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最近の出来事(2003年9月特別編)
2003年9月4日(木)~5日(金)……3年ゼミ夏の函館食い歩き超ドンチャン旅行。
〔4日〕
朝は9時の起床である。
なんだか,ひどく眠いが,今日は3年生のゼミ旅行。「寝なおす」わけにはいかないのである。
ガーリックトーストと,ヨーグルトにコーヒー。
定番の朝食を体内に投入し,リュックに荷物をつめて,シャワーをあびる。
10時09分JR「加島」発,10時12分JR「尼崎」着,10時15分空港バス「尼崎」発。
今日もまた,綱渡りの人生である。
集合は,11時20分の関空である。「ゼミ生が誰か乗っているだろうか」と思ったバスには,見知らぬ顔ばかり。
ほう,ヤツらはどうやって空港までいくのだ。
今日は,ものすごく天気が良くて,世間がまぶしい。ラッキーなことである。
旅行係しおり作成班(Kの,K野,M上と思われる)がつくってくれた(なんと郵送されてきた),旅行のしおりをしばしながめる。
表紙には,「石川美食部・函館ツアー・9/4~9~5」「北を攻める!」とある。
ラーメンや,イクラ丼,北海道ミルクパックンチョなど,それらしい写真がカラーコピーで散りばめられている。
わがゼミにふさわしい,なかなかのアホバカ的凝り具合である。
途中,阪神尼崎駅から,やはりゼミ生たちがゾロゾロと3人ほど,乗り込んでくる。
バスのうしろに座って,ハイな様子である。
しばし,お気楽読書で「グレースの人」となる。
時間どおりに関空に到着。
11時30分には,全員集合。授業のゼミでは,こんなことはないのだが。
旅行係,M野・M上によって,すでにチケットは受け取られており,これといってみんなですることもない。
「オナカがすいて7時半に目がさめた」という,健康な声が聞こえてくる。さすがは,S絛である。
いったん解散とし,それぞれ自由に時間をすごす。
こちらは,喫茶店で,お気楽読書をつづけていく。
12時10分には,再集合。
12時35発の飛行機が,何かの都合で10分ほど遅れるらしい。
セキュリティ・チェックで2人が,ひっかかる。2人とも,凶器ではなく,ベルトらしい。
ほっと,一安心。
機内では,ノートをひっぱりだして「研究スケジュールの人」となる。
「じつは飛行機はじめてなんですよ」という,Kのを,みんなが適当にからかって遊んでいる。
「10分遅れなら,どうってこともない」。
ところが,函館空港が近づいたところで,飛行機は着陸態勢からふたたび空へとあがっていく。
ありゃりゃ,いったいどこへと思っていると,「空港の混雑により,着陸許可が取り消されました」とのこと。
「取り消し」って,そんなご無体な。
しかし,世の中,そんなこともあるようなのである。
着陸。
こちらも,天気はいい。しかし,さすがに北海道。けっこう,これが涼しいのである。
3時ちょうどの空港バスに乗る。
ここから後,函館での交通機関の支払いは,すべて会計係のS絛が担当した。
なにせ全員で14名(欠席者なし)の大所帯である。
あらかじめ,みんなからお金をあつめておいて,すべて,どこでも,一括清算していこうという作戦なのである。
外を歩くあいだはいつも,S絛の手に,次第にシワシワになっていくお金の入った封筒があった。
バスは満杯で,ずいぶん立っている人もいた。
函館は繁盛しているらしい。
3時半には,「湯の川」という川の目の前にある,「湯の川観光ホテル」に到着。
4つほどの部屋に,それぞれ荷物を置いて,ただちにロビーに集合である。
海沿いの町なのだが,湿気が高く感じられない。
このあたり,実に北海道らしい,すがすがしさである。
市電に乗る。「湯の川」は始発駅であった。
