2003年10月27日(月)……京都学習協のみなさんへ。
以下は,10月15日に作成した京都学習協「現代経済学講座」の配布物です。
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第2回京都現代経済学講座
講師のつぶやき・質問に答えて№6
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
[講師のつぶやき]
9月から10月にかけて,ホームページの引っ越し作業をしていたのですが,なかなかうまくいきませんでした。結局,業者の方に家まできてもらい,3時間近くも奮闘してもらって,ようやくどうにかなりました。専門家が3時間もかかるのでは,こちらにまったくのお手上げであったのも,仕方なしといったところです。
新しいURL(ホームページの住所)は上のようです。古いものは,もう更新されていません。そして,近いうちに消滅します。
さて,小泉「構造改革」を批判する本を,数人の仲間(先輩)と準備しています。3人の学者がそれぞれの立場から報告し,これを司会者をまじえて討論していくという形を考えています。歯ごたえはあるが,形式としては読みやすいものをということです。政治・経済・イデオロギーという3つの角度からの探求になりますから,いままでにはない本になります。来年春には出版の予定です(うまくいけば)。
それにむけた下準備のための会合を,先日,神戸で行いました。ギュッとまずはしっかり議論をつめて,あらかたの方向が明らかになったところで,今度はグイッと酒を飲んで交流するという,いつものようなやり方です。
そこでの議論をつうじて,私なりに,「これは報告づくりへむけての宿題だな」と受け取ったことがいくつかありました。
その1つは,アメリカの対外経済戦略をもうすこし体系的に学んでおくことです。とくに,対アジア戦略をしっかり勉強すること。もちろん,その中の日本との関係については,この講座をつうじて学んでいることを大いに土台として,いかしたいと思っています。
もうひとつは,これについては,まだ何をどう学ぶのがいいかわからないままなのですが,アジアにおいてアメリカ等の帝国主義的支配に抵抗する力がどのようにして形成されてきたのかという問題です。1975年に終わったベトナム戦争では,アメリカとベトナムが闘っただけでなく,多くのアジアの軍隊がアメリカの同盟国という立場でベトナムと闘いました。
この「アジア人同士の闘い」の経験を,いかにしてアジアの国々は乗り越え,今日のような「連帯の思想」を育ててきたのか。そこをおさえる必要があると思うのです。アジアの経済的連携を考えるときにも,これは重要な問題ではないかと思っています。
そして,最後に,もうひとつやっておきたいことは,竹中平蔵氏の著作の見直しです。以前に『経済』に竹中批判の論文を書いたときには,意識的に国際関係をはぶいていました。自分のなかで,まだ実際の国際関係の動きに対する理解が非常に浅く,竹中氏の国際関係にかんする発言をしっかりと批判するには力が不足していると思っていたからです。
そのやり残しの仕事に,今回は挑戦してみたいと思うのです。さっそく,あらためて竹中氏の本の目次をながめてみましたが,やはりアジア経済への評価についてかなりのページがさかれています。また,日米関係にかかわっては「構造調整がなぜ必要か」といった表題の項目もたてられています。
これは,政府の経済運営の中心にある人物が,どのような日米関係,どのようなアジア各国とのかかわりを望んでいるかを知る意味で,なかなか大切な作業になるのではないかと思っています。
本づくりのための「報告と討論」の会は,年末を予定しています。
そこまでに,できるだけのことをやりたいと思っていますし,その一部は,少々断片的になるかもしれませんが,私のホームページにも掲載していきたいと思っています。
また,時間との追いかけっこのはじまりです。では,「質問に答えて」に進みます。質問は,一部,文章を書き換えてあります。ご了承ください。
[質問にこたえて]
質問1 公共事業で京都の高速道路について。(京都の道はゆっくり通ってもらってこそ、観光の町として成り立つのに)。道路は軍事目的なのかな?(京都のお商売に関係なさそうだからといって、少々飛躍しすぎでしょうか。)
●どうでしょう。直接に自衛隊や米軍がつかうということに結びついた話は聞いていません。そうであれば,やはり建設業者と政治の癒着によって,必要もないものをつくり,建設業者がもうかるというオーソドックスな建設であるように思います。もっとも,それが「無駄と環境破壊」さらには「京都の景観破壊」「財政悪化」につながることは,まちがいありませんが。
