2003年8月31日(日)……和歌山学習協の『資本論』講座のみなさんへ。
以下は,9月6日に行われる『資本論』講座で配布するレジュメです。
-----------------------
〔2003年度・和歌山『資本論』講座〕
講師のつぶやき№5/質問と答え
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
今日は8月30日です。珍しく,手回し良く,こんなに早い時期に「つぶやき」を書いています。9月の上旬がたてこんでいるからです。
さて,先日,子どもたちを引き連れて,北海道に「里帰り」をしてきました。私の出身は札幌です。やたらと金がかかるので,毎年帰るというわけにもいかず,今回は3年ぶりの「里帰り」です。
たった3泊の旅行でしたが,子どもたちも中学・高校の年代ですので,今回は内容の充実をはかり,「白老(しらおい)」の「ポロトコタン」を訪れてみました。ここは,アイヌ文化の保存・振興・研究をすすめる施設があるところです。
「ポロ」は「大きな」,「ト」は「湖」,「コタン」は「村」で,「ポロトコタン」は「大きな湖のある村」というアイヌ語の地名です。
ここに来るのは,私自身は3回目ですが,そのたびにアイヌの「歴史」について少し学習するようにしています。1~2冊の本を読むだけですが,それでも,学ぶたびに「日本史」についての自分の知識がずいぶん塗りかえられています。
中学・高校で習った限りでは,「日本=単一民族国家」という知識しか得ることができなかったという印象があります。ひょっとすると歴史の先生は,もう少し幅の広い授業をされていたのかも知れませんが,少なくとも受験勉強に必要な「日本史」の内容に「民族の共生」という問題は登場しませんでした。
縄文から弥生,弥生から古墳,大和,奈良,平安,鎌倉……。それらは,今日の日本人の直系の「祖先」たちだけによる,単一民族の歴史としてイメージされていました。この視野の狭さは,おそらく私だけではないと思います。
しかし,最近は「北方史」という形で,アイヌ人たちが,奈良・京都・鎌倉などの「日本の権力」によって,北へ,北へと追いやられていく過程が,詳しく研究されるようになってきています。
その長い過程のなかで,日本列島にはたしかに「民族戦争」がありました。
そして,顔つき,言葉,文化の異なるアイヌを「日本人化」させるために,力とともに仏教がつかわれます。また奥州平泉は「夷に夷を支配させる」という,「日本の権力」がアイヌ人たちを服属させるための,日本に屈伏したアイヌ人たちによる地方政権であったという話も登場します。
そういえば,高校時代の教科書にあった奥州権力の代表者たちは,ずいぶん顔つきがちがうものとして描かれていたような気がします。しかし,それがアイヌの血をひく人たちだとはい,教えられなかったように思います。
今回,読んだ本では,佐々木馨『アイヌと「日本」』(山川出版社,2001年)が勉強になりました。「日本人」的心情をアイヌに植えつけるための,京都・鎌倉双方からの「仏教」文化の移植に焦点があてられます。たくさんのアイヌが生活していた東北・北海道に,アイヌの世界観をうちこわすための手段として,寺が建てられていく過程です。
また,東北・北海道には,縄文時代の後に「擦文文化」という,日本権力にはない独特の文化段階がありました。そして,これが日本権力社会との市場をつうじた交流のなかで,「アイヌ文化」へと発展していきます。
「ポロトコタン」では,アイヌの血をひく人たちが,ごく簡単にアイヌ民族の文化について解説を行ない,歌や,ムックリ(口琴,竹を糸ではじいてその音を口に響かせて鳴らす楽器)の演奏,古式舞踊を見聞きさせてくれました。
おもしろく,楽しい解説のなかに,「自分にアイヌの血がまじってたって,そんなこと自分からいう人はいない」という言葉がありました。みずから「私はクォーター(4分の1)」と名乗る女性のこの言葉が,依然としてアイヌ差別が深刻な社会問題であることを語っていました。
博物館には,「赤紙」による招集を受け,帝国軍隊の軍服に身をつつんだ若いアイヌが,手に日の丸の小旗をもち,しかし,アイヌの民族衣装を来た年輩男女に見送られるという写真がありました。ものいえぬアイヌの悲しさが伝わってくる気がしました。
そして,そのように出征した先の軍隊でさえ,アイヌは,文字どおり「人間あつかいされない」過酷な差別を受けています。
