以下は,8月8日に行なう神戸学習協での講座「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」第4回(最終回)への「講師のつぶやき」です。
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〔兵庫学習協2006年夏〕
「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」
講師のつぶやき(4)
2006年8月4日
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
早いもので,今回の講座はもうおしまいです。
今日は,いままでみなさんから何度もご意見・ご質問のあった「戦後」の問題です。今日は戦争責任にかかわる戦後日本の歴史を,ドイツとの対比もしながら学びます。あわせて「女性国際戦犯法廷」開催の中心に立った松井やよりさんの人生もふりかえります。松井さんの人生には,戦後日本の中の女性の地位もよく見えます。
では,今日も前回のたくさんの「ご感想・ご意見」の紹介からです。趣旨をかえずに文章を多少かえているところがあります。ご了承ください。
◎去年の夏,私はナヌムの家に言ってきました。そのとき軍医が書いた日記に「若い女性が送られてきた。これぞ天皇陛下からの贈り物である」とあったと聞き,天皇の責任を追求しないアメリカと日本の態度に深く憤りを覚えるとともに,同じ女性として,差別・人間扱いをしない人権を尊重しない日本の体質を感じました。
ハルモニのイ・オクソンさんからお話を聞き,この方は日本の敗戦後,山の方へ連れていかれて捨てられたといいます。手に刀傷のあともありました。帰りには「また来てください」といわれ,胸がつまりました。
隣国の韓国・挑戦と真に仲良くするには,日本政府は今までの侵略戦争でつくした数々の暴行について,一日も早く謝罪しなければならないと思います。この夏期集中講座に参加し,石川先生の本を読んだりお話を聞き,改めてその思いを強くしています。ありがとうございました。
◎今日は初めて知る日本の歴史がありました。朝鮮人・中国人の強制連行。これほどまで残虐な行為が日本国内で行われていたことにショックを受けました。学生時代,中国や韓国の人と出会い,友達になりました。同世代なので食事をしたり,ショッピングをしたりと日本人の友達と同じように互いに接していました。ただ一度,イラク戦争前に,ある授業で戦争についてとりあげられた時,韓国人の友達が下をむいてうつむいた姿をいまでも良く覚えています。日本に傷つけられた親族がいるのかも知れません。私たちの世代にまで,日本の侵略戦争の傷がのこっているのを実感します。
日本はおごっていて,それが戦前と戦後につづいているんだと思います。神ノ国だから日本人は神ノ子という意識が戦時中に行った残虐な行為,戦後の無反省につながっていることを強く感じました。
◎中国「残留孤児」裁判への署名にご協力いただきまして,ありがとうございました。かこの歴史,戦争を反省しないこの国の為政者の態度が,この裁判にもあらわれています。「残留孤児」を中国に置き去りにしながら,帰国措置を放棄し,国語の自立支援策もまったく不十分。それにもかかわらず戦争被害は「国民はひとしく甘受すべきだ」と主張し,裁判では時効すら持ち出しています。
大阪地裁では敗訴していますが,どうしも勝ちたい,勝たなければならない裁判だと思っています。この裁判を知ったとき,「気の毒だから支援しよう」との思いもありましたが,政府に謝罪をさせ賠償させることが必要だと思うようになりました。
天皇について話すとき,私もそうでしたが,多くの人が(民主的な運動をしている人でも)「天皇陛下」と敬称でいってしまいます。教育の恐ろしさと必要性を痛感します。
◎第1回目のビデオはとても残念でした。準備不足です。第2回目は音は少し大きかったですが,映ってよかったホッとしました。受付は部屋の外にあった方がいいのではと思いました。
◎以前より「従軍慰安婦」について学習したい気持ちが強く,この講座に出席することができ大変よろこんでいます。第1回目より強調されていました「加害の歴史に向き合う」という気持ち,心にきざみます。真実を知るということは本当に大切なこと。自ら知ろうという気持ちを大切にしていきます。地域の「9条の会」で2ケ月に1回学習会にとりくんでいます。7月は神戸大学の浅野先生を講師に迎え,「中国残留孤児を育てた養父母に学ぶ」とういテーマでお話をうかがい,命を次世代につなげていくということを学びました。あまりにも命を大切にしない日本という国の歴史を私たちは学び,同じあやまちを繰り返さないよう,みんなで穏やかに生活できる国にしていきたいです。
◎1つ1つの事件をこうして見ていくことが大切だとあらためて思った。これからどこか人が最近きていないところで骨とか出たら「強制労働か」と考えてしまいそう。アジア女性基金の話しは切ない。日本人の懺悔としてされていた面もあるだろうし。