質問2 ウタリ協会30周年(?)の記事で、「小学校時代の思い出」として「小5のとき、隣席の子が先生に質問。”アイヌを殺しても殺人というのかどうか”と」語られた。この記事を見て以来、”差別”というのは生命に関わることをさして言うのだと思っています。心のヒダの問題ではなくて。いかがですか。
●たんに気のもちようではないというのは,そのとおりだと思います。しかし,他方で「生命に関わること」に限定してしまうのは,せまくなりすぎる気がします。白人と黒人で皮膚の色に違いがあるのは事実です。それを認めることは,それ自体で差別になるわけではありません。日本人と朝鮮人を区別することも,それだけで差別になるわけではありません。問題は,そのなにかの区別を利用して,人の権利に差をつけることではないかと思います。
●黒人だから,このプールに入ってはいけない。朝鮮人だから,日本人よりえらそうにしてはいけない。女だから,会社で出世させるわけにはいかない……。人種差別,民族差別,性差別。いずれも,人種・民族・性の相違を,そのひとたちの人間としての権利の大小(格差)に結びつけるところに,差別ということの本質的な意味があるように思います。すべての人間が共通で平等な基本的人権をもっている。そのことを否定し,人と人とのあいだに人権の格差をつける。それが差別といえるのではないでしょうか。殺す,暴力をふるう,いやがらせをする……いずれもあってはならないことですが,それらは差別の具体的な行為,あらわれとして整理できるように思います。いかがでしょうか。
質問3 最近イラクとかのことで「内政不干渉」と、思っていました。日本について「内政干渉やめてよ!」と、アメリカに言うことが、日程にのぼってきているのですね。違うかな
●イラクに対する占領支配は,もう内政干渉といった言葉で表現しきれるものではありませんね。イラク占領は「内政」そのものを軍事力で破壊してしまい,自分たちに都合の良い「内政」を一からつくろうというわけですから。これはもうかつての植民地づくりと何もかわりません。
●また,アメリカを中心としたこの「新しい植民地主義」が国際的に孤立するなかで,アメリカは日本の「応援」を強く求めています。そこで,自衛隊のイラク派兵や巨額の資金提供を求めて,わざわざブッシュ大統領が日本にやってくるということにもなっているわけです。おっしゃるとおり,「アメリカいいなり」の日本から,「アメリカと対等な関係をもつ」日本に転換すること。つまり本当の意味で独立することが,日本の平和のために実に切実な課題になっています。この講座で学んでいるように,日本の経済のためにも,それは不可欠です。「アメリカの内政干渉をゆるさない」「そのためにも日米安保条約を廃棄する」。この姿勢をはっきりさせることが必要であり,これをまわりのひとたちとも真剣に話し合うことが必要になっていると思います。
[今日のスケジュール]
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(1時半~2時)
2)テキスト「90年代不況と現代資本主義」の解説(~2時20分、2時30分~3時20分,3時30分~4時20分)
「過剰生産」 ○異常な資本蓄積優先型政策 ○アメリカによる「近隣窮乏化政策」
「金融危機」 ○バブル経済と不良債権問題 ○アメリカからの円高・低金利圧力
「日米不均衡」○不均衡の原因 ○日米摩擦の対米従属的調整 ○95年円高修正の背後にあるもの ○不良債権処理の圧力
「補論・日米不均衡」
3)質疑(4時30分~5時)
2003年10月18日(土)……兵庫の労働組合のみなさんへ。
以下は,10月11日に作成した兵庫労働総研発行の2004年版『国民春闘白書』掲載予定のミニ原稿です。
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〔兵庫労働総研・『国民春闘白書』原稿・3842字〕
「労働者の学習運動と労働運動」――自発的に学ぶ気風をいかに広めるか
1・学びの深まりなしに未来はない
労働運動のいっそうの発展を考えるとき,「数は力」ということはとても大切な観点です。しかし,これは運動の力を組合の組織率や運動家の人数といった数(量)の問題だけに解消するということではありません。当然のことですが,そこで力をあわせる個人の力量(質)によって,運動全体の「力」は大きく左右されるのであり,労働者や労働組合員のそれぞれが,いかに豊かな力量をもっているかは,労働運動にとってつねに重大な関心事であらねばなりません。その力量の形成が,たたかいの経験と粘り強い学習の両輪を不可欠とする以上,学習は労働運動にとっての最重要課題の1つです。