現在の「日本の権力」の形成史をさかのぼるだけの「日本史」ではない,ありのままの「日本列島社会の歴史」を,あらためてキチンと学ぶことの大切さを実感させられます。
さて,神妙なおももちで「ポロトコタン」での半日をすごした子どもたちは,この「最初の衝撃」から,何を感じ取ってくれたでしょうか。
では,「質問に答えて」に進みます。質問は,一部,文章を書き換えてあります。ご了承ください。
〔質問に答えて〕
1)前回の講義で、「不良債権とは、初めから貸してはいけない所に貸したから不良債権になった」、と言っていたが、なるほど裁判に発展した件は、その通りだが、私は軍事・政治と同様、経済もアメ
リカ言いなりの金融政策と、いびつな金融行政にあると思っているが……。
●「貸してはいけない所に貸した」というのは,バブル期のあまりにもデタラメな銀行の貸付の仕方についていったことですね。雑誌『世界』に,年収2000万円の人に「株をやりなさい」と合計31億円の貸付をしたという話がでていました。そして,大損をしたその個人から強烈な「とりたて」が行われていると。この種の貸し手の責任は,どうしても,はっきりさせねばならない問題の一つでしょうね。
●「不良債権」というのは,「回収が困難あるいは不能な債権」(有斐閣『経済辞典』)のことですから,それは裁判になろうと,なるまいと,そこに客観的にあることがらです。
●なお,「アメリカ言いなり」の「いびつな金融行政」については,前回の「講師のつぶやき」での「竹中プログラム」についての解説でも,語ったとおりです。アメリカの対日進出戦略が,日本のデタラメな「金融行政」をすすめさせているのは,そのとおりです。
2)“講師のつぶやき”大変面白く聞かせて頂きました(今日の話、もっと詳しく聞きたいものです)。参考になる本を教えて頂ければ。
●日米関係をとくに経済・金融関係に注目して解説したものということでいいでしょうか。1つは,大門実紀史『「属国ニッポン」経済版』(新日本出版社,2003年)が面白いです。比較的小さな本ですし,読みやすく書かれたものです。著者は共産党の国会議員です。最近の事情がよくわかります。
●学者が書いたものとしては,吉川元忠『マネー敗戦』(文藝春秋新書,98年)が,特に「プラザ合意」を,日米協調以上にアメリカに対する日本の「マネー戦略での敗戦なのだ」と主張して話題を呼びました。また,国際金融の基本を,政治のながれとからめて学ぶには,今宮謙二『国際金融の歴史』(新日本新書,92年)が読みやすい,いい本だと思います。
3)変動相場制に関する質問-ここ数年前ですか(?)極端な円高になったことがありましたが、短期間に異常にあがった原因は、一体なぜなんでしょうか。また、これらの現象についての解明は、“資本論”のどこでなされているのでしょうか。
●「極端な円高」というのは,いつのことでしょうか。瞬間的に「1ドル=79円」が記録された95年(1年平均で94円は史上最高です)のことでしょうか。為替取引というのは「市場」で行われるために,誰がどういう動きをしたかが,そうはっきりするものではないのですが,しかし,全体として「プラザ合意」以後,一貫して95年までは「円高」傾向がすすんでいきます。そこには,対日貿易赤字を減らそうとするアメリカ政府の動きがあったと思われます。
●なお,植田信『ワシントンの陰謀』(洋泉社,2002年)は,97年からの「金融ビッグバン」を準備する「金融サービスに関する協定」が,95年に日米間にむすばれていることを指摘しています。そこから逆算すると,アメリカが「日米構造協議」以降すすめてきた対日進出の条件整備を日本に強要する「圧力」として「円高」がつかわれたとの推測も成り立ちそうです。
●マルクスの時代には,今日のような「変動相場制」はありません。したがって『資本論』に,直接それを分析する箇所はありません。今日のドルを中心とした国際金融の解明については,質問2)への回答で紹介した今宮さんの著作の他に,不破哲三『「資本論」全3部を読む・第1冊』(新日本出版社,2003年)の「世界の通貨制度は,どう変わってきたか」(239~245ページ)を読んでみてください。
4)「ユ-ロ」が、2001年1月から欧州共同体(EU)内の通貨として流通が始まりましたが、今日の講義に話を聞いていると、イギリスが「ユ-ロ」に参加していない理由は、アメリカのドル資産に何らかの恩恵又は従属しているのですか?