◎日本の侵略によってむごく命をうばわれたり,人生をめちゃくちゃにされたりした人たち。生き残っても,日本が謝らないために,謝罪の言葉を聞くことなく亡くなるハルモニたちがおられ,もう取り返しがつかないと思うと言葉がありません。
義母は私が共産党員であることを知っているし,宣伝物もみるようになったにもかかわらず,アカハタと聞くだけで拒否反応を示します。小さいころに徹底的に教え込まれたことはなかなか払拭できないものだと感じるとともに,つきつめていえば,天皇の責任が明らかにされないまま,政治体制に戦前戦後の連続性がもちこまれていることがあるのだなと思います。
◎強制連行によって奴隷労働をしていた日本の企業が,戦後61年たった現在,大企業として繁栄しているのは資本主義の醜悪な部分というより根幹をあらわしていると感じた。日本のアジア外交を「土下座外交」と揶揄する軍国主義政治家や評論家がいますが,強制連行一つとっても,謝罪してもし尽くせないもので強制連行の直接の責任者だった岸信介の孫の安倍晋三が総理候補としてもてはやされる日本は,マスコミの責任が大でしょうが,日本国民自身も戦争の歴史を知らない責任があるのではないでしょうか。やはり政府を大本から変える運動を強めていくべきですね。それが日本国民のアジア人民に対する戦後の責任でしょう。
◎「慰安婦」にとされた姜さんの16才で初めて強姦された時の絵,恐ろしくて,恥ずかしくて,顔を手でかくしてしまう気持ち,もらい泣きします。「日本はきれいな国民でいたい」と批判する言葉が心につきささります。戦後,戦後といいますが,侵略戦争をひきおこした国の責任で,侵略した国への謝罪と補償が終わらない限りは,戦争はまだ終わらないということに気がつきました。戦争はまだ終わっていない。重い言葉です。
◎徹底的にたたきこまれた天皇タブーは今も生きていると思います。天皇一族を早く人間にしてやらないと。強制連行はまぎれもない拉致。この拉致問題の解決はどうなっているのか。「慰安婦」の方は,国民基金は受け取っても良い。受け取ってもの日本国の責任,賠償を追求するのは当然のこと。
◎この講義を受けて本当によかったと思っています。ありがとうございました。
◎終戦の翌年に小学校に入学しましたが,今日のお話,ビデオの内容に類することにはほとんどふれることなくすごしてきた。このことを痛感させられた。残された人生をできるだけこういったことにかかわりながらすごさねばと,思わされました。
◎男も女も日本軍によって強制連行され過酷な労働(女は性の)を強いられた現実を,映像によってつきつけられ,今日も知らなすぎた自分にショックを受けました。日本人のみが優越で(神の子であるから?),隣国の人たちを蔑視していたのに教育の恐ろしさを感じます。中国人を使役した大企業が補償金を得たということにも驚き,日本政府の戦争責任を他の国の人にきちんととっていない,戦争は終わっていないということが良くわかりました。
◎「強制連行」が閣議決定までされていた事,日本への連行の前に中国で300万人も連行したことなど初めて知りました。今回初めて参加させていただきましたが,あらためて日本の責任と,いま私たちがすべきことは何か等を考えさせられました。多くの人に見てほしい映像です。
◎悲しいの一言につくる第3講義でした。加害者の国民であるという責任を自分なりに受け止め,平和のために生きていく事をあらためて心にきざみます。真実を知ることの大切さ,自らそれを求める気持ちを,さらに心がけたいと思います。次々と勉強したいことが,回をかさねるごとに増えていきます。
それぞれに重い言葉がつづいています。「学ぶ」とは「覚える」ことではなく,「考える」ことですから,みなさんそれぞれにこのように深く考えているということは,「学び」の成果が良くあらわれているということです。
『ハルモニからの宿題』の石川の文章には,たくさんの学習文献をあげておきました。この講座をきっかけに,さらに突っ込んだ学びへとすすんでください。まわりのお仲間を誘って学ぶのもいいかも知れません。
なお,「ビデオ塾」(http://www.jca.apc.org/video-juku/videolist.html)からは,たくさんのビデオを手に入れることができます。グループをつくって,あるいは何かの団体の資金で買って,いろいろな機会にみるのもいいかも知れません。ぜひ検討してみてください。
さて,以下はご質問です。
●「ヒトラー」対「ヒロヒト」では「独裁者」対「神」。国民にとっての存在がかなり違っていたと思います。だから「神」である「ヒロヒト」に責任をおわすと国民が,アメリが考える属国になることを認めないと思ったから「ヒロヒト」は戦犯になってないのでしょうか。ドイツ人はなぜ国民全体が戦争を反省し,日本はできなかったのか。日本の方が,ドイツよりも復興に時間がかかったからなのか? 日本人全体がアジアの人々を下に見て,差別意識が強かったから反省する行動にうつせなかったからなのか?