激動する情勢のなかで,政策・方針と理論の新しい展開があいつぐ今日,学習を軽視する運動に明るい未来はありえません。これを読まれているすべてのみなさんに,先ずは,こうした観点からの組織活動と個人の生活の再点検を,よびかけたいと思います。
2・ いかにして独習の気風を広めるか
さて,学習の基本の方法は,なんといっても独習です。独習とは,個々人が,毎日自分で学ぶということです。学習の強化をめざす労働運動は,この自発的に学ぶ個人をいかに増やし,そのより大きな成長をいかに支援するかということに眼目をおかねばなりません。つまり,学習・教育活動とは学習会を開き,それへの出席者の拡大を求める運動であるといった理解では,ダメなのです。
かりに組合が毎月1回2時間の学習会を苦労して組織し,これへの組合員の全員参加が1年間続いたとしても,それで1人1人の組合員が獲得する学習時間は年にわずか24時間です。それは1年365日のたった1日分でしかありません。こうしたわずかな学習時間で,世界の平和から,日本の政治や経済,労働組合の理論,女性の地位向上,社会の道義的頽廃,各政党の基本政策,資本主義社会の仕組み……これらのどれもが良くわかるということは,決してありえないことです。
それに対して,1日30分の学習を全組合員のあいだに定着させることができるなら,24時間の学習時間は48日で達成されます。1年での総学習時間は182時間30分となり,5時間で1冊の本が読めるとすれば,1年間に読み終える本は36.5冊となります。眠い目をこすって聞いている24時間の学習会への参加と,自分の目や手を動かしての182時間半の独習がもたらす知的充実の違いは,あまりにも明白ではないでしょうか。
3・あちこちの学習会で耳にすること
学習会の講師を依頼されるときに,学習担当の幹部からよくいわれることは「元気の出る話しをしてください」ということです。この激動のまっただなかにいながら「元気が出ない」というのは,明らかに勉強が不足しており,そのために日本と世界の大きな変化の流れが見えていないということです。社会の変化の方向が見えず,その変化を促進するたたかいの意義が見えない。だから,運動への意欲が薄れてしまっているわけです。そうであれば,それは本来,単発の学習会によってしのげるようなものではありません。本腰をいれた独習強化の取り組みによってしか解決しえない問題です。今,そこを直視することがどうしても必要です。
また,さらに深刻だと思うのは,若い運動家から「何をどうやって学べばいいか」という質問が出てくることです。学ぶ意欲があるのはたのもしいことですが,反面,これは学習の方法や学習すべき文献など,これらについての指導が先輩運動家によってできなくなっているという現実のあらわれでもあります。体験的にいえば,その大きな理由のひとつは,ベテランの運動家に「オレも若いころは学んだ」と「過去の遺産」に頼るだけで,いまこの瞬間につぎつぎと生まれる新しい政策・理論についていけなくなっている人が少なくないということです。だから,若い人たちが求める現実と理論の「現代」にかかわる助言がしづらくなっているのです。これでは,せっかくの若い人材の育ちを励ますこともできません。
4・階級闘争の3つの分野を立体的に組み立てて
19世紀ドイツの理論家であり,革命家であったエンゲルスは,ときの政治権力に対するドイツ労働運動の前進を分析しながら,その秘密は階級闘争の3つの側面での調和のとれた前進にあると述べました。3つの側面とは,経済闘争・政治闘争・理論闘争のことです。「元気がでない」という人は,往々にして,このたたかいの全体ではなく,みずから視野をせばめて,経済闘争だけを見つめています。「春闘でなかなか勝てない」「リストラがなかなか止められない」「だからダメだ」というわけです。
しかし,理論の分野をみれば,政府は「痛みに耐えよ」というだけです。私たちは「痛みを拡大するその政治を転換し,個人消費の激励を起点として景気回復へと向かう道」をすでに示しています。政治の分野では,90年代の自民党の長期低落を一時的にカバーしてきた小泉人気が,国民の実質的な支持を急速に失いつつあるのが現状です。だからこそ,サービス残業とのたたかいなど経済分野でしっかり闘いながら,優位にある理論分野の成果を深く身につけ,これを選挙をはじめとした政治の分野で大いに展開するという,たたかいの立体的な組み立てが導き出されているわけです。この総合的なたたかいによってこそ,経済闘争にも新しい前進の可能性がひらけてきます。日本社会における階級闘争の現局面もまた,理論分野での闘いの成果を労働者1人1人が深く身につける,その学習の抜本的な前進を強く求めているのです。
5・学ぶ運動の新しい高揚に期待して
