旧HPからの移転です。
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ワルモノ バリを行く 2002
2002年9月8日(日)
深夜3時から7時まで仕事。「出発」に向けて,懸命に仕事を片づける。
HPの「経済情勢日誌」,京都学習協の次週の講座に使うレジュメの作成・送信,講師依頼への返事,大学のセクハラ防止パンフの最終校正などである。
すべて終了。ホッと一息ついて,布団にもどる。
これで心置きなく「世捨て人」となることができる。
10時には再起床。すでにバナナが切れているので,前夜のうちに買っておいた「十勝バターパン」定食となる。
そして,リュックに荷物をいれて,シャワーを浴びる。
11時には家を出る。めざすはJR「あびこ町」。なんだか,今日は世間も涼しいようだ。
普通電車でJR「堺市駅」まで行き,そこで快速に乗り換える。そして「関空」へ。
空港の中をあちこちフラフラして,チケットを受け取り,ようやく気持ちが落ち着く。
「ああ,これでバリに行ける」。
空港ビルの中の「丸善」に入り,目についたプロレス本を買う。
いつものそば屋「そじ坊」が昼時でいっぱいなので,その目の前の「天はな」に入り,ここで天ざるを食べる。やはり国境を区切る食い物はそばである。
2時30分,今年はJALで空へ飛び立つ。行き先はインドネシア,デンパサール国際空港である。
ありがたいことに,去年のガルーダより,ちょっとだけ座席まわりが広い。
さっそくビールと水割りをもらって,「プロレス本の人」となる。こういう時には,この手の短期集中的趣味(?)の本がいい。
4時をすぎたところで,機内食が配られる。
なぜだ? なぜ4時なのだ? 昼飯を食べてから,まだ3時間ほどではないか。
しかし,いざ,目の前に置かれてしまうと,やはり食ってしまう。
「出されたものは全部食う」。悲しい中年太りへの鉄の法則である。
入国申請の書類を,あちこちまちがえながら書いたあたりで,機内は少し暗くなる。
「オマエら,食ったら寝ろや」という,あらゆる航空会社に共通の「乗客ブロイラー化作戦」の展開である。
確かに,これでみんな静かになり,乗務員たちにもゆとりができる。
そして7時40分。今度は「起きろ,起きろ」とスッチーたちが「チョコモナカデラックス」が配って歩く。
アイスは良い おやつとしては最適だ
ブロイラーはできるだけ短い時間にトリを大きく育てるため,足のうらにケガをさせて運動ができないようにし,そのうえで,やたらと栄養価の高いエサを食べさせるという。
狭い座席に固定されて,栄養と睡眠を完全に「敵」に管理されると,こちらは本当にブロイラーである。
気がつくと,関空で買っておいた「じゃがりこ」が気圧の変化でパンパンにふくらんでいる。
9時前には無事,バリのデンパサール空港に到着。ブロイラー化しつつも南下運動は完了である。
出迎えてくれたガイドさんは「ガマー」さん。とても,日本語がうまい。「達者」という表現がにあうほどの人である。
「ガマーは,ニホンゴでは,カエルですねえ~」と,自分の名前をみんなに印象づけようと努力していた。
大型のバンで20分ほど走って,昨年も泊まったインターコンチネンタル・バリに到着。
「おお,1年ぶりだ」の感動を味わう。
もちろん道路は例の「無法」状態。
この国に,歩行者に道をゆずるという習慣はない。ガマーさんにも「バリではクルマ優先です」「手をあげても止まりません」とキッパリいわれる。
クルマから降りるところでドアの上にアタマをぶつけ,ガマーさんに笑われる。
チェックインをすませ,部屋に荷物を放り込み,ただちに海辺へ出て「シーフード屋台」(浜辺にテーブルがならぶ)へ向かう。
ところが,なんと,「屋台」がない。10時をすぎていた時間のためか。
もしや地球温暖化?ここまで潮が満ちていたっけ?このままなら困るよなぁ
ここでバリ初日の夜を迎えることができないのは残念だが,そのままホテルのビーチバーにもどって,ビールをたのむ。
もちろんビールは,ビンタンビール。うまいぐあいに「ハッピー・タイム」とやらで,注文した2倍のビールが出てきた。
「ありがたや,あなウデシヤ」とゴクゴク,ゴクゴク,ゴクゴク飲む。
高くあがったサソリ座と暗い空にくっきりと浮かぶ天の川がキレイだ。
大きな波音を聞きつつ,早くも「泥酔の人」となる。
ミスター高橋『プロレス 至近距離の真実--レフェリーだけが知っている表と裏』(02年,講談社+α文庫)を読み終える。
2002年9月9日(月)
10時すぎ,起床。テレビをつけるとNHKは「11時のニュースです」と生真面目に仕事をしている。
あまりにも素敵なホテルなのでNHKが装備されているのだろうがこれはちょっといただけない(見なけりゃいいんだけど) スーツをきっちり着こんだアナウンサーやたまちゃんを見ると・・・ 戻ってから浦島気分を味わえないしさ
が,こちらは日本より時間のすすみが1時間遅い。
ベランダから見える海がキレイだ。ブルーとグリーンが海の途中できっぱりとわかれる。
どこに言っても視界が広い 絶対視力が良くなるでも背は伸びないと思うよやっぱり
さっそくビーチに出て,「シーフード屋台」の姿を確認する。なにせ,これが「ない」となると,毎日の食生活が危機に瀕する。