──今日の講義テーマそのものですから,まずはビデオを見てみましょう。日米の支配者たちの思惑とともに,日本国民自身の無自覚が残念ながら大きな役割を今日もはたしていると思います。それだけに世論を大きくかえる取り組みが必要です。
●ここでこのような質問はそぐわないかも知れませんが,スポーツ新聞や繁華街などで風俗営業の宣伝,呼び込みなどいつも気分が悪くなります。「そこではたらいている女性はお金がほしくて仕事としてやっているのだからいい」という意見をよく聞きますが,それでいいのでしょうか? 私は女性のからだを売り物にすることに対してまったく理解できません。「従軍慰安婦」の事とは切り離して考えることなのでしょうか? 私は人権のことでつながっていると思うのですが。
──何がどのように「つながっているか」を具体的に考えることが必要です。かつての「慰安婦」問題と今日の買売春の問題は,もちろんまったく同じではありません。しかし,少なくとも今日の買売春の問題を解決しようとしない,あるいは解決する必要を感じない「性搾取」への鈍感さが,「慰安婦」問題の解決をさまたげる力の1つになっていると思います。
──今日の日本における買売春は,日本人男性等による海外への「買春ツアー」,東南アジアや南米からの「人身売買」を利用した「売春」の強制,借金や貧困をきっかけとした日本人女性による「売春」,さらには「手っとり早くもうかる」ことを目的とした「売春」など多様な形態,多様な理由によっています。売春防止法がザル法で,さらに警察に取り締まりの意志がないという問題もあり,多くの一般市民がこの状態に「慣れて」しまっているという問題もあります。マスコミが批判的視点をもたないという問題もあります。この問題についても,ぜひ具体的につっこんで学んでみてください。
──なお,共産党のHPに次の解説がありました。ご参考までに。
2004年11月24日(水)「しんぶん赤旗」
身売買禁止法 どう考える?
〈問い〉 人身売買で日本に来る女性が絶えないと聞きます。法律がつくられるそうですが、日本共産党はこの問題をどう考えていますか?(東京・一読者)
〈答え〉 人身取引の被害者に該当する可能性が高いと思われる人は今年2月の1カ月間だけで53人(タイ人34名、フィリピン人16名、韓国人、インドネシア人、コロンビア人各1名)=法務省入国管理局調べ=にのぼります。
米国務省が今年6月に発表した「人身売買報告書」は、日本を、人身売買を防ぐための法整備や被害者保護が基準を満たしていないとして、3段階評価の分類2とし、今後は分類3に転落する危険がある監視対象国に指定しました。
日本共産党は、性的に搾取する目的のために女性や子どもを「売買」するやり方を、許しがたい人権侵害として厳しく批判し続けています。
先の国会で、児童買春・ポルノ禁止法の改正で、児童への性的搾取の対策強化がはかられましたが、人身売買に対する対策はほとんどはかられていません。
このため、6月には、日本共産党7議員の連名で「人身売買に関する質問主意書」を参議院に提出し、被害者の救済や国際組織犯罪防止条約の人身売買補足議定書の批准など人身売買を根絶するための法整備の必要性を主張しています。
来年の通常国会に提出予定の人身売買禁止法に対する、私たちの立場は―
(1)人身売買を取り締まる禁止法の制定や人身売買罪創設については賛成、(2)売買された被害者は犯罪被害者として保護する(現状は「不法滞在、不法就労の犯罪者」として処罰、強制退去させられており、民事法律扶助制度の適用などの支援措置や、婦人相談所の拡充やシェルター整備などの対策が必要)―というものです。
日本も批准している子どもの権利条約でも子どもの性的搾取は禁止されています。法整備は緊急を要します。(水)〔2004・11・24(水)〕
2005年11月4日(金)「しんぶん赤旗」
社会リポート
人身売買、売春強要… 外国人パブの女性「助けて」 「興行」業界 自民と関係
「ショータイムはなく、休みもありません。客の隣に座らされ、ホステスをやらされ、『DOHAN(同伴)』を強制されます。アクションを起こして、私たちを助けて」
法務省入国管理局に寄せられた、外国人女性からの「通報」の一つです。同局によると、このような「通報」は現在も続いています(東京入管には九月に三件)。ほとんどは「興行」という在留資格・ビザで入国したが、パブやバーでホステスをさせられている、売春を強要されている――という内容。さらには、裸で踊るよう強制された、パスポートを取り上げられ逃げられない、給料が払われない――。
「興行」は、もともと接客ではなく芸能活動をする外国人芸能人が対象です。この資格で入国した外国人は、二〇〇四年は約十三万五千人。うち六割にのぼる約八万三千人がフィリピン国籍でした。
前東京入国管理局長の坂中英徳氏はこう話します。「『興行』で入国した外国人女性が働く出演先四百四十四件を入管が調査したら、約93%で不正があり、ほとんどの女性はホステスをさせられていた」「テンガイ(客との店外デート)、ドウハンという言葉が定着し、それがイコール売春を意味していることが多い。それはまさに人身売買、性的搾取だ」
■署名運動も
興行資格で外国人女性を入国させるプロモーター(招へい業者)と出演店は業界団体をつくっており、最大の団体は「全国外国人芸能人事業者連絡協議会」(全芸連)。その機関誌によると、全芸連など業界団体は、外国人パブでの接客について「幕間の談笑であり、認められるべき」などと主張。全芸連を中心に業界団体の連合会を結成し、興行資格者(の外国人女性)に認められる「活動範囲の緩和」を求めて署名運動をするなどしていました。
