6月14日は、8時起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
リュックの中身を整えていく。
9時20分、いつものように、
あわただしく外にとび出していく。
JR「加島」から「新大阪」へ、「広島」へ、
車中「インドの人」「予習の人」「『慰安婦』の人」
となっての移動である。
11時30分には「広島」に着く。
駅ビルで広島菜ラーメンをゾゾゾゾゾ。
これといって特徴のないラーメンであった。
少しだけ、駅の周りをうろついてみる。
2つ向こうの橋を、市電が元気に走っていく。
会場の南区民文化センターに移動。
今日は、国公労連中国ブロックの第22回労働学校である。
12時30分から「どうすれば貧困・格差社会を転換できるのか」
というテーマでしゃべる。
予定どおりの2時すぎまで。
みなさんは、朝から夕方まで
計3コマの学びらしい。
平和公園や原爆ドームを横目でチラリとながめ、
JR「広島」の喫茶店に落ち着いていく。
気がつけば、この場所は、
かつて広島学習協のメンバーと
新幹線の時間ギリギリまで飲んだあたり。
一方に、失われゆく貴重な学問記憶もあれば、
他方に、勝手によみがえるアホ飲み記憶もある。
わが人生、ますますそんなものらしい。
3時すぎには「広島」を出て、「博多」へ、「長崎」へ、
車中「『慰安婦』原稿の人」となって移動する。
2005年の卒業旅行以来、
ひさしぶりの九州である。
そして、6時半前には、
はじめての「長崎」に到着となる。
小雨の中、お迎えをいただき、
宿に荷物を放り込んで、
ただちに長崎母親大会実行委員会のみなさんと食事となる。
長崎皿うどんをパリリリリ。
それにしても、なぜこれが「うどん」なのか。
謎は深まるばかりである。
ちなみに、白いうどんは、普通に「うどん」と呼ぶらしい。
「私は、あそこで被爆して」、
そう目の前で言われたのは初めてだったか。
そういえば昼の広島で、
「私は被爆二世」といわれたばかり。
三菱重工によるイージス艦建造の様子など、
あれやこれやもうかがっていく。
「明日が本番だからね」。
8時30分には、健康、健全におひらきとする。
聞くほどに、みなさん、歴戦の強者ばかりであった。
明日は、9時ちょうど出撃の予定である。
チンチン電車で、めざせ長崎大学の朝である。
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