こうまで証拠が積み重ねられても、いまだに外務省は密約が存在しないと述べている。
では、アメリカ政府に抗議でもしてみてはいかがか?
「アメリカ政府はウソの文書を公開するのはやめてください」と。
沖縄返還・核密約 米当事者のメモ発見(琉球新報、10月8日)
【東京】1969年の沖縄返還交渉で、米軍が有事の際に核を持ち込むことを認める日米密約の締結を示す米政府の公文書が7日までに見つかった。返還に合意した同年11月の日米首脳会談に向け、キッシンジャー米大統領補佐官(当時)が当時のニクソン大統領にあてたメモで、佐藤栄作首相との密約締結手順を記載。密約は「共同声明の秘密覚書」としてメモに明記している。 核密約については、佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏(元京都産業大教授、96年死去)とキッシンジャー氏との通話記録などが見つかっているが、交渉当事者のメモの発見は初めて。
メモは69年11月12日付と同13日付。2005年に機密指定が解除されていた文書を信夫(しのぶ)隆司日大教授(日米外交史)が米国立公文書館で8月に入手し、分析した。
キッシンジャー氏は「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本政府との秘密交渉」と題された12日付メモで、核持ち込みについて交わされた「秘密覚書(合意議事録)」の存在を明記した。
メモの内容は秘密合意に沿って両首脳が会談で行動するための「ゲームプラン」(行動計画)だとした上で、返還に伴う核兵器撤去に触れた共同声明文について交渉の進め方を進言している。
若泉氏は核密約を暴露した著作「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(94年出版)で、「ヨシダ」という偽名を使ってキッシンジャー氏と接触していたことを明かしている。
13日付のメモではキッシンジャー氏が若泉氏の暗号名「ヨシダ」に言及。「昨日午後、私とヨシダ氏が最終的な協議で行動計画は合意に至った」と述べている。
覚書自体はまだ開示されていないが、信夫教授は「日米双方の記録で密約が裏付けられた意義は大きい」と話している。
<ニュース用語>沖縄核密約
1969年11月19―21日の首脳会談で、日米は沖縄施政権返還に合意。核兵器撤去と日米安保条約の適用を示す「核抜き・本土並み」を条件としたが、その際、有事に米軍が核兵器を再び持ち込むことを認める密約を結んでいたとされる。秘密交渉に当たった若泉敬氏は著書で(1)日米が核持ち込みと繊維問題について2通の秘密合意議事録を作成(2)首脳会談で当時のニクソン大統領と佐藤栄作首相が大統領執務室隣の小部屋で2人きりで署名する段取りになっていた―などと暴露。既に公開された米公文書には2人が小部屋に入る記述があるが、議事録自体は公開されていない。
沖縄返還時、「核密約」示す米公文書 外務省は存在否定(朝日新聞、10月7日)
日米両国が沖縄の「核抜き本土並み返還」に合意した1969年11月、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領との会談直前に、両国間で返還後の沖縄に米軍の核の再持ち込みなどを認める「密約」を結んだことを明示する米政府の公文書が見つかった。密約の内容は当時の複数の米高官らが認めているが、「秘密議事録」と記述された米側の公文書が明らかになったのは初めて。
見つかったのは、キッシンジャー大統領補佐官(当時)からニクソン大統領にあてた69年11月12日付と同13日付のメモ。信夫隆司(しのぶ・たかし)・日大教授(日米外交史)が今夏、米国立公文書館で入手した。首脳会談の進め方や手順を説明した文書で、05年に機密指定解除された。
12日付のメモで、キッシンジャー氏は「返還後の沖縄への核兵器持ち込みと繊維問題に関する日米間の秘密合意に関連して、佐藤首相とあなた自身(ニクソン大統領)は次のような交渉のやりとりをする」と記したうえで、「手続きに関する申し合わせ」を添付した。
「申し合わせ」の核問題に関する項では、首脳会談での具体的な交渉の進め方が記され、「secret Minute」(秘密議事録=密約)という言葉があり、日米間で核密約があったことが前提となっていたことがうかがえる。
また「申し合わせ」は佐藤首相の密使としてキッシンジャー氏と交渉した若泉敬・元京都産業大教授(故人)の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で全文が明かされ、「日本政府は(中略)共同声明についての修正された秘密議事録(=密約)と共に(中略)受け入れるものと了解する」と訳されている。
さらに13日付のメモには、若泉氏が使っていたコードネーム「ヨシダ」が登場し、「この取り決めは昨日午後、私(キッシンジャー氏)とヨシダ氏との最終会談で合意した」などと書かれている。
信夫教授は「密約の存在が公文書のメモの中で明確に確認された。若泉氏の著書の価値が高められた。外務省は政府の信頼を高めるためにも自ら検証すべきではないか」と話している。
今回見つかった公文書について外務省は「文書がどんなものか定かではないのでコメントする立場にない。核の『密約』は存在しない」と従来の主張を繰り返している。
米公文書のメモ要旨 核持ち込みの秘密合意(中国新聞、10月7日)
【キッシンジャー大統領補佐官の1969年11月12日付大統領あてのメモ】
表題「沖縄返還後の米国の核持ち込み及び繊維問題に関する日本政府との秘密交渉」
佐藤栄作首相とあなた(ニクソン米大統領)が、沖縄返還後、米国と日本の核兵器持ち込みの秘密合意に関して採るべきゲームプラン(行動計画)を添付する。
もしあなたの同意が得られれば、この行動計画の1通をヨシダ氏(若泉敬・京都産業大教授=故人)に渡し、1通を保管する。
(中略)
「核問題」
日本政府は、共同声明に対する修正後の秘密覚書と同様、共同声明第7章(核の取り扱いに関する部分)の草案3も最終的には受諾すると理解している。合意には以下の段取りで到達する。
1 佐藤首相の訪問に先立ち、国務省は共同声明に含まれる第7章の草案を作成する権限を与えられる。
2 佐藤首相とその代理は、第7章の文言について直接ニクソン大統領と話すことを望む。
3 ニクソン大統領との話し合いの間、佐藤首相は第7章の草案1を提示する。
4 ニクソン大統領は日米安保条約の事前協議制度に特に言及する表現を希望し、第7章の草案3を提案する。
5 佐藤首相は草案3を受け入れる。
(以下墨塗り)
【補佐官の同月13日付大統領あてのメモ】
修正された行動計画を添付。昨日午後、ヨシダ氏との最終的な協議で行動計画は合意に至った。
(以下略)
(共同)
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