しかし、政府が「人身取引対策行動計画」をつくり、興行ビザの発給要件厳格化などを打ち出すと、「同伴と指名システムの廃止」などを掲げました。その一方、興行ビザ厳格化の見直しを求めて全自民党議員に陳情するなどしました。
全芸連の今井城司理事長(連合会会長)は「業界団体は同伴禁止など業界の浄化に務めている。業界がすべて悪いと見られるのは不本意だ」と話します。
坂中氏は、「(〇五年三月までの)局長在職中、入管では興行ビザでの入国者がいる店の調査を強化した。すると、業者・業界が政治家に影響力を発揮し、入管に圧力がかかってきた」といい、業界と政界の癒着も指摘します。
■自民本部で
全芸連は毎年の総会を自民党本部で開催。機関誌によると、全芸連がことし二月に開いた総会には、保岡興治元法相、山崎拓前副総裁(当時首相補佐官)ら国会議員九人(その後落選した議員含む)が出席し、祝辞をのべています。
〇四年六月の連合会設立総会も自民党本部で開催され、自民党議員約三十人が出席。安倍晋三官房長官(当時幹事長)らが「この総会でみなさんから伺った話を政策に反映させていきたい」などと祝辞をのべました。
今井理事長は、「圧力ではない。入管がわれわれと会おうとしないから、政治家から入管に要求してもらうことはある。業界全体の要求だけだ」と話しています。
▼興行資格と人身売買 日本は、「人身売買監視対象国」(二〇〇四年の米国務省『人身売買報告書』の指定)、「性的搾取のため売買される多数の女性や子どもの目的国」(二〇〇五年同報告書)と国際的に批判されています。政府は人身売買対策として、ことし三月に「興行」資格の発給基準を厳格化。六月には刑法・入管法改正で人身売買被害者に在留特別許可を与え保護する措置が導入され、人身売買罪が新設されました。
●侵略戦争を引き起こした当時の天皇の責任の大きさ重々。今の天皇の子孫の方には直接,責任はないと思いますが。同和問題をはじめいろいろな差別は天皇制がなくならないと解消しないと聞いたことがあります。天皇制は国民の合意で段階的に解消できると聞いたことがありますが,どのように段階的に解消していけばいいのですか。
──同和問題の解決と天皇制の廃止は,直接につながるものではないと思います。今日の象徴天皇制が維持されたもとでも,差別の解消は可能だと思います。
──国民的合意にもとづく天皇制の解消というのは,日本国憲法の本当の意味での改正によって象徴天皇制をなくしていくということです。「段階的に」というのは,それをいますぐただちに行うのではなく,そのような国民の合意ができた社会の発展「段階」において実現するという意味です。たとえば,共産党は次のようにその見通しを明らかにしています。
2004年2月4日(水)「しんぶん赤旗」
天皇制を「容認」したか?
〈問い〉 日本共産党は天皇制を「容認」したという人がいますが、どうなのですか。(東京・一読者)
〈答え〉 日本共産党が第二十三回大会で改定した綱領について、天皇制を「容認」したとする報道が一部にみられますが、それは事実に反します。
綱領は、いまの天皇制について、「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」とその評価を明確にしています。そして今後についても「国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」との方針を明示しています。
しかし、現在の国民の多数はいまの天皇制の存在を肯定しています。この状態が変わって国民多数が廃止・解消の立場で合意しなければ、天皇制の改革は実現しません。天皇の制度の改革は、それ自体が憲法の改定を必要とする問題でもあります。
綱領は、党の態度を示すこととあわせて、こうした現状をどのように変革するのかの方法も明らかにしています。
当面は、天皇は「国政に関する権能を有しない」(第四条)などの、憲法の規定を厳格に守らせることです。反動派が進めてきた「天皇の政治利用」など「憲法の条項と精神からの逸脱を是正」します。日本国憲法は国民主権を明記し、国民代表たる国会を通じた変革を可能とする政治制度を定めています。あらゆる進歩を阻んだ戦前の絶対主義的天皇制とは違って、天皇の制度が残ったいまの憲法のもとでも、日本共産党がめざす民主的改革は可能です。
日本共産党が、民主共和制への前進こそ社会進歩に合致するとの立場を、今後も大いに語ることは当然です。綱領はその解決の方法について、「天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」と規定しています。(博)〔2004・2・4(水)〕
●「靖国史観を奉ずるものが少数者ではない」といわれましたが,10年以上前なら大きな声ではいえなかったことが,最近,市民権を得ていると思います。その原因はどこにあるのでしょうか。
──根本の問題については,今日の講座で解説します。そもそも,かつての戦争を侵略戦争だとしてキッパリと否定する力が明確な多数派を形成したことはないのだと思います。その上で,この10年ほどの動きについては,1993年の自民党「歴史・検討委員会」が直接の出発点になっているように思います。これも講義でふれていきます。
※なお,関連するいくつかの解説記事を「赤旗」に見つけましたので,紹介しておきます。参考にしてください。
2004年12月23日(木)「しんぶん赤旗」
朝鮮人の強制連行は?