●あまり細かい事実はわかりません。私の知識の範囲を越えます。ただ,戦中・戦後の大きな流れを見ると,基軸通貨の地位をドルはポンドから奪い取っていきます。それは金融覇権国の地位の交代の問題であり,世界最大の覇権国の地位をアメリカがイギリスから奪い取るという過程でした。しかし,それを理由にしてアメリカとイギリスが戦後,決定的に敵対的な関係なるということはなく,むしろ世界政治においては親密な関係がつづいてきました。ヨーロッパの「統合」はフランスとドイツとのイニシアチブにもとづいています。
●イギリスは,戦後「ゆりかごから墓場まで」といわれる福祉国家体制をつくりましたが,それを80年代以降のサッチャー政権がこわしていきます。この段階でイギリスはアメリカ型の市場原理主義的経済への接近を見せました。しかし,ゆきすぎたこの接近が,サッチャー政権から労働党のブレア政権への交代をもたらし,ブレアはアメリカ型でも旧「福祉国家」型でもない「第3の道」をかかげます。しかし,その道の内容は今日まで,あまり明確ではありません。
●イギリスがヨーロッパの「統合」に積極的でない理由としては,「統合」した場合にドイツ,フランスに,ヨーロッパ世界のイニシアチブを握られてしまうということ,そのため,イギリスはアメリカとの親密さを武器に自国の発言権,国際的な地位を確保しようとしているとの指摘もあります。なお,最近のヨーロッパ各国の社会・経済の動きについては,福島清彦『ヨーロッパ型資本主義』(講談社現代新書,2002年)が面白いです。著者は野村総合研究所の主任エコノミストです。
5)資本主義社会では、労働生産物は「商品」としてあらわれる。商品には「使用価値」と「価値」という二つの要因がある。「価値」は「貨幣」(価格)であらわされ、価値法則は、価格変動という形で調節される。/資本主義社会以外の社会での労働生産物は、「商品」となってあらわれない。しかし、労働生産物の「使用価値」と「価値」という二つの要因は存在し、従って、価値法則もはたらく。未来社会でどういう価値法則があらわれ、それがどう調整していくかは、その時代の人たちが考えるべき問題である。/こういう理解でいいのでしょうか?
●「価値法則は,価格変動という形で調節される」のではなく,「価値法則は,価格変動のなかに貫く」という関係です。価値の大きさが「価格変動」をつうじて,柔軟に,しかし,貫かれるということですね。
●「資本主義社会以外の社会では」のところは,もう少し厳密にいうと,「商品経済社会以外の社会では」となります。貨幣の歴史をすこしくわしく学んだように,商品経済は,資本主義経済に先立って,かなり古い時代から存在します。つまり,その段階から「商品」は存在するわけです。しかし,その社会の圧倒的に多くの労働生産物が「商品」の姿をとるようになるのは,資本主義社会でのことになるという関係になります。
●「講師のつぶやき」の№2で,クーゲルマンへの手紙や『反デューリング論』『資本論』の文章を一部すでに紹介しておきました。手紙でのマルクスの用語法にしたがえば「一定の割合での社会的労働の分割の必要」という「自然法則」は,商品経済社会のもとでは「生産物の交換価値」という「形態」をとって貫かれるということになります。ここにいう「自然法則」とは,人類社会のすべての段階につらぬく法則ということです。「価値法則」というのは,その「自然法則」の商品経済社会における「現れ」です。商品経済社会以外の社会では,「自然法則」は「価値法則」とはちがった現れ方をするわけです。
●ですから『反デューリング論』では,エンゲルスは「価値概念のうちから共産主義社会に残るすべて」という具合に,「残る」ものと「残らない」ものとを区別しています。
6)不破さんは、「『資本論』全三部を読む」第一冊の271ペ-ジで、「『資本論』には、マルクスの言葉で『共産主義社会でも価値規定は残る』という言葉があります。」と述べていますが、それは、『資本論』第三巻の原著859ペ-ジの最後で以下のように述べているところのことでしょうか?/「第二に、資本主義的生産様式の止揚後も、しかし社会的生産が維持されていれば、価値規定は、労働時間の規制、およびさまざまな生産群のあいだへの社会的労働の配分、最後にこれについての簿記が、以前よりもいっそう不可欠なものになるという意味で、依然として重きをなす。」
●そのとおりです。この文章も「講師のつぶやき」№2で紹介しておきました。その上で,大切なのはここでも価値法則がそのまま「残る」とはいわれずに,不破さんもマルクスも「価値規定」が残るという慎重な言い方をしていることです。