足元には,ここが「乗車位置」という,乗り場所の指定がある。
石畳の上に,ペンキでペッタリと書いてあるあたりが,スゴイ。
やってきた路面電車がとまった途端,さっそく,カメラがとびかい,写真がとられる。
騒ぎのはじまりである。
電車の中のつり広告をながめていく。
「第6回全国路面電車サミット」がちょうど,ここ函館で行われているらしい。
いったい何が,話し合われているのか。阪堺電車は参加しているのか。
外を見ると,「放射2号線」という道路名の表示がある。いったい,ここでは何が放射されているのか。
函館駅前を通過して,「十字街」で降りる。
歩いて,街の空気を楽しみ,キレイな景色に心をなごませ,しかし,着実に,ラーメン屋を探す。
なにせ一人残らず全員が「美食部員」である。そして,「美食」は「大食」をともなうのがわがゼミの常である。
4時40分,「ラーメン・マメさん」に突入。
もちろん,事前に「美食部員」たちによる,この店のリサーチがあった。
店の案内が,ちゃんと「旅行のしおり」の裏表紙にカラーで掲載されている。
店内に入り,まずは自販機でチケットを買う。「函館はやっぱり塩かな~」の声があがる。
声の主はK田,F田あたりらしい。わがゼミの「見た目お嬢,でもじつは……」組の2人である。
この店では「ラーメン」とはすなわち「塩ラーメン」のことである。
醤油や味噌にかぎり「醤油ラーメン」「味噌ラーメン」の表示があるが,「塩ラーメン」という表示はない。
ほぼ全員で,ズルリ,ズルズルと,ラーメンを食べていく。
細いストレート麺だが,しっかりとした角がある。
麺には,日高産のふのりが練り込まれているという。
なるほど,麺のあちこちに,それらしい黒っぽいものが見えた。
気がつけば,店の壁には,北海道ラーメン分布図のようなものが大きく貼られている。
「函館は塩」「札幌は味噌」「旭川は醤油」なのだと,その分布図は語っていた。
「私,ラーメン苦手なの」。
この期に及んで何をいうか,という発言をしたO田は,じつは,ひとりで「ミニ・チャーシュー丼」を食べていた。
だが,それも,うまかったらしい。
とりあえず満足して,近くにあった,「日本最古のコンクリート電柱」を見に行く。
1923年から建っているというから,もう80年である。
木製電柱だと,冬に凍って割れてしまうのだというようなことが,案内書きに書いてあった(ような気がする)。
さらに,歩いて「西波止場」へ。
レンガ倉庫がいくつかならび,大きな土産物屋さんがならんでいる。
キレイで便利なのはいいが,港街の風情が消えていくのは,いかがなものか。
なんとなく,最近の小樽の様子を思い出す。
とはいえ,相方に超大型ホッケと熊出没注意酒(北の誉)を買い,チビたちには,ラーメン,ソーセージ,キティなどを郵送する。
6時20分,函館山に登るロープウェイの「山麓駅」に集合。
土産物屋で買った「塩ラーメンキャラメル」をみんなに食べさせてみるが,すこぶる不人気であった。
「コッテリ,チャーシューって感じ」と,M上は,よくわからない感想を口にした。
ロープウェイに乗るか,タクシーに乗るか。
「オレたち観光案内はプロなんだよ」というタクシー運転手さんとの交渉のすえ,旅行係M上・M野の英断でタクシーに乗る。
タクシー3台に分乗し,静かに山をあがっていく。
運転手さんが,バスガイド並の知識とサービス精神を発揮して,いろいろなモノを見せてくれる。
ちょうど暗くなりはじめた夜景を,山の中腹の「夜景の穴場」から見せてもらう。
「これはスゴイ」。
何度も見た夜景だが,「今日は特に街や海が晴れている」という。
さらに,頂上のような余計な明かりがないぶん,たしかに,「これはスゴイ」のであった。