〈問い〉 最近「朝鮮人の強制連行はなかった」という論調が多く見られます。それを読むと、何十万人もの朝鮮人の強制連行という根拠はないのか、とも思えてきます。貴党はどう考えているのでしょう。(東京・一読者)
〈答え〉 朝鮮や台湾の人たちを強制連行し、従軍「慰安婦」にしたり、強制労働をさせたことは、1993年の河野洋平内閣官房長官談話で「募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と、政府も公式に認め、「心からお詫びと反省」をし、「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と表明したことです。
自民党の政治家や右翼勢力はこれに危機感をもち、「新しい歴史教科書を作る会」などを作り、「従軍慰安婦」問題を記述した教科書への攻撃を強めました。先日の中山成彬文科相の歴史教科書についての「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当によかった」との発言もこの動きの線上のものです。
強制連行・労働の規模は、戦前の政府資料から150万人とする試算、大蔵省が47年に出した「日本人の海外活動に関する歴史的調査」(朝鮮編)での72万4千人、「日韓条約」調印の過程で韓国側が示した66万7千人などの数字があります。
しかし政府は、調査をサボり、90年の日韓外相会談で、韓国側から強制連行者の名簿提出を依頼され初めて動き出すという状況でした。
日本共産党の吉岡吉典参院議員は、当時の参院内閣委員会で、政府の指示によって終戦当時、強制連行・労働にかかわる書類や給与の貯金通帳などの大部分を焼却したことへの謝罪や、名簿および強制連行のやり方や連行後の在日朝鮮人の苦難などの調査、を要求。男手のある家の寝込みを襲ったり、田畑で働いている最中にトラックを回して乗せ、日本の炭鉱へ送り込んだなど、朝鮮総督府関係者の著書を引用し、その実態を告発しています。(岡)〔2004・12・23(木)〕
2002年12月25日(水)「しんぶん赤旗」
日本共産党 知りたい聞きたい
中国残留孤児らの「戦時死亡宣告」とは?
〈問い〉 中国残留孤児が国家賠償を求めた理由の一つに「戦時死亡宣告」をあげていますが、どういうことですか。(神奈川・一読者)
〈答え〉 第二次世界大戦終了時、多くの日本人が中国に置き去りにされましたが、一九四六年から引き揚げが開始されていました。四九年に成立した中華人民共和国を日本政府は承認せず、国交断絶で引き揚げも一時中断しましたが、五二年に中国政府が残留日本人の帰国援助を表明し、両国の赤十字や日中友好協会などが結んだ協定によって、民間レベルでの引き揚げが再開されました。しかし五八年に日中両国は全面的な断絶状態となり、その後の中国国内の混乱や日本政府の中国敵視政策もあいまって、民間レベルの引き揚げも中断を余儀なくされます。
そのさなかの五九年に、日本は「未帰還者に関する特別措置法」を制定します。この法律は、未帰還者のうち「生死が分明でない者」などの「戦時死亡宣告」を請求する権限を、厚生大臣に与えました(政令で都道府県知事に委任)。政府はまだ多くの日本人が中国に残されていることを知りながら、まともな調査もせずに“生死分明でない”“生存していないと推測される”などとして「死亡宣告」を出させ、戸籍から抹消させました。この措置は、長い間、残留日本人の帰国の道を閉ざすものとなってきました。
十二月二十日、六百三十七人の中国残留日本人孤児が、国家賠償と謝罪を求め、東京地裁に提訴しました。原告団は、孤児に対する三度の「棄民政策」の責任を問うています。三度の棄民とは、(1)終戦前後の混乱の中で、中国に置き去りにしたまま放置した(2)「戦時死亡宣告」により死亡扱いされた(3)ようやく帰国しても政府の冷たい施策で困難な生活を余儀なくされている―ことを指しています。政府は侵略戦争を真剣に反省する立場に立ち、国策の犠牲となった残留孤児らに謝罪し、過ちを償うべきです。
(博) 2002・12・25(水)
2004年4月10日(土)「しんぶん赤旗」
中国、韓国間との戦後清算は?
〈問い〉 戦後、日本と北朝鮮との間では戦争の清算がおこなわれていないことを貴紙で知りましたが、日本と中国、韓国との間ではおこなわれたのですか?(埼玉・一読者)
〈答え〉 他国と戦争をした場合、戦後に平和条約を結んで戦争の清算をするのは、通常のことです。ただし、中国、韓国との間での戦争の清算は、複雑な経緯をたどりました。
中国は、ほとんど全土を実効支配していたにもかかわらず、台湾に逃れた人々が「中華民国」を名のり、アメリカや日本は「中華民国」だけを中国政府と認める政策をとりました。ですから、日本は「日華平和条約」(52年)を結び、戦後の清算を終わらせようとしました。しかし、不自然な状態が続くわけはなく、結局、国連の代表権も「中華民国」から中国に移りました。
ようやく72年、中国との間で「日中共同声明」をだすことで、事実上の清算をおこなったのです。けれども、日本は、すでに「日華平和条約」で清算は法的に終わっていることに固執し、通常はおこなわれるはずの賠償金の支払いは拒否しました。
韓国との間では、51年から交渉が開始されました。交渉過程で日本は、植民地支配にはいい面があった、その時代につくった建物や鉄道を財産として置いてきた、などと主張し、韓国側の反発を受けました。65年、日韓基本条約と関連条約(経済協力協定等)が結ばれ、法的には清算がおこなわれ、経済援助もすすみました。
しかし、日本が植民地支配の過去への謝罪を条約の中に入れることを拒否したことから、その後も、清算の名に値しないのではないかと、問題になり続けました。98年の日韓共同宣言で、ようやく「我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」と明記されることになったのです。(松)〔2004・4・10(土)〕
2006年4月20日(木)「しんぶん赤旗」
「白バラ」の学生とナチの裁判官はどうなったの?
