。そこでアメリカは、前の年に自分が下書きしてつくったばかりの憲法を,48年になると変えろと言い出すわけです。日本はアメリカ言いなりの軍事大国になれと言い出すわけです。そのためには9条はじゃまだと。アジア全体を支配するということを考えると、中国より日本の方が北にあるわけです。それで東南アジアにも出て行くのにつごうがいいよねというので、沖縄を千切りとっていきます。裕仁はアメリカに沖縄を長期にわたって差し出すたくらみをアメリカに伝えた男でもあります。
「アメリカいいなり」を条件とした戦犯容疑者の釈放
こうして占領政策は前半と後半にわかれています。さて、その占領政策の転換のなかで、アメリカは大きな問題を戦後の日本に残していきます。それはアメリカ言いなりを条件にしさえすれば、侵略戦争をやった責任者たちをも牢屋から出してやるという行動をとったことです。A級戦犯容疑者の解放が行なわれるわけです。A級戦犯の容疑者だというふうにして巣鴨の刑務所、当時、巣鴨は戦争犯罪人専用刑務所にされましたから、ここにいっぱい人間が閉じ込められていたわけです。
ところが東京裁判をやっていく最中にアメリカの占領政策が変わってくるわけです。そこでいちばん最初の段階で、こいつら悪いと決めた人間だけは処刑する。東条英機なども48年の12月23日に処刑しています。ところが翌日、クリスマスイブにアメリカがプレゼントをするわけです。巣鴨の刑務所から、今後一生アメリカ言いなりで生きていく人々は出て行ってもいいよというわけです。その時に出てきた代表選手が岸信介です。
あの男は真珠湾攻撃が行なわれた瞬間の商工大臣です。大臣なわけです。さらにあの戦争のなかで日本は男手が全部戦場に行きましたから、国内で労働力が足りない。そこで中国や朝鮮から人間を連れてくればええやないかと、強制労働ですね。奴隷労働ですよ,日本で大量に殺していますから。その奴隷労働者の強制動員を決定した張本人が岸信介です。軍需大臣として。つまり人間は軍需物資としてもってきたわけです。法に照らせば,これは明らかに戦争犯罪人です。
A級、B級、C級の区別ですが、これは定食のA、B、Cなんかとは違うのです。高いか安いかとか、罪が重いか軽いかではないのです。A級というのは戦争を始めた罪です。平和に対する罪です。罪の種類が違うのです。B級というのは当時の戦争に関する国際的な取り決め、これに反しているという罪です。捕虜虐待などですね。C級というのはまた違うのです。人道に対する罪です。人としてそれはしてはいかんだろうというやつです。「慰安婦」問題なんかはここに入るわけです。
ですからA級というのは平和に対する罪です。戦争を開始する権限をもった人間しか犯せない罪です。うちの親父みたいな下っぱの庶民には犯すことのできない罪です。かりに親父がいくら戦争だと言っても、それで戦争が起こったりはしませんから。ですから国家権力を握っている人間だけがA級戦犯になり得たわけです。ところがこれが牢屋から出てくるわけです。
戦争の指導者が戦後も支配層に
ご承知のように岸信介はその後、日本の首相になるわけです。1957年、戦争が終わってわずか12年後に首相です。アジアの人から見たらどう思うか。12年前にうちの兄ちゃん連れていった殺した責任者が、お隣の国、日本では首相になっているぞ。こんな気色悪い国はないですよね。日本国民よ、いったい何を考えているのかという話ですよね。
われわれは、これを、日本の例で考えるとピンと来ないところがあるかもしれないのですが、たとえばヒトラーの時代にドイツにヘスとかゲッペルスとかろくでもない子分がいっぱいいましたよね。それが戦後も生き残ったとしましょうか。そして生き残って、戦争の傷が癒えてまだ12年しか経っていないときに、生き残りがドイツの大統領になりましたと聞いたらば、われわれはどういう気持ちがするかということです。
ドイツ国民よ、何を考えているのかと。ヒトラーの侵略とホロコーストの歴史に対して、いまだおまえたちは無反省なのかというふうに腹が立って、たとえば宝くじがあたってヨーロッパ旅行に行けるとなったとしても、ドイツは避けて行こうということになりますよね。こんな恐い国には行きたくない。
だが、実際にはドイツはそれを許さないという戦後の政治をつくりました。日本はそれを許すという政治をつくってしまったのです。そこにはアメリカの対日占領政策の転換という問題と、実は加害だ、それから侵略だということに対する日本人自身の意識の希薄さという問題と両面の問題があるわけです。それは支配者だけが悪かったですませてよい問題ではありません。
裕仁が侵略と加害の最高責任者であったのは間違いないのですが、みなさんもどこかで聞かれたことがあると思いますが、アメリカは早い段階で裕仁は処刑せず利用するという方針をとりました。連合国には裕仁を処刑しろという声はたくさんありました。フィリピンとかオーストラリアは特に強かったようです。しかし,それをアメリカは押さえ込みにかかるのです。なぜならば、マッカーサーはこう言うわけです。わしは日本にやってきたと。たぶん英語で言ったと思うのですが、日本にやってきたと。日本の国民のようすを見たら、みんな天皇教やと。そこら中に写真があって、みんなペコペコ、頭を下げとると。この天皇をアメリカが処刑してしまったならば、戦後の占領政策が非常にやりづらくなる。だからこいつは利用しようというわけです。
オーストラリアについてはイギリスが説得するのですが、イギリスがオーストラリアに届けた文書があります。そのなかで天皇はどう評価されているかというと、「統治の道具」と書いています。戦後の連合国による日本占領政策を実施する上での統治の道具だと。あいつは,われわれの道具として生かしておく価値があるんだと、こういう評価です。
市民のレベルでの加害責任の曖昧化
さて、こうして天皇は延命したわけです。侵略と虐殺の最高責任者である天皇が1円の罰金も払わず、戦後ただの1日も牢屋に入ることなく天寿を全うしたわけです。そうすると日本国民のなかにどういう意識が生まれたか。私たちは天皇の命令によって戦場へいった。俺たちは天皇の命令で中国へ送られた、東南アジアへ送られたのだ。その俺たちに命令を下した最高責任者が、悪かったの一言もいわないのに,命令にしたがっただけの俺がなんで悪かったと言わんとあかんのやという空気になるわけです。
戦争へ行って日本へ帰ってきたおじいさんたちのなかには、人を殺している人は少なからずいるわけです。本人たちが好きこのんでやったことではないかもしれません。しかし侵略の軍隊の一員であったことは間違いありません。「慰安所」でレイプをしたという人も、そうとうたくさんいると思います。ですが,人々は戦後はそのことについては口をつぐむ、そして,そのことについては子どもたちの世代も罪を問わないという空気ができあがっていくわけです。
