『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』(白樺文学館多喜二ライブラリー、2008年)を読み終える。
「小林多喜二『蟹工船』エッセーコンテスト入賞作品集」。
「蟹工船」のブームは今もつづき、新潮社版の販売数は140万部を超えたという。
「どうして、たくさんの若者がそれを読んでいるのか」。
その手の問いをあちこちで聞く。
とりわけマルクス主義者としての自己形成と、一体のものとして多喜二を読んだ世代にその声が多い。
マルクス主義への関心と、一見、離れたところでの「蟹工船」ブーム。
それが不思議に思えるということである。
たしかに両者に距離はある。
だが、労働と生活の現状を抜け出したい、社会に感ずる矛盾をなんとか解決したい。
それに必要な何かをたぐりよせたいとする切実な気持ちが、この作品集には満ちている。
その手にたぐりよせたい「何か」とは、いったいどういうものなのか。
それを「現実の観念的省略」を排して、示す努力が必要なのだろう。
両者の距離は、決して縮められないものではない。
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