〈問い〉 映画「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」をみて胸がつぶれる思いでした。「白バラ」グループの学生は戦後、「裏切り者扱い」で判決が取り消されたのはずっとあとだったというのは本当ですか? 死刑判決をくだした裁判官らは戦後どうなったのですか?(千葉・一読者)
〈答え〉 ナチ抵抗グループ「白バラ」の学生たちは、ミュンヘン、ウルム、ハンブルク、フライブルクなどで活動。このうちミュンヘンのルードウィヒ・マキシミリアン大学の学生6人が処刑されました。
ゾフィー・ショルなど数百人に過酷な死刑判決を下した裁判官ローラント・フライスラーは、1945年2月3日、ベルリン空爆で死亡しました。しかし、同僚のハンス・ヨアヒム・レーゼは1968年12月、「国民裁判所(ナチの政治裁判所)の裁判官としての職務を法と良心に基づいて正常に果たした」として無罪判決を受けます。
戦後、多くのナチの裁判官が職に残り、殺人や組織的拷問にも「上官の命令に従っただけだ」と減刑されたり、「反ユダヤ主義の狂気にとりつかれたのであり、罪はそのように教育した者にある」と免責されたりしました。
背景にはドイツでの不十分な非ナチ化があります。
ドイツでも戦後、労組や労働者政党が反ファシズムの声をあげました。しかし、米国などは西独をソ連と敵対させるため、元ナチスのエリートを復権させます。アデナウアー政権がナチ高官受け入れを決定し、その後、西独政府は1965年までに100人の将校、828人の検察や裁判官など法関係者、21人の高級官僚、245人の外交官、297人の高級警察官僚を復職させます。
雰囲気を変えたのが63年からのアウシュビッツ裁判など一連のホロコースト裁判や68年前後の学生たちの運動でした。
学生たちは「祖父や父はナチの時代に何をしたのか」「ドイツの過去の責任を認めよう」と父親世代に問いかけました。
レジスタンスの闘士だったブラント首相が69年に首相になったことは抵抗闘争への評価にとって決定的でした。80年代にはナチの被害にあったレジスタンス活動家に補償金が支給されました。
法的には戦後「白バラ」の関係者にはナチの裁判結果が有効とされ、大学への復学も許されませんでした。
しかし、82年に映画「白バラは死なず」(ミハエル・フェルヘーベン監督)が公開され、抵抗運動活動家に対する有罪判決がいまだに有効であると訴えたことが反響を呼びました。
連邦議会議員と結んだ粘り強い市民運動で95年に判決は無効とされました。(片)
〔2006・4・20(木)〕
2006年2月22日(水)「しんぶん赤旗」
戦犯的体質が受け継がれているとは?
〈問い〉 第24回党大会報告の「過去の侵略戦争を正当化する異常」の項に「わが国では、侵略戦争を推進した勢力の後継者が、戦後も、アメリカ占領軍の方針のもとに、反省抜きに政権を握りつづけ、その戦犯的体質が今日にいたるまで受け継がれている」とありますが、具体的にはどういうことですか?(大阪・一読者)
〈答え〉 第二次世界大戦後、日本、ドイツ、イタリアがおこなった侵略戦争を断罪し、このような戦争を二度と引き起こさないことは、世界政治の共通の原点となりました。
国連憲章は、この立場から世界の平和秩序のルールを定めたものです。日本でも、政府が引き起こした戦争への反省は、憲法に明記されました。
しかし、日本の現実の政治は、この線にそっては展開されませんでした。中国革命の進展に直面したアメリカは1947年ごろから、対日占領政策を急転換し、日本を反共の基地にしようとし、それまでの戦争責任追及の方針を変更したからです。
東京裁判の言い渡しの翌月(48年12月)には、A級戦犯容疑者19人(この中には、その後首相になった岸信介がふくまれる)が釈放され、翌年2月には、東京裁判に続くA級戦犯裁判が打ち切られました。
アメリカの占領の終了とともに、戦争犯罪人への減刑、釈放がすすめられ、56年3月までにA級戦犯容疑者全員が釈放されました。
こういう動きのなかで、A級戦犯容疑者が日本政治の中枢の地位につくようになりました。
54年、鳩山内閣が生まれたときには、太平洋戦争を始めた東条内閣の外務大臣で、A級戦犯として禁固7年の有罪判決を受けた重光葵が、外相に任命されました。翌年、保守党の大合同で現在の自由民主党が結成されますが、初代の党幹事長になったのは、東条内閣の商工大臣で、A級戦犯容疑者として逮捕された岸信介でした。岸はその翌年には、石橋内閣の外相になり、その次の年には首相になりました、日米安保条約は、この岸内閣が結んだものです。
63年には、東条内閣の大蔵大臣で、A級戦犯として終身禁固の判決をうけた賀屋興宣が、池田内閣の法務大臣になりました。
こういうことは、ヨーロッパでは起こりえなかったことです。しかし、日本では「戦争肯定」派の人脈がいまも続き、過去の戦争に無反省でいるという「異常さ」があるのです。(村) 〔2006・2・22(水)〕
2005年6月30日(木)「しんぶん赤旗」
ネオナチとは何ですか?