最後に,学ぶ運動を強める方法に,少しふれておきます。1つは,どのような課題へのとりくみにおいても,その一環として必ず「これを学んで力にしよう」と,本や論文を指定して,独習を呼びかけつづけることです。この文献を指定するということが大切です。そのためには,まず幹部がそれを探し,学ばねばなりません。組合のホームページやニュースには,指定された本や論文の紹介とともに,それに挑戦し,読み終えた仲間の姿がつねにいきいきと描かれていることが必要です。会議の議題に「最近読んだ本」をお互いが語り合うことをすえるなどは今すぐにも実行できることです。集団学習も独習とのむすびつきを意識して,計画される必要があります。たとえば大きな学習会には,時々の運動課題についての理解を一挙に深め,あたらしい課題に運動の力点を移すといった大切な役割があります。しかし,そこでも,主催者側には「事前学習にはこの本を」「事前に質問を寄せて」「さらにすすんだ学習にはこれを」といった,独習の推進とむすんだ具体的な行動提起が求められます。また参加する個人の側にも,学習会を,日頃の独習の成果を試し,あらたな課題を見つける場として位置づける,そういう姿勢が必要です。
もう1つ決定的に大切なことは,「時間がないから学べない」といった各種の「いいわけ」論,学習軽視の風潮と徹底的にたたかい,これを断固として払拭していくという組織全体の構えです。最近は「大人の勉強」にかんする本がブームですが,そのどれを開いても必ずこういう言葉が書かれています。「時間はつくるものだ」「忙しいという人間にかぎって時間の管理ができていない」。この構えのレベルで腰が引けては,よく学ぶ労働運動は決してつくれません。学ぶ習慣と気風をつくる決意を形にして示すためには,兵庫県学習協の長期の講座に幹部が「集団」で参加するのもいい方法でしょう。
2004年春闘が,集中した政治・経済の闘いとして成功すると同時に,学習運動の新たな高まりに向けた歴史的な一歩となることを心より期待しています。(石川康宏)
《参考文献》
1. 高田求『学習の方法』(学習の友社,1977年)……読みやすい名著です。
2. 和田秀樹『大人のための勉強法・パワーアップ編』(PHP新書,2001年)……必要なところを飛ばし読みしてください。
3. 『月刊・全労連』2002年8月号……「労働者教育とナショナルセンター・全労連」の特集です。
4. 不破哲三『21世紀はどんな時代になるか』(新日本出版社,2002年)……とりあえずはここから独習へ。
※本屋になければ注文する。それでもなければ先輩に借りる。毎月1万円は本を買う。
2003年10月14日(水)……和歌山学習協の『資本論』講座のみなさんへ。
以下は,10月4日の『資本論』講座に配布したレジュメです。
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〔2003年度・和歌山『資本論』講座〕
講師のつぶやき/質問と答え(第6回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
〔講師のつぶやき〕
どうにも総選挙の気配がこくなってきましたね。
日本の経済と社会の荒廃をすすめる「自民党」内閣をこのまま継続させるわけにはいきません。あわせて,その「自民党」政治に国民本位の対案を示すことのできない「新・民主党」にも期待はかけられません。
中身のないマスコミの誘導などに負けず,いまの政治・経済・本当の改革の展望などを,しっかりと自分のことばで話す力が求められます。
半年間『資本論』を学んできたその力を,大いに選挙に発揮してください。
また,共産党の綱領改定案の提起は,理論的にもきわめて大胆で,刺激的ですね。
私など,「帝国主義概念」の問題を今日の世界情勢の到達的に照らして発展させるあたり,自分の創造性のなさを指摘された思いがしました。
社会主義・共産主義論については,不破哲三「『ゴータ綱領批判』の読み方」(『前衛』2003年10月号)を,ぜひ読んでください。
マルクスが未来社会を2段階にわけたという「国際的定説」の誤りが指摘され,その誤りの出発点がレーニンにあり,またそれがレーニンによる社会主義建設の方針に大きな影響をあたえ,スターリン以後は抑圧社会の「正当化」の道具として活用される。
私には,この「定説」が歴史のなかで果たした役割の解明が,とりわけ重く受け止められました。
さて,今回は,自分の理解を自分で確かめるような,自らの質問を自ら解決する風の「質問」が多く,私がこたえるべきものはほとんどありませんでした。
次のような「自己解決」型の感想が多かったようです。