「あって良かった」と胸をなでおろしながら,駅前のサラ金屋のようなフレーズをつぶやいて安心する。
今年はTシャツではなく,「ジンベエ」を着込む。
純和風である。
これはもちろんラクでいいのだが,あわせて強い日差しを適当にはねかえしてくれるところも良かった。結局,バリではずっと「ジンベエの人」となる。
「メシ」を求めて,ホテルの外に出る。
出ていく途中で「どこ行きますか」とタクシードライバーに声をかけられる。が,「あっ,近く」と思いっきり日本語でこたえる。
じゃらんじゃらん~ 気合を入れて挨拶だけでも現地語を話そうと構えていると「おはよぉございます」と言われ「スラマッパギ」と答える
去年はできないなりにも「英語でしゃべらねば」という軽い緊張感があったが,今年はそれがまったくない。その姿勢が失われた。
「まあ,日本語で伝わらなかったら,英語なり,手振りなり,なんなとなるやろう」。
そんなダラケタ気分である。
そう 去年の緊張は無く のびのびしてる自分に驚き じんべいの威力?
超地元の土着バリ定食屋に入る。なつかしい気分でズカズカとあがる。
もちろん,ハエや,何のやる気もない短髪犬が自由に出入りできるという超庶民派世間開放型の店である。
ナシゴレン(焼き飯),バビ(豚)ゴレン(炒め),バリコピをたのむ。
なつかしい,去年のオトウサン,オカアサンが働いていた。しかし,去年のオネエチャン(12才くらい?)は姿が見えず,かわりに今年はオニイチャン(14才くらい?)と,チビッコ(3才くらい)が歩き回っていた。
ちょうど昼休みなのだろう。バイクでお客が続々と集まって来る。
バイクは圧倒的に日本製。ひょっとするとコピー製品もあるのかも知れない。
中学生くらいの子が1人で乗っているかと思えば,家族3人組で乗っている人もあり,その多くがノーヘルである。
食事は期待どおりの味。バビは肉だけでなく,レバーとおぼしき内臓も入っていた。
全長2~3センチほどの青唐がらしが強烈で,1かみするだけで,後頭部の毛穴が開いた。かなりの強敵である。
だが,負けない。
観光客価格での支払いをすませて,外に出る。すでに,「おっ,日本人か」という,メシを食いながらのまわりの目も気にならない。
道路を渡って,これまた勝手知ったるコンビニ(?)へ行く。
バリとビンタンの2種類のビール,そして,ポカリスエット,現地ピーナッツなど,冷蔵庫内方面充実のための行動をとる。
12時から1時すぎまでホテルのプールで泳ぐ。
今年は昨年のイタイ教訓に学び,「半身焼け」をさけるために,しっかりと日焼け止めをぬりこむ。
真上からの日差しにも,これなら耐えられる。
そして,「長居のプール」での特訓の成果を全世界からのリゾート旅行客の前に披露する。
泳ぐというよりも,日光浴によるからだのほてりを冷ますために水に入るというのが,どうも大方のプールの使い方のようである。
それでも,サングラスや帽子をかぶったままでガツガツ泳ぐ大男たちもいる。
どこかからのスパイにちがいない。やたらとサングラスが似合っている。
年配のスパイがへっている 世代交代の波が押し寄せているようだ
2時には,部屋にもどり,着替えて,ビールと本を片手にふたたびビーチへもどる。
直射日光をさけながら,ビンタン・ビールでアホ本である。すでに脳味噌は極楽である。
今日は,ここに,客人がある。
南大阪の知人が「新婚旅行」で,すぐ近くのホテルに来ているのである。
本当に驚くべき偶然 一週間前にお宅にお邪魔した時 同じ時期バリにいることが発覚 しかもお隣のホテル じゃ~食事でもってねぇ 男性2人を取り残し我等だけで計画が進む進む
なんでも,やたらと値段の高いホテルらしい。すでに数日とまって,「今日,日本に帰る」というので,「じゃあ,いっしょにメシでも」となったのである。
4時30分,相方ともども「ジンベエ姿」でホテルのロビーに2人を迎える。
「H井ちゃん」は,なぜか突如として年に数回わが家で開催される「例会」という名のアホバカ宴会の常連メンバーである。
アホバカではない
そして「Uどん」はその手にからめとられた,あわれな夫ということになる。
昼御飯を食べていないというので,さっそく「シーフード屋台」へ行く事にする。どうも,あまり地元料理は食べていないらしい。
夕食には時間が早いが,もちろん「ザ・ジンベエーズ」に不満はない。
「ボクたちいつでもハラペコなんです」というホンジャマカ石塚の名ゼリフが思い出される。
あれは確か,モリクミとともに「仙台を食いつくす」という企画のなかでの発言だった。
砂浜で炭焼きの煙にまみれながら,飲んで,食って,しゃべって,笑う。
サカナやロブスターは「㎏あたりナンボ」の値段で売られている。
どれだけ食うかは,店の生け簀(これといって設備がないのでかなり死んでいるが,「朝とれ」なので問題はない)で「コイツを食う」と指定して決める。
金額は「ソイツ」の重さ次第である。
調理法は基本的に「焼き」1本。
「Uどん」とは初対面だったが,Yスコとか,Sミーといった,共通の笑いネタ知人もあり,気楽におしゃべりをする。
こんなところまできて笑いのネタにされる いや話題になる2人はやはり大物 そういや初対面同志なのに何の紹介もしなかったよな こちらがダーリンでございますって
テーブルのあいだを自由に歩きまわる何匹かの犬がケンカを始めた。
犬 非常食?