頂上では,人が集まる側とは逆の,津軽海峡に出ているたくさんの船の漁火と,青森の灯台の灯を教えてもらう。
「こんなに見える日はめったにない」と運転手さんもいう。
海の側の夜景をこうして,落ち着いて見たのは初めてかもしれない。
しばし,あちこちの夜景をながめ,写真をとり,闇の力に感動する。
だが,スケジュールはたてこんでいる。
短時間濃縮型の夜景感動時間を終えて,うしろがみをひかれながら,全員タクシーで山を下る。
われわれのクルマの運転手さんは,同僚から「佐久間先生」と呼ばれていた。
それだけ知識が豊かということだろう。
いかにも,「私は,この街が好きだ」というタイプの人であった。
安い値段のまま,タクシーで,今夜のメイン美食会場「魚一心」につけてもらう。
乗せてもらった「寿タクシー」には,筆でかいたような鶴の絵があった。
ありがとう,佐久間先生。
気分を一新して,ここでは,2階の座敷にあがりこむなり,食いまくり,そして,飲みまくる。
地元のサラリーマンたちが「会社帰りに,大いに利用してる」というタイプの,ちょっと大きめの大衆居酒屋である。
少々効率は悪くても,人情には厚い。
出てくる魚はデカくて,うまく,ついつい,酒もすすむのである。
一見すると,もっとも酒に強そうなのは,チャンピオンN津である。
しかし,ここで,思わぬ力量を発揮したのは,堺人T山であった。
「えー,センセイ,日本酒でも飲みましょうかあ」。どうも,ハラも座っているらしい。
「私,まばたきしたらハナが動くの」「いままで,だれでもそうだと思ってた」と,衝撃の告白をするのはF田である。
さらに,酒のために「ピンクの服と同じ顔色になった」のはH爪である。
それぞれ,やはり,こういう席だからこその,面白さがある。
「このゼミで一番失礼なのは,歯に衣きせぬM野だ」というと,「それ以上にセンセイが失礼だ」と逆襲をくらう。
うかつなことを口にするものではない。
「最終の電車がなくなる」というので,10時すぎには,店を出る。
大いに食い,大いに飲んだ。
近くのコンビニに入って,それぞれが適当に,買い物をする。
そして,10時20分,「棒二森屋前」から市電に乗る。
この時間であるから,特に終盤は,電車の中も,ほぼ貸し切り状態である。
もう,何人かが吊り革にぶらさがりだしてもおかしくないという,ワーキャー状況である。
ようやくホテルに到着すると,玄関前の大きな,回転する「風水球」を,ピンボケS絛と失礼M野が力づくで止めてみせる。
直径1メートルほどはあるかという石の球が,水の力でゴロゴロと回転している,アレである。
ただし,「止めよう」とすることの狙いは,良くわからないままであった。
部屋に入り,短時間での準備の後,11時30分から,コウモリS下の誕生会が始められる。
じつは,飛行機の中や,ラーメン屋で,全員がS下に気づかれぬように「寄せ書き」を書いていた。
また,この誕生会用のクラッカーやろうそくも,それぞれが持ち込みを事前に分担していたというという用意周到さである。
さらに,ケーキは,あらかじめ関西から,函館のケーキ屋に注文しておいたものであった。
旅行係およびしおり作成係軍団は,なかなかやるのである。
大きな目を一段と大きくしてS下は,すっかりビックリする。
そして,そのS下を中心に,ケーキ,お菓子,ジュース,酒が,それぞれの胃袋に,またしても放り込まれていく。
12時すぎには,部屋にもどる。何せ,明日があるのである。
とはいえ,みんなは何時に寝ることやら。
「山で出くわした熊を,巴投げで投げ飛ばした熊沢さんという人がいる」。
佐久間先生の面白話(本当らしい)が,フイにあたまに浮かぶ。飲み過ぎなんだろうか。
部屋の窓をあけると,目の前に「湯の川」が流れる。
海の近くなので,何艘も漁船が停泊している。
