3月16日は,卒業式の日であった。
9時すぎには立ち上がり,
特殊栄養ジュースをクピリと飲んで,
ただちに「地方自治の人」となっていく。
昼には,またしてもぶっかけうどんを食べ,
1時すぎには外に出る。
サクサクく歩いて一番近くの保育所へ。
本来なら新参の健康診断もあるのだが,
ヤツは実家で風邪引中。
保育所へもっていくもの,欠席・遅刻・早退の連絡など,
ひさしぶりにこの手の情報に接していく。
ただし,熱の下がった新参は,
いまや「いないいないばあ」と「突如のつかまり立ち」に,
人生の新境地を切り開いているらしい。
「そろそろ時間の限界」と,2時40分には保育所を出る。
自宅でリュックを手にして,再び外へ。
JR「加島」から「西宮」へ,大学へ。
車中「革新自治体の人」となっての移動である。
そのまま中庭に直行。
卒業式が終わり,ちょうど茶話会がはじまるところであった。
今年の式には,壇を降りる際の「けつまずき人」は,
現れなかったらしい。
みんなに卒論を返却しながら,バリバリ写真のとりあいをする。
やや肌寒い天気であったが,若いみんなは元気である。
「食べるものが少ない」と怒っている学生もいる。
K元さんのインフルエンザ欠席が残念だが,
これが最後の全体写真。
英文科のN尾先生に,全員のカメラのシャッターを押していただく。
N尾先生,ありがとうございました。
その時,快晴の空に虹が大きくあらわれる。
学生たちの新たな門出を祝ってのことであろうか。
Gジス・T橋・I泉・N村さんのご家族のみなさんにも,
お祝いのことばを述べさせていただく。
学生時代の同級生S本さんも,
卒業生の母としての参加であった。
4時半には研究室にもどり「革新自治体・兵庫県政の人」となっていく。
学生たちが,少しずつ顔を出しては,「さよなら」と帰っていく。
「もう,この研究室に来ることもないのかなあ」との声もでる。
まあ,ほぼ,そのとおりとなるのであろう。
6時半には大学を脱出。
車中「労働と家族の人」となっての帰宅である。
ガツガツと夕食をとり,「地方自治の人」にもどっていく。
夜12時になったところで,なんとかレジュメを書き上げる。
付け焼き刃の「地方自治人」では,これがいまは精一杯。
明日の自治研では,むしろこちらが学ばねば。
6月2日,早稲田のWAMに送り込む学生が,
「西の人」Kさんで本決まりとなる。
コメント