9月7日(水)は、7時半起床の朝であった。
アンパンとコーヒーで本日の人生を立ち上げて、
ただちに、台風情報を確認する。
帰りの飛行機は、大丈夫なのか。
9時には、ロビーに全員集合。
「いわき市」を後に、6号線を北上する。
両側には、人が誰も住んでいない町が広がる。
路上の線量計には、2.9μsv/h (大熊町)などと。
11時前には、浜通り農民連の三浦広志さんと合流し、
今回の旅行を手配していただいた
「たびせん」の前田さんともごあいさつ。
まずは、役場でトイレを借りる。
三浦さんのご案内で、浪江の町を。
来年4月の避難指示解除(一部地域)に向け、
3年間の仮設焼却炉(減容化のため)や
廃棄物の仮置場など、
いくつかの施設、設備が急ピッチで。
いまだ使えない農地には、
太陽光パネルがおかれる場所も。
こちらは、三浦さんの農地である。
「荒れ果てた農地の海」という、
印象的な言葉も聞かれる。
南相馬市から相馬市に入り、
1時には、浜通り農民連の事務所がある
NPO「野馬土」に到着。
まずは、こちらのカフェで、野菜カレーを。
一息ついて、行動再開。
三浦さんから、県内の米1100万袋の
全袋検査の方法を聞く。
まわりは、これから収穫される米を入れる
30キロ袋の山だった。
三浦さんとお別れし、2時半には、
大野台(相馬市)の仮設住宅に移動する。
仮設のサポートセンターで、
飯館村から避難された渡辺さんのお話を。
「いいですよ、いいだて村は」
「それが全部・・」「東電のバカ野郎ですよ」。
ご家族の苦労についても、とつとつと。
4時半には、渡辺さんとお別れする。
5時には、松川浦の「亀屋」に到着。
入口の小さな深い湾だが、
津波の当日には、細い陸地の腕が、
幅100メールほどももっていかれたとか。
いまは、もとにもどされている。
6時半から、夕食である。
そろそろ、みんなも疲れてきている。
7時半には、部屋にもどり、
各自、自由にすごしていく。
こちらも、早めに布団に入る。
明日の最終日は、福島市内に向かっていく。
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