東アフリカで、2015年を目標とした共通通貨「東アジア・シリング」の発行に向けた努力が重ねられている。
一橋大学の小川教授による紹介である。
文中に登場するベラ・バラッサが『経済統合の理論』を書いたのは1961年のことのようだが、なぜその段階で今なお一定の有効性をもつ統合の見通しをもつことが可能であったのか。
そこもまた興味深い問題である。
「東アジア通貨統合」構想は東アフリカに学べ(『プレジデント』2008年4月14日号)
東アフリカ共同体(EAC)が、7年後を目指し通貨統合の準備を進めている。ケニアを来訪した筆者は、遠い将来の東アジア通貨統合の夢をここに見た──。
一橋大学大学院商学研究科教授・小川英治
日本の先を進む
EACとCOMESA
筆者は、3月初旬に国際協力事業団(JICA)の技術協力としてケニア金融学校においてケニア中央銀行や財務省などの若手の研修を行うためにナイロビに出向いた。ケニアといえば、地理的にも経済的にも文化的にも日本から随分と離れた国であると感じられる人が多いであろう。筆者も何年か前に初めてケニアに訪れるまでは、キリマンジャロの麓にライオンがシマウマを追いかけているイメージしかなかった。ナイロビの空港自体がサバンナの風景と同じため、飛行機を降り立つと、キリンが悠々と覗きにやってくるのではないかという錯覚に襲われた。時間距離で測ると、実際に、東京からナイロビに行くためには、(国土交通省がエミレーツ航空の成田空港への乗り入れを認めていないことから)成田空港から中部空港(あるいは、羽田空港から関西空港)、ドバイを経由して、27時間強をかけてやっとの思いでナイロビ空港に降り立つことができる。この国土交通省の規制のお陰で、関西空港や中部空港が、オイルマネーで潤っている中近東へのゲートウェーとなっている。
ナイロビの空港に降り立ち、パスポート・コントロールを抜けて初めて、ケニアに入国することになるわけだが、そのパスポート・コントロールのゲートの中に、外国人向けのゲートのほかに、East African and COMESA Citizensと書かれたゲートがある。そのゲートに立つ人たちはほとんどチェックも受けずに、足早にゲートを通り過ぎていく。それに対して、(筆者も含めた)外国人たちは、出発地で取得したビザのページを開きながら、長い列に並ばなければならない。このような風景を見て、ヨーロッパの空港でEUと書かれたパスポート・コントロールのゲートが思い出される。
East African Citizenとは、東アフリカ共同体(EAC)の居住者のことであり、COMESAとは東南部アフリカ共同市場のことである。EACは、ヨーロッパの空港で見られるEUパスポート用のパスポート・コントロールのゲートと同様に、EACパスポートを発行し、そのパスポート・コントロールのゲートを用意しているのである。このようなパスポート・コントロールは、経済統合の中で人の移動の自由化の象徴として挙げられる。
経済統合
五つのプロセス
EACは、2001年にケニアとタンザニアとウガンダの三カ国によって結成され、07年にルワンダとブルンジが加わった。05年に関税同盟を発足させ、10年に共同市場を創設することをEACは計画している。また、07年12月に、EUとの間で経済連携協定(EPA)を締結している。EACから輸出する農産物の関税を撤廃するとともに、欧州から輸入する工業製品等の関税を段階的に撤廃することとしている。わが日本がいまだいくつかの国とEPAと呼ばれる自由貿易協定(FTA)に二国間協力を加えた協定を締結しているにすぎないことに比べると、関税同盟を締結し、近い将来に共同市場に発展させようとしているEACは、日本の一歩以上先を進んでいるといえる。
FTAと比較して関税同盟が進んでいるといえる理由は、FTAが単に加盟国間の関税を撤廃することに対して、関税同盟の加盟国は、域外諸国に対して共通域外関税を課すという共通の関税政策を採用しているからである。域外諸国に対して共通域外関税を課すことによって、低い域外関税を課した国を通じた域外諸国からの迂回的輸入を抑えることができるとともに、それを防止するための原産地原則に関わる面倒な手続きを簡素化することができるというメリットがある。一方、共通の関税政策の採用は、EUにおいて採用されている共通農業政策、共通通商政策、そして、単一の共通通貨の導入、共通の金融政策といった、様々な共通経済政策の採用に発展する端緒となることから、その意義は大きい。
ベラ・バラッサという学者は、今から40年以上前の1961年に出版したその著書『経済統合の理論』の中で経済統合の進展を以下のように分類している。経済統合の進展につれて、経済統合は、(1)自由貿易地域、(2)関税同盟、(3)共同市場、(4)経済同盟、(5)完全なる経済統合というように進んでいくと整理されている。自由貿易地域では、加盟国の関税および量的貿易制限が撤廃される。関税同盟では、非加盟国との貿易に対して同盟国が対外共通関税を導入して、共通の関税政策をとる。共同市場では、貿易制限が撤廃されるだけでなく、生産要素(労働や資本)の移動に対する制限も撤廃される。経済同盟は、さらに、各国の経済政策の調整もある程度実現しようとするものである。そして、完全なる経済統合では、金融政策、財政政策、それに景気対策の統一化を前提とするとともに、超国家的機関を設立する。
