2003年7月26日(土)……京都学習協のみなさんへ。
以下は,7月20日の現代経済学講座第3講にお配りしたニュース原稿の一部です。
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〔第2回現代経済学講座〕
講師のつぶやき・No.3
2003年7月15日
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回の講義の終わりに,「戦後,日本人の海外旅行が制限されていたのも,外貨(ドル)問題と関係があるのですか」というご質問がありました。その場では「あります」としかお答えできませんでした。
それで,インターネットで調べてみると,1969年度の『運輸白書』の一節にぶつかりました。そこには,次のようにあります。
「昭和40年のわが国の受取は,来訪外客の対前年伸び率が4%と比較的低位にとどまつたにもかかわらず,対前年比15%,933万ドル増の7,132万ドルと順調に増加した。
また,来訪外客1人当りの平均消費額は195ドルと39年より19ドル増加した。これは1人当り消費額の多いアメリカ人が14%増と順調に増加したこと等による。
一方,支払は,出国日本人の対前年伸び率が20%と大幅に増加したが,香港,台湾等の近距離旅行が著しく増加したため,1人当り平均消費額が330ドルと39年より23ドル減少し,総額で,12%,964万ドル増の8,778万ドルとなつた。この結果,収支尻は, 〔IV-14表〕のとおり,赤字幅が前年より31万ドル増加して1,646万ドルとなった。
このように38年以来旅行収支が赤字となつているのは,38年4月の業務渡航の自由化および39年4月の観光渡航の自由化による海外渡航制限の緩和と,国民所得の上昇によつて国民の海外旅行が著しく増加したためである。
OECDに加盟したわが国にとつて,渡航制限を強化することは困難であり,また国際交流を増進して国民が国際的視野を高めるうえからも,国民の健全な海外旅行を推進することが望ましいので,観光渡航における年1回500ドルの制限は41年1月1日をもつて年1回の制限がはずされ,1回につき500ドルの制限のみとなり今後も漸次緩和されることとなろう。
そこで,国民の海外渡航は今後も増加すると予想され,旅行収支の赤字幅を増大させる要因になると思われる。したがつて旅行収支の改善を図るためには外客の来訪を促進するための海外観光宣伝その他の外客誘致方策のいつそうの強化を図る必要があろう。」
「昭和40年」といえば,1965年ですから,そろそろ「ドル不足」が解消される段階に入るころですが,それでも,海外旅行は,ご覧のように「海外旅行収支」における「支払い超過」という角度から論じられています。海外旅行の増加によって,ドルが入ってくるか,それとも出ていってしまうのか,それは依然大きな問題だったわけですね。
インターネットをされる方は,「海外旅行 自由化 ドル」で検索すると,いくつも情報がヒットします。試してみてください。
〔質問に答えて〕
1)アメリカが日本経済を食い物にしている点が鮮明に分かってきましたが、米日の大企業の多国籍化で、日本の大企業は日本の国民の超貧困化を進め(日本国内がどうなってもよい。企業がもうけたらよい)、国内需要は急激に縮小しているように見えます(労働法制改悪で収入の低い不安定な労働者を大量に増やす)。これでは、ご主人様のアメリカの要求にも応えられないのではないのでしょうか。
●「ご主人様のアメリカ」が,具体的に何を要求しているかが問題です。アメリカは「新生銀行」(日本長期信用銀行・破綻・国有化・売却・リップルウッドが保有)を日本に進出して最も成功した金融機関と位置づけ,第2・第3の「新生銀行」を求めて,大手銀行への公的資金投入(国有化)を求めています。そして現に「りそな」は「国有化」(最大株主は政府)されています。ここでは1300~1400兆円といわれる日本の金融資産がねらわれています。
●また講座でもふれたように,「労働法制改悪で収入の低い不安定な労働者」を増やすことは,日本に進出するアメリカ企業・銀行にとっては,大変に都合のよいことです。「アメリカの要求」を漠然ととらえるのでなく,具体的につかまえて,それに対して日本の経済がどういう具合に対応しているのか,それを具体的に考えてみて下さい。
2)日本企業の多国籍化とアメリカの従属問題について説明してください
●いくつかの角度から説明が可能ですが,今後の講座で話題となる予定のことを一つだけ紹介しておきます。90年代以降のアメリカはアメリカ「多国籍企業やりたい放題」の世界市場をつくろうと努力しています。それが「経済グローバリゼーション戦略」と呼ばれるもので,クリントン政権に入って発動が本格的なものとなりました。これに対して,日本の多国籍企業は,アメリカによる「多国籍企業やりたい放題」を大いに後押しし,それによってアメリカの後ろから,世界各国に入り込んで,その「おこぼれ」を獲得するという「コバンザメ」の戦略をとっています。
●したがって,アメリカの危険で野蛮な世界戦略の推進に対しても,これにイヤイヤついていくのではなく,自分なりの経済的利益の追求のためにこれを能動的に支援するという姿勢をとっているわけです。
3)敗戦直後の日本経済の中でアメリカは日本を農業国にしようとした。だが戦後改革で半封建的地主制は解体され農地改革で農民は始めて自分の農地を手に得た。そして山林・市街地は何故所有の改革はできなかったのですか。
●「市街地」は「農地」ではありませんから,農地改革の対象にはなりません。
●農地改革は,占領下の日本政府がイニシアチブをとった「第1次農地改革」(1945年11月閣議決定)と占領軍主導のもとに行なわれた「第2次農地改革」(46年10月公布)の全体からなります。実行にはしばらくの時間がかかりますが,47年から50年のあいだに,改革直前の「小作地」の80%が耕作農民に付与され,その結果,「小作地」は改革前の46%から10%に減少しました。その変化はきわめて大きなものです。
●ただし,その目的については「敗戦直後の日本独占資本が占領軍権力の支持をうけて,《共産主義の防壁》として地主制解体による広範な自作農創設を行い,当面する農業危機のきりぬけを策したものである」(『大月・経済学辞典』)といった評価があります。また,農業に深くかかわりをもつ山林の大土地所有が行なわれなかったことも,この点にかかわり,また農地改革の推進に「受益者」である小作農自身が強い能動性を発揮できなかったことも,この制限をつくる理由となったようです。戦前型の寄生地主制(小作制)の解体は行なわれたが,その民主化は徹底した農民本位のものにはならななかったということです。
4)ドッジ不況から朝鮮戦争での日本資本主義の関係(かかわり)はどうでしょう。
●質問のポイントがどこにあるのかよくわかりませんが,基本的には,第1講でのテキストにあるように,戦後の日本経済がドッジ不況を抜け出すきっかけなったのは,朝鮮戦争による「特需」でした。
5)為替レートはなぜ毎日変動するのですか。誰が操作しているのですか。どうレートが決まるのですか。
●基本的には「為替レート」は,外国為替市場での通貨の取引によって変動します。たとえば,貿易の支払いにドルの必要な業者が,一斉に多額のドルを求めるといったことがあれば,これらの業者にドルを売ってもいいとするドルの保有者は「高く買ってくれる者に売ろう」とします。その結果,ドルの価値はあがります。一番,基本的には,その通貨に対する需要供給の関係によって変動するわけです。こうした売り買いの「場」を外国為替市場といいます。
●ところが,現代では,このようないわば「市場の自然な動き」の他に,大量の資金をもった者が,為替レートを変えることを目的に,あるいは為替投機による利益を目的に,意図的に需要供給のバランスを変えようとすることがあります。前者は主に,政府・中央銀行などによる「市場介入」です。97年のアジアの通貨危機で,タイのバーツがドンドン安くなり,そこでタイ政府が手持ちのドルを吐き出して,ドル売り・バーツ買いをしてバーツの買支えに走ったという話しは有名です。日本の政府も,時には同じようなことをしています。
●しかし,結局,タイはバーツを支えることができませんでした。この急激なバーツ安の背後には,後者の典型である,ヘッジファンドなどの大規模投機家たちによる意図的な為替のつり上げと下落がありました。つりあげの途中で,為替の先物取引を契約し,その後で,意図的に下落させる。しかし,先物取引は契約時の内容での通貨の交換を求めますから,それで投機家はガッポリと儲けることができるわけです。
●ただし,政府の市場介入にせよ,こうした投機家たちの意図的な操作にせよ,これらはいずれも個々の思惑にもとづいた行動です。結果的に「為替レート」の変動は,それらの力の衝突によります。この意味では,誰も「為替レート」を自在に操ることができる者はいません。これを動かす力の大小があるだけです。そこで「為替投機」には何らかの国際的な規制が必要だという声が,アメリカ主導の国際機関からさえ出てくることになるわけです。
