〔2月25日〕
2月25日は、8時起床の朝であった。
戸締り、火の元などを指さし確認の後、
9時ちょうどには外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、
空港バスで「関空」へ、
車中「シンデレラの人」となって移動する。
10時40分には、相方・新参と空港で合流。
11時には、学生たちとも合流する。
4年ゼミの卒業旅行なのだが、
今回は、家族旅行として参加させてもらうことにした。
学生たちに愛想をうることに、
早くも疲れたふりをする新参。
各種手続きを終えて、
キッズルームへと行ってみる。
小さな部屋だが、
同じ時間の利用児は少なく、
なかなかにゴキゲンの時間となった。
受付の方も、実に親切。
1時前には、関空を飛び立つ。
飛行機の中では、できるだけ長く眠らせてみる。
とはいえ、片道3時間は短くなく、
飲んだり、食ったりは欠かせない。
日本時間の4時には、
現地3時の台湾(台北)に到着。
さらにバスに乗って、現地4時にはホテルに到着。
新参は、いつも夕食が日本時間の6時であるから、
ただちに外に出ることにする。
学生たちも、もちろんどこかに消えていった。
たくさんの屋台がならぶ夜市で、
嗅いだことのない食べ物の臭いと
まるで意味のとれない料理の漢字名にまどわされながら、
それでも何物かを頼んでみる。
そして、食ってみる。
地元の人がバクバク食っているものにまちがいなはい。
さすが夜市と呼ばれる筋である。
時間が遅くなるにつれて、
まわりのキラキラ度合いが増してくる。
新参は、現地8時には眠らねばならない。
コンビニによって、すばやく帰る。
ペットボトルの緑茶に砂糖が入っているものがあり、
これが新参に大ウケとなった。
〔2月26日〕
2月26日は、五月雨式に、9時すぎの起床となる。
新参は、やはり深夜、ケホケホの人間となり、
ゲボが終わったところで、
5時まで起きていたらしい。
学生たちは、バスのツアーにでかけている。
後で聞いてみたところ、
「先生の好きそうなところ、たくさんいきましたよ」
「どんなとこ?」
「蒋介石のなんやらかんやらとか」
「……?(なんやらかんやらではなあ)」。
朝昼兼用食になる時間だが、
ホテルの近くの食堂街に入り込む。
ここには、日本語メニューがあったので、
夕べとかわって、
実に落ち着いた食事となった。
世間は、雨がちょっと降ったり、あがったり。
気温は日本の初春感覚。
食後は、そのまま地下鉄へ。
ルーレットで使うようなチップをタッチして
自動改札機を通過し、
降りる時には、これを改札機に投入してしまう。
なるほど、これだと紙が無駄にならない。
「台北」を通りすぎ、さらに4~5駅移動した「剣潭」の
地上ホームからの景色である。
山の木々の背が高い。
目指した水族館は、残念ながらすでに閉館。
去年の夏のことであったらしい。
図書館で借りた『台湾の歩き方』の限界である。
急遽、方針を転換し、
近くにあった士林夜市をながめてみる。
昼食を出している店もあり、
その店の数に驚かされる。
逆コースを走って、ホテルにもどり、
一族昼寝の時間とする。
夕方は、近くの若者の町を歩き、
「いま彫ってます」という入れ墨の現場に出くわしてビックリする。
そして、ホテルのすぐ前の足ツボマッサージに入ってみる。
一番簡単な30分のコースである。
まずは、小さな足湯につかる。
そして、モリモリもんでもらう。
「本気を出せば、イタイんやで」という
恐ろしい気配が漂っている。
新参は、お菓子をもらってゴキゲンであった。
みなさん、とてもフレンドリー。
夕食は、ともかく、はやっている店に入ってみる。
やや臭いが凶悪な内臓料理もあったが、
そんなことには負けられない。
ガツガツ、モリモリ食っていく。
勝負のあとは、近くの甘いもの屋さんへ移動する。
この店には2度お世話になった。
ここもやはり露天である。
左が善哉、右がマンゴープリンであった。
その甘さに、新参もウットリ。
〔2月27日〕
2月27日は、時差を忘れ、
ケータイの目ざましで、1時間も早く起きてしまう。
「ああ、なんだ」と寝直した結果が、
ありがちな遅刻につながっていく。
みなさん、スマナイ。
とはいえ、朝5時集合はキツイわなあ。
ともかくバスに乗り込み、6時半には空港へ。
手続きを終え、学生たちと、朝食の店に落ち着いていく。
パンとラーメンとコーヒーという
「なんでもいいか」の食事をとる。
それでも、外は、まだちょいと暗かった。
キッズルームをちょいとのぞき、
8時には搭乗口に集まっていく。
8時30分には離陸である。
新参は、飛行機の中をウイウイ歩き回る。
1ケ月年上の台湾ボーイとも遊んでいた。
たいしてグズることもなく、
12時前には、関空到着。
ヤツは、荷物の受け取り場所でも元気であった。
ゼミ最後の旅行であるから、
それなりにシンミリとさせる「社長」からのあいさつがあり、
全員一言ずつを語っていく。
あとは、卒業式前後の宴会儀式のみである。
解散後、一族3人はJR「関空」から「堺市」へ、
車中「新参の爆睡態勢保障の人」となり、
「堺市」から相方と新参は実家へもどることになる。
こちらはそのまま「西九条」へ、「福島」へ、
東西線「新福島」から「加島」へ、
車中「シンデレラの人」となって移動する。
2時ちょうどの帰宅であった。
うまい具合に、宅急便がつづけて2つ届き、
増刷する『We Love Hyogo』の修正ゲラも入ってくる。
シャワーをあびて、洗濯機をまわし、
郵便物をザクザク開き、
270通のメールを次々捨てる。
そして、ゲラをなおしてFAXでズズズッ。
メールは「憲法県政」「極楽スキー」「講演関係」が主であった。
政財界の「ワークライフバランス」論にかかわる資料も
ドサリと届く。
明日は、当面の仕事整理からはじめてみるか。
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