ドイツは1968年の学生運動のなかで、ナチスの時代にお父さんは何をしていたの、お母さんは何をしていたの。学生たちが親たちを問いつめていくという運動が起こります。これはたいへんなことです。自分を育ててくれた、愛してくれている親に対して、あのホロコーストの時代、お父さん、お母さんはユダヤ人を守ろうとしたの、それともユダヤ人をナチスに手渡したの、どっちなのということを聞いていったわけです。それをきっかけに,ドイツでもあの侵略の歴史、破壊と虐殺の歴史を反省して2度とくり返さない国づくりをしようという運動がつよまります。68年の学生世代が大量に学校の先生になっていきます。そして子どもたちに真実の歴史を教えていくというのが行なわれるわけです。
そして真実の歴史を教えられ,そのことを考えた人間たちがすでにお父さん、お母さんの世代になっています。それが日本とドイツとの歴史の大きな違いということになります。
さて日本に戻ると、残念ながら侵略戦争をやった当事者がそのまま戦後も日本では支配者なのです。では戦前と変わったのは何だ。アメリカ言いなりというのがつけ加わったのです。ついこの間まで鬼畜米英と言っていた人間たちが,アメリカ言いなりに寝返ったわけです。そうやって寝返ることによって,戦後もこの国の支配者であり続けたわけです。そして,重大なのは,それをゆるしているのがこの国の国民,私たちであるという事実です。「主権在民」の政治体制ですから,いまの政治をつくりあげている,市民としての国民としてのその責任を私たちは回避することができません。ヨーロッパには「その国の政治がアホなのは国民がアホだからや」という格言があるそうです。よくよく考えておくべき問題です。
中国・朝鮮を招きもしない講和会議
④、⑤番ぐらい、ちょっとまとめていっておきましょう。若い世代に、日本はあの侵略戦争の問題をちゃんとアジアに謝らないといけないよと言ったときに、こういう声が出てくることがあります。日本はいったい何回謝ったらいいのですか。いつまでもずっと謝らないといけないのですか。土下座外交じゃダメじゃないです。こういう声が出てくるのです。そういう声が出てくるのはもっともなことなのです。戦後史を教えられていませんから。日本がすでに謝っていると誤解しているのです。ここの歴史はきちんと教えてあげなければなりません。
まず日本が戦後、再び国際社会の仲間入りをするために行なわれた講和の会議、戦争状態を正式に終わりますという会議は51年9月に行なわれたサンフランシスコ講和会議というものです。そこで日本は、かつて戦争をした国々に対して、すいませんでした、もうこの戦争状態は終わりましょう、おたがい国交を回復しましょうということを話し合うわけです。本来ならキチンと賠償問題も話し合われるはずでした。しかし,この会議を設定したのはアメリカとイギリスです。ここに問題があったわけです。あわせてそれに便乗した日本の政府にも大問題がありました。
アメリカとイギリスはこういうふうに考えました。アメリカはアジア支配のための軍事拠点として日本をつくりかえたい。51年というのは日本を占領している最中です。サンフランシスコ講和会議にはたくさんの国を招きました。50以上の国を招いています。ところが重大な国が抜け落ちているのです。1つは中国です。日本はかつての戦争で1000万人もの中国人を殺しました。いちばんたくさん迷惑をかけた相手の1つです。ですが謝罪と仲直りのためのこの会議に中国は呼ばなかったのです。もう1つ,南北朝鮮も呼んでいません。1910年から足かけ36年にわたって日本は朝鮮を植民地支配したわけです。子どもたちに日本語教育を徹底して、小学校入学式から卒業式までずっと日本語でやって、学校のなかで朝鮮の言葉をしゃべったら日本人教師がゲンコで殴っていたわけです。名前も日本名に変えろ。創氏改名です。そういう加害を行った,その朝鮮も呼んでいないのです。いちばんひどい目にあわせた相手を会議にまねきもせずに,何が謝罪の会議なのかということです。
なぜ呼ばなかったのか。ここにはアメリカ、イギリスの策がありました。アメリカ、イギリスは戦後も植民地政策を続けるつもりだったのです。国連憲章には植民地解放ということは入っていません。中国とソ連は植民地を解放するというふうに国連憲章に入れようといいました。しかし,フランス、アメリカ、イギリスらが反対してそれは入らなかったのです。つまり戦後も植民地支配を続けたかった。そうすると、もしサンフランシスコ講和会議に中国や朝鮮を招いたならば、植民地支配の罪が絶対に大きな話題になる。そうすると日本の植民地支配が問題になるだけでなく,戦後も植民地をもっている欧米の軍事大国たち、あるいはさらに植民地を広げたいと思っているアメリカの植民地政策がやりづらくなる。これは不都合だ。だからあの何でも言いたい放題言う中国や朝鮮は呼ばんとこうとなったわけです。日本の吉田茂という当時の米軍言いなりの首相が、これを聞いて,はいわかりました、それでけっこうですと言ったわけです。これが講和会議の実情です。
公式の賠償相手はわずか4ケ国だけに
さらに日本は、じゃあ賠償はどれぐらいしたのだろうか。サンフランシスコ講和会議では、講和条約というのが結ばれました。賠償はこういうふうにしますよということはこの条約の中に書いてあります。その条約を下書きしたのはアメリカですが,アメリカの最初の条約案は賠償はいっさいしないというものになっていました。何でアメリカはそんなことを言ったのか。だって日本はアジア人を2000万も3000万も殺してして、生き残っている人たちにしても腕がない、足がない、家がない、学校がない、親のいない子どもがいっぱいいたわけです。その人たちのために,せめてもの償いを日本になぜさせなかったのだろうか。それはアメリカが日本を、アメリカ言いなりの軍事大国として育てたかったからです。
日本が戦後、アジアにずっと賠償金を払い続けたならば、日本はいつまでたっても軍事大国として復活することができない。だから日本よ、お前はまず第1にアメリカの子分として復活することがたいせつだ。アジアに何ぞ金を払わんでよいというわけです。これは当然、アジア各国からは大ブーイングをあびました。そこで,またイギリスが知恵をつけるわけです。ちょっとだけ払ってやれというわけです。で、アメリカが文書を書き換えました。日本の経済復興の許す限りで賠償します,ただし安上がりに終わるようにお金ではなく「役務賠償」(現物賠償)でと言ったのです。これが講和条約に盛り込まれました。つまり賠償について決めたといいながら,その内実は日本の経済復興を最優先するものだったのです。