6)1985年のプラザ合意でアメリカがドル安に政策転換した理由がよく分かりません。
●講義で述べたとおりですが,一つは,下落が予想されるドルを「秩序だてて下げる」ことが目的です。つまりドルの「暴落」による世界経済の混乱や,ドルの不信任による「ドル特権」の喪失をアメリカが避けようとしたということです。もう一つは,良くいわれることですが,日本からアメリカへの輸出競争力をそいで,アメリカの貿易赤字を減らすということです。
7)フランスの現在の新植民地主義について、特にイラクとの関係など教えてください
●講座の内容と関係がありません。たとえば酒井啓子『イラクとアメリカ』(岩波新書)などを参考にしてください。
〔今日の講義予定〕
これは今日の講義のだいたいのスケジュールです。講師である私のための心おぼえです。
1)復習と質問に答えて。(~2時00分)
・「ドルの天井」を気にしながらの高度成長,市場のアメリカ依存,ドル危機とニクソンショック,変動相場制へ(長期的なドル安傾向の開始)
・「日独機関車」論にもとづく内需主導型への転換要求,前川レポート,平岩レポート,樋口レポート
・85年プラザ合意,95年「逆プラザ合意」(金融ビッグバンを取引材料に),「竹中プログラム」
・質問に答えて
2)テキスト「基軸通貨ドル体制不安の基本構造」にそって。(~3時30分)
・テキストの内容をできるだけページを追って解説していきます。
・アメリカが戦後の世界市場と為替の管理にためにつくった,ブレトンウッズ体制の歴史的変化を追います。
・その変化と日本経済のかかわりを大きくつかまえます。
3)ブレトンウッズ体制と戦後支配をめぐって。(~4時00分)
・第二次大戦下のアメリカの繁栄,イギリス領へのアメリカの軍事基地拡大。
・ブレトンウッズ体制の成立。
・日本の活用をめぐって,対日無賠償と例外的賠償。
4)「マネー敗戦」とユーロの実験。(~4時30分)
・90年代の日米マネー戦争。
・ユーロとドル。
5)質疑。(~5時00分)
2003年7月9日(水)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,7月5日の『資本論』講座第3講にお配りしたニュース原稿の一部です。
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〔2003年度・和歌山『資本論』講座〕
『資本論』ニュース
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回,とても大きな反響のあったクーゲルマンへの手紙を,ここに紹介しておきます。
「一定の割合での社会的労働の分割の必要は,けっして社会的生産の特定の形態によって廃棄されうるものではなくて,ただその現象様式を変えうるだけだ,ということは明白です。自然法則はけっして廃棄されうるものではありません。歴史的に違ういろいろな状態のもとで変化しうるものは,ただ,かの諸法則が貫かれる形態だけです。そして,社会的労働の関連が個人的労働生産物の私的交換として実現される社会状態のもとでこのような一定の割合での労働の分割が実現される形態,これがまさにこれらの生産物の交換価値なのです。
科学とは,まさに,どのようにして価値法則が貫かれるかを説明することなのです」(1868年7月11日,マルクスからクーゲルマンへの手紙,全集32巻,454ページ)。
もう少し,他の箇所での文章も,付け足しておきましょう。
「生産についての決定をおこなうさいに効用と労働支出とを比較秤量することが,経済学の価値概念のうちから共産主義社会に残るすべてであるということは,私がすでに1844年に述べたところである(論文「国民経済学批判大綱」)。だが,この命題の科学的な基礎づけは,人も知るように,マルクスの『資本論』によってはじめて可能になったのである」(エンゲルス『反デューリング論』,全集20巻,319ページ)。※ここでの『資本論』は第1部のみ。
「第二に,資本主義的生産様式の止揚後も,しかし社会的生産が維持されていれば,価値規定は,労働時間の規制,およびさまざまな生産群(草稿では「生産部門」)のあいだへの社会的労働の配分,最後にこれについての簿記が,以前よりもいっそう不可欠なものになるという意味で,依然として重きをなす。」(『資本論』第3部,1496ページ)
いずれも面白い,知的刺激を強くうけずにおれない文章ですね。じっくりと考える材料にしてください。
日本の未来社会をどう展望するかについては,日本共産党の綱領改訂案が,大胆な問題提起を行いました。これについては,11月まで議論が重ねられる予定です。いろいろな意見がいくつも表明されるでしょうし,いくつかの論文も登場するかも知れません。そうした最先端の問題意識を受け取りながら,『資本論』中の未来社会論への注目を重ねていくというのも,なかなか面白い読み方になるのではないでしょうか。
さて,最近は「小泉流の構造改革について話してほしい」といわれた時には,戦後日本経済の歴史を大きく語るように努めています。ためこまれてきた日本経済のどういう問題のうえに,小泉「改革」が乗っかっているのか。これを正確につかみたいと思うからです。いままでは,あまりキチンと勉強していなかった問題です。
何によって,どのような矛盾が蓄積されてきたのか,それに対して小泉流の「改革」は,それらの問題を解決するものとなっているのか,あるいは逆に矛盾を深めるものでしかないのかどうか。
その学習のなかで,「なるほど」と思わされた問題のひとつは,大型公共事業推進政策の肥大化が,日米関係に大きく規定されており,また日本の経済構造「改革」が,つねに,この政策の推進を大きな柱としていた事実でした。
74~5年恐慌を終え,日本政府は,アメリカからの「日独機関車」論の要請を受け,「内需主導型経済」への転換を余儀なくされます。そのために78年の福田内閣は,7%の経済成長を国際公約し,史上空前の国債発行を行いながら,大型公共事業の急拡大に取り組みました。そして,その後の「集中豪雨的」輸出に嫌気のさしたアメリカは,「貿易摩擦」での反撃を日本に加えながら,中曽根内閣に対して,「内需主導」への経済構造の転換を,あらためて強く要請します。
プラザ合意はその重要な,アメリカによる意思表示の場となりました。ここから中曽根内閣は,アメリカ向けの一定の輸出を確保しながらも,リゾート開発,アーバン・ルネッサンス(「都市再生」の先祖)といった大型公共事業の拡大を,さらに強烈に推進していきます。その事業費は,ここから93年の50兆円突破まで,一直線にのびていきます。86年の前川レポートが「国際協調」をいうのは,このアメリカの「期待」にこたえることであり,「新自由主義改革」といわれることの多いこのレポートは,それ自体が,日本の「土建国家」化を推進する文章でした。
以後,93年の平岩レポートにも,99年の樋口レポートにも,この「土建国家」推進の戦略は一貫しています。
また90年の「日米構造協議」は,10年で430兆円の公共事業を日本に強制し,さらなるクリントン政権の圧力のもとで,これは10年で630兆円へと拡大していきました。
これらの経過については,京都学習協の「現代経済学講座」でしゃべっている最中です。さらに,これに,金融的従属の問題,輸出入の変化,日本資本の多国籍化,「日本市場のグローバル化」などを重ねています。
まだ途中経過にすぎないですが,小泉内閣の諸政策が,ますます従来型の自民党流経済政策の延長でしかないように見えてきています。それが,この学習をつうじての実感です。
では,本題に入りましょう。
〔質問に答えて〕
今回は,『資本論』の内容に即した理論問題はありませんでした。とはいえ,いくつか関連するものはありましたので,簡単に「お答え?」しておきます。
1)『資本論』の翻訳をめぐって。
●いろいろな翻訳が出ています。それぞれに歴史的な役割があり,特徴がありました。日本で最初に訳されたものなど,訳した当人も「われながら読みづらい」と書かずにおれないようなものでした。「読んでわかる」文章に訳すためには,何より訳者自身が内容を正確に理解していなければなりません。しかし,それ自体がとても大変なことだったわけです。
●その大変さを乗り越えるための「集団訳」に,おそらく世界的でも初めて本格的に挑戦したのが,新日本新書版・上製版の『資本論』です。これによって,どんな個人にもある誤りが,最大限に避けられることとなりました。新書判が出されたころに,訳者たちによる苦労や工夫が様々に語られましたが,経済学者だけではなく,文学者や神学者,技術者などの力も借りた翻訳は,それ以前の翻訳の多くの不十分さを正すものとなりました。この点で,新日本版は日本語版『資本論』の歴史に大きな,新しい成果を積み上げるものとなっています。
