ファインマン『物理法則はいかにして発見されたか』(岩波現代文庫、2006年)を読み終える。
全体の1/10ほどは「わかった」気がしたが、それもあくまで「気がした」だけなのだろう。
ノーベル賞物理学者による、素人向けの講演である。
ノーベル賞受賞講演からは、大量の模索のすえに「成果」があるという、いわば当たり前のことをあらためて教えられる。
効率的なたくさんの労働が必要だということである。
コーネル大学での講演では、不確定性原理の解説も面白いが、それ以上に物理学的な現実認識が、どのような手順をもって深まっていくのかという「認識論」の話が面白かった。
自然がどんな性格をもっているかは自然が決めることであって、人間が決めることではない。どんなに美しい仮説も実験に支持されなければ誤りとなる。
理論の正さはつねに暫定的で、物理学者はいつでも自分たちの誤りを見つけようとしている。それだけが認識の前進への道だから。
前進の出発点は新たな推論である。そこでは「哲学」が役割を果たすことがある。
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