分割してアップしていますが、
以下は、第2回分です。
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◆“おばか隊”について
“おばか隊”とは、大島に震災後まもなく島の有志が集まってできた地元ボランティアグループです。
自らも被災しているにもかかわらず、自分たちのことを後回しにして島民のために活動される姿から「バカじゃないとできないよね。」ということで、地元の人たちより愛情をこめて“おばか隊”と呼ばれています。
大島は震災により本土からの交通手段が遮断されて、支援が遅れていたこともあり、早くから被災者自らが立ち上がった、あるいは立ち上がらざるを得なかったようです。
現在は、仕事場が壊滅的な被害を受けた漁師さんや旅館の方などが主なメンバーとして、撤去した瓦礫の仕分け作業やそれらの瓦礫集積所への搬送、地元のニーズとボランティアをコーディネートするなど、毎日島のために汗水流されています。
それらは、自らも家や家族を失われた被災者だからこそ分かる島民の気持ちに心を寄せたボランティア活動として、大島の復興になくてはならない存在となっています。
また、テレビ取材を受ける“おばか隊”の皆さんの会話の中で、「家や家族だけでねく、希望や夢までみ~んなもってっちまうんだもんなぁ~。」と仰っていたのが耳に焼きついています。
また、それに対しスタジオから「心だけは奪われなかったのではないでしょうか。」というコメントに温度差はあるにしても、自らの家の片づけを後回しにして毎日島民のために、島のために活動される“おばか隊”の皆さんを見ていると「それも一理ある!」と納得させられます。
しかし、「毎日こうしてないと、止めてしまったら俺ダメになると思います。」という言葉からは、そうしていなくては心を保っていられない、いつ心まで奪われてもおかしくないというギリギリの状態におられることを感じさせられます。
復興は地元の方々を中心に行われるものではありますが、当然のことながら外部からの支援も不可欠です。しかし、“おばか隊”のメンバーは、「外部から訪れたNPOなどの復興支援者のペースが、被災者のペースと違いすぎてついていけない。」と仰っていました。
「俺たちは復興の道筋を知らない。」という言葉も印象的です。
私たちが現地で作業する際も、地元をよく知るメンバーの方が適確にご指示を下さり、自らも作業場で仕分けたものを瓦礫集積所へ運ぶ作業に専念されていました。
私たちが現地で作業をするのはたった2日間ですが、“おばか隊”の方々はこれを震災直後から休む間もなく毎日続けておられるのかと思うと、その精神面・身体面ともに言葉では表せないほどのものを抱えておられるのだろうと感じざるを得ません。
そして、作業を終えたボランティアメンバーがフェリーで大島を後にする際には、“おばか隊”の皆さんは自分たちの作業の手を止め、各作業場から港まで足を運んで見送りに来て下さいました。フェリーが見えなくなるまで手と旗を振って下さっていました。
もちろん私たちの乗るフェリーだけではなく、大島を訪れた全てのボランティアメンバーを1日に数回、欠かさずお見送りされているようです。そうした“おばか隊”の姿に心を動かされ、少しでも力になりたいと、何日も大島に住み込みをされる方々もおられるようです。
◆活動について
今回の活動は、東西からの津波が押し寄せた辺りのお宅の家財整理・撤去でした。
一見家自体はしっかり建っているように見えるものの、2階まで津波が押し寄せ、家の屋根裏部分にまで衣類がぶら下がっている状態で、到底住める状態ではなくお宅は後に解体されるとのことでした。
いつも通り各班に分かれて家財を仕分ける作業を行ったのですが、島内で十数種類にゴミの分別を行ってから本土に運ばなくてはならず、細かな分別に作業が手間取ることがありました。
また、震災から半年近く経っているにも関わらず、何重にも重なった衣類や本などは未だ海水を含み、それらは大量の虫の棲み家と化していました。
カビや悪臭もひどく非常に不衛生な状態でもあり、家主であるOさんも「全て処分して下さい。」との意向だとうかがっていました。
それでもやはり、大切なものは捨てずに再度確認して頂く形で、仕分けをさせて頂いていました。
窓際には尖ったガラスが多数散乱しており、当時の津波の凄まじさを感じさせるようでした。また、当然のことながら生活感のある物が多く、前回同様、「持ち主が今どのような状況にあるのだろうか」などと、色々なことを想像したり、考えさせられる活動となりました。
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