〈問い〉 靖国問題とかかわって、日本における「ネオナチ」的存在といわれますが、そもそもネオナチとはどういうものですか?(広島・一読者)
〈答え〉 ドイツでは1933年~1945年にかけてナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が独裁を敷き、ユダヤ人大量虐殺や侵略戦争を推し進めました。この歴史を正当化する勢力がネオ(新)ナチです。
「社会主義」を党名に掲げたのは国民の味方であることを装うためでした。総選挙で第一党になり、33年1月に党首のヒトラーが首相に就任すると、共産党や社会民主党議員の議席をはく奪して、独裁権力を握りました。39年にはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦を始めました。アウシュビッツなどの強制収容所で殺されたユダヤ人は約600万人とみられています。
戦後ドイツはナチスの行為を反省しました。
西独の憲法として制定された基本法(90年の東西統一後はドイツ全体の憲法)は「欧州の一員」「世界平和」「人間の尊厳」を掲げ、侵略戦争を違法とし、この秩序を破壊しようとする団体の結成や宣伝活動は法で禁止されました。
西独で元ナチス幹部を中心に「帝国の再興」を目指して結成された「社会主義帝国党」は52年に憲法裁判所の判決で禁止されました。
ネオナチや極右政党などを監視している役所、憲法擁護庁の04年版報告によると、ネオナチは87団体、3800人、極右政党は3党(共和党、ドイツ国民連合、国家民主党)、2万3800人、極右組織全体では168団体、4万1900人です。
同庁は、ナチスの思想を公然と掲げるネオナチと一応合法政党である極右政党を区別していますが、人種差別、ナチスの犯罪の正当化という点は共通しているとしています。
例えば国家民主党はナチスの体制を意味する「民族共同体」の復興を方針にし、「ナチズムは民族のアイデンティティーを実現した」(フォークト党首)などと主張しています。(俊)
〔2005・6・30(木)〕
2005年3月16日(水)「しんぶん赤旗」
特高が戦後、国会議員になったの?
〈問い〉 特高が戦後、復権し、中には国会議員にまでなったと聞き驚きました。本当ですか? 名前もわかれば教えてください。(京都・一読者)
〈答え〉 特高警察関係者で戦後、国会議員となった人物は『特高警察黒書』(新日本出版社、77年発行)や最近出版された『告発・戦後の特高官僚―反動潮流の源泉』(柳河瀬精著、日本機関紙出版センター)に掲載されています。前者は警察関係者もふくめ63人、柳河瀬氏は54人の名をあげています。
この中には、敗戦までの11年間に内務省警保局長だった14人中7人がふくまれます。警保局長とは、全国の特高のいわば直接的指揮官です。『特高警察黒書』によれば、7人在任中の弾圧は次のようなものです。
(カッコ内は戦後の役職)
▽唐沢俊樹(岸内閣法相) 労農救援会、エスペランチスト同盟、プロレタリア科学同盟の弾圧 美濃部達吉著書発禁、35年の1年間で共産党員・支持者を1772人逮捕、大本教や日本労働組合全国協議会弾圧。
▽大村清一(鳩山内閣防衛庁長官) 日本政治経済研究所や、ひとのみち教団弾圧。
▽山崎巌(池田内閣自治相) 人形劇団プーク、生活主義綴方教育、京大俳句会弾圧、春日正一、酒井定吉、岡部隆司ら共産主義者を投獄。
▽橋本清吉(衆院議員、三重) 治安維持法全面改悪、雑誌『機械工の知識』、俳句・漫画グループの弾圧、「企画院事件」で勝間田清一、正木千冬、岡倉古志郎、川崎巳三郎らの投獄、御国教などの宗教弾圧。
▽今松治郎(衆院議員、愛媛) ゾルゲ事件、太平洋戦争開戦にともなう非常措置弾圧、松尾鉱山朝鮮人労働者や短歌グループの弾圧。
▽町村金五(田中内閣自治相、信孝現外相の父) 創価学会、第七日基督再臨団などの宗教弾圧、一連のいわゆる「横浜事件」の弾圧、『改造』『中央公論』を廃刊に追い込む。
▽古井喜実(池田内閣厚相) 高倉輝、松本正雄、美作太郎、三木清、塩谷アイらの投獄をはじめ庶民にも弾圧を拡大。
特高官僚は、これらの権力犯罪にたいする謝罪や反省もなく、戦後も政治の中枢に居すわったのです。(国会議員になった特高官僚名は次回掲載)(喜)
〔2005・3・16(水)〕
2005年3月17日(木)「しんぶん赤旗」
国会議員になった特高官僚の名は?