その結果,日本がこの条約にもとづいて公式に賠償した相手はわずか4ヵ国となりました。ビルマ、フィリピン、インドネシア、南ベトナム、これだけです。しかも南ベトナムというのは南北にわかれて戦争をしていた時に,アメリカがつくった傀儡政権にだけ金を出したということです。これが戦後、日本がやってきたことです。あとは2国間でいろいろな話し合いがありましたけれども、日本が誠意をもって謝罪をして、それを相手国が受け入れましたというケースはないのです。これが戦後日本の「謝罪と賠償」の歴史です。
だから,日本は何回謝らないといけないのですか。そんな馬鹿なことはないのです。まともに謝ったことがないのがこの国の戦後史なんです。これをきちんと教える必要があるわけです。土下座外交ではいかん、それは当然だと。言うべきことは言わないといけない。しかし,大犯罪を犯してそれを謝りもしない国のいうことを,いったい誰が聞くかということです。悪かったことは悪かったとキッパリ認めるからこそ、相手だって話を聞いてくれるわけです。それを考えると,小泉首相等による侵略肯定神社への参拝は,被害をこうむったアジアの国から見れば,決してゆるされることではありません。そこを私たちもしっかり受け止める必要があるし,足りなければ学ぶ必要があるし,若い世代に語り,いっしょに考えていく必要があるわけです。
軍事占領を継続させた日米安保条約
⑤ですが、日本はそのような形で戦後の戦争責任をあいまいにしたサンフランシスコ講和条約を結んだその同じ日に,日米2国間で日米安保条約を結んでいきます。アメリカの戦争政策への「自発的」な協力のはじまりです。これによって,日本にはそれまでの占領軍がほぼまるまる残るという状況になっていくわけです。今日なぜ日本には130もの米軍基地があるんだろうか。それは占領政策の継続だということです。どうして日本はアメリカ言いなりなんだろうか,どうして今の日本政府は在日米軍基地の強化・再編に協力的で,グアムの米軍基地建設などに3兆円もの金を出そうとしているのか。背後には,こういう戦後の歴史があるわけです。
日本とアメリカは対等の仲良しなんかじゃありません。アメリカからすれば日本は使い勝手のいいただの子分です。子分というのは用があるときには使われますが、用がなくなれば捨てられます。そして子分の側は親分のアメリカに寄ってゆるされた領域の枠内でしか金もうけもできないし、軍事行動もできませんという関係になっています。これも若い世代にはキチンと伝えられていないことです。それはアメリカの思惑どおりということでもあります。しっかり伝えたいことの一つです。
4・孤立をふかめる侵略戦争礼賛の政治
靖国問題を解決せよというアメリカからの圧力
そろそろ急いで先へ進みましょう。7ページ目の下です。ここまでは,アメリカの戦後政治の悪辣さや,日本の支配層の情けないまでの変わり身のはやさをお話ししました。日本や日米間にはそういう戦後史があるわけですが,本当なら,同じ期間に,世界の全体はどうかわってきたのかというお話です。しかし,時間が足りません。そこで,特に今日の日米関係の新しくおもしろい展開の問題についてだけお話します。今アメリカが日本のことを子分としか考えていない、したがっていらなくなれば捨てるんだというお話しをしましたが、そこにもかかわる問題です。
最近、アメリカが靖国問題を解決しろというふうに公然と言うようになってきました。今年の1月の日米首脳会談では、ブッシュ大統領はこの問題を小泉首相に言いはしたが、小泉首相が自分の勝手だと言ったので,これを話し合ったことはオープンにされませんでした。
しかしこの6月の日米首脳会談では,ブッシュ大統領が靖国問題を提起して小泉氏がこれに同意しなかったということがすでにオープンにされています。じつは,この日米関係の変化の背後には,戦後の60年前まで植民地、半植民地であった東アジアの国々が自立した経済大国としてのし上がってきたという世界構造の巨大な変化があります。
ブッシュ政権は2002年にブッシュ・ドクトリンという文書を出していました。このなかでアメリカは中国のことを軍事的競争者というふうに位置づけていました。そしてネオコンたちは軍事力を増強し、台湾海峡で何かあったならば日本軍と一緒にたたかうのだという路線をとってきました。日本政府もこれに応じていたわけです。
ところがその路線が去年、大きく変わってきます。『前衛』という雑誌の7月号と8月号に,森原公敏さんという方が詳しく書いていますので,ぜひこれを読んでください。私流に少しアレンジしていうと,こういうことです。昨年の12月に東アジアサミットがありました。アメリカ抜きで、東アジア人の手で東アジアはつくっていくんだという意思が強く表明されました。それが12月です。そこへ至る前の5月1日、アメリカのアーミテージ氏が「朝日新聞」の1面に、東アジアサミットというのは日本にとって何の利益もない,アメリカも気に入らない,だから日本は参加してはいけないと,一面トップで登場しました。批判的なコメントもづけずに,のせた「朝日」も「朝日」だと思いますけれども,ともかくアメリカはずっと東アジアサミットはつぶすという方向だったのです。そもそもアメリカ抜きの東アジアグループなんて許さん。せっかく、APECというアジア太平洋という地域グループをつくったのに。地球儀を見たらわかりますけど,アジア太平洋ってそんな地域は存在しないのです。成長するアジアから太平洋の反対側のアメリカも経済的利益が得たい。だから排除しないでねと,これは無理矢理つくられたグループだったのです。
しかし,東南アジアの側は97年の東アジアの通貨危機をきっかけに,アメリカは信用ならん、俺たちだけでがんばるんだという方向にグッとシフトしたわけです。東アジアサミットは,その延長線上にあったものです。ですから,アメリカはそれをつぶそうとして,日本にも参加するなと言っていました。日本は日本でまた困ったのです。日本の大企業は東アジアにすでにいっぱい出ているわけです。東アジアで金もうけしようと思ったら、東アジアの国々とある程度のつきあいをしていかないといけない。それで日本の財界や政治家たちが一生懸命やっていたのは、アジア人の説得です。東アジアのグループにアメリカを入れてやってくれという説得です。
転換するアメリカの東アジア政策
ですが,東アジアの人たちは、入れてやらんという。なぜならばアメリカはアジアじゃないから。これはとてもわかりやすい説明です。日本は困り果てていたわけですが,ところが昨年の秋になってアメリカが手のひらを返すのです。なぜ変えたのか,直接のきっかけは中国の経済政策の転換です。昨年の10月に胡錦涛政権は,経済政策の一定の転換を行うのです。
