1)著者紹介に,大塚氏については「フィールドワークをもとに,ヒトの適応機構を個体群生態学の視点から研究する」とある。鬼頭氏については「人口波動,環境変動,文明転換の相関関係に注目し,そのひとつのモデルとして江戸期の社会,生活史を研究」と。以下,部分的な要約メモ。
2)生存環境の厳しさの低減は野生動物にも出産回数,一度の出産数の増加を生む。これを「家畜化」というがヒトにも同様の傾向が見られ,ただしヒトの場合には外的環境を自ら改革する生き物であり,これが「自己家畜化」した動物と呼ばれる(大塚29ページ)。それは「K戦略者」から「r戦略者」への移行とも見られる(大塚21・30ページ)。--労働による内的自然の変革はヒトの繁殖のあり方にも影響。
3)人口転換を最初に体験したのはイギリス。1750年頃から死亡率が低下を開始し,1880年代頃には出生率が低下,1930年頃には双方の率が比較的近いレベルに落ち着いていく。転換の開始期は産業革命とほぼ同時。死亡率低下への最初の要因は農業生産性の向上による食糧供給の安定化。保健医療の進歩の貢献は1880年代以降の人口転換の後半期から。出生率低下は意識的抑制によるが要因は多様。労働力としての子どもの必要性の低下(農業社会からの変化),核家族化の影響,死亡率の低下など。人口転換は1930年には終了(大塚55~59ページ)。--「近代家族」の形成と時期を同じくする人口転換,資本主義の形成による社会変化の分析視野を広くもつことの必要性がここにもある。
4)マルサス『人口論』(1798年)は人口転換開始期(人口急増期)の著作。ただし,予想は誤った。①19世紀の食糧増産は人口増加を超えていた,②ヨーロッパの人口は幾何級数的には増えなかった,③運命論的論理であり,技術革新や社会システムの重要性を軽視した,④論とは逆に貧困層ほど多産の傾向,など。マルサスのように人と食糧生産の関係に固執するのでなく,地球の資源・社会(人間圏)システムとの関係のなかで人口増加を考えるべき(大塚59~60)。
5)途上国の変化は一様でなく人口転換も先進国と同一ではない。とはいえ死亡率低下は20世紀に大きく進んだ。出生率低下は1970年代からはじまっている。それは教育と社会経済の変化による。途上国全体の合計出生率は1950~55年の6.17から90~95年の3.30に変化,2015~20年には2.5と予測される(大塚61~62ページ)。今後の地球人口の分布については,①先進国は2025年頃から減少,②途上国比重が増加,特にアフリカ,③中国は安定,インドは2050年までに中国を超える(大塚69ページ)。--少子高齢化社会への対応は全人類的課題,日本の場合には変化の速度のあまりの速さの問題がある。
6)明治から1970年代まで日本の人口は年率1%の増加。しかし内容には大きな変化。出生率は明治期に上昇,死亡率も上昇(都市化,乳幼児死亡増大)。1920年頃から両方の率が低下開始。戦時期には「産めよ殖やせよ」。1947・49年には終戦と兵士の復員によるベビー・ブーム。50年代出生率は大幅低下。死亡率は60年代には戦前期の半分に。出生率低下は意識的コントロールの普及による。優生保護法(48年制定)は人口の「質」を問うたが,実質的には不妊手術,中絶の合法化,受胎調節実地指導員制度の実施が主な内容。背後には引揚者と復員軍人による人口過剰,食糧・失業対策の課題。55~61年には妊娠の4割以上が中絶され(実際にはこれよりはるかに多い),これが戦後出生率低下の主な手段。70年代には第二次ベビーブーム(団塊世代の出産期)。74年人口白書「静止人口をめざして」。再び劇的な出生率低下へ(鬼頭84~87ページ)。
7)18世紀半ばから明治まで完結出生児数は5人程度。250年にわたる出産慣行。大正生まれの女性で4人,その出産は1930年代。これが少子化の第一段階。昭和初年出産の女性は2人程度。今日でも出産予定人数は2.2人とされ出産意欲に変化はない。第二の人口転換とも呼ばれる最近の出生率低下は,結婚行動の変化によるという新しい特徴をもつ。晩婚化と有配偶率の低下(鬼頭88~91ページ)。--それもまた全人類的傾向か? あるいは日本的現代的な傾向か?
8)人口の減少については悲観する必要はないとの議論がある。しかし,次の課題はある。①資源節約型消費スタイルの確立(減少だけでは解決しない),②子育ての社会化,③充実した高齢期を送るための制度・意識改革,④多様化する家族形態に対応した生活の創造。人口の半減は大正前期なみを意味するが,文明システムの転換には相応の苦労が必要(鬼頭104~106ページ)。21世紀には少子高齢化は途上国の現象ともなる。70年代末期から一人っ子政策に取り組んだ中国はとくに深刻(鬼頭115ページ)。
9)高齢化社会については,①社会にしめる高齢者比率の上昇,②だれもが高齢期を迎えることのできる社会(明治期には65才をこえるのは30%台),③長い老後の形成の3つの側面をもつ。日本だけの現象ではないが日本の特徴は高齢化のスピードの速さ。老齢(65才)人口が7%から14%になるのにフランス116年,スウェーデン85年,イギリス46年だが,日本は1970年から94年までの24年。主因は少子化による子ども人口の急減。出生時平均余命(寿命)は江戸後半36~7才,明治期43~4才,1947年に「人生50年」,80年代に「人生80年」。100年ほどで寿命は2倍。それに対応した文明システムがもとめられる(鬼頭128~132ページ)。--産む,産まないの権利や自由の問題だけでなく,「社会」の人口構成の問題として「少子化」を考えることが必要。
10)変革がもとめられるものの1つは2世代同居の直系家族。①嫁・姑の同居期間は長期化し,家族問題の深刻さは江戸時代の比でない,②老親扶養期間の長期化に対し核家族化と少子化で担い手は減少。「社会保障負担増大の回避」や「日本の伝統」を理由に直系家族を維持しようとすることには問題が多すぎる(鬼頭119~120ページ)。--親世代の扶養は社会で行なうヨーロッパ型へ?
11)ヨーロッパの人口転換終結は1900年代前半。アジアは国の差が大きいがすでに終わりに近づいている。アフリカは2060年まで。人口は2100年で100億人ギリギリか。インドの出生率は3.4,南アジア全体で3.6,東アジアは1.8,アフリカは5.6,西アフリカは6.4(大塚158~160ページ)。--確かに資本主義経済の成熟度に対応しているように見える。
12)人口転換による少子化は人の価値観の転換を必要としたが,それは死亡率の低下にもたらされた(鬼頭171ページ)。社会科学には時間概念が抜ける,人口減少もゆるやかなら問題ではない,短期間の変化であることこそ問題の本質(松井孝典176ページ)。高齢化も従来の社会システムの尺度の言い方,見かけだけの現象論的言い方(松井194ページ)。マルサスの時代はマルクスの時代やダーウィンの時代に重なった,その種の総合的な議論が必要(松井202ページ)。--少子高齢化に対応した社会システムかできれば,それは通常となり問題ではなくなる。課題についての議論はあるが,まだその社会システムの内容についての議論はない。子どもと老後のヨーロッパ型は検討の必要あり,さらにそれを突き抜けた社会のあり型の類推も。
13)いま出生率をあげても成人するのは20年後。そのあいだにライフコース,家族,高齢者の労働参加など「人生80年」時代に応じた制度と慣行を一刻も早く工夫すべし。現在は人類文明の大転換の真っ只中(鬼頭242ページ)。--労資,男女にくわえて世代の視角が必要。
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