5月28日(土)は、2時就寝、
7時起床の朝であった。
ノロノロ動いて、8時すぎには、外に出る。
相方のクルマで、伊丹空港へ。
今日から、北海道の旅である。
リュックにカッターナイフが入っており、
保安検査でひっかかる。
あう、みなさん、すみません。
待合室でサンドイッチをパクついて、
9時50分には、空に飛ぶ。
機内「インタビュー原稿なおしの人」となる。
11時40分には新千歳空港に着き、
ただちに、JR「みどりの窓口」に突進する。
「いまから登別へ行って、白老にもどって、
それから札幌まで」。
チケットを受け取り、まずは
JR「新千歳」から「南千歳」へ、
ここから特急北斗12号で「登別」へ。
車内「やさしく強い経済本の人」となって移動する。
1時35分の「登別」到着。
駅前からタクシーで「知里幸恵・銀のしずく記念館」へ。
学生とのフィールドワークの下見も兼ねて、
展示をじっくりながめていく。
あわせて、こちらは庭も大切。
「最近はシカが来て、オオウバユリなど食べちゃうので、
仕方なくネットを張っているんですよ」。
「山にはクマもいますしね」。
かつてアイヌのみなさんが、
ともに暮らした自然の一部が残されている。
スタッフのみなさんに
9月の訪問のお話も少しして、
2時半前には、記念館を出る。
この距離なら、駅まで歩けるな。
途中、札幌発祥のコンビニ「センコーマート」で
あんドーナツを1つ買って、ブラブラ駅へ。
しかし、目の前を電車が
静かに出て行く。
発車の時刻を見間違えていた。
次の電車までは時間があり、
仕方なくタクシーに乗り込んでいく。
あんドーナツは、待合室で。
20分ほどの道中を、
運転手さんがしゃべりつづける。
「登別はタラコ発祥の地でね」
「スケソウダラだよ」
「あれがイタドリの葉、栄養がある」
「幕末の白老には、ロシアの南下を警戒して
仙台藩の侍が陣取っていた」
「アイヌの人は白老に2000人くらい、
たぶんスポーツクラブの仲間にも」。
3時半には、ウポポイに到着。
「民族共生象徴空間」と銘打った国立の施設。
敷地面積はとても広い。
博物館は、コロナ対策で、入場者の制限中。
しかし、スムースに入ることができ、
あれこれの展示をながめていく。
下は、和人の移住(「開拓」政策)によって、
強制移住を余儀なくされたアイヌの村々。
「土人学校」と蔑称された
「アイヌ学校」の所在も。
こちらは、狩猟にもちいられた仕掛け弓。
雨で毒が流れないように、
矢の先端部分は筒に覆われている。
博物館の外に出て、
4つならんだチセ(家)にも、入ってみる。
4つのうち2つは、
白老コタン(村)にもともと残された
本来のサイズのチセであるとのこと。
できる限りを歩き回り、
5時をすぎたところで、外に出る。
「慰霊施設」は、1・4㌔も先らしい。
途中、道に迷うが、5時46分、
JR「白老」からの北斗15号に無事乗り込んでいく。
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