●もちろん,何事にも「完全」ということはありません。すでに講義中にも指摘したように,新書版から上製版へと訳が変更された箇所があり,逆にその変更の当否が問われているといった問題もあります。また,訳者のあいだにも意見の相違があったりします。「読みやすさ」か「マルクスらしさ」かという問題も出てきます。もちろん「読みやすさ」のために正確さを犠牲にするというわけにはいきません。
●私としては,ここまで「日本語化」の努力が様々に払われているのですから,訳語については「それによってマルクスの言わんとすることがかわってしまう」という場合以外は,気にしないようにしています。肝心なことは論旨であって,その節,その章,その編で何がいいたいのかという大きな理論の組み立てだと思っているからです。よく英語版が読みやすいなどといいますが,私はほとんど活用していません。私の外国語では,アテにならないと思っているからです。
2)宮本百合子と『資本論』。
●宮本百合子は,現実社会についての奥深い,すぐれた作品をたくさん残しています。そして,その作品の深まりの過程には,科学的社会主義の理論にたいする,百合子の学習の成果が反映しています。百合子が,どのように科学的社会主義の理論を学習したか。これについてはいくつかの研究があります。不破哲三『宮本百合子と12年』(新日本出版社,86年)は,その代表的なものの1つです。宮本顕治からの手紙による「指導」も得ながら,百合子は苦労して,当時の読みづらい古典の翻訳に挑戦していきます。1939年3月から9月にかけて『資本論』第1部を初めて読み,つづいて第2部は12月に読了しています。しかし,第3部については,どうもこの時期には読み終えることができなかったようで,その後も,読了を確認させる証拠はないようです。
●どこまで百合子が正確に『資本論』を理解したかは,明らかではありません。現代の私たちにとっては,その理解の浅い,深いではなく,自らの文学を高めるという目的をもって『資本論』に挑戦した,その姿勢にこそ,大いに学ぶ必要があると思います。
3)ロビンソン・クルーソー物語と経済学。
●ロビンソン・クルーソー物語は,自ら働く者を主人公とした物語です。その意味で,これは独立自営の生産者の姿にピッタリとくるものでした。そこで,マルクスの時代にも,経済学の本などに,経済についてのわかりやすい事例として,使われることがあったわけです。しかし,資本主義が発展し,分業や協業といった集団的な労働が労働の当たり前となり,これが経済学の世界ではたす役割は,次第に小さなものとなっていきました。
4)交換価値と価値形態。
●マルクスの「価値」にかかわる叙述はなかなかに複雑です。交換価値と価値形態も,厳密にいえば,両者は違うものを意味します。価値形態が「形態」という表現をあたえられているのは,それが価値「実体」の具体的な現象形態だからです。価値の実体は,抽象的人間的な労働でした。商品にこめられた,この「実体」が,他の商品との一定の比率での交換のなかに「現われ出る」わけです。
●これに対して,「交換価値」は,このような価値理論の内容を構成するものではありません。それは,価値の「実体」を知らなくても,誰でもが知っている,他の生産物と一定の比率で交換されるというそのものの性質です。それは商品についての日常的な知識,まだ科学的な分析のメスが入っていない用語なのです。
●なお,このように,これからソレを分析しますよという場合に,最初にアタマに思い浮かべられるソレ(分析の対象)のことを,「表象」といいます。そして,その分析の結果として「概念」が得られます。ちなみに,価値の概念は,価値の実体と形態の全体によってあたえられます。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問に答えて」(~2時)
・今日もペンを離さない。継続は力なり。コツコツためる。
・あまりしゃべることなし(の予定)。
・「質問に答えて」。
2)「第2章・交換過程」に学ぶ(~3時00分)
・人の歴史のなかでの交換と価値形態の発展。商品所有者の思考と行動。
・エンゲルスが『起源』に活用。その後の貨幣史,貨幣の生成,貨幣と国家。
4)「第3章・貨幣または商品流通」に学ぶ(~4時30分)
・3つの節の組み立て。1節・価値のモノサシ,交換過程に入らない。2節・市場での実際の活動。3節・流通から離れた独自の役割。
・第1節「価値の尺度」・・・はかるだけなら現金はいらない。モノサシの目盛り(度量基準)。金銀複本位制。価値からずれる価格の意義。
・第2節「流通手段」・・・a)物々交換と商品流通の違い。商品の「命がけの飛躍」。商品交換から商品流通へ。恐慌の最初の可能性が生れる。恐慌の「可能性」と「原因」は違う。b)貨幣から見た商品流通。必要な貨幣総額。c)金の象徴としての鋳貨。紙幣による置き換え。紙幣発行量に関する法則。
・第3節「貨幣」・・・歴史上初めての「蓄積のための蓄積」。債権と債務(恐慌の可能性の第二形態)。世界貨幣は金や銀。
・その後の世界の通貨制度(金本位制〔兌換制〕,不換制,ドル基軸での金本位制,ドル・ショック,変動相場制)。
5)市場経済と社会主義
・レーニンの探求とスターリンによる破壊,活動の成果をはかるモノサシとしての市場,日本の未来を考える
〔みなさんの感想から〕
ここから先は省略します。いつも,たくさん,ありがとうございます。
2003年6月23日(月)……関西勤労協のみなさんへ。
以下は,6月21日の「夏勤大・前夜祭」での5分間発言のメモです。
日米経済関係に注目して
2003年6月22日
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
私は,日本の経済状況を,特にアメリカとの関係に注目してお話したいと思います。
『前衛』1月号の大門論文が,「竹中プログラム」(10月30日)を,日本の金融市場をアメリカに売り渡すものと告発しました。すでに政府は「りそな」の最大株主となっています。これをアメリカ資本に売却すれば,第二の「新生銀行」が誕生するということになるわけです。あらためて対米経済従属・依存とは何かを考えたいと思うのです。
90年代の経済従属では,「日米構造協議」(90年)に始まる日本の「構造改革」と大型公共事業の押しつけが良くいわれます。日本側官僚からさえ「第二の占領政策」といわれた「構造改革」要求は,その後,着実に実行に移されていきます。10年間で430兆円とされた公共事業の要求は,その後,村山内閣によって630兆円に拡大しました。しかし,ブッシュ政権の対日政策の基本である「アーミテージ報告」(98年)は,大きな橋や新幹線をつくる日本の政策を「時代おくれ」だと批判します。日本の公共事業をどう位置づけるかについての,アメリカ側の政策転換があるようです。
5月から京都の学習協で,戦後の日米経済関係を追いかける講座を始めています。そこであらためてしっかりと学ぶ必要があると思わされたのは,金融問題です。特にアメリカの「ドル支配」のもとに日本が完全に組み込まれているという問題です。それはアメリカ市場に依存しなければ稼げないという日本の対米輸出依存型の大企業体制づくりの問題でもあり,個人消費をかえりみない経済体制づくりの問題ともなっています。
出発点は戦後アメリカによる世界経済支配の戦略と,対日戦略です。世界経済戦略としてはIMF体制が代表です。世界の金の60%を保有していたアメリカは,35ドルを金1オンスと交換するとの国際公約のもとに,ドルを世界の「基軸通貨」として認めさせます。これによって,アメリカは対外債務の支払いに決して困ることのない「ドル特権」を手にしました。日本の対米輸出への支払いもドルで行われます。フランスなどはたまったドルを金と交換しますが,従属国日本はそれをしません。
71年のニクソン・ショックで,アメリカは金・ドルの交換を停止します。大量のドルを保有する日本は,円高ドル安によって保有外貨(ドル)の資産価値を失います。ドル暴落は日本政府にも困ったこととなりました。ドルとの運命共同体的性格の深まりです。
不良債権問題とアメリカ,「都市再生」とアメリカ,考えてみたいことはいろいろあります。戦後の日米経済関係を大きくとらえて,その上に今日の小泉政権をとらえなおし,そしてアメリカからの経済的な自立の道(民主的なアジア共同市場の形成)を考えてみたいと思います。
2003年6月16日(月)……京都現代経済学講座のみなさんへ。
以下は,同講座の第2講で配布した「講師のつぶやき/質問に答えて」のニュースです。
〔第2回現代経済学講座〕
講師のつぶやき/質問に答えて・№2
2003年6月13日
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
京都のこの講座と並行して,和歌山で『資本論』講座をやっています。1年間で第1部を読み通すというものです。先日,第2回が終わりました。80名をこえる大所帯です。