しかし,「まっ,そんなこともあるわな」という気分でそれがゆるせる。そういう空気である。
ヤツらもまた,この屋台群の「常連」である。
海のかなたに,あかい夕日が落ちていく。考えてみれば,インド洋である。
こんなにキレイに日没の瞬間を見たのは初めてかも知れない。
6時半,ふたりを近くのホテル,フォーシーズンズへ歩いて送る。気づいてみると,同じ砂浜の目と鼻の先であった。
偶然,おそるべし。
潮のひいた,ぬれているが固い浜をヒタヒタとあるいて送る。
「じゃあ,また」。
そして,われわれは「屋台」方面へUターン。
4人でバクバク食って,45万ルピアほど。
かなり高い観光客価格なのだろうが,それでも日本円になおすと6500円程度。
1人1600円。そういう物価の島である。
砂浜のミニ屋台で(日本のラーメン屋台のような),焼きトウモロコシと落花生(殻つきのピーナッツ)を買う。
トウモロコシは昔風の「ワシ野菜ですからね」という,しっかりとした歯ごたえと青みが口に残るものだった。
「マーガリンと塩」の味付けだったが,どうしたわけかマーガリンがやたらと甘い。
歯にいっぱい挟まって大変 フロス忘れたのが痛い
「オヤッサン,醤油かけてくれ」。そういいたかったのだが。
チリソースどう?と聞かれたがそれは違うだろうと断る やっぱり違うと思うよ
トウモロコシは部屋にもどるまでに食いつくし,部屋では落花生を食べる。
これは,なんと,殻ごと「蒸して」ある。
あまりに妖し過ぎて試食させてもらうまで乗り気ではなかったが 食べるとやっぱりうまいんだな
「エッ!」というような調理法だが,これがまたウマイのである。
「ひょうたん型のカラに上下2ケ」という日本(中国)ものではなく,ややズンドウの小さめのカラにピーナッツは3~4つが,ビッシリとつまっている。
これが,やはり,ビールに良くあうのである。
2002年9月10日(火)
9時半ころ,フラフラと起床。日本からもっていったコーヒーを飲む。
学習メル友「豊能郡のHさん」にいただいたものである。Hさん,ありがとうございます。
そして,11時には外に出る。今日の昼飯は,昨日のうちに見つけておいた,庶民派テイクアウト屋で調達の予定である。
去年,ウブドゥのホテル前で「少年たち」がやっていたのと同じタイプの,もっと庶民度が深いテイクアウト屋である。
今年はずっとジンバランにとどまる予定なので,「ああ,あのテイクアウトは今年は食えないのか」と悲観していたのだが,運良く,ここにもそれがあったというわけである。
大皿にもられた10種類ほどの料理が,冷房なしのショーウィンドーにならんでおり,それらの料理を適当に30㎝四方ほどの油紙にくるんでくれる。
この店での共通の言語は「身振り」である。
「もって帰る」と「身振って」みると,店のオカアサンはただちに「了解」のサインを返し,料理のつまった油紙を折りたたみ,要所をホチキスで止めてくれた。
そういえば,インドネシアでは,どこの店でも「セロテープ」に出会うことがなかった。他のお土産屋でもホチキスであった。
「支払い」は,うしろにならんだ,常連さんであろう若い女性が「2万です」と日本語で伝えてくれた。
中学校までは義務教育が徹底されており,そこでは,英語とともに日本語も教えられている。その見事な成果であろう。
「明日の朝のパンが買いたい」と相方がいうので,そのへんの店に入ってみるが,最初に手にしたパンの裏側は見事にカビだらけだった。
バナナクリームだという中の具が紫色してた さすがに食べるのを躊躇して皮だけむいて食べたけど甘くて甘くて
「う~む,やるな」。
あらためて目を皿のようにしてパンを選ぶ(といっても,そんなに種類はないのだが)。
日々HPをご覧になっている皆さん 毎日2人して昼頃起きて良くわからない食事をとっている思ったら大間違い こちらは大先生と違い早起き 例え6時おきでもお腹がすいて目が覚める イキナリ腹ペコ バリ中も7時頃には起床 当然朝ご飯が必要となる 初日は豪勢 イレギュラーな時間に出された機内食のバターロール2つ これ残すよな?食べられへんやろう?と半強制的にゲットする 問題は2日目 コンビニでセサミクッキーを購入したつもりがなんとチョコクッキー 元来チョコは好きではない 得に外国製は油の匂いが気になり食べ辛い 使い古しのショートニングでもつかってんちゃうんと毒づきながら2枚で放棄 もったいないので他人に譲渡 こういう所が既におばはん化しているのだろう そして3日目はやっとパンにめぐり合うが・・・