●不破さんはここで重大な研究課題を指摘しています。「しかし,『価値規定』が残るとしたら,市場経済をぬきにしてどういう残り方ができるだろうかを考えなければなりません」。「価値規定が残るといえるためには,生産者の背後で働いていた『社会的過程』,すなわち,市場経済にかわって,労働の『価値』をはかるなんらかの仕組みがどうしても必要になってきます」。「そこには,まだ理論的に解決されていない大きな研究課題があると思います。そして,それは,世界的に実際の経験が蓄積されるなかで,時間をかけて解決されてゆく性質の問題だと思います」(271ページ)。
●なお,不破哲三『「資本論』全3部を読む・第2冊』の168~173ページにも,この問題に関連する興味深い文章がならんでいます。ぜひ,味わってください。
7)不変資本、可変資本の中で、不変資本が具体的有用労働に結びつく価値の「移転」、可変資本が抽象的人間労働に結びつき、価値の「創造」に結びつく。価値の「移転」と「創造」の概念それ自体と概念間の関係がよくわからない。途中聞いている段階では概ね理解しているつもりでしたが、価値の創造(抽象的労働が)になると言われたところで、それまでの理解がガラッとすっとんだ。
●アンパンの価値はそれをつくるのに必要とされた社会的平均的な労働の量で決まる。しかし,その労働の量には,実際にパンをつくる職人の労働の他に,原材料をつくる労働,パンの焼きがまをつくる労働など,多くの労働がこめられています。不変資本(機械設備や原材料)と可変資本(労働力)の区別と関係の議論は,それらのパン職人より前の労働が,どのようにして最終的な商品であるアンパンに込められるのかを問題にするものです。
●ことがらを単純にするために「焼きがまなどの機械設備をつくる労働」は脇に置いて,原材料の問題だけを考えていくことにします。パン職人は自分の労働をつうじて,新しい価値を生み出します。これはすでに学びました。ですから,アンパンの値段は,その原材料の値段に等しいものではなく,それよりも高い値段になっています。しかし,職人の抽象的人間労働は,原材料に新たに価値をつけくわえることはできますが,それ以外のことはできません。しかし,もし,職人の労働がたんにそれだけのものだとすると,アンパンには,原材料の値段(価値)はふくまれないことになってしまいます。
●この問題を解決するのが「労働の二重性」です。職人の生産的労働は抽象的人間労働であると同時に,具体的有用労働でもありました。抽象的人間労働は新しい価値を創造し,つけくわえる役割をはたしますが,それと同時に,メダルの表と裏のように行われる具体的有用労働が,原材料の価値をアンパンに移転する働きをしています。職人の労働は,一方で価値を創造しながら,他方で価値を移転する。この二つのことを同時に行っており,それによって,生産的労働は,アンパンに古い労働と新しい労働の合計としての価値を実現します。
●パン会社の社長は,自分の資本でパンの機械(工場)・原材料とパンをつくる労働者を雇います。そして,この両者を結合させて,アンパンを生産します。その生産の過程で,原材料は自分の価値を変動させずにアンパンのなかに,使われた分だけ移転していきます。しかし,労働者の労働は,この価値の移転を行うだけではなく,そこに新しい価値を付け加えていきます。そこで,生産される商品に価値を移転させるだけで価値を増やさない資本部分を「不変資本」といい,商品に新たな価値をつけくわえる資本部分を「可変資本」と区別するわけです。この区別は,パン会社の社長に「もうけ」を生み出すのが機械や原材料ではなく,労働力の働きであることをはっきりさせる上で大切です。
●なお,大きな機械の価値は,仮に1000万円の機械で,アンパンを100万個つくれるとすれば,アンパン1ケあたりの価値には,〔1000万円÷1000万個=10円/個〕で,10円が込められることになります。これによって,アンパン100万個の販売によって,1000万円の機械への支出はすべて回収されることになるわけです。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき№5/質問に答えて」(~2時)
◇ボォーッと聞かない。『資本論』に線を引き,○?×など印をつけ,欄外に書き込みをする。最大の敵は惰性と慢心。必要なのは新鮮な集中力を維持する姿勢。
◇「質問に答えて」。
2)「第7章・剰余価値率」に学ぶ(~2時20分)
◇第1節「労働力の搾取度」・・必要労働時間,剰余労働時間,剰余価値率。
◇第2節「生産物の比率的諸部分での生産物価値の表現」・・30=24C+3V+3M。
◇第3節「シーニアの『最後の1時間』」・・10時間労働制反対の俗論。
◇第4節「剰余生産物」・・剰余生産物,労働日。
3)「第8章・労働日」に学ぶ(~4時00分)
◇第1節「労働日の諸限界」・・その長さは力関係で決まる,絶対的剰余価値生産と相対的剰余価値生産
◇第2節「剰余労働にたいする渇望。工場主とボヤール」・・資本が剰余価値を発明したのではない,なぜボヤールなのか,封建領主と工場主(ここまでが歴史的序論/本題はイギリスにおける労働日の標準化をめぐる現状と歴史),時間の「ひったくり」や「かじりとり」
