6月15日は、7時起床の朝であった。
前夜の就寝は12時である。
まったく、健全・健康のリズムであった。
さっそく「『慰安婦』原稿の人」となっていく。
バタバタと片づけをして、
9時前には宿を出る。
長崎は今日も、雨だった。
市電「長崎駅前」(写真)から「長崎大学前」へ、
車中「外ながめの人」となって移動する。
9時半には、学内の会場に入り、
野菜ジュースをクピクピクピ。
10時ちょうどから、長崎県母親大会の分科会に参加。
テーマは「一生懸命働いてもワーキングプアってなぜ?」。
助言者として、2度ほど発言していく。
状況への認識は広く共有されつつあり、
そうであれば、議論の焦点はこれをどう転換していくかにすえるべき。
12時40分には、終了となり、
主催のみなさんと昼食をとる。
A子から「父の日」の件名のメールがある。
内容は、①いまからC男と「蟹工船」の映画を見る、
②夏の韓国ゼミ旅行に、姉兄弟3人で参加する
の2件であった。
3兄弟の現代社会への関心は、
急速な変化を見せているらしい。
1時20分には、午後の全体会がはじまっていく。
2時すぎから、記念講演をする。
テーマは「明日をつくる女性たち」。
財界の女性労働力管理と
靖国派による戦前回帰の思想を
2つの障害として紹介し、
これへの対抗運動として
「憲法どおりの日本」をめざす取り組みを押し出してみる。
3時40分の終了である。
ロビーで、あわただしく質問にこたえ、
長崎大学の冨塚先生のクルマで
三菱重工長崎造船所へ移動する。
先生は、ながさき平和委員会の事務局長でもある。
このサイトの最大の読者は
自衛隊自身であるらしい。
「監視」ということなのだろう。
こちらはヘリ搭載護衛艦「くらま」。
これの後継艦が、現在建造中のヘリ空母になるらしい。
こちらはイージス護衛艦「ちょうかい」である。
修理・点検のための帰港らしいが、
この造船所なしに、自衛隊の軍事活動は成立しない。
ブッシュ政権のミサイル防衛戦略については、
①「防衛」の名がつくが、実態は攻撃の優位をめざすもの、
②秒速3㌔のミサイル同士を衝突させるのは至難の業
(ピストルの銃弾はその10分の1の速度だそうだ)
③他方、大気圏外で、レーダーにうつるものをバラまけば、
防衛網をかいくぐることは難しくない、
④要するに、これは軍需産業にとっての
「冷戦」終結後最大の儲け口ということ。
ご専門は物理だそうだ。
たくさんの解説をしていただいただけでなく、
雨のなかで、こちらが写真をとる時には、
傘までさしかけていただいた。
突然のお願いにもかかわらず、
快く案内をお引き受けくださり、
本当にありがとうございました。
あわただしく4時半に、お別れする。
ただちに、空港バスに乗り込み、
車中「インド経済の人」となる。
5時すぎには、「長崎空港」に到着し、
早めの食事をとっていく。
長崎ちゃんぽんをハフハフゾゾゾ。
思った以上にスープがコッテリ。
6時30分には、空に飛び、
7時30分の伊丹着。
JR「伊丹」から「加島」へ、
機内・車中「インド経済の人」から
「ショージ君の人」となり、
8時30分の帰宅となる。
明日から3日は、「ゲラなおしの人」に集中する。
18日には、これを手放す予定である。
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