従来の中国というのは沿岸部だけでもうかっています、この地域は経済成長が急速です。ところが内陸部9億人は取り残されていました。成長する沿岸部と,ものすごい貧困が残され,靴も履いていない、服も着ていない子どもたちがいっぱいいる内陸部。奥地には平均所得はミャンマーと一緒ぐらいの地域もある。ということは,アジアでもっとも貧しい状況だということです。それに対して,胡錦涛政権は昨年10月の会議で,都市部の沿岸部の利益を内陸部にふり向けて、内陸部を支援する、都市の力で農村を激励する,工業の力で農業を激励するといったのです。それまでは逆さまです。農村の力で都市を建設する、工業を建設するだったのですが、工業の力、都市の力で農村部を、農業を奨励する、激励するという政策に転換しました。その直後に当時のアメリカのスノーという財務長官が中国へ飛びました。この政策はすばらしいとほめちぎるのです。この政策は世界にとってよいことですと言ったのです。アメリカ政府の言う世界というのは自分たちのことですから、ですからこれはアメリカにとってよいことですということでした。
どういうふうによいことだったか。それは今、中国の沿岸部の人たちはがんばってお金を貯めれば電化製品が買える。ちょっとお金持ちになるとパソコンも買える、車も買える。中国は世界の工場にとどまらないで,世界の大消費地としても育ちつつあるわけです。その消費力が,沿岸部4億人だけではなく、内陸部9億人にもひろがっていく。それにアメリカは目をつけたわけです。その9億人にものを売って、わしらアメリカ財界も金もうけさせてもらおうではないか。そう考えて,米中はこれからパートナーシップでいきましょうと、ゴロッと態度を変えたわけです。
11月には,ブッシュ大統領が中国を訪問しました。そして,米中関係は建設的パートナーシップですと公式に両国間で確認しました。そして,こういう変化の過程で,東アジアサミットについても,けっこうですよとアメリカは変わったのです。シーファー駐日大使は「誰も米国をアジアから排除しようとしない限り,たとえ米国を含まなくても,どんなフォーラムや何かにも特別な問題があると思わない」といいました。半年前のアーミテージ発言とは大きな違いです。
さて、世界はそうやって,アメリカでさえ、成長する東アジアを力でひきまわすことができなくなっている。かつて植民地として西欧に牛耳られていた国々が,わずか戦後60年間にアメリカの外交戦略を左右するほどの経済成長を遂げてきた。アメリカはこれを軽視できないどころか,軍事力で牛耳ることもできないという具合に世界は変わってきているのです。
アメリカ一辺倒ではアメリカも困る
さてその上でアメリカは最近、日本に対して靖国問題を解決しろと,こういうことを言っているわけです。日本よ、アメリカ一辺倒ではアメリカが困る、こういうふうに言い出しています。何のことだというと、今までのアメリカはアジアに対して軍事的恫喝を基本にしていましたから,日本の在日米軍基地が増強されて、憲法を改悪して米軍と一緒に行動できる軍隊ができれば日本の役割は十分だったわけです。
ところがそれがかわってきた。軍事的恫喝、これも担保しておくけれども、しかし中国を中心とする東アジアの経済地域を,アメリカ資本が自由に入り込んで,金もうけができる地域として育てていかないといけない。これがアメリカの最近の強い問題意識です。そのときに東アジアの内部にいる一の子分である日本こそが、本当なら,日米大企業が大金もうけのできる東アジア共同体づくりで活躍してもらわないといけない。
ところが日本の外交を見たらどうだと。靖国問題以降、日本は韓国とも話しができない、中国とも話ができない。何だ,お前、アメリカに都合のいい東アジアづくりの点では,まったく役立たずじゃないかというわけです。それでアメリカは今、日本に対してただちに靖国問題を解決しろというふうに言っているわけです。アメリカらしい好き勝手さです。
靖国問題では財界も困る
さらにおもしろいのは,アメリカからそういう圧力が強くかかってくるなかで、3月と5月に経済同友会が発表している文書です。財界は,日本経団連も経済同友会も,すでに小泉首相に靖国に行くなと何回も言っています。今回はそれにとどまらないのです。財界はこれからそうとう長期にわたって東アジアで金もうけしないといけないと思っていますから、目先のことだけでなく長期の戦略を描いていくわけです。それで経済同友会は5月の文書「今後の日中関係への提言」でこういっています。「過去に対する謙虚な反省の上に立って,中国政府・国民にその気持ちが正しく伝わる行動をつづけなければならない」「歴史への反省をもとにした戦後の平和国家への転換とその実績について,中国等アジア諸国に少しでも疑惑を抱かせる言動を取ることは,他でもない戦後の日本の否定につながりかねず,日本の国益にとっても決してプラスにはならない」「近現代史の教育を充実させ,若者に過去の戦争とうい事実を正視させる努力が必要である」。
この文書は,中学・高校の歴史教育が明治維新あたりで終わっていることもとりあげて,子どもたちに近現代史を時間をかけて教えろということまでいっています。もちろんその正視させる戦争の内容をどう描くかということは、これからまだ議論しないといけないことですが,少なくとも,あの戦争にほおかむりしたままでは、俺たち財界はもうからんぞということは自覚しているわけです。ですから,そういう角度から日本の財界主流は靖国に行くな、東アジアとの外交を回復と言っているわけです。すでに見たようにアメリカもそれを言っている。
ポスト小泉に見る靖国派の後退
そうすると,この9月の総裁選はという話になってくるわけです。小泉首相はもう任期がありませんから,何をするかわかりません。8月15日に行くかもしれません。靖国派は今すごく焦っていますから。財界も靖国へ行くなと言っているし、アメリカも靖国へ行くなと言っている。そうすると日本の政治家は財界・アメリカ言いなりですから、靖国派はとてもあせっているわけです。そこで全力で巻き返しにかかっています。8月15日に何とか50万人を動員したいとも言っているようです。去年が20万ですから彼らなりにすごい力の入れようなのです。
50万動員したその大騒ぎのなかに小泉純一郎を迎え入れたい。これが彼らの戦略です。それに対して8月15日というのは靖国万歳派だけが取り組みをしているのではないというので、ピース・キャンドルだとか、いろいろな平和グループ,平和や東アジアとの友好を願う人たちの行動も提起されています。