◇第3節「搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門」・・工場法適用外の諸部門。
◇第4節「昼間労働と夜間労働。交替制」・・夜間労働へのきびしい批判,エンゲルスに学んだ「事実の集大成」
◇第5節「標準労働日獲得のための闘争。14世紀中葉から17世紀末までの労働日延長のための強制法」・・限度のない資本の渇望,大洪水よ我が亡き後に来たれ,ルールある資本主義に向けて(ここまでは1~4節の総括/つづいて歴史部分),まずは労働を強制する「労働者規制法」
◇第6節「標準労働日獲得のための闘争。法律による労働時間の強制的制限。1833-1864年のイギリスの工場立法」・・長時間労働は大工業から,最初の実質的立法は1833年,10時間労働下での大工業の発展
◇第7節「標準労働日獲得のための闘争。イギリスの工場立法が他国におよぼした反作用」・・労働時間の規制は「内乱」によって,ドイツにルールを,鍛えられた労働者階級の変貌
4)「第9章・剰余価値の率と総量」に学ぶ(~4時20分)
◇可変資本の総量と剰余価値の総量,量的変化と質的変化,人間と生産手段の立場の逆転
5)〔補足〕労働時間の短縮をめぐって(~4時40分)
◇労働時間の短縮は労働者の運動にとっての「先決条件」
◇未来社会における全面発達の可能性,「時間の経済」
2003年8月15日(木)……全国保育団体連絡会のみなさんへ。
以下は,8月3日に龍谷大学で行われた全国合研の第1分科会「働くことと子育て」のまとめの文書です。
きっと,『ちいさいなかま』の特集号に掲載されるのでしょう。
-----------------------
〔保育合研1300字原稿〕
分科会1 働くことと子育て
■提案について
(1)京都市のたかつかさ保育園保護者の山本奈美さんから,現在の労働条件では長時間の保育を利用せざるをえないが,子どもたちの「心身ともに豊かな時間」を考えると迷いもあると,率直な現状の報告が行われた。6時半には補色的なオヤツを出すなど,保護者との話し合いを大切にしている園の努力の様子も見えた。
(2)高槻市の保育運動連絡会の中川欣子さんからは,働くことと子育ての両立が「当然」だという職場の理解を切り開く努力が報告された。フレックスタイム制が活用しづらい,「男社会」としての会社の実態,女同士のあつれきもあるという複雑な現実のなか,「ド厚かましいくらいがちょうどいい」とたくましく生きる構えの提起か行われた。
■討論について
働くことと子育ての両立には,(1)ヨーロッパ等に学び「ゆとりある社会」をつくることと,(2)目の前にいる子どもたちの育ちを保障することの2段構えの取り組みが必要となる。発言は両者にまたがったが,特に午後からは柱を後者にしぼって議論した。
長時間の保育所利用で,夕食をほとんど保育所にまかせている。夜遅くしか子どもに接する時間がもてない,忙しいとつらくあたってしまうという声がつづき,こうまでして働くことに意味があるのかという自問の声もあった。これには「なんでもやろうと無理をしすぎないこと」「自分なりに妥協点をみつけることが大切」というアドバイスが,保護者からも保育者からも返された。また,近所づきあいで年輩の方に子どもを安心して預けられる関係ができた,子どもがふえると子育ても気楽になるという先輩からの声もあった。現状の厳しさとともに,それを乗り越える上での連帯の大切さが伝わる議論といえる。
職場での苦労についても多くの発言があった。産休や育休をとるのは私が初めて,子どもが病気をしても休めない,お迎えの時間にあわてて職場を出ると白い目で見られる等。これには若い人や子どもがいない人には「子どもの具合が」といってもわからないけど,「自分の具合が」というと話がつうじやすいという裏ワザも披露され,また育児休暇など「制度を新しくつくる」のは大変だが,すでにあるものを「修正してほしい」という願いは受け入れてもらいやすいという事例も紹介された。職場や社会を少しずつでも変えていく,こうした努力の積み重ねは大切である。
■来年への課題
終盤に大きな話題となったのは,働くことと子育ての両立が,なぜもっぱら女ばかりの苦労となるかの問題である。育児休暇をとった男性の出席者もあったが,参加者のほとんどは女性である。育児休暇が男性にも義務づけられている国がある,男の家庭責任もふくめた議論が必要だ,男女で話し合えるように分科会の持ち方にも工夫がいるといった声が出る。子育てへの「男女共同参画」とはどういうことであり,それを可能とする「社会」のあり方はどういうものであるべきか。議論の仕方には工夫が必要だろうが,確かに,避けることのできない課題と思えた。(文責・石川康宏)