〈問い〉 国会議員になった特高の名前は?(京都・一読者)
〈答え〉 戦前、特高警察の拷問などで命を奪われた人だけでも1697人以上にのぼります(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調べ)。こうした人道に反する犯罪をおかした特高たちは、戦後、約5000人が公職追放となり、特高課配属の下級警察官は職を失いますが、特高官僚は「休職」扱いで多くが復権、要職につきました。柳河瀬精氏の調べによると、国会議員には次の54人がなりました。(『告発―戦後の特高官僚―反動潮流の源泉』参照、当選順、主な特高歴)
大久保留次郎・警視庁特高課長、増田甲子七・警保局図書課、松浦栄・秋田県特高課長、大村清一・警保局長、鈴木直人・広島県特高課長、岡田喜久治・警視庁外事課長兼特高課長、青柳一郎・熊本県特高課長、鈴木幹雄・警視庁特高部外事課長、中村清・京都府特高課長、西村直己・静岡県特高課警部、館哲二・内務次官、町村金五・警保局長、池田清・警視庁外事課長・警視総監、今松治郎・警保局長、大麻唯男・警保局外事課長、岡田忠彦・警保局長、岡本茂・新潟県特高課長、河原田稼吉・保安課長・内相、菅太郎・福井県外事課長兼特高課長、薄田美朝・大阪府特高課警部・警視総監、田子一民・警保局保安課長兼図書課長、館林三喜男・警保局事務官活動写真フィルム検閲係主任、富田健治・警保局長、灘尾弘吉・内務次官、丹羽喬四郎・京都府特高課長、古井喜実・警保局長、山崎巌・警保局長、吉江勝保・滋賀県特高課長、相川勝六・警保局保安課長、雪沢千代治・兵庫県外事課長、橋本清吉・警保局長、保岡武久・大阪府特高課長、伊能芳雄・警視庁特高課長、大達茂雄・内務相、後藤文夫・警保局長、寺本広作・青森県特高課長、広瀬久忠・内務次官、大坪保雄・警保局図書課長、岡崎英城・警視庁特高部長、唐沢俊樹・警保局長、纐纈弥三・警視庁特高課長、亀山孝一・山口県特高課長、川崎末五郎・警保局図書課長、高村坂彦・鳥取県特高課長、重成格・警保局検閲課長、増原恵吉・和歌山県特高課長、桜井三郎・警保局事務官ローマ駐在官、湯沢三千男・内相、安井誠一郎・神奈川県外事課長、奥野誠亮・鹿児島県特高課長、古屋亨・岩手県特高課長、金井元彦・警保局検閲課長、原文兵衛・鹿児島県特高課長、川合武・長野県特高課長
(喜)〔2005・3・17(木)〕
2002年9月21日(土)「しんぶん赤旗」
宮内庁とはどんなところ?
〈問い〉 宮内庁とはどんな役所なのですか。予算規模はどれくらいでしょうか。(鹿児島・一読者)
〈答え〉 皇居内にある宮内庁は、国家行政組織法によって設置された、内閣府(元総理府)の外局の一つで、皇室関係の事務を受けもつ役所です。各部局のうち、侍従職は天皇皇后・紀宮を、東宮職は皇太子一家を、特別に担当しています。
日本国憲法第七条の「天皇の国事行為」のなかの「外国の大使及び公使を接受」し、「儀式を行う」ために、宮内庁式部職に雅楽などをふくむ儀式や接待の担当者がいます。
憲法第二条の皇位継承などを定めた「皇室典範」第二七条には陵墓の規定があり、宮内庁書陵部陵墓課が担当しています。
ほかに「御用邸」と称する天皇の三つの別荘、京都御所や桂離宮などと正倉院を管理する諸部門、病院、「御料牧場」などを運営する各部門などがあります。皇居をはじめ、これら不動産などはすべて国有財産です。
宮内庁予算は今年度百九十一億円で、皇室費(七十億円)と人件費・事務費の宮内庁費(百二十一億円)に大別できます。
皇室経済法が定める皇室費は内廷費、皇族費と宮廷費の三種類があり、内廷費と皇族費は宮内庁経理とは別扱いで、領収書もいらず、所得税などもかかりません。
内廷費は、天皇皇后・紀宮、皇太子一家の生活費で、法律で定める定額(近年は三億二千四百万円)が支給されています。
皇族費は天皇の男系親族(皇室典範第五条)へ総額三億一千万円が支給されています。皇族の宮家独立や女性が結婚して皇族から離れる場合には、皇族費から一時金が支出されます。
宮廷費(六十三億七千八百万円)は、天皇の国事行為や皇室財産の管理などの費用という名目ですが、実際は、皇室の国内外の旅行や滞在先での行事参加などの諸経費もふくまれ、こうしたさいにしばしばみられる、憲法の規定を逸脱した行為にも支出されています。
(平)〔2002・9・21(土)〕
以上,共産党のHPだけでも,相当のことがわかります。ぜひ,みなさん自身で良くチェックしてください。
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