◆労働力の搾取率、m/vの意味がはじめてわかりました。イギリスの資本家と労働者のたたかい、資本主義の発展がよくわかりました。イギリスの資本主義社会の発展と、それにともなう労働者階級VS資本家階級のたたかい。それによって労働者の権利をかちとってきたこと。が、社会は人々のたたかいによって発展していけるんだ、政府を動かすことができるんだとわかりました。今、民青で「青年に仕事を」の署名を集めていますが、ほんまに政府を動かせるんか?と不安でしたが、長い目でみたらできそうな気がしてきました。展望をもてました。
◆本日、初参加です。マルクスの見た労働者がいかに劣悪なものであったか…。男女の雇用機会均等と同時に、男性の労働条件の改善を実現する必要があるという主張を思い出しました。“社会が強制するのでなければ~顧慮も払わない”のフレ-ズが非常に印象的でした。また、労働者自身の“自覚”は重要なものだと再確認しました。(時短の意義も)。
シ-ニアの「最後の1時間」に対するマルクスの反論で“Vの減少”という点にはじめ疑問を持ちました。Vは必要労働に対応しており、不変的要素ではないのかと…。それは、次章の“労働日”及び“技術革新”の解説をお聞きして解消されました。労働時間と賃金の関係を見れば、労働者の労働条件は(時短を除いては)改善されないということになりますでしょうか?(同比率なら)。理解が誤っていないか、資本論、本日のペ-ジを読み返してみたいと思います。
◆C=c+v+mとか、言葉だけでも難しいのに、理解しにくい気がしていましたが、今日の先生の説明で、スッキリのみこめました。シ-ニアって竹中さんみたいだ。搾取は、経済的社会構成体が変化発展するにつれて強まっていくことがよくわかった。日本の労働運動が弱いことがよくわかった。
◆第8章「労働日」というのは、すごい内容ですね。労働時間短縮のたたかいというのは、労働者の生命・健康を守るだけでなく、人間的教養、精神的発達、社会的役割の遂行、社会的交流など、まさに人間的存在をかけたたたかいであり、また、人類の未来社会の中身にかかわる大変重要なものだということがよくわかりました。そういう理解と自覚にたって、これまでをふりかえってみる必要があると思いました。このことにかかわって、いろんなことを学べたと思います。権利と権利の間では力が事を決すること、夜間労働に対する批判的姿勢の大切さ、資本主義生産の内在法則が自由競争では、個々の資本家に外的な強制法則として働くこと、だから、資本は社会によって強制されないかぎり、労働者の生命に何の配慮も払わないことなど、現代の日本社会で生き、たたかううえで、学びとることが一杯です。
以上,読んでわかるように,これらの感想はいずれも,自分で自分の理解を確かめようとしていますね。「覚える」のではなく,「考えて」「納得しよう」としているわけです。
学習の姿勢というのは,本来,こうあるべきものですね。あわせて,「『資本論』はすごい」という驚きだけでなく,具体的な論点にそって,「ここはこういうことか」「今回はこんなことがわかったぞ」と,そう理解を確認しようとされているのは,たいへんにすばらしいことだと思います。
さて,そのうえで,さらに次のような悩みや提案も出されています。
◆読んだパラグラフのところどころは、わかったように思うのですが、全体のつながりをゆっくり確認する時間があればいいなと思います。まぁ、しかし、月1回3hの枠内では無理もないことなので、またいつか自分で読むことにします。資本が人を酷使する部分から、過去の歴史のなかの現在に通ずること、社会の法則性を学べてよかったです。
◆資本論を読みながら文章の意味を十分にとらえられないところがあるのです。それは質問にもならず困っています。休憩時間に聞きたい気持ちがあるのですが、先生の“次のためのエネルギ-”をだす時間を奪うのは、恐れ多いこと…とためらってしまっています。何かうまい方法がないものでしょうか。資本論を読む会を希望する人たちがいたら、適当に逐条的に読み合えば、こんな小さい疑問も解消されるのかも知れませんが…。誰か一緒に本読みませんか。(月に1~2回、長く長く続けましょう。)
12回の講座に参加し,そこで聞く話のかぎりでの『資本論』理解となると,これはもう,やはり「『資本論』のにおいをかいだ」ということにしかなりません。
もちろん,それでも「見たことも,聞いたこともない」という段階からすれば,それは貴重な前進ですが,さらに「深く学びたい」となると,自分(たち)で学ぶことが絶対に必要になってきます。
何事もそうですよね。いい古されたことばですが,学習方法の基本は,なんといっても独習なのです。「自分で本を読む」「自分で考える」「読んだものをまとめる」「読んだものについて感想を書く」。こうやって,自分で自分のあたまを鍛えていくわけです。