こういう状況ですから,8月15日はひょっとしたら右派がもりあがるかもしれないのですが、とは言えさらに大きな問題はポスト小泉ですね。福田氏はどうもヒョロヒョロして腰が砕けたようですけれども、安倍晋三氏。一昔前なら彼はこう言っていたのです。財界が靖国へ行くなと言ったとき、彼はすぐ切り返したのです。「日本の伝統を金で売るのか」と。それが,一部からはかっこいいと見られたわけです。ところが最近、それが言えません。一国の政治家が靖国神社へ参るについては、事前に行くとか行かないとか言わない方が得策でありますと言い出しました。つまり本心として靖国に行きたいけれど、中国とかアメリカの目があるから大手を振ってマスコミを引き連れて行ったりはしませんと,そういう具合にトーンダウンせずにおれなくなっているわけです。
さらに数日前の新聞をみると,安倍グループが何とかして総裁選の争点から靖国を外したい、この問題は全力で外しにかかろうというふうにかかっています。そのように,今、日本の政権党の最高責任者を決める上でも、靖国へ行くということが大きな障害となってきいている。ハラのそこでは靖国史観を礼賛するような自民党の幹部たちも,「首相になったら靖国参拝はいたしません」と,そういわずにおれないようになっています。世界の大きな変化の本流が,日本の政治の逆をこれ以上はゆるさぬという力になっているわけです。
しかし,もちろんこれに最終的にとどめを与えるのが,海外の力であっては情けない。侵略戦争を礼賛しない政治をつくる最大の責任を負っているのは,私たち日本国民であるはずです。アメリカが言うからではなく、中国が言うからではなく、何より日本と日本人の今後のために,自ら侵略と加害の歴史を正面から誠実に清算する態度をとっていく政治をつくる。そういう私たちの運動が必要であるわけです。
5・憲法どおりの日本に向かって
憲法が輝く社会をつくろう
次、大きい4番目へ行きましょう。9ページ目の真ん中から下のところです。運動の進め方について考えるときに、憲法をどう語るかという問題があります。憲法を守りましょうという言い方はよくされるわけです。それは正しいわけです。ですが聞いている側にそれはどう響くかという問題があります。というのは、改憲派はこう言っているわけです。今の日本社会はよくない,失業者も多い,おかしな犯罪も多い,北朝鮮もあって平和の危機もあるぞ,もう憲法は60年前に決めたのだし古い,もっといい日本をつくるために憲法を新しくしよう。こうして彼らは改革者として登場するのです。
誰だって今の日本社会が満足のいくものだとは思っていません。社会保障はボロボロだし,税金はとられっぱなしだし,うちのお兄ちゃん、学校を卒業しても職がないぞ。何とかならんのかとみんな思っているわけです。ですから,そこに改革者のそぶりで登場すると魅力的に見えるのです。そのときに私たちが、この国の憲法を守りましょうと言うと,あたかも今あるこの社会を守りましょうと言っているように誤解してとられることがあるのです。高いところからマイクをもって演説をしているぶんには問題ないのですが、平場で署名を集めたりして市民の方と対話をすることになると,この問題があらわれます。今の日本国憲法を守りましょうと言ったときに、相手の反応に,あなた方は今の日本社会でいいと思っているのですかという反応があるわけです。
私たちは憲法を守りましょうと言っていますが、今の日本社会を守りましょうなんて言っていないわけです。よく考えてみると、この国の今の政治は憲法を守っていないところが山ほどあるわけです。9条を守りません、だから自衛隊を外へ出しているわけです。25条を守る気がありません、だから障害者をいじめるし、生存権をまもらない。男女平等の24条を守る気がありません、だから女性差別は野放しです。国民の勤労権をさだめた27条を守る気がありません、だからリストラ推進であるわけです。この国はちゃんと憲法を守っていないのです。ものすごく中途半端にしか守っていないのです。
ですから私たちは憲法どおりの社会をつくるために,そのために憲法を守りましょうと語る必要があるのです。今の社会を守ろうではないのです。憲法どおりに,24条、男女平が守られる社会につくりかえましょう。25条の生存権が本当に輝く社会に変えましょう。世界の平和をつくりあげていく憲法9条が守られる社会に変えていきましょう。そのためにこそ、憲法が大事なのです。つまりこの社会の民主的革新の指針として憲法が大事だというふうに言うわけです。
こういう図式になると,改憲派との対立の評価はじつに簡単になるのです。今の日本社会は良くないところが多い。そこで改憲派は変えようと言っている。われわれ護憲派も変えようと言っている。改憲派は戦争をして生存権がない国をつくろうと言っている。われわれは護憲派は,戦争のない世界づくりの先頭にたち,生存権をちゃんと守る国をつくろうと言っている。さあ、市民のみなさん、どっちを選びますかとなるわけです。この二者択一だったら、よほどの変り者でない限り、改憲側にシールをはったりはしないわけです。
まっとうな社会改革の合意づくりの取り組み
問題はこの図式をすっきりとつくりあげていく力です。この土俵をつくるには,しゃべる力がいるわけです。そのためには,日本国憲法と今の日本社会や政治の方向のズレが語れないとダメなのです。ですからそこに少しだけ憲法を紹介しておきましたが、たとえば25条ですよ。「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。この通りの国をつくろうじゃないか,いまの政治はこの精神に反しているだろうということが、熱意をもって,自分の口で言えないとダメなわけです。
「すべて国民が」。金持ちだけって書いていない。男だけって書いていない。大人だけって書いていない。首の座らない赤ん坊もですね、もう十分はたらきましたという高齢者も、わしは足が動かんのやという障害のある人もすべてこの「国民」です。これらすべての人の「健康で文化的な最低限度の生活」を守る国づくりをしようではないか。これは改革の国づくりの取り組みです。民主的な改革への合意づくりの取り組みです。
ですから,いま私たちが直面している改憲策動との闘いというのは,じつはとても意義深い闘いなのです。何年か後に、たとえば国民投票があったとしましょうか。その時に,憲法を守りましょうが多数派になった瞬間、日本社会にあるのはどういう合意なのか。それは今の社会のままでいいという合意じゃないですよね。今の社会を憲法どおりに変えていこうという合意がつくられているのです。民主的改革への国民多数者の合意です。
ですから憲法を守ろうというたたかいは、今の社会を維持するという受け身のたたかいではないのです。憲法どおりの民主的な社会をつくるということへ向けた合意づくりのたたかいで,まっとうな社会改革のたたかいなのです。ぜひそういう具合に,この取り組みを前向きにとらえて,いっそう元気に力を発揮していただきたいと思います。