コンビニで木製スプーンとビールを買う。そして,部屋にもどり,ベランダで食べる。
レンガづくり風のベランダの床は,潮風のためだろう,しっとりと足にはりつく。しかし,不快ではない。
今年の部屋は3F。
目の下に,良く整備されたミドリの芝生が見える。
そして,目の前には色とりどりの花が咲く鉢植えがならび,少し上を見上げると,高い木に花が咲き,そのバックに青い空がひろがっている。
が,「花より団子」。さっそくスプーンをあらって,モリモリと食べる。
こんなぐあいになんでも食べたが,結局,われわれの腹は1度も「こわれる」ことがなかった。
携帯「正露丸」意味なし。
しかし,それは幸いなことである。
1時から2時半まで,プールで泳ぐ。
このホテルの大きな中庭には,たくさんのプールがある。
今日はプール№2にも,入ってみる。みんなが食事中という時間のためもあったのだろうが,ここはほとんど貸切り状態。
さらにプール№3にも入ってみようとしたが,こちらは水がつめたかったので中止。
ほかに子ども用の水深30㎝くらいのものもいくつかある。
ここのプールにも「バカップル」はいる。
バタフライでけちらしてやりたいが腕が昔ほど上がらなくなって息継ぎすらままならない
それは日本だけではない。
ちょうど読んでいたショージくんの本では,「電車のなかのバカップルには水をかけよう」とうい呼びかけがなされていたが,プールのなかでは通用しない。
なにせヤツらはすでに水の中である。
今日もまた,バリ風カヤブキ巨大パラソル小屋の下で,強過ぎる日差しを避けて,本を読む。
ノビノビ極楽チェアにゴロリである。
昼寝 昼寝で爆睡
斜めになった夕陽がいよいよ避けられなくなったあたりで,部屋に避難する。
そして寝る。
また寝る 日々早起き意味無し 赤子並の睡眠
食って,泳いで,陽をあびて,本を読んで,寝る。このまま,ここで一生をすごしたい。
しかし,その金はないのである。そして,人間,はたらかねば。
7時すぎ,起き上がって,今夜も「シーフード屋台」へ行く。
「焼きハマグリ(ですかぁ?)」を食べる。半なま焼けの貝である。だが,われわれのハラにこわいものはない。
もちろんビールも飲んで,今夜もたっぷり炭くさくなって帰る。
風呂で汗と炭と砂とヨダレを流し,ジンベエを洗い,さらにベランダで本を読みながら,追加のビールを飲む。
気がつけば,人を刺すような虫がここにはほとんどいない。
次第に満ちてくる波のはじける音,ミドリのなかのたくさんの虫の音,それにカエルの鳴き声。
人の話し声はひとつもない。そりゃあ,ビールもうまいわなぁ。
ショージ君の本に「サミーというインド人」が登場し,わけあってハナで笑う。
日本から星座早見版やオペラグラスも持って行ったのだが,レンズ径2.5㎝,倍率8倍の小さなオペラグラスでも,「闇のどこを見てもミニ・プレアデス状態」。
「地球からは,こんなに星が見えるんだなあ」の気分になる。
東海林さだお『ショージ君の南国たまご騒動』(87年,文春文庫)を読み終える。
2002年9月11日(水)
もう何時に起きたのかも,良くわからない。
ともかく12時には,ハラをへらして,近所の超庶民飯屋へと歩く。
今日は,例のチビッコ女の子のために,日本から持って行った「アメ玉」を持参する。
これを1つ差し出すと,チビッコは,恥ずかしがりながらも,すごい力で「アメ玉」をにぎりとっていった。
アメが大きかったのが少し心配だったが,そんなことは気にかける必要もなかったようだ。チビッコは目の前で,ボリボリと食っている。
ここではお客のみんなが,コーラをよく飲む。
暑いので「甘いものがほしい」というのと,たべものがカライので「甘いものがほしい」というのが,合流しているのだろう。
われわれもそれにならって,コーラをたのんでみる。
王冠をあけたビンの口には,王冠のサビがこびりつき,ビンの胴体は何かの油でヌルヌルしている。
なるほど,それでテーブルにはストローがあったのか。ビンに口をつけると油のかおりがしてしまう。
今日は,アヤム(トリ)ゴレン(炒め),ミー(麺)クアー(汁)を食べる。
これらのオカズをたのむと,自動的に長粒種の「白いごはん」がついてくる。日本でいうところの「定食」状態である。