いまの時期の『資本論』講座ですから,当然,不破さんの『「資本論」全3部を読む(講義録)』が話題になります。とはいえ,まだ,ご自分でこれを読んでいる方は少ないようで,先日行なった,その問題意識の一部紹介は大きな反響を呼びました。
価値法則は商品経済の法則であり,それは資本主義につらぬく大切な根本の法則である。『資本論』を学ぼうという人たちですから,そこまでは,誰もが同じような理解をもっているといっていいでしょう。
しかし,問題はその先にあります。価値法則は,資本主義にとどまらない人間社会に共通するどのような「自然法則」の資本主義的形態なのか。実は,マルクスはそういう大きなスケールで価値法則を問題にしています。
『資本論』第1部を世に送り出した翌年,1868年に書かれたクーゲルマンへの手紙の中で,マルクスは,価値法則が総労働力の適切な社会的分配を行なう「自然法則」の資本主義的形態であると述べています。
つまり価値法則は,より大きな法則の資本主義社会における「現われ」としての意味をもつというわけです。そうであれば,資本主義的な「現われ」を離れた社会においても,この「自然法則」は,もちろん貫くものとなります。
だから,マルクスは第1章第4節で,ロビンソンの生活(もちろん商品交換はありません)にも価値規定の本質的な内容はつらぬくと述べ,また『資本論』第3部では,例の「資本主義的生産様式の止揚後」の社会における価値法則の役割といった問題が論じられもするわけです。
『資本論』冒頭の価値論は,資本主義の枠内に閉じ込められた剰余価値論の理論的準備としてのみ読まれるのでは理解がせまい。あわせて,より大きな人類社会一般につらぬく法則の歴史的なひとつの形態として読んでいく必要がある。
『全3部を読む』第1分冊を読んで,もっとも感銘をうけた論点でした。
みなさんも,ぜひ読んでみて下さい。
さて,話しを京都の講座にもどします。前回の第1回講義への感想のなかに,講義の最後にテキストを離れて行なわれた話しが面白かった,そこにもっと力を入れて欲しいというものがありました。
基本はテキストを正確に,深く理解していくことですから,あまり脱線するわけにはいかないのですが,それでも,「補足」的な話しはなるべく紹介していきたいと思います。
今日は,たまたま手元にその準備がありますので,下にちょっと,メモを紹介しておきます。
〔補足・対米従属の形成過程についての文献メモ〕
以下,講義のためのメモの一部です。2冊の本からの要約(一部抜き書き)です。文献名はテキストaが『日本共産党の80年』(日本共産党,03年),テキストbが,津田達夫『財界』(学習の友社,90年)です。
『財界』はもう手に入らないかも知れませんが,『80年』は出たばかりです。歴代内閣の経済政策についても,簡潔で面白い指摘がありますし,それはもちろんアメリカとの関係にもしっかりと目を配ったものになっています。ぜひ読んでみて下さい。
〔占領政策の転換と基本的経過〕
1)45年8月末 連合国軍総司令部(GHQ)設置。初代最高司令官マッカーサー。連合国を代表してとのことだったが,実際上は絶対的な影響力。a 71
2)占領支配は間接統治。日本政府が占領政策を執行する役割。沖縄,奄美,小笠原諸島は直接の軍事支配。a 72
3)憲法(46年11月3日公布)制定につづく時期での対日占領政策の転換。48年1月,ロイヤル陸軍長官のサンフランシスコ演説,日本を極東における「全体主義(反共)の防壁」にする。2月,フォレスタル国防長官は陸軍省に日本再軍備の研究を命令。5月,報告書「日本にたいする限定的軍備」がフォレスタルに。背景は中国革命の進展とソ連との対立の広まり。a 86
4)対日支配の確立と日本の軍事基地化推進。これを支持する日本の反動勢力を支援。ポツダム宣言を踏みにじる方向へ。a 87
5)48年7月吉田内閣政令201号で250万人の全官公労働者から憲法で保障された団体交渉権とストライキ権を剥奪。「自由にして民主的な労働組合運動」「共産党の組合支配の排除」を合言葉に反共分裂主義を推進。a 87
6)占領軍の撤退と講和条約の締結への対応。講和条約と同時に軍事同盟条約をむすび,占領下のアメリカ軍事基地を「条約によって提供された基地」として存続させる。「経済9原則」(48年12月)と一連の財政・金融・労働政策で日本経済をドル支配体制へ。50年からの朝鮮戦争で日本国内のデモ・集会を禁止(戒厳令的な軍事支配),51年9月,サンフランシスコ講和条約とだきあわせで日米安保条約を締結。占領下の基地体制の骨組みを「条約」として強制。形の上では主権を回復した独立国。全土に米軍基地をかかえ,国土や軍事などの重要部分をにぎられた事実上の「従属国」。a 87~88
7)48年12月岸信介らA級戦犯容疑者の釈放,50年10月から戦争犯罪者の「追放解除」,大量の戦犯政治家,大資本家を政界,財界に復帰させる。50年10月から講和発行までに約20万人の公職追放者が復帰。戦犯勢力の日本支配層への復帰。これが日本政治の戦犯性とアメリカへの追随をつよめる重要な要因。a 115
8)50年6月6日共産党パージ,6月25日朝鮮戦争,7月警察予備隊(アメリカ占領軍のキャンプに入隊,アメリカ軍の武器で装備,アメリカ軍人の指揮で訓練,52年保安隊,54年自衛隊)。a 106,115
9)51年9月8日サンフランシスコ講和条約,日米安保条約,52年2月日米行政協定。協定はアメリカが必要とするなら日本全土どこでも基地をつくり,使用目的は無制限という従属性・売国性で例のないもの。米軍の使用施設は52年4月で2824箇所。a 117~8
〔占領初期の対日経済方針〕
1)45年11月アメリカ調査団は日本の賠償問題調査団を送り込んできた。団長のエドウィン・W・ポーレーは帰国後の報告で。「日本の財閥は……日本における最大の戦争潜在力である」と。b 14~5
2)45年12月7日ポーレー発表の賠償計画案。「日本の産業施設はその圧倒的部分が戦争遂行のために設計された」「いぜんとして日本はまだ平和であった時代に支配者たちが民需にふりむけていた工場施設よりはずっと多くの設備を操業可能な状態でもっている」「日本の非軍事化を完成させるため,それらを撤去することは日本の完全な非工業国化を意味するものとはならない」。b 17
3)日本政府は45年12月には労働組合法,47年4月には労働基準法を公布。財界はかつて経験したことのない八方ふさがりの状態にあった。b 21~2
〔軍備(経済力)増強への政策転換〕
1)48年5月「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」。「講和会議すら待たずに統制が大幅にはずされそうだという見通しは,日本の実業家や彼らの利益を代表する国会議員たちを興奮させたらしい。戦争犯罪を審査する追放審議会によって追放されたものも,されなかったものも,旧財閥の首脳たちはいま東京に集まって,いかにして回復を促進し得るかを相談している」。b 23
2)46年8月経団連発足。しかし財界指導者の公職追放をおそれて正副会長は未定のままに。実際,47年1月4日の追放対象者を拡大する公職追放令改正で常任理事29名中10名,理事95名中16名が追放に。48年3月16日の第2回総会で初代会長に石川一郎(日産化学工業社長),副会長に佐藤喜一郎(三井銀行頭取)。『経団連の10年』によれば新しい体制の背景には「米国の対日政策が……占領初期の政策と決定的に袂別(べいべつ)したこと」「公職追放,集中排除,財閥解体等一連の日本経済民主化工作も,23年(1948年)に入ってからは,ようやく落着をみた」という情勢の変化があった。日経連も経済同友会も。b 24~7
3)48年1月6日ロイヤル米陸軍長官演説(サンフランシスコ)。1945年以降「世界の政治と経済,国家防衛の問題,また人道にもとづく配慮などの点で新しい事態がおこってきた」「その大部分は(占領)初期の諸政策が決定されたあとになって発生したものである」「日本がもし食糧やその他の必需品を入手できなければ,日本には飢えと病気がひろがり,不安定と混乱,絶望がうずまく」「日本をそうした状態に放置しておけば……日本が内外からの全体主義的煽動に影響されないという保証はない」「日本の非軍事化と経済復興とのあいだのどこに一線をひくかという微妙な問題は人の場合にもあらわれてくる。軍事的,工業的に日本の戦争機構をつくりあげ動かしたものたちは,産業界で成功した指導者であったこともしばしばだった。彼らは日本の経済復興にたいしても大きく貢献することになろう」「われわれのめざすところは日本に自分の足でたつことのできるデモクラシーをつくりあげることである。それは日本が十分自立できるような強力かつ安定したものであると同時に,今後極東で全体主義をひきおこすかも知れない戦争の脅威にたいする抑止力としても役立つものであるべきだ」。b 30~3