2003年8月4日(月)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,8月2日の『資本論』講座第4講にお配りしたニュース原稿の一部です。
-----------------------
〔2003年度・和歌山『資本論』講座〕
『資本論』ニュース・4
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
2003年7月29日作成
〔講師のつぶやき〕
ようやく梅雨があけたようですね。いよいよ,熱い夏がやってきそうです。そして,どうも,その熱さは政治の領域で,遅く11月頃まで続きそうです。実り多き秋とするためにも,準備にぬかりのない夏にしていかねばならないようです。
さて,7月末は,なかなかハードな時間をすごしました。20日の日曜日の1時半から5時まで,京都学習協で講座を行ない,その足で京都駅に向かい,6時すぎの新幹線に乗って,さらに名古屋で乗り換え,夜11時40分に長野の宿舎に到着。その時間からうさ晴らしもかねて酒を飲んで,翌朝9時から,11時前まで講演を行ない(主催は関西勤労協でした),その昼にはバスに乗り込み,夜7時すぎには大阪にもどるというものです。これはさすがに疲れました。
ところで,その長野での講演は,現代の経済情勢だったのですが,今回は,ちょっと趣向を変えて,経済分野の対米従属に焦点を当ててみました。どうして,こうまで日本の経済はアメリカに奉仕しつづけなければならないのか。それを,戦争直後の足かけ8年間の占領統治から,順を追っておいかけるというものです。
戦後史を追って,その展開に,いくつかの転期があるように思いました。1)IMF体制に組み込まれ,金融的従属のもとでアメリカ市場依存の成長をつづける段階,2)71年のドル・ショックにより莫大なドル資産の減価を甘受せねばならなくなる段階,3)先進各国の高度成長が終わり,78年のボン・サミット以降「内需主導型経済構造」への転換が強制されるようになる段階,4)莫大なドル資産によって債務国アメリカの財政と経済を支える80年代前半の段階,5)「内需主導型」への転換と同時に「市場開放・規制緩和」が強制される90年の「構造協議」以降の段階。思いつくままに整理してみると,このようになるような気がします。
したがって,今日の日本経済には,1)アメリカ市場への過度の依存,2)大量のドル資産の保有,3)内需主導=大型公共事業推進の政策,4)ドル資産でアメリカの国債を買い支えるための日米金利格差の維持,5)日本市場のアメリカ資本への明け渡しが,積み重なっていると思います。
特に,90年代に急速に進んだのは,大型公共事業の推進とともに,アメリカ資本に対する金融市場の明け渡しです。95年(1ドル94円)末の「逆プラザ合意」で,「金融ビッグバン」のための「金融サービスに関する協定」が結ばれたといいます。そこから,海外の金融関連資本が日本国内で自由に活動する道が開かれ,そして,昨年の「竹中プログラム」によってアメリカ資本に対する日本の銀行の売り渡し(「新生銀行」型)の通路までもがこまかく開かれました。
まだ,この通路が本格的に活用されるのかどうかはわかりませんが,それにしても,長く自民党政治を支えてきた日本の銀行業界をも「売り渡そう」とする,このこの従属の度合いはきわめて深いものです。「日米経済の一体化」が,日本市場へのアメリカ資本の支配拡大という形で進んでおり,日本を主な市場としない,多国籍化した「勝ち組」製造業たちが,この事態をビクビクしながら見守っている。どうも,現実はこのようになっている気がしてきています。
派閥として自民党内部に大きな力をもたない小泉首相の地盤は,国民世論と同時に,なんといってもアメリカの支持です。それがあるだけに小泉内閣は,この対米従属の道を,軍事でも,経済でも,従来以上に盲目的に突き進む傾向を強くもっているように思えます。
以上のような話をしてみました。これが,どこまであたっているのか,この夏の勉強で深めてみたいと思っています。
では,「質問に答えて」に進みます。質問は一部,文章をかえてあります。ご了承ください。
〔質問に答えて〕
1)〔シルクロードでの貿易手段は。〕石川先生の貨幣の歴史はとても面白かった。①商品経済の発展が国家を形成して行くと今日まで私は理解していた。「家族、私有財産、国家の起源入門」不破著で貨幣が使用されていない中国でも、インカ、マヤでも国家がつくられていた事実はとても関心を持ちます。エンゲルス著も読んでいたが、世界には、まだまだ知らない事が多くあると思います(不破著も読んだが忘却していました)。②ヨ-ロッパとアジアでの貨幣の使用目的と形態の差も理解しましたが(貿易と生活への使い道の違い)、でもそうすると、例えば、中国の貿易(シルクロ-ドでの)手段は主に何だったのでしょうか?
