5月17日は、7時30分の起床であった。
いつもどおりの朝をこなし、
9時ちょうどには、新参を保育所に運搬・連行する。
JR「加島」から「尼崎」へ、「神戸」へ、
阪急に乗り換えて「新開地」へ。
10時30分から研究会である。
パソコン打ちっぱなしの2時間となる。
終了後、夏の学習会の開催について、
若い人たちに問題をなげかける。
「古典を読みたい」との声はあるが、
いきなり読んで、それがどこまでわかるものかの不安もある。
そこらあたりの判断を、学ぶ本人たちにゆだねてみる。
途中、カレーうどんを「神戸」で食べ、
阪急「梅田」へ、「長岡天神」へ。
車中「日中の人」となっての移動である。
夕方までの時間調整を、長岡京市ですごしていく。
2000年までの5年ほどを、すごした町である。
駅前の商店の様子がかわり、
以前なかったところに、大きなマンションが建ってもいる。
とはいえ、長岡天神のまわりにだけは、
前とかわらぬ、落ち着いた空気が流れているよう。
いささか人工的にすぎるが、天神さん前の池である。
今日も、たくさんのカメと鯉が顔をのぞかせていた。
さかんに写真をとっている、おとうさん、おかあさんたちのグループ。
駅近くのなつかしの喫茶店に入り、
「参院選小原稿の人」となっていく。
5時前には「長岡京」を出て、「西院」へ、
車中「日中の人」となっての移動である。
いつものマンガ屋でC男の要望にこたえ、
ひさしぶりのチビ宅へ。
7時前には、A子・C男とともに、まいどの焼き肉屋へと突撃する。
ここには、いつもR命館大学の教員がいる。
ラグビーをやめたC男の話題は、受験周辺のことばかり。
それをA子が、あたかも母のように聞いている。
見ていておもしろい関係である。
10時ちょうどには、チビ宅を出る。
阪急「西院」から、車中「日中の人」となっての逆コースである。
11時すぎの帰宅であった。
しばらくは、朝のシャワーを控えねばならないようである。
となると、今日は、今から入らねば。
毛利和子『日中関係』(岩波新書、2006年)を読み終える。
サンフランシスコ講和条約から今日までが検討範囲。
日本から見た対中関係だけでなく、
中国側が、時々にどのような対日関係の形成を望み、
どのような判断を下してきたかの情報がある。
そこが、こちらにとっては新鮮であった。
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