4)財界はその後ロイヤル演説が示唆したコースに日本を組みこむことに全力をあげたのであり,同時にそれをみずからの支配的立場を再建強化するよすがとした。日本は演説を契機として,東西冷戦の一方の旗頭であったアメリカ外交戦略の一翼にまきこまれていく。ロイヤル演説はトルーマン戦略に代表されるアメリカ支配層の世界戦略のアジア・日本版だった。b 33~4,41
5)48年3月「ストライク報告」(「アメリカに対する日本の工業賠償調査に関する報告」)。アメリカの戦略目標は「工業的に強力な日本」をつくること。それが「潜在的に強力な軍事国家」をつくりだす危険をはらんでいるとしても「日本を工業的に強力にすることのほうが東亜の平和と繁栄にとっては危険が少ないであろう」。b 50
6)48年5月「ジョンストン報告」(「日本と朝鮮の経済的地位とその見通し,その改善に必要な方策についての報告」)。1)日本に対しては外国資本の投資を可能にするための条件整備を要求する,2)アジア諸国に対しては日本の輸出を急増させることがアジア諸国の利益にもつながる,3)したがって日本賠償は大幅に緩和すべき。b 53
7)48年12月「経済安定化9原則」,これを直接指揮したのがジョセフ・ドッジ最高経済顧問(47~8年にはアメリカ銀行協会会長)。アメリカにとっては「工業的に強力な日本」をアジアにおける戦略拠点とすることが最優先課題であり,日本人の「生活水準」工場は日本人がアメリカの戦略方針をどこまで支持するかの度合いにかかっているとの立場。b 63~4
8)また「9原則」は日本に「単一為替レートの設定早期に実現させる途を開く」とした。ドルを中心とした国際通貨体制に日本を組み込む。均衡予算によるインフレの収束。アメリカが育成しようとする企業には融資(電力,造船,国鉄など)。b 65~8
9)49年4月ヘンリー・ノーエル(陸軍省顧問)石油調査団報告。「太平洋岸製油所を解放することは日本を基地とするアメリカ軍の石油供給を保証し,その意味で対共産戦略飢え重要である」。スタンダード,カルテックス,シェルなどの日本上陸。太平洋岸に石油コンビナート。・日本の大企業体制をささえる産業エネルギー基地,・アメリカ陸海空3軍とその補完部隊となっている自衛隊の補給基地。b 71~3
〔日本財界の従属的復活〕
1)支配的に地位に復活したとの財界の自負を示す出来事。51年1月25日。来日したジョン・F・ダレス国務省顧問に要望書「講和条約にたいする基本的要望書」(財界8団体連名)。財界が戦後日本の国家的進路にかかわる問題にづいて初めて公式に発言したもの。「日本として国土防衛に必要な最小限の防衛組織を樹立する用意がある」「右の防衛組織は日本側の完全に自主的な組織とする」「日米経済の交流発展のために,すみやかに日米経済協定を締結するともに,両国政府を代表する権限をもつ経済人で日米経済共同委員会を設置し,両国間に介在する広範な経済問題の解決にあたりたい」。提案そのものはアメリカ側に一蹴されたが,財界はすでに「政府を代表する権限をもつ経済人」としてふるまっていた。b 80~1
2)52年,講和条約発効の年。財界の復権を象徴するもう一つの出来事。戦前日本で三井,三菱,住友3大財閥の大番頭とよばれた最高幹部が,ときの吉田自由党内閣の「経済最高顧問」に就任。三井本社の向井忠晴相談役,三菱銀行の加藤武男会長,住友本社の古田俊之助総理事。「日本における最大の戦争潜在力」といわれた張本人の責任者たちが復活。b 81
3)日本財界の復活は占領期にアメリカの支配者たちがアジア極東戦略の一環として布石した大がかりな事業だった。それが財界復活の最大の動機。b 86
〔質問に答えて〕
さて,今回の質問は3つです。
1)高度経済成長期(とくに65~70年のいざなぎ景気のとき)における労働者の賃金上昇と国内需要の増大と好景気持続の関係について知りたい。
●今日の不況を念頭してのご質問ですね。高い生産力に対して消費が小さすぎるところから不況は生まれる。だから,日本の消費の最大勢力である個人消費を拡大せよ。こういう政策を今日かかげる以上,かつての好景気が本当に個人消費に支えられたのかを知りたい,というのは当然のことです。
●今日のテキストの内容も少しからめて簡単にお答えすると,急拡大する生産力を支えた当時の消費力は,1)設備投資(生産的消費),2)輸出,3)公共投資,4)国民の消費,であったろうと思います。高度成長期に労働者の賃金は上がります。しかし,それをはかるかに上回る勢いで生産力が上がります。それにもかかわらず,生産と消費のギャップは顕在化しませんでした。国民の消費の不足を補う,その他の消費が大きかったからです。その具体的な内容は,今日のテキストにも登場します。このように,戦後の日本経済を,いろいろな角度から,繰り返しながめていくのか,今回の講座の特徴となっています。
●さて,これを今日の日本の状況と比べてみましょう。1)国内の設備投資はかつてとちがって低迷しています。むしろ大資本は海外に出て行っている状態です。2)ITバブルの崩壊でたのみのアメリカ向け輸出も思うように伸びません。3)もちろん,無駄な公共投資にこれ以上の金をつかうわけにはいかない。となると,今日の不況打開においては,やはり国民による消費の役割がグッと大きくなってくるわけです。
●なお,輸出競争力の中心的な武器となった低賃金ですが,そこには途上国型人口構成から先進国型人口構成への過渡期に生ずる,大量の若年労働力の出現という日本独特の事情もありました。林先生が『現代の日本経済』で詳しく述べているところでもあります。
2)林先生のテキスト『日本経済をどう見るか』101ページ。金利が低下すると株価を押し上げる要因になるとありますが,良くわかりません。
●101ページは,配布したテキストの範囲ではありませんから,ご自分でより広く学ぼうとされているということですね。がんばってください。
●テキストでは,低金利が株価を押し上げるハズだったが,実際には上がらなかったと書いてあります。株価の変動には金利以外のいろいろな力が作用するからです。しかし,ここでその「ハズ」が期待されたのは,次のような理由でだろうと思います。低金利になれば,1)バブルの時に行なわれたように,銀行から借金をして株を買うことが簡単になる,2)預金しておいてももうからないので,その金が株を買うことに向かっていく。こういうことだろうと思います。
3)聞きもらしたのかも知れませんが,51ページの終わりから3行目「政府はなんという無謀なことをしたのであろうか!」とありますが,政府はなぜこの誤った政策をとったのでしょうか。
●重要なポイントですね。そして,これこそ今日のテキストが主に論ずる問題のひとつなのです。そこには,アメリカ政府からの低金利政策の要請という問題がありました。詳しくは講義のなかで,お話しましょう。
〔今日のスケジュール〕
これは,みなさんにとってのスケジュールというより,いつも時間どおりに講義がすすまない私にとってのタイム・テーブルです。ただし,なんでも機械的に時間どおりにやればいいというものでもありませんから,これは私なりの「もっともうまくいった場合」の想定ということになるでしょうか。
1)「補足」および「質問」に答えて(1時30分~2時)
2)テキストの解説(2時~2時30分,2時40分~3時)
○戦後の出発点における機械・原材料の輸入の必要。○外貨獲得を目的とし制約とした経済復興。○高度成長前半における対米依存経済の形成。
3)テキスト解説の後半(3時~3時30分,3時40分~4時)
○戦後アメリカの「ドル支配」体制。○ドルが基軸通貨であるアメリカの特権。○日本のドル依存とアメリカの対日経済支配。
4)補足(4時~4時30分)
○ブレトンウッズ体制の形成。○プラザ合意。
5)質問(4時40分~5時)……どうも,すでに,こううまくはいかない気がします。
2003年6月10日(火)
以下は,大学自治会の冊子「おちょぼぐち」に書いたものです。
この先どうなる? 景気と就職
イラク戦争とSARSは,今後の景気にどう影響し,私たちの就職事情にどういう影響を与えるのか。総合文化学科助教授の石川康宏先生に聞いてみました。(インタビューは5月2日)
<景気の行方について>
――景気が良くなる条件は見当たらない。消費不況,不良債権問題,財政危機の3つの病気が経済を蝕んでいる。根本は消費不況。巨大な生産力に消費力が追いつかず,販売の現場にモノやサービスが売れ残る,それが生産現場での生産の縮小につながり,リストラや中小企業の倒産を生んでいる。その結果,国民の消費力はますます萎縮し,これがさらに売れ残りを拡大する。この悪循環が10年以上も続いている。
――適切な経済政策が望まれている。しかし,短期間での不良債権処理を最優先する「構造改革」路線では,借金返済に苦しむ企業を見捨てて不況を深め,銀行も必要な融資先を失うばかり。これでは金融も産業もダメになる。その一方で無駄な大型公共事業による財政赤字は世界最大。埋め合わせに消費税増税がいわれている。日本の消費力の60%を占める個人消費をあたためる政策への転換が必要だと思う。
