7月16日は、3時就寝、10時起床の朝であった。
前日よりは、やや真人間への復活がある。
新潟の地震は、こちらでも十分体感できるものであった。
被害が大きくならないことを祈る。
缶ゴミ、プラゴミ、ペットボトルを出し、
12時前には、外に出る。
車中「たったいま手に入れた水引記入の人」となり、
梅田のリッツカールトンへ移動する。
つづけて、車中「ピン札を忘れたことに気づく人」となり、
仕方なく、「自分の財布からお祝いをひねりだす人」となる。
12時30分から、卒業生「ぷ」の結婚披露宴である。
「ぷ」は、2000年3月卒。
顔をあわせるのは、まる8年ぶりのこととなる。
最後の記憶は、天王寺の夜。
『岡田山論集』の編集委員をしてくれたことへの
お礼の食事であったらしい。
まどと3人でのことだった。
ケーキカット、参加者に1人1ケのキャンドル、
小さな子どもたちからのプレゼント、テーブルスピーチ、
出し物、お色直し……と、
盛りだくさんの宴である。
キャンドルは最後に息をかけ、
「今日の思い出を閉じ込める」という、
これまで、お目にかかったことのないものである。
「歓談」の時間に声をかける。
「ボス、出席表の名前まちがっててすみません」
「最終版に気づいたんですけど」
「ああ、もういいから」
「さっきのスピーチで、アンパンマンの話するの忘れたなあ」
「あっちの方が印象深かったのにぃ」。
両親への感謝のことばの時間をのぞけば、
〈結婚式に感激する新婦のしおらしさ〉といったものとは、
まるで無縁のぷであった。
このブログも時々のぞいているとかで、
土曜日の礼服クリーニング屋騒動のことも知っていた。
同じゼミからの出席は、タナジュンあらためカネジュンである。
こちらは、ヒロの結婚式で同席して以来。
パートナーの残業代の夫婦分割比率は、
子育ての開始によって5:5に変わったという。
東京の保育所事情も聞かせてもらう。
民間の駅前保育所が、
最低8万円前後からだというから驚きである。
3時30分には「おひらき」となる。
カネジュン情報によれば、
「あと、しばらくは、結婚しそうなゼミ生はいない」。
サクサクと外へ出てみて、これがビックリ。
なんと世間は、土砂降りの雨。
こちらは、布団を干して家を出てきた。
新聞で天気予報は確認したのに。
あわてて帰って、4時ちょうど。
ギリギリのところで、わが布団たちは、
華麗に雨をかわしていた。
目の前で雨があがっていくので、
布団を少し内側にずらし、
再び外へ出かけていく。
JR「加島」から「尼崎」へ、「甲子園口」へ。
行きつけの喫茶店にこもって、「原稿書きの人」となる。
研修会ミニ文書は、ザッと見直し、これにて完成。
とびこみの小原稿も字数を調整して完成とする。
そして本命の「就職原稿の人」となっていく。
途中、またしても地震を感じる。
こちらは奈良が震源のものであったらしい。
揺れで遅れた電車に乗り込み、
7時前には家にもどる。
帰ってきた新参にうどんをつくり、
大人用には適当な夕食をつくる。
披露宴でもらったケーキも、さっそく食べる。
新参を、シャワーでペチペチ洗ってやり、
お肌の手入れ(もうのう炎対策)をほどこし、
9時前には、布団に落とす。
東京方面に、出来上がった小原稿をガッシン。
これにて当面の仕事は、就職本の完成と、8月〆の原稿となる。
だが、8月原稿の〆切に前後して、
大学への成績提出が待っている。
何百もの答案を採点するのは、大変なのである。
さらにわが執筆時間は、発熱新参にも大きく左右されていく。
多方面的にスリリングな、〆切との闘いとなりそうである。
コメント