カライおかずが,「白いごはん」に良くあう。そして,不思議な事に「白いごはん」にコーラがこれまた良くあう。
土地の文化というのは,良くできたものである。
食べ終わって,道路をわたり,コンビニで現地の「ライス・ワイン」を買う。
「ライン・ワイン」といわれると韓国の白いマッコウリがイメージされるが,これがなぜか黒い。
コーラをこえて,ソースのように黒い。なぜだ。
「食」の冒険はつづく。
買い物をしていると,その前の道路を「くだもの屋」の屋台がとおる。さっそく,止めて,パパイヤ,パイナップル,ワンゴン(?)を買う。
私個人の朝ご飯 屋台といっても自転車の荷台を改造したようなもの ホテルの水で洗えば衛生面には問題あるまい
ワンゴン(?)は,一見,ナシのようだが,形はまるく,イモのようにゴツゴツしている。
相方は「香りはナシだが,味はなく,やたらと繊維が太い」という。
ワンゴンと聞こえたんだけど真相は謎 お勧めはしない
1時から2時30分まで泳ぐ。
ついにクロールに挑戦である。
そして,敗北。平泳ぎからクロールへの転身はむずかしい。
やや気落ちするが,気をとりなおし,今日も「午後のビーチでごろ寝」の体制に入る。
ホテルの中をねりあるく屋台で,アイスクリームを買う。
毎日フレーバーが変わるので楽しみ
世間は暑い。
溶けるが早いか,食べるが早いかの競争というアイスクリームとの勝負であった。
夕方になると,ビーチバーの横で,客と従業員がいりまじってビーチバレーが行われる。
あきらかに仕事中の従業員がまじっているというところに,このホテル,この地方のノンキな空気があらわれている。
6時すぎには「シーフード屋台」へ。
少しずつ星座の位置に慣れてくる。白鳥座やこと座が北の空にある。
ここでも「七夕」の2人の出会いは可能なわけである。
日本で南に見える星座が,ここでは北の空に逆立ちしてあらわれる。「明け方にはオリオンが見える」と「Uどん」も言っていた。
8時には部屋にもどる。
いつものようにジンベエを洗うと,そのポケットにルピアの札が入ったままだった。
札をとりだして,ベランダの窓に1枚ずつ貼り付けて,乾かしていく。
凄く嬉しそうに窓にはっている 何者なんだろうかぁ
ソースのように黒い「ライス・ワイン」の名前は「ブルム」というらしい。サヌールでつくったと書いてある。
アルコール度数は5%。ビンタン・ビールといっしょである。
そして「黒く」みえるのは,もち米でつくっているかららしい(ホントか?)。
あけてみると,相当に強烈な独特の香りとクセである。
養命酒よりもグレートな匂いがする 結局口にしなかったが
これは,どうにも,ゴクゴク飲めるものではない。かなりの強敵である。
しかし,どこかで飲んだ味でもある。
いったい,どこだったのだろう。
それは最後まで,思い出せず,そのまま,泥酔の夜はふけていく。
二間瀬敏史『だから宇宙は面白い』(93年,平凡社)を読み終える。
2002年9月12日(木)
ああ,けだるい朝である。もう「世捨て人」をこえて「人間捨て」の状態である。
しかし,それでも,いや,それだからこそ腹がへる。
11時30分には近所のテイクアウト屋へ。
ようするに,われわれは毎日,昼食時には,庶民定食屋と庶民テイクアウト屋を交代にたずねているわけである。
今日も適当に注文していると,近くのSPAではたらいている女の子たちがゾロゾロとやってくる。昼休みなのだろう。
みんな,いかにも「まだ中学を出たばかり」というあどけない顔をしている。
支払いをすませて店を出ると,その女の子たちが「アリガトウ」といっていた。子どもたちは,とても人なつこい。
ビール片手にベランダで,今日は,スプーンをつかわず手づかみで食べてみる。
ナス(おそらくヘチマ)の炒めもの,春雨(?)炒め風,目玉揚げ(トリのたまごを油に放り込んだもの?),とり肉の揚げ物,大豆(?)をつぶして板状にして天ぷらにしたもの(?),などなど。
オカズの油で汚れた指先が,「白いご飯」でうまくキレイになる。
私一人だけが砂ご飯に当たる 同じ釜の飯なのになんでだろうぉ?奥の歯茎が徐々に腫れて来た 古代エジプト人がパンに入りこんだ砂でえらい目にあっていたということが 実感できてすこし感動
食べ終わったところで,残ったルピアをまとめて数え(確か空港では1万円=74万ルピアで交換した),ケチャダンスを見るか,絵を買うかと相談し,結局,「わが家バリ化計画」にしたがって絵を買うことにする。