<イラク戦争の影響は>
――日本経済への影響でみれば,当面の問題はアメリカの戦費の肩代わり。1~2兆円程度といわれるが,年間の税収が45兆円しかなく,今年も36兆円の借金(国債発行)をしているこの国にとり,この金額はとても大きい。
――テロへの不安が高まることで,世界的な消費の減退が起こり得る。特にアメリカの消費縮小は,対米輸出に多くを頼る日本経済には重大問題。また,日本は先進国では数少ないイラク戦争「支持国」。当然,世界世論の風当たりは強い。それが今後の経済問題に現れる可能性もある。経済の安定という角度から見ても,平和尊重の外交が必要。
<SARSの影響は>
――打撃があるのはアジアがらみの観光業界。旅行会社や航空会社。ただし,海外旅行に予定された支出が国内で消費にまわるということがあり,この点では日本経済全体に大きなマイナスにはならない。ただ,問題が長期化すば,アジアに生産拠点をうつしている日本企業の経営から問題が吹き出る可能性はある。
<就職事情の見通しは>
――失業率が高く,求人が少ない。求職数に対する求人数の比率(有効求人倍率)は0.6と,バブル期の半分しかなく,就職が大変なのは間違いない。しかし,だからこそ「どんな仕事でもいい」という曖昧な気持ちでなく,「これがやりたい」という展望を見つけることが大切。それが就職活動の意欲を左右する。
――この大学の就職率は西日本の女子大で№1。ある雑誌が行った,就職先企業のブランドを考慮した「就職力」調査でも,全国675大学中25位。そういう実績を残した先輩たちの活力に学んで欲しい。私はこの社会でどういう役割を果たし,どういう仕事を分担するのか。その探求を大学で学ぶことの課題のひとつにすえてほしい。そしてよりマシな日本づくりに努力してほしい。道は自分でひらくもの。みんなに期待している。
2003年6月6日(金)
以下は,和歌山学習協で行う『資本論』講座に向けて書いた「講師のつぶやき№2」です。
〔和歌山『資本論』講座〕
講師のつぶやき(2)
2003年6月2日
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回の講座については,とてつもなくたくさんの「感想文」が提出されました。手元にとどいたものを,すべて,アトランダムに紹介しておきます。
《たくさんの感想から》
◆14年ぶり、大勢集まってよかったです。来月は予習してきます。◆非常に分かりやすい講義で大変良かったです。継続して出席できるよう努力していきたいです。◆いま、第2部の半ばを過ぎたところです。わけがわかんないままでもいいから、とにかく一度読了せなあかん、と思って、もう執念で読んでます。毎日読んでます。マルクスの「理解しようとする人には必ず理解できるんだ」という励ましだけを胸に頑張っています。少しの蓄積が大きくなったとき展望がひらける、という先生の話、元気が出ました。これからも復習と読破をめざし、がんばります。確かに、わかる部分も増えてきています。ありがとうございました。
◆結論を急ぐのではなく、途中の分析や論理の積み重ねが大事ということを聞き、まさに、今回の講座にとりくむ姿勢について励まされたような気がしました。資本論=難解。結論を急いではいけない。石川先生にがんばって、ついていくぞ!◆資本論第3部の「総過程」の意味、運動法則の2つの場合、経済学者の理論的見解の引用の意味、慣用する用語とマルクスの用語のちがい、第1巻の全体像(構成)、がよくわかった。上に上げた「よくわかったこと」、自分で読んでいてはわからなかったことです。初めての講義でしたが、ほんとうによくわかりました。12回楽しみです。
◆価値と使用価値の違いがよくわかった。抽象的人間労働といったものが、きわめてよくわかった。さらに、古典派経済学の問題(資本主義を前提としたなかでの経済学という点でわかったようなのだが…)歴史的に物事をみるということの大事さがよく見えたし、一方、まだそこのところの価値をわかりきれていない。石川先生のお話はきわめて具体的におりてくれるので、なんだか資本論のアウトラインがよく理解できそうだ。時間的に家で見るといった程度でしか読めない状況なので、期待がもてるし、受講して良かった。
◆マルクスがこの本を書いたころの時代背景や、どのようにして資本論が作られてきたかということがよくわかった。資本論はとっつきにくい大変難解な書物だとずっと思ってきたが、今回のこのような機会を与えていただき、勉強することができてうれしいです。ついていくのは大変ですが、できるだけがんばって続けていきたいと思います。◆よかったです。◆具体的な事例での講義でおもしろかった。(理解度は別です)。今後も楽しみにしています。
◆学習とは、よくわかったことをつみ重ねていくことだとよくわかった。◆資本論「あと書き」は、全くいままで読んでいなかったところなので、そういうところの意味がわかった。◆ヘーゲルの理論がわかった。フォエルバッハ論とか読んだ時に、なんとなくしかつかめてなかったので、ありがたかった。封建体制によろこばれた理由がわかった。ただ、神をおいてたのではなく、最初と最後をつくっていたところが、歓迎されたということがわかってよかった。 弁証法は、体制に打撃をあたえるということもわかった。むずかしい言葉を説明してくれたのがありがたかったです。復習しやすい。今まで、いろんなところで聞いた講義が頭の中で整理された気がします。
◆本文の重要なところを読みあげながら、それを要約してわかるように話して下さったので、そのところの内容、論理の構成がよくわかりました。また詳細なレジュメを読むと講義をほうふつ(彷彿)と思い出させてくれ、復習の際に非常に有効です。ありがとうございました。資本論の講座をもって頂き、ほんとうにうれしいです。話もよくわかりますので(わかりすぎて要約だけに頼ってしまいそう)とてもいいですね。石川講師のファイトにも圧倒されます。この講座の終わった後「資本論の読書会」というサークルなどつくって下されば(できれば)と思っています。
いいですね。「資本論の読書会」。ぜひみなさんでやってください。
◆少し遅れての参加でしたが、資本論の各序文をこれまでまじめに読んでいなかったので、大変興味深く聞かせていただきました。(とくにカウフマンからの引用)。経済1967年「資本論発行100年を記念して」に訳出された「カール・マルクスの経済学批判の見地」(カウフマン)を引っ張り出しましたので、事務局にお届けしましょう。他方、本文の冒頭については、時間の関係で走ってしまったのが残念です。30年前の吉井さんの資本論講座は、堀江正規先生が亡くなられた直後で、冒頭のセンテンスの「それゆえに」とはどういうことかをめぐって、堀江先生の受講生は二時間も論議させられたというお話を聞かせてもらったのが印象的です。「それゆえに」はどうでもいいことですが、「商品」の章は、受講者のみなさんは、全行解説でお願いしたいという思いがあったと思います。
カウフマンはあれだけ見事に『資本論』の方法を要約することができたのに,それにもかかわらず経済学の業績としては,これといったものがありません。不思議なものですね。
後にマルクスは,カウフマンから届いた本について次のような感想を書いています。「カウフマン氏は親切にも,彼の著書『銀行業の理論と実際』を送ってくれましたが,私がちょっと驚いたことは,ペテルブルクの『ヴェストニク・エヴロープィ』におけるかつての私の聡明な批評家が,現代の取引所詐欺の一種のピンダロス〔古代ギリシャの叙情詩人,ここでは礼讃者の意味〕に転化しているということでした」(マルクスからダニエリソーンへの手紙,1879年4月10日,全集34巻,301ページ)。〔カッコ〕の中は不破さんの解説によっています(『エンゲルスと「資本論」』下,133~4ページ)。
雑誌『経済』の翻訳は私にとってもなつかしいものです。『資本論』の講義を初めたころに,読み返してみました。
ご希望の全行解説は,無理ですね。第1部を12回でというペースでは,これは絶対に無理です。ただ,価値論というのは,『資本論』の第1章にしか出て来ないという問題ではありません。むしろ価値論は,それから先の『資本論』の全展開につらぬいていくものですから,先々,なんども立ち返ることになります。
マルクスは『資本論』の方法を「発生論的展開」と特徴づけていますが,そのように「抽象から具体へ」という道をたどる論理の展開は,「前進が後退である」,つまり先へ進むことによって,前に書いてあったことの意味がわかるようになるという特徴があります。
「木を見て森を見ず」ではなく,「木を見ると同時に森を見る」ことがベストであることはまちがいありませんが,この講座では「木々をすばやく眺めて,森の概要を大きく見つめる」ということになるでしょうか。