6・誰もが政治を考える知恵の豊かな社会に向かって
「若い人たちがわからない」
ではそこから後の構造改革のすべてを飛ばしまして、いちばん最後がどこでしょうね。ありましたね、15ページ目です。
最後の7番目ですが、運動の具体的な進め方については、それぞれの条件に応じて,みなさん方に考えていただくしかないわけですが、いくつかそのなかで考えていただきたい点についてふれたておきます。15ページの一番下の④番です。若い世代の問題です。
よく、若い人とうまく話し合いができないんだと,こういう話を聞きます。9条の会も、私、あちこちへ行ってしゃべらせてもらいますが、やっぱり若い人の姿は多くないのです。全体として平均年齢を出せば60は下らんなというふうな集まりがよくあるわけです。そういう場ばかりを見ると,20年後の日本はだいじょうぶかと思うわけです。その人たちが一様に若い世代とどうつき合っていいかわからんという。まあ、たしかにそうだろうなと思います。
しかし,私なりにアドバイスをするとすれば,若い世代は信頼するに値する。これがまず大前提として大事な理解だと思います。たしかにコンビニの前でしゃがんで、学生服姿でタバコをすって,挑発的な目つきをしている若者もいますが,若者のすべてがそうであるわけではありません。それに,どんな時代にも若者というのは大人とはちがった文化をもっているものです。
たとえば,私は今、49歳ですけれど、私が若い頃はジーパンを履いただけで不良と言われました。髪を伸ばしたら不良と言われました。フォークギターを手にしたら,さらに不良の度がすすんだといわれ,エレキギターに手を出したら,勘当だとか言われていたわけです。いつの時代にも大人世代から見て理解しづらい若者というのは存在するわけです。しかし,じゃあそのときジーパンはいて,髪をのばして,ギターを弾いていた若者が,みんなおかしな大人になっていったか、そんなことはないわけです。この会場のなかにも、昔、お前は不良だと言われた方は,たくさんおられるんじゃないですか。そういう人たちが,その世代なりの文化を特徴をもって,ちゃんと日本社会を支え、さらによりよい社会に変えようという人間に育っていくわけです。
若い世代の深い傷に寄りそって
ただし、いまの若い世代に接するにはいくつか工夫がいるとは思います。1つは、今の若い世代、たとえば25歳としましょうか。今、日本の不況は1990年から続いているわけです。15年間、不況です。ということは25歳の人は10歳からずっと不況なのです。ずっと閉塞感なのです。がんばれば道が開けるという社会を体験したことがない。しかも物心ついたら世界は戦争だらけなのです。学校では格差教育で、お前は勉強できないとさんざん言われるわけです。そうすると,心の底から傷ついている若者がたくさんいるのは当然なのです。そういう若者のシンドさによりそうという工夫がいるわけです。
私、学校教育の問題でたいへん衝撃を受けたのは,私の子どもの体験でした。16歳の男の子がいるのですが,いまは高校でラグビーとかをやって走りまわっているのですけれど、これが10歳のときに正月にコタツで一緒に、ミカンをむいてテレビを見ていたわけです。別に学校の話とか,勉強の話とかをしていたわけではないのです。その時に,突然,この子が、うつむいたまま,しみじみと「俺、勉強できないし~」と言ったのです。こっちはビックリ仰天です。正月に,のんびりとアホなテレビ番組を見ている最中に、「俺、勉強できないし」という言葉が10歳の子どものカラダの中から,深いため息とともに,いわば自然に出てくるのです。つまりそれぐらい、今の社会のなかで,お前は勉強ができない、ダメな子どもだ、という意識が植えつけられているのです。これは,ものすごい深刻な傷です。私が10歳の時には,学校が終わったあとの関心事は,第一に誰とどこで遊ぶかで,第二に今日の晩飯は何なのかだったわけです。勉強なんてどうでも良かった。しかし,今の若い世代には,そういう環境はなかったわけです。
ですから,これが,そのまま中学へ行っても勉強できませんでした。高校へ行っても勉強できませんでした。そのあいだ,ずっと「ボクは,ワタシは勉強ができません」「ダメな子どもです」と思いながら生きていくとしたら,それは本当に深刻な傷となります。生きる自信どころじゃないわけです。その人に,世の中を変えるために決起しようといっても,それはまとも聞くことのできる言葉じゃないのです。自分は,この世で必要とされているのかどうかもわからない。どうやって生きていったらいいのかもわからない。その若者に憲法が危ない、明日からただちに立ち上がれと言っても、あまりに飛躍がありすぎるのです。
だから,若い人たちの傷に寄り添ってあげることがすごく大事です。すまんなあと。君たちが暮らしづらい、生きづらいと思っているこういう社会をつくってきたのは、わしら大人なんやと。申し訳ない,君たちが悪くて君たちが大変なわけじゃないんだ,君たちにまともな社会をバトンタッチしてやることができなかっんだ。すまんなあと。その度量を示す力が大人の側には必要です。そして,そうやって若い世代を励ましながら,あわせて,この社会を何とかよくするために君たちにも手を貸してほしい,君たちの力がぜひ必要なんだ,できるところからでいいから一緒にやってくれ。こういう姿勢ですよね。まず大人は子どもに迷惑かけていますから、そのことについての自覚が大人の側にいるということです。
若い世代に闘う先輩たちの熱い歴史を伝える
それから,たとえば今、大学に入ってくる18歳なんていうのは物心がついたら21世紀ですから。もう20世紀のことなんて知らないわけです。学校も親も誰も教えていませんから。そうすると若い人たちが、いざ運動に立ち上がりました、少しずつ9条の会に参加してくれました、その時に,その人たちにちゃんと伝えてあげるべきことがらがあります。それは日本の革新的運動の、民主的な社会改革の運動の歴史です。今、大学の授業のなかで「革新自治体」という言葉を聞いたことのある人といったら、100人の学生のなかでただの1人も手をあげません。死語なのです。なぜ死んだか。大人が教えていないからです。
日本社会に福祉をよくしよう、公害をなくそう、教育をよくしようという運動がいっぱいあって、そこら中でそういう人たちを代表する知事が選挙で勝って,今で言えば長野の田中知事のもっとましなやつだと,あれが日本中にできあがったんだと,日本の全人口の半数近くがそこに住んでいたという時代があるんだと,日本人がたたかわないなんてウソだと,そういう闘う先輩たちの歴史を伝えてやる必要があるのです。