●面白いところに気がつかれましたね。古代中国の「特産品」であった絹が,西アジアをとおって,ヨーロッパ,北アフリカなどにもたらされたというヤツに始まる東西の貿易路ですね。一般論としては,国境を越えると「地金」が登場するということになるのですが,具体的には,きっといろいろな工夫があったと思います。
●インターネットで調べるといろいろな事実が羅列的に出てきます。日本の貨幣が西に伝わっていたり,逆にヨーロッパの貨幣が東アジアに伝わっていたり。また「バイリンガルコイン」と呼ばれる,表と裏で違う文字(国)が刻まれた貨幣も出てくるようです。その全体像を,いま手元の本等では調べることができませんので,これは次回への宿題とさせてもらいます。どなたか,マニア(?)の方はおられませんか? あるいは世界史の先生,おられませんか?
2)〔「サ-ビス業について」の質問〕① パンを作る工場では、生産労働によって商品化される。その価値は労働時間によって決まる。しかしパンが消費流通に乗るためには、例えばトラックで市場に運ばれなければならない。パンを生産することとトラックで運ぶことは、生産過程の中では一体のものと思われる。そうすると、この市場に出たパンの価値のなかに輸送費は含まれるのか? 含まれなかったら、資本家は剰余価値の中から、輸送費を出費することになるが? 私は、今までの講義を聴くなかでは、パンの値段には「輸送費」は入っていないと思うが?
●「今までの講義」にはご指摘のように,「輸送費」の問題は登場していません。しかし,確かに,パンは消費者のいる所まで移動して,はじめて商品として生きることができますからね。工場に山積みされていても「商品」にはならないのですから,するどいご指摘です。
●実は「輸送費」の問題は,『資本論』の第2部に登場します。第6章の第3節に「輸送費」というそのものズバリの節があります。少し引用しておきましょう。「諸物の使用価値はそれらの消費においてのみ実現され,しかも諸物の消費はそれらの場所変更を,したがって輸送業の追加的生産過程を必要としうる。したがって,輸送業に投じられた生産資本は,一部は輸送諸手段からの価値移転によって,一部は輸送労働による価値追加によって,輸送される生産物に価値をつけ加える。この輸送労働の価値追加は,すべての資本主義的生産の場合にそうであるように,労賃の補てんと剰余価値とに分かれる」(原ページ151)。
●ここでは輸送によって「生産物に価値がつけ加えられる」となっています。つまり,現場で売られるパンには,その輸送過程でつかわれる交通手段と労働の価値が追加的に込められるということです。面白いものですね。マルクスの価値論は第1章の「価値」論がすべてなのではなく,『資本論』の全体をつうじて展開され,肉付けされていきます。第1章の労働価値説は,そのもっとも基本の部分だけであるということですね。
3)〔「サービス業について」の質問〕② 病院勤めや学校の教師などのサ-ビス業について。これらのサ-ビスは不生産労働であるため、商品生産労働のように価値を決めにくい。例えば、医療が必要な人には、高価な使用価値になり、そうでない人には安価になる。本来は需給関係で決まる。しかし、労働力の再生産のためには、教育や医療は社会的には絶対必要なサ-ビス業であるから国で価格を決めているのである。しかし、その価格(各種処置料の引き下げ、手数料の引き下げ、保険点数1点=10円の据え置きなど)は年々安くなっており、病院の倒産が後をたたない。本来の使用価値を評価されていなく、現状に合わなくなってきている。この特殊なサ-ビス業の価格を決定するのは政治的課題(力関係)なのか。
●これも,いろいろと手順を踏んで考えていくことが必要な問題です。まず,労働力の価値と,その労働が提供する商品(サービス)の価値との区別が必要です。労働力の価値については,今日の範囲の第4章「貨幣の資本への転化」で基本がおさえられることになるハズです。しっかり取り組んでみてください。
●そのうえで,医療サービスの価値についてですが,どうでしょう,そこには,ザッとみても,人件費,設備費(建物・各種診断設備・医療設備),医薬品などの価値が込められてはいないでしょうか。となると,それらの価値は,やはり,かなり客観的に決まるものといえないでしょうか。
●商品(サービス)が実際に取引される価格は需給関係に左右されますが,あくまで,それは,その商品にこめられた価値を基準としてのことです。アンパンは100万円にはなりませんし,ダイヤモンドが10円で売られるということも通常世界ではないわけです。では,なぜそうか。両者に込められている価値量がちがうからです。この点は講義でお話しました。この需要供給による価値と価格のズレの問題は,『資本論』の第3部に登場します。これも価値論の肉付けの問題ですね。