ジックリ読みは「資本論の読書会」で挑戦してみてください。
《いくつかの注文》
さて,今後にむけて,いくつかの注文もありました。
◆後の方の席だったので、前の白板の字が見えにくくて困りました。もう少し、太めの黒いペンを使っていただきたいと思います。◆用語の説明が非常に分かり易く、論旨も明確で講義内容が全体としてまとまって理解することができました。資本論の学習についての意欲をかき立ててくれた素晴らしいレクチュアーでした。ひき続きよろしくお願いします。むずかしいことかも知れませんが、終了の時刻を守っていただきたいです。よろしくお願いします。
ホワイト・ボードの活用と終わりの時間ですね。終わりの時間については,まったくその通りです。私自身も時間どおりに帰りたいと思っています。時間を守るように努力します。
ホワイト・ボードについては,前回,大阪に帰る途中で「多分,後ろは見えなかったなあ」と思いつきました。大学では受講生が70~80人もいれば,大きな黒板に大きく書くのです。しかも,ホワイト・ボードは光って見づらいという問題もありますよね。
あの大きさだとどんな具合に書いても後ろには見えないかも知れません。したがって,基本的には「つかわない」というにしたいと思います。
勉強のやり方にかんする質問か込められたものもありました。
◆なぜ、今「資本論」を読むことが大事なのかがわかったことです。「現代」をとらえる最新の理論をつかむために学ぶんだということがわかって、よりがんばって学ぼうと思いました。「資本論」の全体像もよくわかりました。よくわからなかったことは、講義を聞きながら、どう頭の中を整理すればいいか?ということです。スピードがはやいということもありますが、やっぱり予習・復習が大事だし、自分なりの問題意義をもって講義を聞かないといけないなと思いました。予習が十分できていなかったので、今回講義を受けた後、短時間で質問を考えるのはむずかしいです。復習もして、質問できるようにしたいと思います。かみくだいて説明してくれたので、わかりやすかったです。でも、少し考えごとをしてるとどんどんおいていかれそうになるので、次にやる部分は最低でも読んでから講義にのぞみたいと思います。いくつかの「序文」のなかで、「資本論」が書かれた背景とか言いたいことが書いてあるのがわかって、マルクスやエンゲルスという人物が少し身近に感じられました。これから、がんばって本を読み進める力を今日はもらったと思います。
「わかる/わからない」については「ふたつにひとつ」という機械的な割り切りをしないことが大切です。「ぜんぜんわからない」から「完全にわかる」までのあいだには,いろいろな「わかる」や「わからない」がならんでいるものです。その,いろいろの階段を1つずつあがっていくのが勉強ですから,「わかる/わからない」については,いつでも,どんな人にも「その人なりにわかる」ことがあり,「その人なりにわからない」ところもある。そういう具合にとらえてください。
初めての土地に行ったときには,一回,歩いたくらいでは何もわかりませんよね。でも,何度も歩けば,だんだんわかるところが増えてきます。そういう経験がみなさんにもありますよね。この場合にも「わかる」ことには個人差がありますが,勉強が「わかる」というのもそんな具合に,いろいろなわかり方があるものです。
予習で1回,講義で2回,復習で3回と,そのように『資本論』という土地を,何度も歩くことができれば,もちろんそれだけ理解は深まります。でも,1回歩いたというだけでも,それなりに記憶には残るところがあり,それが,いつかまた歩いたときには,あたまに浮かんできますよね。「全然わからなかった」という思いが,その時に残っても,でも,それでも「次回」には何かが,役にたつものです。
「どう頭の中を整理すればいいか?」。「整理」のついたことだけを本に書き込んでいけばいいのです。「整理」がつかなければ,わからないままに書き込んでおくか,あるいは,「次回」わかればいいから「忘れよう」とアッサリ捨てておくことです。
むずかしいものを学ぶには「わからないことに悩むのではなく,わかることを積み重ねる」という,徹底的にネアカの精神が,絶対に必要です。その構えでいきましょう。
《最近の読書から》
最近,古代史にかんする本を,電車の中などで,良くよんでいます。コーサンビー『インド古代史』(岩波書店),太田秀通『ミケーネ社会崩壊期の研究』(岩波書店),太田秀通『インカ帝国』(岩波新書)といった具合です。いまは『スパルタとアテネ』というタイトルのものを読んでおり,今後,中国やマヤ文明などにも進む計画です。
こういったものを読むようになったきっかけは,不破哲三『科学的社会主義を学ぶ』にありました。不破さんは,そこで人類歴史の大きな発展段階を,原始共産制,古代奴隷制,中世封建制,近代資本制と,大雑把にまとめたマルクスの研究を紹介しながら,しかし,奴隷制については,マルクスが念頭においたギリシアやローマの「古典古代」奴隷制ではなく,むしろマルクスが「総体的奴隷制」とよんだ(不破さんは「まるごと奴隷制」とわかりやすく述べていますが)タイプの奴隷制こそが,奴隷制社会の一般的なタイプだったのではないかと問題提起をしています。
それで,そういう問題提起は,なにせ不破さんですから,もちろんアタマの中だけでの「思いつき」であるハズはありません。どういう歴史学の発展を土台において,そういう問題提起がされているのだろうかと,あらためて不破さんの研究をふりかえってみたわけです。すると,それは『「家族,私有財産および国家の起源」入門』(83年)の中にありました。マルクス,エンゲルス以後の歴史発掘の新しい前進がそこで概括され,早くもそこで,まったく同じ問題提起がされていました。いまから20年も前のことです。
今回,あらためてそのことの気づかされ,それで,そこで不破さんが引用している文献のいくつかを自分でも確かめてみようと思ったわけです。
それにしても,私は『「起源」入門』を何度も眺めてきました。ちゃんと線を引いて,書き込みもしながら読んできました。それにもかかわらず,この肝心な問題がアタマに入っていないのですね。やはり学習には繰り返しが必要なんですね。そして,問題意識をもって読むから見えて来るものが,やはり確かにあるわけです。こちらに読む力がなければ,書かれていることも読めていないというわけです。
〔質問にこたえて〕
1)原ページ(27)の3行前"人口法則が……"の所の"人口法則"について「人口の増減……」を説明されたように思いますが、ここはペテルブルクの『ヴェーストニク・エヴロープィ』の一論文を石川講師が要約された(7)の項目"歴史上のそれぞれの時代が、それぞれの独自の諸法則をもっている"として経済生活は発展史的展開をする生物学に似ている…と述べた後に、"人口法則"について述べているので、"人口法則"は唯単に人口の増減という素朴な例証としてあげているように思えません。マルサスの言う"人口法則"(幾何学級数的増加)も歴史的条件によって変化があるにしても"独自の諸法則"といえるものではないと思います。"人口法則"とは"人口"(単に人口の増減ではなく、もっと別な社会学概念として)の"法則"と考えてみることができないのでしょうか。
●ご指摘の箇所は,人口法則についても,歴史の発展段階に応じて異なった法則があるのだと,カウフマンがマルクスの主張を要約してみせたところですね。人口法則というのは,大雑把にいうと,その社会における「人口の構成・大きさおよびその変動を決定している法則」のことです(『社会科学総合辞典』より)。私が講義で述べた,人口の増減というのはここにいう「変動」のことですね。
●それで,ご指摘のマルサスは自らの「人口法則」を人間社会のあらゆる段階に共通の永遠の法則ととらえました。マルサスは資本主義における大量の失業者や貧困者を見て,それは食糧の生産が「算術級数」(1・2・3・4・・・)的にしか増大しないのに,人口は「幾何級数」(1・2・4・8・・・・・)的に増大する。したがって,労働者の貧困や堕落は避けられず,それはあらゆる人間社会において避けることのできないものだと主張したのです。
●それに対して,マルクスは,資本主義的な人口法則は,資本主義的蓄積の一般法則から導かれる,つまり資本主義には独特の人口法則があるのだと指摘しています。それをマルクスは「相対的過剰人口」の形成の問題として論じました。これは『資本論』第1部の第7篇で,特に議論される問題ですから,ここでは簡単に関連箇所を示すだけにしておきます。
●「・・・労働者人口は,それ自身によって生み出される資本の蓄積につれて,それ自身の相対的過剰化の手段をますます大規模に生み出す。これこそか,資本主義的生産様式に固有な人口法則であって,実際に歴史上の特殊な生産様式は,いずれも,その特殊な,歴史的に打倒な人口法則をもっているのである。抽象的な人口法則というものは,人間が歴史的に介入しない限りにおいて,動植物にとってのみ実存する」(『資本論』第1部,原660ページ)。