話し合いの中では,ケチャダンスがバイキングのディナーといっしょになっているというのが大きな障害になった。
わざわざバリまで来て,ヨーロッパ料理のバイキングを食いたいとは思わない。
午後からは,慣例にしたがって,泳ぐ。
こちらに来てから,かなり深く「水の人」となっている。このままいけば指の間に「水かき」のできる日も遠くない。
犬掻き ミジンコ泳ぎ
そして,ビーチでごろ寝。本を眺める。
溶けとけアイスでおやつ
沖には,三角の笠をかぶった漁師の小舟が見える。絵にかいたような「いかにも」の風景である。
夜7時,例によって「シーフード屋台」へ行く。
顔見知りの少年が客引きをしている店である。
「おともだちはどこにいますか?」。少年は日本語がうまい。去年よりズッとうまくなっている。
「ああ,もう日本に帰った」。「そうですか」。H井チャンとUどんのことである。相当にたくさんの客がいるのに,良く覚えているものだ。
「いつ,帰りますか?」。今度はわれわれのことである。
「明日」「だから今夜が最後になる」。「そうですか」。
例によって,良く食い,良く飲み,日本の曲もこなす「移動流しグループ」の襲撃をやりすごし,犬といっしょに星を眺める。
支払いをすませて,席を立ったところへ,少年がやってくる。
「おわかれですね」「さびしくなります」「また来年会いましょう」。「ああ,ありがとう」。
それにしても,「さびしくなります」とは。いったいどこで覚えたのか。
ホテルの中庭で開かれていた「市」に顔を出す。ケチャダンスとセットになっているのだろう。
ここでも,やたらとワーキャーうるさいのは若い日本人たち。どうもヤツらには,「時間を静かに楽しむ」という能力がないようである。
そういえば,プールの中に,使いもしないバカデカ浮輪を浮かべるのも,彼らだけであった。
リゾートと遊園地のすごしかたの違いがないようで,ため息をつきたくなる。
いいたかないが,「キミたち,20年早いよ」。
相方が,首まわりと腕まわりの装飾品を,南大阪人としての手腕を発揮して,見事に値切って買う。
お待たせしたわ 申し訳無い
買い物をする時 大先生はほとんどかんでこない 少し離れたところで腕を組んでいると顔が濃いセイがちょっとしたガラの悪い人に見えるので密かに値段交渉に役に立っているのだ 恐らく本人は気付いてはいまい
2002年9月13日(金)
9時30分には起き上がる。今日が「世捨て」の最終日である。
昨日早く寝たせいかいつもより大先生の起床が早い こうなると予定が狂う この日は髪の毛を染めるつもりだった そう 染め薬を持参していたのだ ちょっと恥ずかしい(←この辺がまだ新婚なのだきっとそうだ)がもちろん決行
「今日が最後だからな」「まあ,これでも食えや」とホテルが届けてくれた見知らぬ果物を食う。ブドウとモンキーバナナ以外は,食ってもわからない。
11時30分には外に出る。
近くの画廊をたずねるためである。
が,なんとしたことか,本日は「お休み」。
引越時にバリ化計画を一気に実現する為に現地調達を目指す のにのに絵がないとは
毎週金曜日が定休だったのだろうか。日曜から昨日まで,閉まっているのを見たことはまったくなかったのだが。
ガクゼンとながらも,いつもどおりハラはへり,交代交代の法則にしたがってバリ辛いもの定食屋に入る。
先客のオイチャン2人がオカズと「ご飯」の定食を食べている。見ると,オカズをご飯にのせて,まとめて一緒に口に運んでいる。
スプーンとフォークを両手にもって。
「そうなのか」と納得して,アヤムゴレン,ナシゴレンに挑む。
さらにチャプチャイをたのんだつもりだったが,出てきたのはバビゴレン。
長く,いろいろメニューの説明を受けたところで,いきちがいが生れたようだ。
それまで謎に包まれていたメニューについてしつこく いや細かく説明を求めてみたが言語に限界があり チャプチャイを逃す 和田先生あなたのご指摘通り英語には縁がないようです
そして,どうもわれわれは「バビ(豚)好き」に見えたらしい。
内臓が良かったよなぁ
食べながらケータイの人,ダイエット中なのかご飯を残す人,つぎつぎとやってくる人はいろいろだが,全体として「制服の人」が多く,女性は少ない。
