3月19日(木)は、9時半起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
「季論ゲラなおしの人」となっていく。
煮詰まっていないところも、目につくが、
それでも書いておくことが、
今後へ向けたステップとなる。
1時前には、作業を終える。
以下、「はじめに」の部分に書いたこと。
本論は『季論21』第4号で、ぜひ、どうぞ。
-------------------------------------------------------------------
『経済』の2009年1月号に掲載した「『資本主義の限界』を考える」には、様々な反響があった。激励をたくさんいただき、何かの学習会のテキストに使ったという声もいくつか聞いた。
「『資本主義の限界』を考える」は、カジノ資本主義の破綻を「資本主義の限界」に結びつけるマスコミの議論を受け、資本主義の枠内での改革と資本主義自身を乗り越えてすすむ改革との関係について、マルクスのそもそも論にも立ち返りながら考えてみたものである。
反響の声を聞きながら、歴史を広く見通す大きな論立てが期待されているということを、あらためて感じさせられた。
資本主義の枠内での改革をつうじて資本主義の真の限界をあぶり出す、あるいは資本主義には様々な改革を受け入れる懐の深さがあるなど、わかりやすい言葉を使ったところも、読みやすさにプラスに作用したかと考えている。
またそうした資本主義のとらえ方がマルクスの根本矛盾論の本筋の考え方であったという点に対する注目もあった。どのようなものであれ、読者の反応は励みになる。
以下では、よせられた意見や質問も念頭しながら、その後、この書き物に関わって考えてみたことやあらためて気付かされたことなどを紹介し、またアメリカに新しく生まれたオバマ政権の歴史的位置づけや世界構造の変化と資本主義改革の関係についても、私なりに考えるところを展開してみたい。
コメント