空気が冷たく,外にむけていきを吐くと,かすかにそれが白くなった。
北海道おそるべし。まだ,9月の最初だというのに。
〔5日〕
朝5時には,どうにか起き上がる。
テレビをつけると,今日の函館の最高気温は21度だという。
ボケボケしているうちに,東の空に朝日が昇った。キレイなものである。
5時45分には,全員がロビーに集合。
「2時間しか寝てない」とか「ほとんど徹夜」というメンバーもいるようだが,それでも我が「美食部」は,食わずにおれない。
化粧ッ気がなかろうと,寝不足で妙に顔が白かろうと,そんなことは関係ない。
見事な食い気優先の,全員集合の朝である。
今朝の目的地は函館港の「朝市」である。
クルマがほとんど走らぬ道を,タクシーは時速80キロで突き進んでいく。こちらの寝ぼけまなこには,コワイくらいに速く見える。
めざす店の名は,「茶夢(ちゃむ)」。
昨日,タクシー運転手の佐久間先生に教えてもらった店である。
「朝市の海鮮丼屋も観光客目当てで質が落ちてきた」「いま一番のおすすめはここだ」というのである。
そのことばを信じ,寒さにふるえながら店をさがしていく。
あった。
「朝市食堂街」の一角に,「茶夢・朝市の味処いかわ食堂」は,こじんまりと開いていた。
なるほど地元の店である。飾り気らしい飾り気は,ほとんど,あってないようなものである。
厨房の窓の外では,洗濯物を干すピッチに魚の開きがぶらさがっていた。
何もいわないうちから,漬け物と,イカのゴロ(はらわた)煮が,付け出しとして出てくる。
お父さん,お母さんの御夫婦での切り盛りのようである。
それぞれが自由に丼を注文。しかし,その主力は「函館丼」であった。
多すぎないゴハンのうえに,カニ棒,うに,イラクが,ところ狭しと盛り上がる。
極楽である。肥満への道である。体脂肪拡充まっしぐらである。
しかし,そんなことはかまわない。
さらに,いっしょに出てきた,味噌汁のワカメがこれまたうまい。
家で食べる,乾燥ワカメとはどえらい違いである。
全員,疲れていて,口数は多くないのだが,しかし,まちがいなく全員一致で満足の朝であった。
一番乗りのわれわれのあとに,ボツボツと丼ねらいの観光客が来ているようだった。
ただちにホテルにもどり,30分ほど布団にもどる。
そして,シャワーをあびて,再びロビーに集合。
チェックアウトをすませ,9時20分には,ホテルから函館駅までの「ミニレトロバス」に乗りこむ。
「おっ,あのバスはなんなんだ」,とたくさんの観光客がふりかえる。
それを見て,眠い目をこすりながら,かすかな優越感にひたる。
バスが到着したJR「函館」駅は,すっかり新しく建て替えられている。
その結果,ときおり駅前を走る馬車とのミスマッチはなんとも深刻になった。
かつての「古くささ」こそが,人の心をなごませる,函館の本当のウリだったのではないか。
この日本,古いという理由だけで,なんでもモノをこわすのは,そろそろやめてはどうかと思うのだが。
コインロッカーに荷物を放り込み,市電で「五稜郭」へと向かっていく。
本当は桜の季節がいいらしい。
タワーの上に上り,五稜郭の全容をながめ,歴史を少しだけ学び,すずしい風にあたる。
そして,時間節約のために,タクシーで「元町公園」の「旧イギリス領事館」へ,一挙にグイッともどっていく。
外をながめていると,「明日から塩ラーメンサミットがあるらしい」「ロシア極東総合大学は健在なのだな」といったことがわかる。
しかし,塩ラーメンサミットって,ああた。そこで,いったい何が議論されるのか。
到着した「旧イギリス領事館」界隈を歩く。
旧北海道庁函館支庁跡前には,近代化の担い手だという「四天王像」があった。
四天王はそれぞれ,きっと立派な人なのだろうが,しかし,4人まとめて銅像にするのはいかがなものか。