「制服」を来ているということは,わりとしっかりとした勤め人で,しかも収入が比較的多くて安定している人たちということになのだろう。
テイクアウト屋よりは客層が「上」のような気がした。
まわりの民家は茶色い瓦屋根が多いが,気がついてみると,この定食屋はトタン屋根である。
「わが家バリ化計画」にしたがって,気をとりなおして装飾品屋に入る。
ここの商品に値札はない。
すべてが交渉次第である。こういったところでは土着南大阪人の相方の出番である。相方は張り切る。
あ~ぁそんな言われカタって
アレコレ選び,値段の交渉をし,そして一旦店を出る。
出ようとする瞬間に値がグッと下がるからである。
そして下がったところで,その値をしっかり確認し,「また来るから」と声をかける。
すぐ近くのテイクアウト屋へ行き,夕方の食べものを買い,あわせて装飾品屋で何を買うかを相談する。
店にもどって,結局,買ったのは,壁にかける手織りの布が2本。
70万ルピアの言い値を,40万まで値切る。
とはいえ,まだまだ向こうに利益はタップリある。店員たちのゆとりの笑顔が,それを物語っていた。
まっ,いいわな,それで。
食べ物に関しては何一つ文句を言うつもりはない 金持ち観光客だから そうしなくても大丈夫なバリになるのを楽しみにしております でもそれ以外得に土産品は高い 伊達にエスニック屋に通っているわけではない 少なくても3倍は吹っ掛けているだろうからせめて言い値の半額で我慢しよう
ホテルにもどり,最後のプールでやたらと泳ぐ。
そして,2~3才の子どもたちの見事な力泳に感心もする。
そのあとは,例によってビーチでゴロリ。
早めに部屋にもどり,4時すぎには,ベランダで,揚げた豆腐(?),とり肉,ミーゴレンなどを食べる。
夕食時がちょうど移動の時間となるので,「チョイと早めに食っておくか」という行動である。
われわれの行動ではつねに「食」が優先されている。
部屋をかたづけ,ベッドメイクなどしてくれた人たちのために,少し,食べものやチップを置く。そして,残った缶ビールも。
みなさん,お世話になりました。
6時にはチェックアウトをすます。
フロントに荷物をあずけて,ビーチをブラリと歩く。いつも歩いていたところの反対側まで足をのばす。
敷地の外の砂浜を例の犬たちが,1匹,また1匹と,「シーフード屋台」方面に走っていく。
ヤツらの「出勤」風景であろうか。
急いでいる犬からは,なんだか,「遅れた,遅れた,遅れた」というツブヤキが聞こえてきそうな様子である。
しばらくして,水平線に陽が沈む。
水から突き出た太陽の脳天を,まじまじと見つめたのは初めてだったかも知れない。
6時50分,フロントに,にこやかにガマーさん登場。
例のバンに乗り込んで,空港へと向かう。他に2組の客がいる。
そして,このバンを降りるときに,またしてもアタマを打つ。
「また,ぶつけたね」とガマーさんに大声で笑われる。この人も物覚えがいい。
7時30分には搭乗手続をとり,ここでガマーさんと別れることになる。
手続き現場で思わぬ出来事。
係員いわく。「エコノミーがいっぱいなのでビジネスに乗せてあげます」。
そう,彼は実に正確に「あげます」と笑いながら日本語でいった。
すでに同じ状況でビジネスに乗り合わせてことのある相方が小躍りせんばかりに喜んだが,しかし,「ビジネスはジャカルタまで」であった。
大韓航空 30分前に搭乗手続きをすますとビジネス入りが決定 でも喜んでいる暇は無い 駅から走ってきたその足で無線をもった職員さんと関空を爆走 出国も疾風の如くかけ抜けた 汗が引いたトコロでキンボ空港到着なんてことがあった 今度は距離が違う 時間は5倍以上 エコノミーカウンターがらはじき出された時にもしかして???と期待が1秒ごとに膨らんだ 何人かの職員が申し込み者である私の名前を口々呟きながら予約を探しているように見えた 長い時間が過ぎ 史上空前の「ぬか喜び」へと続いていく・・・・るぅ~・・・・
もちろん,それでも十分ラッキーなのだが,落胆する相方に,手続きをしてくれた彼は「どうも,スミマセン」と日本語で切り返してきた。
バリ観光方面の日本語力は毎年,確実にアップしているようである。
今年は帰りもJALである。昨年のガルーダは座席が狭すぎて,ほとんど眠ることができなかった。
そして,はじめて乗り込んだビジネス・クラス。
あの「謎のカーテンの向こう」である。
広いっ!