このように、経済統合が商品移動における差別待遇の撤廃から生産要素移動における差別待遇の撤廃へ質的に発展することとともに、経済政策面においても差別待遇を撤廃するために、域外に対する関税の共通化に始まり、様々な経済政策の共通化が図られるというのが経済統合の特徴である。最終的には、超国家的機関が設立され、その超国家的機関が共通の経済政策に関する意思決定を行うこととなる。
EUにおいては、52年に発効した(02年に失効)欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)や58年に発効した欧州経済共同体(EEC)の自由貿易協定、68年に完成した関税同盟、92年の共同市場としての域内市場完成、90年から10年かけて三段階アプローチによって段階的に進めてきた経済通貨同盟、共通政策としての共通農業政策と共通通商政策、98年に超国家機関として設立された欧州中央銀行と99年の共通通貨ユーロの導入が、バラッサの経済統合の各段階に対応する。一方、このバラッサの経済統合の各段階にEACとCOMESAを照らし合わせると、EACは関税同盟を実現し、COMESAは共同市場の実現を目指している。
発展途上国間の経済統合は、EUのような先進諸国間の経済統合とは異なる効果を重視している。先進諸国間であれば、すでに幾分かは各国の間で異なる(すなわち、比較優位が存在する)現在の生産構造および消費構造を所与として、経済統合の静学的効果として関税撤廃による貿易創出効果が期待されている。一方、発展途上国間の経済統合においては、現状では、各国間の生産構造および消費構造に高い類似性が見られるために、先進諸国間の経済統合における静学的効果はそれほど期待することができない。
むしろ、発展途上国間では、長期的に見て、経済統合が各国国内の生産構造に影響を及ぼすことを期待して、動学的効果が期待されている。例えば、発展途上国一国では経済規模が小さいために、大きな消費地を対象としなければ成立しない、自動車などの装置産業を育成できない。しかし、経済統合によって大きな市場をつくることができれば、装置産業を育成できると期待される。あるいは、経済成長に必要な希少資源(例えば、資本や熟練労働者や外国為替準備)をプールすることによって、資本蓄積を通じた経済成長が期待される。さらに、小さな発展途上国の間で無駄な二重の研究開発への投資を回避して、最先端の技術開発およびその技術による高付加価値生産も期待される。発展途上国間の経済統合においては、このような長期的な動学的効果が期待されている。そのため、EUにおいて域内貿易が7割ほどであるのに対して、アフリカ諸国間の域内貿易が1割程度にすぎないにもかかわらず、上述した長期的な動学的効果を期待して、EACやCOMESAが締結されてきた。
経済統合を進めて、関税や非関税障壁を撤廃して、貿易の障害になっているものを取り除いていくにつれて、異なる通貨が流通していることから発生する外国為替の取引費用や外国為替リスクそのもの、あるいはそれに対する先物・オプション等のヘッジング費用が国際貿易に対して相対的に重くのし掛かり始める。その結果、経済統合を進めていくと、最終的段階には単一の共通通貨を導入して、これらの費用を削減して、より効率的な域内貿易を達成することを目指し始める。これが通貨同盟を目指す通貨統合である。
EACが目指す
「通貨統合の夢」
EACは、2015年までに共通の中央銀行によって発行された単一の共通通貨を導入するEAC通貨同盟を完成させるという通貨統合の計画を持っている。通貨統合後の通貨の名称もすでに東アフリカ・シリングと決まっている。実は、この東アフリカ・シリングはすでに流通していたという歴史がある。東アフリカの地域は、それまでのイギリスの東アフリカ保護領から1920年にイギリスの直轄植民地となり、60年代初頭にケニア、タンザニア、ウガンダがイギリスからそれぞれ独立するまで共通の経済基盤を持っていた。 19年にケニア、タンザニア、ウガンダの東アフリカ地域に東アフリカ通貨庁(カレンシー・ボード)が設立され、66年にこれらの3国がそれぞれ自国の通貨を発行し始めるまで、東アフリカ・シリングという共通通貨が流通していた。したがって、東アフリカ・シリングがこの東アフリカ地域で初めてつくられるわけではない。過去に存在した東アフリカ・シリングが、東アフリカ諸国の意思の下で流通を再開することから、歴史的に共通通貨導入の素地はこの地にすでにできている。
しかし、EACのスケジュールでは通貨統合の「2015年」まで残り7年しかない。EUでも十分に時間をかけて通貨統合の準備を進めたのだから、東アフリカでもその準備を十分に行う必要がある。東アフリカで通貨統合の夢が実現する7年後に再びケニアを訪れて、東アフリカの教訓を学び、遠い将来の東アジアの通貨統合の参考にしたいものである。
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