7月2日(日)は,飯田橋のホテルロビーに8時30分の集合である。
ところが,W辺秘書からの電話でこちらが起こされたのは,すでに8時37分。
完全な寝倒しの朝である。
学生たちに先に行ってくれるようにいい,こちらはアタマから水をかぶって朝のスタート。
ビデオの早送りのスピードで動きまわって,どうにか約束の現地9時集合に間に合っていく。
人間,やればできるものである。
今日は靖国見学の1日である。
ガイドをお願いしたH川さんと,何事もなかったかのように,「靖国神社」の「社号標」前でお会いする。
ここからは,28年議員をつとめられたH川さんの名調子での案内である。
切り取られた社号標,別格官幣社の意味,大鳥居の前の日清戦争の「戦利品」である1対の獅子。
九段会館は旧軍人会館,大村益次郎像の姿,旧徳川家の拠点に明治の兵工廠などが,華族とはどういう制度か。
後の富国生命が戦前に献納した灯籠,例大祭の日取りの変化,大阪砲兵工廠から届けられた青銅の第二鳥居。
馬に乗り軍旗をもってくぐることのできる高さの神門。
新しい斎館がつくられたがA級戦犯合祀以後「御親拝」(天皇による参拝)ができない事情。
秀吉の軍が打ち負かされた記録もある戦利品「北関大捷碑」の朝鮮への返還の跡。
一般の人が参拝できない形でひっそりとおかれた「反賊」をまつる鎮霊社。
合祀する人々の魂を名簿に招く招魂斎庭と,そこを駐車場にせずにおれなかった靖国の経済事情。
※1台4万円で99台分,これの12ケ月で年間4752万円の収入となる。
45年11月19日の最後の招魂の儀式,78年のA級戦犯の合祀の経過。
最近の「東京裁判史観」の丸ごと否定の動きに対応したパール判事顕彰碑の建造(05年6月25日)。
軍鳩・軍犬・軍馬の像とそれぞれの苦難。
ここまでのすべて「遊就館」に入る前の解説である。
もっと時間があれば,見てほしいものが他にもたくさんあるとH川さんはいう。
靖国は7月13日から16日が「みたま祭り」(お盆のようなもの)だそうで,あちこに普段にない飾りつけがしてあった。
下の写真は神門の前と,旧富国生命が送った灯籠にあるレリーフの一部。
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