他の多くはない客たちも,みな全体としてオドオドしている。
どうも,われわれと同じ幸運にめぐまれた人ばかりのようである。
座席が広く,ひじ掛けが広く,座席のあいだの通路が広い。
座席のリクライニングを倒すと,足をまっすぐのばすための「台」が下からもちあがってきた。
「やっぱり,人間,寝るときは,まっすぐノビて寝ないとね」という装置である。
搭乗もビジネスが優先だから,エコノミーの多くの人がまだゾロゾロ,ワイワイやっているあいだに,こちらでは,早くもおしぼりが出され,ジュースが出された。
おのれ,日頃,われわれがワイワイやっているあいだに,「カーテンの向こう」では,いつも,こんなことが行われていたのか。
でも,いまはいい。
目の前のメニューを調べてみると,朝食には「銀むつの西京焼き」にはじまる一連の品々がならび,まるで正月料理のようである。
ページをもどして「ディナー」を調べてみると,そこには,エビ,アワビ,カズノコ,カニ,カモといった「おれたちウマイぜ軍団」がズラズラとならんでいる。
どうも味わいの統一感には欠けるようだが,確かに「ウマイぜ」という統一性は貫かれている。それから「高いぜ」というのも。
食いたい。
でも,「ディナー」が出てくるジャカルタから先は,エコノミーに「都落ち」なのである。
そうまぎれもない都落ち
くやしい。
9時20分,離陸。
右手に,昨日までかよいつめた「シーフード屋台」のあかりが見える。なんだか,ここまで,炭の香りがしてくる気がする。
さらば,バリよ。
9時45分,JALによる「人間ブロイラー化計画」が開始される。「夜の軽食」というヤツが出てくるのである。
茶そば,ご飯,煮物,フルーツなど。
久しぶりの「和食」だが,これは全体として,食べ物そのものよりも,陶器の食器や,飲み物のワインで「エコノミーに差をつけてみました」という感じの食事だった。
いささか不満である。
西へ飛ぶので,途中,時計の針を1時間もどす。
こういうことにはうといので時間がどう進んでいるのかとんとわからない
その結果,現地時間の9時45分,ジャカルタに着陸となる。つかのまの「ビジネスの人」体験であった。
降りるとき,スッチーに「涼しそうですね」「日本は暑いですから,それが正解ですよ」と声をかけられる。
いまだ,こちらは「ジンベエの人」なのであった。
ビジネスからビジネスへの乗り継ぎの場合には,「ビジネス・クラスの御方だけでございます」の特別ラウンジで,豪華にトランジットの待ち時間をすごすことができる。
しかし,われわれのチケットには「ノー・ラウンジ」の文字がはっきりと書かれていた。日本語の上手な空港係員は意地悪なのであった。
印刷が見えづらいでしょうからと空港職員さんはわざわざ目の前で別の場所に書きなおしてくれた
「フッ,いい夢,見させてもらったぜ」「アバヨ!」。
次の飛行機への乗り換えまでの待ち時間はちょうど1時間。
ここには,「わたくしども免税店でございます」「お安うなっております」の店がならんでいる。
しかし,われわれ,もちろん,こんなところで金は使わない。
ブ~ラ,ブ~ラと,あちこちを冷やかして歩くだけ。
年配の夫婦が家のバリ化計画について相談していたそうだ 老若男女やはり惹かれるのだろう 負けていられない 金は無いが10ヶ年計画で徐々に日本から切り取られた空間を作ろうと思う ひひっ
気がつけば,去年,バリのクタで買った,足元のサンダルもそろそろ限界である。
10時50分,再び手荷物検査。しかし,その先の待合室には椅子が足りない。
われわれもまた座席難民となって,地べたに座るほかなかった。
11時すぎ,搭乗開始。
今度は正しく「エコノミーの人」である。帰りの座席は通路側。出入りが自由なので,気分がラクである。
やはり座席が小さい。しかし,それが落ち着く。
やはり,われわれ「ビジネスは似合わない人」のようである。
「ブロイラー化計画」にそって,「おやすみ前」のミニサンドが配られ,ここで,すかさずウイスキーの水割りを注文する。
テレビのニュースで道頓堀の「中座」が焼け,「法善寺横丁」にも被害が及んでいることを知る。
なんてこった。わが大阪が。
そして,ひさしぶりにジックリと「日経」を読む。
経済産業省がアメリカ企業による日本企業の買収を容易にする策をねっている,というのがトップ記事。
最近の経済政策の対米従属姿勢は実に情けない。日本政府の仕事は,アメリカの顔色をうかがうことが第一なのか。
深夜,水割り2杯目の成果もあって,短い時間,ウトウトしてすごす。
ジャカルタ時間の4時だが,外は次第に明るくなって来る。
それが,日本時間の6時なのである。
「ああ,朝日だなあ」と思ったところで,さっそく「さあさあ起きなさいニワトリのみなさん」とばかりに問答無用で「朝食」が配られる。
「ブロイラー化計画」の仕上げである。
7時50分,関空着。
今年のバリはこれにておしまい。世間のみなさま,明日からチャンと働きます。ワシはしっかり働きます!
私も働きます10月からね
大木一訓監修・労働運動総合研究所編『日本経済の変容と「構造改革」--労働運動からの分析と提言』(02年,新日本出版社)を読み終える。
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