さすがは産経新聞である。安倍氏が村山談話にクビをかしげたことが,うれしくて仕方がないようす。そして,それを応援したくてたまらないらしい。
「安倍氏は次期政権の課題などを聞かれた6日のインタビューでは、村山談話にこだわらず、新政権として歴史認識を打ち出す可能性も示唆したが、7日の会見では『政権が変わるたびに、いちいち談話は必要ないのではないか』とも述べた。村山談話に対する安倍氏の微妙な思いがうかがえる」。
「村山談話は自社さ政権時代の11年前の8月15日に発表された。日本の過去を『植民地支配と侵略』の歴史とし、『痛切な反省』と『心からのお詫(わ)び』を表明している。旧社会党出身の村山首相、故野坂浩賢官房長官ら一部の閣僚と官僚だけで検討された後、突然、閣議に出されたものだ」。
「村山談話は中国や韓国には、あたかも外交文書のように受け取られ、その後の歴代内閣の歴史認識を縛ってきた。その意味で、村山談話の罪は重い。しかし、歴史認識というものは、学問や言論の自由が保障された社会では百人百様で、時の内閣の首相談話によって縛られるものではない」。
ようするに,産経がいいたいことは,かつての戦争に対する政府としての総括(一定の共通認識)は必要がないということらしい。
では産経はヒトラー政権によるホロコーストについても,その評価は「百人百様」だから,後の政府が「反省」などする必要はないとの立場なのだろうか。あるいは「反省」した戦後ドイツ政府による賠償もまた必要はないことをやっているとの立場なのか。
「平成5年8月に当時の河野洋平官房長官が出した談話も、同じことが言える。その後、河野談話にある『従軍慰安婦・強制連行』説は破綻(はたん)したにもかかわらず、それを批判しようとする閣僚の発言を封じてきた」。
ここには手前勝手な「百人百様」論だけではなく,あえて「破綻した」との独自の判断が加えられている。どうやらこれについては「百人百様」さえも,認めたくはないらしい。
しかし,「破綻」と断定する根拠はどこにあるのだろう?
「社説」というのは,産経新聞の社としての公式見解ということだが,そうであればせめて民衆法廷「国際女性戦犯法廷」の判決文への批判など,対立する議論への説得力ある反論のひとつくらいは出してはどうか。
あるいは産経新聞社からは,すでに何か道理のある「歴史認識」研究がただの一冊でも出版されていたろうか?
〈これは強制ですよという政府文書が見つからないから強制ではないのである〉。その手の驚くほど幼稚な立論(?)の他に,いったいどのような新たな研究があっただろう?
どうやら産経は靖国史観の世界的孤立の中で,その歴史観と心中の悲壮な覚悟のようである。
まあ,別に,止める必要はないと思うけど。
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