たたかいというのは、そういうふうに山があって谷があるんだ。今は谷かもしれないが,ここからあきらめないでもう1度山をめざすんだ。それは夢物語ではない。それをやってのけた歴史と実績があるのだから。それを伝えてやることが,いま立ち上がりはじめたばかりの若い人たちの自力を高めることになるのです。日本社会のみなさん方の、あるいはみなさん方の先輩たちの運動が日本を支えて,変えてきた。アメリカ言いなりで,アメリカ万歳型で戦争大好き型の政治にもかかわらず、平和憲法を今まで変えさせないできたというたたかいの力が日本人にはある,過去の歴史の中から,今後に向けたその展望をつかむことができるわけです。
9条の会の若者風のつくり方
私は,今この時代にも,若い世代の力というのは非常に高いものだと思っています。私の大学のなかの取り組みですけれども、たとえば9条の会が,あの「お嬢さま大学」と呼ばれる神戸女学院大学にもあるのです。
きっかけは何であったか。私も大学のなかに9条の会をつくらんとあかんなと思っていたわけです。しかし,そうはいっても,このお嬢さま大学でつくれるんかいなと思っていたわけです。で、ある授業で日米経済関係について半年しゃべって,最後のコマに最新の日米関係だと言って、今アメリカが日本の憲法を変えようとしている。とんでもない案だというのを紹介して、あわせて,これを打ち負かそうとしてたたかっている9条の会というのが全国にどんどん広がっているということを話したのです。去年の2月に授業でしゃべったわけです。ふりかえってみると,このすでに立ち上がっている人たちの話しをしたのがとても良かった。とんでもない改憲案だというだけでは,逆に学生たちは萎縮するだけだったと思うのです。
しかし,それで私は教壇をおりました。これが最後の授業ですから、やれやれ来週テストだなとか思っていたわけです。そうしたら、私は覚えていないのですが、教室にいた2人の19歳の学生が私のところへやってきて,先生、9条の会っていうのは私たちでもつくれるんですかと言ったらしいのです。私はぜんぜん覚えていないのです。そのとき,私は,ああ誰でもできるよと言ってスタスタスタとすぐ行っちゃったらしいのです。そうしたらその学生が、自分であっと言う間につくったのです。
運動のしかたがおもしろいです。みなさん方、9条の会を地元でつくれと言われたら、発足の日は何月何日にするんだ,事務局長は誰がやるんだ、集会やらんとあかんな、弁士は誰にするんや,横幕つくらんとあかんな,だいたい動員して人は来てくれるのか。こういう話になるわけですよね。もう俺は事務局長はやりたくない,忙しいから。こういう人もいっぱいいるわけです。
ところが学生たちには,よかれ悪しかれ,そういう経験がいっさいありません。ですから自分たち流のやり方でやるしかないのです。まっ先に何をやったか。集会の準備なんかじゃありません。ホームページをつくったのです。つくっただけなら誰も見ない。しかし,彼らの携帯には友だちのメールアドレスが数百も入っているわけです。連絡は一括送信でおしまいです。ホームページ見てねと,ボタンを押しておしまいです。それで何百人もの人間が、「え、そんなことはじめたの」と見てくれるわけです。そこから運動がスタートです。2005年の2月です。
ここから外部の9条の会との交流が始まります。いつの間にか立命の学生と話し合っているとか、兵庫県の青年たちの委員会と話し合っているとかというのが始まるわけです。さて,3月20日にイラク開戦2年の集会がありました。そのときには,学生たちはもう兵庫県全体の青年実行委員会の一員です。三ノ宮の公園のなかでテントを1つまかされていました。1ケ月半前に初めて9条が危ないと知った人間が、もうテントを1つまかされて、子どもたちにイラクというのはここにあるんだよと教えているわけです。若い世代は形式ばった集会をしませんから、音楽を鳴らして,出店を出して,踊って歌って楽しくやりますから、若い市民が入ってきます。一般市民に警戒心やよそ者感を抱かせるような集会じゃないのです。だから気軽に入ってきます。この人たちに戦争反対を説明して署名をとっているのです。1日で百数十とったと言っていました。
この学生たちが4月から3年生になって、私のゼミに入ってきました。そして,相談しているわけです。私たちはもう3年生や。この秋には就職活動を始めないといけない。だから,いまのうちに「若い人たち」を会に入れないといけない。学生というのは急速に高齢化がすすむので,ここでは19歳以下しか若い人間とは呼ばれません。そこから学内でビデオの上映会をやり、学内にポスターをはります。ポスターをはるといっても、どこにはっていいかわからないですから、正面から事務室に聞きに行くのです。9条の会ですがどこにはらせてもらったらいいですか。職員の方がビビるわけです。そういう政治的なものはちょっととかと言うわけです。見ていて本当に面白いです。
話を端折りますが,昨年の秋には憲法24条を守ろうという「ベアテの贈り物」という映画の上映会に取り組みました。上映会に参加してくれた人の数は最終的に650名になりました。そのうち400人弱が学生です。いろんな力の共同の成果でしたが,それにしても学生たちの参加が400人もあったのは,なんといっても9条の会の力です。いま紹介した運動は,わずか半年間の運動です。若い世代は,こういう変化をきわめて短時間につくる力をもっています。
説教しないでアドバイスする
この間までただの「お嬢さま大学」だと言われていたところのなかに、「慰安婦」問題にとりくんでいる学生はいるわ,9条の会はあるわ,24条だと言っている人たちもいるわ,あっと言う間に変わるのですね。何が最大の原動力か。それは若い人たちの事実を知ったときの正義感と行動力です。あとは大人たちの,ちょっとした経験と知恵です。大人の知恵というのとき,注意する必要があるのは、ベテランというのは若い人を見るとすぐに説教をしたがるということです。オレはいっぱい知っている,みたいな顔をしたがるのです。確かにいっぱい知ってるかもしれないけれど,今までそれであまりうまくいかなかったこともあるだろうというのが問題なんですけど,そこの謙虚さなしに説教したがる。これはもう害悪ですね。若い人に対しては、アドバイスはするが強制はしない、これがすごく大事です。運動のやり方とかを押しつけちゃダメなのです。紹介はするが,押しつけはしない。「こういうやり方もある,ああいうやり方もある,ほかにもあるかもしれない,最後は自分で決めてね」という伝え方です。