それも,バラバラに勝手なポーズをつけて。
修学旅行だと思うが,中学生くらいの子どもたちの姿が多かった。
子どもたちには,この手の場所は,あまり面白いものではないだろう。
なんだか,やたらと騒いでいる。
なかには正座させられて,先生(らしき人物)にしかりつけられている者もいる。
顔にスリ傷があるから,ケンカでもしたのだろうか。
まあ,そんなことも,あるわな。
一瞬「自由行動」になったので,Kの・S下等と,観光の道をはずれて「北海道ソフトの家」に入ってみる。
カラっとした空気のなかでの,濃厚ミルクのソフトはなかなかうまい。
気がつくと,いつのまにか,K野やS條も加わっており,その輪が,次第に大きくなっている。
やはり行動の指針は「食うこと」なのである。
食べながら,店のなかを見まわすと,壁といわず,天井といわず,無数の手書きメモが貼りつけられている。
メモには,「とても無理」とか「残念失敗」といったことばがならんでいる。
ソフト8段積み(グルリグルリとアイスを8周積み上げるのだと思う)を,男20秒,女25秒で食べるといった,チャレンジごとがあるらしい。
そして,そのことによって,この店は,マスコミ方面にも名が通っているらしい。
メモをみると,全体として圧倒的に失敗者が多い。
「食道が凍える」といったあたりが,彼らに共通した苦しい悲鳴のようだった。
その一方で,「顔がどうなってもいいと思えば楽勝」といった,開き直りきった女性たちの勝利宣言も目につく。
この方面,どうも女の方が強いらしい。
目の前の学生たちをながめて,なんだか,深く,納得してしまう。
再び全員集合で,「元町カトリック教会」へ。
函館に教会が多いのは,幕末の「開港」のひとつに函館があてられ,領事館の建設とともに,その国の宗教が一挙に入ってきたからだという。
そこで,集まっている教会たちには,信仰の内容に,それほどの共通性があるわけではないのだそうだ。
佐久間先生が,そういっていた。
この教会では,14の壁像に描かれた「十字架の道行き」が,特に見事であった。
山を降り,坂を下り,昨日も顔を出した「西波止場」へと出る。
みんなは今から,お土産を買うのである。
ここでもまた「自由時間」があるというので,1人はずれて,「函館市北方民族資料館」へと向かう。
すぐ目と鼻の先にあるということが,手元の地図でわかったからである。
5分ほどで,アッサリと到着。
アイヌ民族が中心だが,それにとどまらず,ツンドラからアラスカにひろがる多くの民族資料が紹介されている。
資料館にしては不思議な形の建物だと思っていたら,これは旧日銀の支店なのだそうだ。
古き,良き,ドッシリとした建物である。
こういう再利用には大賛成。
イヨマンテ(熊送りの儀式)が,相当広範囲にわたる北方民族共通のものであったことを初めて知る。
1805年にロシアの船が稚内に立ち寄った際の,アイヌの村の生活を記録した詳細な絵があった。
いわゆる「アイヌ絵」である。
どこまで,それが真実の模写であるかはわからないが,「日本」とまるで違う暮らしがあるのは一目瞭然。
しばらく,ビデオで流されていた,アイヌの食べ物についての紹介を見る。
独特の石斧でイナキビの実を刈り取り,これを足でふんで収穫する。
川をのぼるシャケをしとめる,モリをあつかう手さばきも見事なものである。
いずれも実演する人物は,かなりの高齢なのだが。
じっくりまわる時間が,十分ないのが残念だった。
受付で,本を3冊ほど買って外に出る。
1時40分,港にもどる途中の,地元の韓国屋さんで「韓国ラーメン」を食べる。
冷麺ではなく,ラーメンなのである。
「とてつもなく辛い」「怒りだす人もいる」と,メニューにあって,少し警戒して食べたが,そこまでの辛さではなかった。