2)お聞きしたいのは、労働価値説の根拠づけです。以下、すこし述べてみます。労働価値説は、マルクス経済学の根本である。それゆえに、あらゆる批判にも耐えられるように論理構築しなければならないと思う。ところで、私が資本論を読み始めた40年近く前から、ちらちらと頭に去来する疑問がある。①、諸商品の交換関係を明白に特徴づけるものは、まさに使用価値の捨象である(このことに異論はない)。②、諸商品体の使用価値を度外視すれば、諸商品体にまだ残っているのは、ひとつの属性、すなわち労働生産物という属性だけである(ここで「まてよ」と立ち止まりたくなる)。
私なりに言い換えてみると,・使用価値はその幾何学的・物理学的・化学的その他の自然的属性からなる。・その使用価値(自然的属性)を捨象したところに残るのは、社会的属性のみである(ここまでは異論はない)。③、私の疑問は「商品の持つ社会的属性とは「労働生産物であること」のひとつだと即断していいのだろうか、」という点にある。
④、商品は、「なにものかに所有されている」ということは、商品の「社会的属性」と言えないのか。⑤、「そんなことを言っても、『何者かに所有されている』ということから、その量的比較などできないから価値尺度にはなりえない」という反論は、私にもできる。⑥、しかしながら、最初に捨て去った「使用価値」をもとに価値論を展開する「限界効用学説」もある。「商品の占有価値説」というものが出てきてもおかしくない。そこで質問です。
1)②の部分は、少し説明不足ではないだろうか。マルクスはここで、「社会的属性」として考えられるものをいくつかあげて,・労働生産物であること,・だれかに占有されていること,・(ほかに何かあるかな),その上で、「労働生産物であること」のみが、価値の本質になると論理を展開したほうが、よりベターだったと思うのです。
2、私が「商品の占有価値説」と勝手に名づけた「価値説」をとるブルジョア経済学はないのだろうか。
●ご自分のアタマで良く考えられていますね。そういう「食いつき」の精神は学習においては非常に大切です。御質問の後の方からいきます。ブルジョア経済学の価値理論ですね。「占有価値説」といったものは,名称がそれとちがうものであったとしても,少なくとも,私は聞いたことがありません。ブルジョア経済学は,ものごとを「量」の問題としてのみとらえて,「質」の問題としてはとらえないことが多いのですが,「占有価値説」の場合には,質問者がご自身で「その量的比較などできないから価値尺度にはなりえない」と述べておられるように,「量」を問題にすることができません。したがって,ブルジョア経済学からは,そこへの着目という視点は生れてきづらいものと思います。
●ブルジョア経済学の価値説(論)の代表といえば,ご質問にあるように「(限界)効用価値説」です。『社会科学総合辞典』には「限界効用説」の項目で解説されています。これは『資本論』第1部が出版された後の「学説」であって,マルクスは本格的には論じていません。しかし,マルクスにとってはおそらく決着済の問題だったと思います。この「学説」は「商品の価値は消費者が新たにその商品の1単位を消費する場合に主観的にもつ欲望充足の程度により決定される」とします。文章はむずかしいですが,ようするに,これは価値を「欲望充足」によってはかる,マルクスのいう「使用価値」によってはかるという主張にすぎないからです。
●前回の講義でも,ドンドン性能の良くなるパソコンが長期的には価格を下げているという事実を指摘しました。つまり「使用価値」は上昇するのに,つまり,それを利用する人間の「欲望充足」は肥大化するのに,価格は下がっているという事実を指摘しました。これは何もパソコンに限りません。あらゆる商品が基本的には同じ歴史をたどります。そして,それは,この「効用価値説」への批判として紹介したものでした。
●なお,「効用価値説」は1870年代以後の「学説」ですが,それが「大恐慌」をきっかけに,ブルジョア経済学の主流の地位を失ってから,その後のブルジョア経済学は,価値論の展開そのものを放棄します。そのような原理的な把握そのものを放棄してしまうのです。だから,たとえば今日の「構造改革」を合理化する「新自由主義の経済学」には価値論がありません。というよりも,そもそも体系だった経済学がありません。「市場の万能」がいわれるだけで,その市場のなかで,なぜアンパン1ケが100円に落ち着くのかについては,解明の対象にもなっていません。
●さて,話をすすめて,価値の実体をえぐりだすマルクスの手続きの問題です。ご質問は「なにものかに所有されている」ということも商品の「社会的属性」でありうるのではないか,ということです。商品が,いずれも所有者をもっていることはまちがいのない事実です。実際,『資本論』でも,第2章「交換過程」に入ると,所有者が登場します。しかし,第1章第1節が問題にしているのは,商品価値の実体です。それは商品に内在している実体です。となると,問題は「なにものかに所有されている」という事実は,商品にどのような内在をもたらしているかです。先にも引いたように質問者は「量的比較などできない」といわれていますが,それは,そこに「量」を問題にすることのできる「質」がないからではないでしょうか。「なんらかの質」があれば,その「質をはかる量」が問題になりますが,「量的比較」ができないのは,そもそも,その「質」が商品に内在していないからではないでしょうか。
●このように考えるみると,マルクスはここで,商品の内部に,価値の実体を探りに行くことをしているのですから,そこに内在しない「所有者」の存在にふれないことは,むしろ当然のことであるように思えます。いかがでしょうか。
●また,ちょっと観点を変えて,こういうことを考えてみることも参考になるかも知れません。それは,理論の生命力はあくまで現実世界を解明する力ではかられるという問題です。現実の解明に役に立たない「理論」は,どんなにきれいな言葉で書かれていても,理論としては何の重みもちません。さて,「占有価値説」は,資本主義における商品交換や,商品の価値のいったい何を,新たに解明することができるでしょう。そのように『資本論』を読むときには,あくまで現実の資本主義のどこを分析しているのかを,自分で問い返しながら読むということが大切だと思います。ここでの回答は十分かみあったものになっているでしょうか。疑問が残った場合には,また質問してください。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問に答えて」(~2時)
・「意欲」「感激」を,あとでつかえるように形に残すこと。書き込み。線引き。ペンを話さない根性。
・「わかる/わからない」について。「わかる」ことの粒を集める。アタマを鍛える。継続は力なり。
・ホワイト・ボード。基本的につかわない。終わりの時間は守る。
・「質問に答えて」。
2)「第1章・商品」に学ぶ(~3時30分)
・第2節「商品に表わされる労働の二重性格」・・・具体的有用労働,抽象的人間労働。需要と供給,社会的な労働の配置を価値法則が調整している。単純労働と複雑労働。人間の労働。生産力と使用価値。
・第3節「価値形態または交換価値」・・・貨幣と商品世界から。アリストテレスの天才と限界。
・第4節「商品の物神的性格とその秘密」・・・生産物が人を支配する。ロビンソン,中世,原始,未来。歴史が見られない古典派の限界。「アジア的生産様式」について。
・第1節は古典派の継承・発展。第2~4節はマルクス独自の開拓。
3)「第2章・交換過程」に学ぶ(~4時30分)
・人の歴史のなかでの交換と価値形態の発展。商品所有者の思考と行動。エンゲルスが『起源』に活用。
4)「第3章・貨幣または商品流通」に学ぶ(できることなら)
・3つの節の組み立て。1節・価値のモノサシ,交換過程に入らない。2節・市場での実際の活動。3節・流通から離れた独自の役割。
・第1節「価値の尺度」・・・はかるだけなら現金はいらない。モノサシの目盛り(度量基準)。金銀複本位制。価値からずれる価格の意義。
・第2節「流通手段」・・・a)物々交換と商品流通の違い。商品の「命がけの飛躍」。商品交換から商品流通へ。恐慌の最初の可能性が生れる。恐慌の「可能性」と「原因」は違う。b)貨幣から見た商品流通。必要な貨幣総額。c)金の象徴としての鋳貨。紙幣による置き換え。紙幣発行量に関する法則。
・第3節「貨幣」・・・歴史上初めての「蓄積のための蓄積」。債権と債務(恐慌の可能性の第二形態)。世界貨幣は金や銀。
・その後の世界の通貨制度(金本位制〔兌換制〕,不換制,ドル基軸での金本位制,ドル・ショック,変動相場制)。
5)市場経済と社会主義(まあ,これは確実に次回でしょうね)
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