となると,当然,「講座だけでは足りない」「これをなんとか補いたい」という欲求がでてきます。それは知的成長にとっては,実に大切なことですよね。
さて,今回のこの講座をきっかけに,そういう独習グループができてくれると,とてもうれしいのですが,それを実現するもしないも,みなさん次第。期待しています。
なお,いきなり構えて,どこそこに何時間集まろうというのはたいへんですから,たとえば,月1回の講座の前やあとに,1時間ほど喫茶店でお茶でも飲みながら「おしゃべりをする」,ただし話題は『資本論』の内容について。そういう,やりやすいやりかたで始めるのがいいかもしれません。
どなたか,勇気をもって,会場で声かけをしてみてください。
なお,独習をはげます文献として,あらためて,次のものを紹介しておきます。
1)不破哲三『「資本論」全3部を読む』(新日本出版社,2003年)……最初の3冊が,『資本論』第1部を読むものとなっています。全体を解説するというより,ポイントをしぼって,大切なところをつっこんで,その今日的意義を明らかにする本になっています。
2)浜林正夫『「資本論」を読む』(学習の友社)……上下2冊で,『資本論』第1部の流れ全体にそって,わかりやすい解説が行われています。私が,8年前に初めて『資本論』講座をやったときには,この本にとてもお世話になりました。
〔質問に答えて〕
◆石川先生が、講義の最後でふれられたOECD14カ国の「大人の学力調査」結果に大変興味があります。調査時期、調査問題、国別比較など、もう少し詳しく紹介いただければうれしいのです。もしそれがダメな時は、調査結果が掲載されている資料名でも教えていただければうれしいです。
○詳しくこたえられなくて申し訳ないのですが,あれは講義の際にもお話したように,教育学の先生の講演を聞いたものをそのまま紹介したものです。佐藤学さんといわれる東大の先生で,かなりたくさんの著書をだされている方です。その方の口ぶりでは,調査時期はこの数年のものと受け取れました。詳細は,佐藤さんの本にあたっていただくなどしてもらうのがいいと思います。
○ただし,インターネットで調べてみると,どうもOECD教育研究革新センター編著『図表でみる教育 OECDインディケータ(2002年版)』(2003年,明石書店,6800円)が,その種の資料を掲載しているようです。佐藤さんが参照されたものが,これと同じであるかどうかはわかりませんが,よく似た資料が掲載されているようです。ちょっと値段が高いですから,とりあえずは立ち読みなどして確認してください。目次には「市民としての知識」が確かにあります。ある程度は,インターネットの「検索」でも,見つけられるのかもしれません。チャレンジしてください。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時)
◇不破哲三『「資本論」全3部を読む/第3冊』の紹介。「貧困化」をめぐって。
◇エリザベス・ロバーツ『女は「何処で」働いてきたか』(法律文化社,1990年)から。工場法と「近代家族」。
2)「第10章・相対的剰余価値の概念」(~2時30分)
◇必要労働時間の短縮による剰余価値増大/資本家は特別剰余価値の追求として意識する/独占段階における 特別剰余価値の長期継続
◇「独自の資本主義的生産様式」
3)「第11章・協業」(2時40分~3時10分)
◇協業の定義/技術面からの協業の考察/もっとも初歩的な「労働の結合」/指揮労働(共同労働一般の考察と資本主義の考察)
◇大山陵(仁徳天皇陵,5世紀ころ)は1日1000人でも4年かかる
4)「第12章・分業とマニュファクチュア」(3時20分~4時20分)
◇第1節「マニファクチュアの二重の起源」……本来的なマニュファクチュア時代/土台と上部構造/マニュファクチ ュア発生の2つの筋道(客馬車と針)/機械制大工業への過渡的役割
◇第2節「部分労働者とその道具」/第3節「マニュファクチュアの二つの基本形態--異種的マニュファクチュ アと有機的マニュファクチュア」……全体労働者が生産の主体に/道具の専門化(機械制の準備)/「労働の結合」の法則性(時間と配置人数)
◇第4節「マニュファクチュア内部の分業と社会内部の分業」……無政府性と専制的秩序/人類史の宿命ではない/未来社会の展望
◇第5節「マニュファクチュアの資本主義的性格」……資本による労働の包摂の深まり/生産機構も生産力も/部分労働者化/精神的能力も資本に集中/マニュファクチュアの意識的発展/進歩と搾取の2面性
5)「補足」(4時30分~4時40分)
◇原始共同体論,「まるごと奴隷制」
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