「あと20分で,駅まで歩いて帰れますかね」「いけると思いますよ」。
お金を支払いながら,レジのお父さんに教えてもらう。
そのまま,いわれたとおり,サクサクと函館駅へ歩いてもどる。
地べたの街をながめながらの20分ほどである。
秋の選挙を前に,自民党函館本部が大きな看板をつけかえている真っ最中であった。
サッと汗をかいて,ようやく寝不足が抜けた気がした。
2時30分には,全員集合。ただちに,2時40分発の空港バスに乗る。
会計係のS絛,この旅,最後のお仕事である。
空港バスの運転手さんにお金を払う。
「チャリ~ン」。
30分ほどで空港に到着。
ここで,チャンピオンN津は一貫して,「仕事」に没頭していた。
雑誌の編集の仕事をしており,「できればこのまま就職したい」とも考えているという。
締め切りのある仕事なので,こんな時にも,「やることはやらねばならない」。
「お世話になります~。○×▲□のN津と申します。本日は◇▽◎■の確認のために,お電話させていただきました」。
次々とケータイをかけまくる,その口調は,すでに立派な仕事人。
どうやら,チャンピオンの称号は,ダテではないようである。
飛行機は4時15分発の予定である。
しばらく待って,ようやく乗り込む。
しかし,「コックピットの温度調整に不具合があり,修理します」とのことで離陸が遅れる。
だが,操縦室の問題というのは,自動的に乗員全体の大問題である。
パイロットに,「オレ,寒いからもう,操縦すんのヤダ」なんていわれた日にゃ,どえらいことになるのだから。
これは,しっかり,なおしてもらう他にない。
4時40分に再出発。
無事,離陸し,大阪に向かう「おかえり」の軌道に乗る。
函館滞在わずか26時間。
しかし,この短時間にして,この濃厚さであり,この充実感と疲れである。
30分ほど眠って,本を読む。
そして,読み終わった本をつかって,次の研究報告のメモをつくる。
6時半,関空到着。
「旅行係のM野さん,M上さんゴクロウサマでした」「会計係のピンボケもゴクロウサマ」。
ただちに,その場で解散である。
そそくさと,空港バスに乗り込んでいく。
バスでは,阪神尼崎駅まで,今度はM上・S條の2人がいっしょであった。
いつも家から見える天保山の観覧車が,今は大きくバスの真横に見える。
車中「アイヌ言語の人」となって,尼崎へ。
8時30分には「加島」にもどる。
さっそく,土産のホッケを焼き,熊出没注意酒をあける。
大きなホッケは,わが家のレンジでは,いささか窮屈そうに,ねじれて焼かれる運命となった。
飲み,食べしながら,この2日間のアホバカ関西人必見番組をビデオでながめていく。
今年もまた,夏の強烈食いまくり旅行は,これで終わった。
みんな,あとは,忘れずに「夏の宿題」をしっかりやってくれ。
頼んだぞ,と。
エリザベス・ロバーツ『女は「何処で」働いてきたか』(法律文化社,1990年)を読み終える。
イギリスの1840年から1940年にかけた女性労働についての研究。
産業革命による機械化で,多くの女性・児童労働者が「家庭」をぬけて「工場」へ行く。
しかし,長すぎる労働時間,悪すぎる労働条件との労働者たちの闘いが,女性・児童の「保護」をすすめる。
その「保護」が,結局は,「女を家庭にかえす役割を果たした」。
そういう見解がある。だが,事実はどうなのだろうか。本当に「工場法」によって,イギリスの女性労働者は減少したのか。
十分な統計資料はないようだが,それでも,主力産業であった「家事奉公人」「繊維産業」とも,女性労働者は増え続けた。
著者は,つかえる範囲の資料から,そのような結論を導いている。
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