●もし,需要と供給に大きなひらきがあり,たとえば患者の数に対して,病院の数が多過ぎるなどすれば,その資本(病院)は価値よりはるかに安い価格でしか,その商品が販売ができず,経営がなりたたななることもあります。実際,そういう部門をこえた資本の移動によって,社会的労働の社会的配分が行われているのが,商品経済社会の特徴でした。
●そのうえで,保険の問題ですね。実際に病院の経営をなりたたせるための「収入」は,直接に病院に来た患者から入る「収入」と,国から(もともとは国民の負担ですが)の「収入」(診療報酬)の2つですね。この2つによって,病院が提供する商品(サービス)の価値は,支払われねばなりません。それが現在の制度です。そして,それが充分でなければ病院の経営はなりたちません。
●どうして,ここに国がかんでいるかというと,それは,ご指摘のように,病院は「社会的には絶対必要なサービス業」だからであり,医療の全国民への保障を求める運動があったからです。あまりお金をもっていない患者でも,キチンと病院に通えるようにする。また少々患者が少ないからといって病院がその地域から簡単に「撤退」してしまうようなことがないように,国の制度が,病院の経営に対しても一定の配慮を行うことになっていたわけです。いま悪政によって壊されようとしているのは,この制度ですね。それは医療を「金もうけ」の論理のなかに,市場のもとにゆだねてしまうという歴史の逆行になるわけです。
●いかがでしょう。こうして考えてみると,1)医療サービスの「販売」価格についても価値法則は貫かれており,また,2)病院が私的経営として成り立つかどうかについても,やはり価値法則はつらぬいているということにはならないでしょうか。そして,3)その上に,市場まかせの金もうけ第一主義ではない,普通の良識ある病院が,必要な地域に必要な数だけ保障される,市場が決める基準以上の豊かな財源が,いま大幅に切り捨てられようとしている。この,3)の部分が政治的な力関係に左右されているというのが現状ではないでしょうか。1)2)については,これを無条件に政治的な力関係に還元することはできないと思います。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問に答えて」(~2時)
・今日もペンを離さない。継続は力なり。コツコツためる。
・不破哲三『「資本論」全3部を読む(第2冊)』の簡単な紹介。
・「質問に答えて」。
2)「第2章・貨幣または商品流通」(残り)に学ぶ(~2時20分)
・3つの節の組み立て。1節・価値のモノサシ,交換過程に入らない。2節・市場での実際の活動。3節・流通から離れた独自の役割。
・第3節「貨幣」・・歴史上初めての「蓄積のための蓄積」。債権と債務(恐慌の可能性の第二形態)。世界貨幣は金や銀。
・その後の世界の通貨制度(金本位制〔兌換制〕,不換制,ドル基軸での金本位制,ドル・ショック,変動相場制)。
3)「第4章・貨幣の資本への転化」に学ぶ(~3時20分)
・第2篇「貨幣の資本へき転化」・・いよいよ資本の分析に。
・第4章「貨幣の資本への転化」・・1つだけの短い章が独立の篇に,重要な意味。
・第1節「資本の一般的定式」・・資本の運動 G-W-G。
・第2節「一般的定式の諸矛盾」・・交換から剰余価値は生れない,ここがロドスだ。
・第3節「労働力の購買と販売」・・労働力商品の発見(論理と歴史),労働力商品の価値。
4)「第5章・労働過程と価値増殖過程」に学ぶ(~4時00分)
・第3篇「絶対的剰余価値の生産」・・剰余価値生産の内容分析に入る。5~7章は剰余価値の解明の最後の到達点,8・9章は剰余価値生産の具体的な方法の1つ。
・第5章の主題は労働力商品の消費過程の分析。
・第1節「労働過程」・・労働論一般,労働対象,労働手段,生産手段。
・第2節「価値増殖過程」・・貨幣と資本に転化した,科学的社会主義の核心。
5)「第6章・不変資本と可変資本」に学ぶ
・生産物の価値の構成は,C(不変資本)+V(可変資本)+M(剰余価値)。
6)「第7章・剰余価値率」に学ぶ(~4時20分)
・第1節「労働力の搾取度」・・必要労働時間,剰余労働時間,剰余価値率。
・第2節「生産物の比率的諸部分での生産物価値の表現」・・30=24C+3V+3M。
・第3節「シーニアの『最後の1時間』」・・10時間労働制反対の俗論。
・第4節「剰余生産物」・・剰余生産物,労働日。
7)〔補足〕
・市場経済と社会主義・・レーニンの探求とスターリンによる破壊,活動の成果をはかるモノサシとしての市場,日本の未来を考える
〔みなさんの感想から〕
省略させてもらいます。毎回,たくさんの感想をありがとうございます。
最近のコメント