8月25日は、8時ちょうど起床の朝であった。
眠い。
5時間弱の睡眠か。
ノロノロと動いて、なんとか外に飛び出してみる。
予定していた8時55分「加島」発に乗り遅れる。
しかし、JR「加島」から「大阪天満宮」へ、
谷町線「南森町」から「天王寺」へ、
各駅を「はげしく走る」ことにより、
JR「天王寺」では、9時34分発予定どおりの電車に乗り込んでいく。
ところが、この電車が時間になっても走らない。
事故による先行電車のつかえがあったらしい。
「これは、仕方ないわな」と勝手にあきらめ、
車中「落ち着きの人」となって、JR「堺市」へ、
ただちに堺市立女性センターへ。
予定より遅れて、10時05分の会場入りとなる。
すでに3年ゼミのMマとNりが待ち構えている。
ただちにパソコンをプロジェクターにつなげ、
堺女性大学の教養講座の1つとして
「学生と学ぶ『慰安婦』歴史問題」を行っていく。
まずしゃべり、海南島の被害者の証言ビデオをながめ、
再び解説し、さらにゼミの学びと行動の様子を、
たくさんの写真をつかって紹介していく。
会場には、150から200人の方がおられたようだが、
実に、真剣に聞いておられた。
最後には、MマとNりが、4月からのゼミでの学び、
WAM・しょうけい館・靖国を見学しての感想、
これから韓国に被害者をたずねるにあたっての心境などを語っていく。
3年ゼミ生のこの手の語りを聞くのは初めてだが、
思った以上のしゃべりに驚かされる。
人間、やるときにはやるものである。
12時ちょうどの終了となった。
フロアーの何人かの方と言葉をかわし、
1Fの事務所へ降りて、お茶をいただく。
ここで、和歌山から、卒業生K本さんも合流する。
じつは、3年生の語りを、
1Fロビーの大きなモニターで見ていたという。
お土産にと、お菓子と和歌山ラーメンをもらっていく。
お菓子は、近々研究室に集まるという3年ゼミ生に手渡される。
韓国旅行に向けての、この夏2度目の自主ゼミらしい。
「私もナヌムの家にいきたいです」
といわれるスタッフのみなさんとお別れし、
12時半には、外に出る。
阪堺電車の走る通りに抜けて、
そばがうまいという「美々卯」に入る。
緊張がほぐれた3年生2人は、バクバクと食べ、
Nりには、「Nりそね」という新たな名前が与えられる。
『ハルモニからの宿題』世代のK本さんも、
人生について、ブツブツいいながら食べている。
かつて1両を借り切り、路面を走るその中でゼミコンを行った
阪堺電車の雄姿がなつかしい。
JR「堺市」にもどり、全員で「天王寺」方面へ。
K本さんは、途中、世界陸上をめざして、「長居」で降りる。
Nりとは「天王寺」で、Mマとは「鶴橋」でそれぞれ別れ、
こちらはJR「森之宮」のいつもの喫茶店に忍び込む。
夕方からの研究会の準備である。
4時30分から、関西勤労協の理論研究委員会で、
「いま科学的社会主義をどう語るか」と題して
問題提起をさせてもらう。
いかにも中途半端な提起であったが、
講義用のテキスト、読むテキスト、古典の解説書、
この学問の「全一」的性格、各構成部分の相互作用
といったことも話題になる。
労働学校受講者や運営委員、事務スタッフからの意見もあり、
いくつもの検討課題を新たに獲得することができる。
7時すぎの終了である。
ただちに事務所を出て、
JR「森之宮」から「京橋」へ、「加島」へ、
車中「研究会内容反芻の人」となってもどっていく。
家にもどるなり、リッュクの中の和歌山ラーメンをゆがいていく。
そして、玉子かけゴハンとラーメンという、
学生時代のような食事をとる。
関西勤労協を経由して、金沢大学のI先生から、ご本をいただいた。
さっそく冒頭部分を読み、お礼のメールを打っていく。
明日の講演仕事の準備として、
「美しい日本をつくる会」のサイトなどをながめていく。
このサイトのサブタイトルは「男女共同参画基本法の廃棄をめざして」。
戦前型の「美しい国」「美しい日本」への社会の回帰を願う集団である。
明日もまた、眠い朝となりそうである。
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