たとえば彼らの中には,デモは嫌だという人がいます。デモというのは黒い服を着たおっちゃんたちがウオーと言っているあれでしょうというわけです。それはカッコ悪いというのが受け止めです。そんなカッコ悪い仲間には入りたくないのです。ですから彼らは私たちはパレードをするというのです。しかもみんなでいっせいにウオーとか言ったりしないわけです。ある人間は勝手にギターを弾いて歌っているし、ある人間はウサギの耳とかをつけてくるわけです。ウサギの耳と憲法とどういう関係があるんだと思いますけれど,でもそれが彼らなりのアピールなのです。そして,本人たちが楽しんでやるわけです。すると面白いことが起こります。本人たちが楽しんでやってるから,まわりの若い人たちが,何事かと思って入ってくるのです。それで教えてあげるわけです。憲法9条というのがあってねと,そういう話をしているわけです。
毎日1時間の独習をあたりまえの生活に
さて最後です。新しい時代の新しい運動を盛り上げていくには,工夫がいります,知恵がいります,知識もいりますし,語る能力が必要です。そこで最後の16ページの⑥番目へ行くわけです。
みなさん方に,ぜひ勉強してほしいということです。毎日1時間の独習をあたり前のスローガンにしていただきたいということです。独習こそ学習の本道です。今日の私の話も3日で忘れられるのです。おそらく今日この会場がしまる時,いまみなさんが手にしているレジュメのいくつかは床に落ちているわけです。熱心な方はレジュメに何かメモをされていますが,それは無駄ですよ。メモはレジュメごとなくなるのですから。これが意味することは,人間は人の話を聞いているだけでは絶対に賢くなれないということです。だって,必ず忘れますから。
では,よりマシな日本づくりの取り組みのために,自分が賢くなろうとしたらどうしたらいいか。それは自分で勉強するということです。学習の本道は,月に1度の学習会への参加などではないのです。自分1人で毎日必ず本を読むということです。その時間をなんとかして毎日の中につくりあげるということです。若い頃は勉強した。そんな過去の遺産で21世紀は語れません。毎月1度,2時間の学習会にセッセと通っても,1年でたったの24時間です。1日わずか4分にしかならない。たった1日4分の勉強で,賢くなるわけがないですよね。小さな子どもが毎日6時間も勉強しているのに、世界の平和がとか言っている大人がちっとも勉強していない。それでは日本はかわりません。
こういう話しをすると,だいたいみなさん忙しいと言うわけです。しかし,正面からキチンと考えてみてください。忙しさを理由にして勉強しないあいだは,日本の運動は永遠にダメですよ。マスコミの発達したこの社会に生きているのですから,そういう社会では言論の力でしか世の中は変えられないですから。では言論の力とは何か。それは新聞を配ればすむというものではないですし、ビラを配ればすむというものではないのです。それは何より,1人1人の力です。まわりの人たちと対話し,説得する1人ひとりの能力です。個人個人の組織力です。したがって,時間があれば勉強するんだけれどなんていうのは,言い訳である以前に,何に時間をつかうことが必要かという判断のレベルで誤っているということです。みなさん方にとって,そんな恥ずかしいことはないでしょう。そうであれば「時間があればなあ」などとは,決していわないことです。
何を勉強してよいかよくわからないという方は、定評のある雑誌を定期購読することです。定期購読です。いいのがあれば,その月は買うよ,ではダメなのです。めったに自分で「いい」とは判断しませんから。ですから強制的に向こうから本がやってくると。仕方なしに毎月読まんとあかんという状況をつくるのが大事です。ひと頃よく言われました。学ばない幹部に指導される集団は不幸である。みなさん方の現場はいかがでしょうか。これ以上はうかがいません。
計画的に自分の知性を鍛える
みなさん方、手帳やノートに何月何日は集会だとか、何月何日はどこそこでビラ配り、何月何日はどこそこの会議、そういったスケジュールは書いてあります。ところが何月何日にこの本を読み終えるという勉強の計画は書いていないのです。これがいまの日本の運動の大きな弱点のあらわれです。自分を知的に鍛えることに計画がない。これは致命的な弱点です。60年代に、革新自治体をつくりあげていったときには、先例がない。だから,たとえば兵庫県では、県の財源がこれだけで、この財源で子育てにこれだけ金を使い、高齢者・身障者にこれだけ使い、地場産業の振興にこれだけ金を使いと,それでやっていけるかどうかは自分たちで考えていったわけです。勉強抜きにあの革新自治体の運動というのはあり得なかったのです。
あの時期と比べた今日の運動の大きな弱点の1つは,学ぶ運動が後ろに退かされているということです。具体的なやり方ですが,当面たとえば3ヵ月間ごとに勉強のテーマを決めるわけです。たとえば今日は、憲法の話を聞いた。戦後、憲法がどうやってつくられたかよく知らんかったというのであれば、今後3ヵ月は個人的に憲法学習の月間にするわけです。その月の3ケ月は消費税について学ぶ,その次の3ケ月はアジアの発展について学ぶ。そうやって,自分を計画的に知的に鍛えていくのです。知的成長に意識性をつらぬくのです。
もちろん,手帳に憲法学習月間と書き込んだだけでは,何も変わりません。本を買わないといけないのです。本を買うときに,1冊読んだら次のを買うという買い方はダメなのです。そんな買い方をする人は,たいがい1冊目が読みきれないというのを前提にしています。そんな志の低い行動を自分に許してはいけないのです。3ヵ月間でこれだけ読むとと,最初に5冊積み上げるのです。自分の机でも,事務所でも。そして,まわりのみんなに宣言するのです。私は3ヵ月で絶対これを読む、読んでるときにジャマをするなと言うわけです。5冊もかえば本題に金がかかって仕方がない。そんなことをいう人間に限って,居酒屋での2000円には金を出す。それは,いうまでもなくの使い方がまちがっているのです。自腹を切って,清水の舞台から飛び下りるつもりで5冊を買った人間だけが,もとをとろうとして一生懸命読むのです。これが大事なところです。
読むときには,かならずペンをもって,線を引いて読みます。欄外に印をつけて,思いつきを書き込んでいきます。そうやって,新品の本を自分だけの本につくりかえていきます。そして,線をひいたところ,印をつけたところを会議で話すのです。線を引いたところをビラに書くのです。線を引いたところを演説でしゃべるのです。そうやって,繰り返すから,頭の中に定着するのです。最初の5冊を何から読んでいいかよくわからないという方は、今日、この会場のロビーに私の本が売られていますので、まずは私の本を根こそぎ買って帰っていただきたいと思います。
ではこれで終わります。ご静聴ありがとうございました。
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